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10 瑠璃治安維持部隊乾第壱班屯所


***************************************************



 影虎は乾壱班の屯所へと向かう道中に在った。

 昼過ぎの陽光に目が眩む。そこここで鳴く蝉の声が、鼓膜をわんと震わせる。

 氷売りに冷やし果売り、金魚売りに風鈴売り。道を行く商人は涼を売り歩く者であるというのに、客を引く声は暑気に負けず勢いよく、見れば何やら一層暑さが増すようだ。

 その声を笑顔でかわし、影虎は人々の隙間を縫って歩く。

 紫呉が瑠璃を発ってから数日が経過していた。当たり前の事だか彼から便りはなく、あちらでどのように過ごしているのか知る術は無い。

 もしも連絡があるのならば、それは紫呉の身に何かが起きた時だ。二の腕に咲く桔梗の墨で、紫呉が何者であるかは、捕らえた者も知れるだろう。となると、必ずや瑠璃に知らせは届く。悪い知らせだ。

 だから、連絡の無い今は、紫呉の安全は確約されているのだと思っていて良い。

 そう分かっては、いるのだが。

 影虎は髪を掻いて乱し、本日何度目になるか知れぬ溜息を吐いた。

 不安、なのだろうと思う。何をしていても気はそぞろだ。

 帰りを待つ側とはこんなにも落ち着かぬものなのかと、そんな事を考えて思わず自嘲を零す。

 帰りを信じていないわけではない。信じている。帰らないわけがない。

 紫呉の腕は確かだ。それに聡い。こたびの事は無鉄砲で軽率な行動ではあるが、愚行はするまい。

 分かっている。信じている。

 だけど。

 舌を打ったのと、乾壱班の屯所へ辿りついたのがちょうど同時だ。まだ年若い門衛にぎょっとした顔をされてしまった。影虎は苦笑して手をひらりと手を振る。

 通り過ぎ、数歩行ったところでやはり思い直し、振り返る。

「莉功さんもう来てる?」

「あ、はい。夜勤ですので、ずっと詰めてらして」

「そっか。ありがとな