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11 再び外れの地

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 蝉の鳴き声にまじり、せせらぎが聞こえる。川が近いのだろう。点在する小屋の中から、人の話す声もちらちらと耳に入る。

 昼下がりを過ぎた頃から、陽光は徐々にまろみを帯び始めた。だがそれでも暑い事には変わらず、外れの地には淀んだ空気がひしめいている。

 先を歩く夢緒の背を、紫呉は追った。夢緒は沈黙を惜しむかのように次から次に話題を提供し、その紅い唇からはぽんぽんと勢いよく言葉が飛び出した。

 それに頷き、時に微笑む。よくもまあこれだけ話していられるものだと、紫呉は感嘆した。

 足元の小石を、夢緒は喋りながら爪先で玩ぶ。蹴りつけたそれは草むらに飲まれた。その様を何となく見やっていた紫呉だが、視界に飛び込んできたそれに目を瞠った。

 足を止めた紫呉に気付いたのだろう、夢緒が立ち止まり、隣に並ぶ。紫呉の視線の先を見て、どことなく沈鬱な面持ちで嘆息した。

「アタシらの事を不具、不具、と罵るくせにさ。堕ちたい時はアタシら頼みさ」

 草むらの中、特徴的な葉が見られる。あれは罌粟ケシか。大麻も見られる。

「外れ住まいの奴らの、大事な収入源さ。ここに生きる奴らの、大事な大事な、お金のもとだよ」

 ここ、夢緒は両腕を広げてその場でくるりと回ってみせた。

「街の奴らは、足元見て大した金を払っちゃくれないがね。それでも、装身具アクセサリー売りつけるよか良い金になる」

 装身具、と紫呉は唇だけで音をなぞって首を傾げた。が、夢緒は気付かずに話し始める。

「そういやアンタはどこの外れにいたんだい」

 という事は、ここ以外にも同じような土地があるのか。外れと呼ばれる、不具と見なされた者達が住まう場所。

 答えられずにいると、夢緒はそっと体を寄せ、首に両腕を回してきた。

「すまないね。言いたくないなら良いんだ。いらない詮索をしちまったね」

 唐突な抱擁に、紫呉は目を白黒とさせる。

「ここの外れの売りもんはまだまだ良いもんだが、場所によっちゃひどいから……。ごめんね、嫌な事を思い出させたかい」

 女の柔らかな体から、蒸すほどの体温が伝わってくる。首を振れば互いの髪が触れあい、さらさらと音を立てた。

「この襟巻きも、痕なり傷なりを隠してるんだろ?」

 襟巻き越しにするりと喉元を撫でられ、やはり紫呉は首を振るばかりとなる。事実、同情を寄せてもらえるような場にいたわけでもなく、痕があるわけでもないから否定は本当の事であるのだが、夢緒はそうは受け取らずに、首に回した腕の力を強めた。

「かわいそうにねえ。つらかったろう」

 子供をあやすように、ぽんぽんと背中を撫でられる。

 優しい女だ。優しすぎる程に優しい。思い込みが激しいのと、人の話を聞かないのが難点だが。

 紫呉は夢緒の肩を軽く押して、体を離した。大丈夫です、と唇で音だけをなぞって、ゆるく首を振る。

「……そうかい」

 伸ばされた髪の隙間から覗く夢緒の目には、僅かに涙の膜が張っていた。しかし微笑みを作る紅い唇はそのうちに更に笑みを大きくし、にやりと表現するに相応しい意地の悪げな笑みに変わった。

「ごめんねえ。純真なボウヤにひどいことをしちまったかねえ」

 にやにや笑いながら、夢緒は紫呉の肩をばんばんと叩いてくる。

「顔が赤いよ。可愛いねえ」

 抗議しようと紫呉は口を開くが、結局は言葉を飲み込み、俯いた。襟巻きを引き上げ、赤い顔を隠す。

 純真を気取るわけではないが、事実、慣れていないのだ。二影や親族と触れ合うのとは、訳が違う。どう接して良いのか分からない。戸惑う。

 夢緒はけらけらと笑い、からかうように紫呉の髪を撫でている。しばらくの後にその手は優しいものとなって、乱した髪を撫で付けるようにゆるゆると髪を梳き始めた。

「……大丈夫。きっと、この生活もいずれは変わるさ」

 手を離した夢緒は、瞑目して深く息を吐いた。しばらくの後に目を開け、まるで祈るように太陽を見上げる。眩さに目を細め、陽光を抱きしめるかのように、胸に両手を当てた。

「妙なるかな、聖なるかな」

 夢緒の頬を陽の光が撫でる。

「我らが愛し子」

 再び瞑目し、夢緒はゆっくりと呼吸を繰り返す。薄く唇を開き、降る光を飲み込むように。

 彼女の周囲に静謐な風が吹くようである。無く蝉の声も遠く、声無き祈りの声を夢緒は抱き、陽光に身を晒している。

 ゆるやかに目を開け、夢緒は紫呉に向き直った。その頃にはもう祈りの風情は見られず、鉄火肌の夢緒の顔をしていた。

「おいで、案内するよ」

 茶色の髪をくるりと翻し、夢緒は背を向けた。蝉の声が空気を揺らしだす。

「ここの外れじゃあね、ハッパや粉以外の主な売りモンは装身具なんだ。ほら、見えてきた。あっちの工房の方で、色々作って市街の方に売りにいくんだよ」

 夢緒が指差した先に工房が見えた。工房といってもそこいらの粗末なあばら屋とたいして変わらず、少し広く大きい程度の小屋だ。

 割れた窓から中を窺い見る。室内では男女が地べたに座り、研ぎ石のようなもので何かを磨いていた。綾紐を縒り合わせている者もいる。羽や木の実を器用に貼り合わせる姿も見えた。

 奥には釜があるようだ。燃え盛る赤は、室外に立っていてもその熱を感じさせる。

「あの釜で、聖玻を作っているんだよ」

 ただし、と夢緒は唇を曲げた。

「偽物のね」

 釜を見つめる目は、睨むような強い光を宿していた。

「本物の聖玻と違って、ただの硝子玉ではあるけれどもね。じっと見られない限りは、ばれないもんだよ」

 それは、平気なのだろうか。罪に問われる行為だと思われるのだが。

 紫呉の言いたい事を察したのだろう、夢緒は一つ深く頷いた。

「ばれたらそりゃあ、罪に問われちまうさ。それでもね、アタシらは不具でなかった頃に戻りたい。以前と同じように、人として生きたい。人として扱われる事を知らずに育った奴らを、人にしてやりたい。……うわべだけでもね」

 そう言った声は悲しげであった。しかし諦めの色は見えなかった。心からそれを望んでいる事が感じられた。

「与四郎様が生きていた頃の里で、アタシらは人として生きたいんだ」

 アンタもだろう。確かめるように、夢緒は紫呉を見上げた。

 紫呉は玻璃の民ではない。瑠璃で生まれ、瑠璃で育った。

 だが、この里の歪みには不気味なものを感じる。腹の底に得体の知れぬ気持ち悪さが渦巻く。

 隣里で生きてきたというのに、紫呉は『不具』なる仕組みを知らずにいた。玻璃の政治体制は、外堀だけではあるが一応は学んでいるはずなのに。

(そうか)

 今更気付いた。あの男が口にしていた『組』とは『八人組』の事だ。これも、八重が焔を継いでから作られた仕組みだ。

 八戸の家がそれぞれを監視しあい、里に叛く姿勢が見られるようであれば、上層部に報告する。里に不利益をもたらすような行動・思想を抱いているようならば、やはり報告が必要だ。危険分子を潰す為に作られた仕組みだと聞く。

 八人組も不具も、八重が焔となってから出来た仕組みだ。八人組の事はちらと耳にした事があるが、しかし不具なる仕組みを耳にした事はない。

 つまりは、隠されている。

 二里は相互扶助の姿勢を保ってはいるものの、それぞれの政治には不介入だ。だからお互いどのような圧制を敷こうとも、口出しをする資格は無い。

 よって、政治体制を隠す意味は無い。

(だが隠した)

 何故だ? 何故、八重は不具なる制度を瑠璃に隠した。

「どうしたんだい、難しい顔しちまって」

 はっと紫呉は目を瞠る。

「さっきの野郎に、アタシが来る前に何かひどい目にでもあわされたのかい?」

 心配そうに声を震わす夢緒に、紫呉は慌てて首を振った。優しい彼女に、無用の心配はかけさせたくない。

「なら良いけど……。そうだ、これから買い物に行こうかと思うんだけど、一緒に行くかい?」

 それはありがたい申し出だ。今朝の走りぶりからすると、彼女は里の裏路地にも詳しそうだし、里を知るにはとても助かる。紫呉はこっくりと頷いて同意を示した。

 夢緒は屈み、袂から取り出した硝子の装身具を足首にはめた。確かに、ちらと見ただけでは本物か偽物かは分からない。

「さっきは偉そうな事言っちまったけど、これはね、普段は使わないんだ。捕まっちまうのは怖いからね。モノを売りに行く時はいつも通りのアタシらさ」

 裾を払い、夢緒は立ち上がる。

「これは、買い物に行く時に使うだけさ。不具が相手じゃ売れねえとか、ふざけた輩がいるからね。アタシらが売るもんは買い叩くくせにさ」

 よし、と手を打ち合わせ、夢緒は紫呉の手を取った。

「じゃあ行こうか。さっきの辺りはしばらく近寄らない方が無難だけど、別のところなら大丈夫だろうし、……ん? 何だい?」

 子供じゃないのだから、と紫呉は夢緒の手をやわく振りほどこうとする。が、夢緒は逆に手を握る力を強めてきた。

「可愛いねえ。こりゃとんだウブなボウヤを拾っちまったもんだよ」

 含み笑いながら、夢緒は紫呉の顔を覗き込んでくる。

 言いたい事は山ほどあったが、何から文句をつけて良いものか。適当な言葉が見当たらず、紫呉は言葉を飲み込んだ。その代わりに、わざとしく大きな嘆息をする。

 せめてもの意趣返しにと、指を絡めて手を繋いでやる。だが夢緒はけらけらと笑うばかりで、より一層紫呉の不満は積もるばかりとなった。


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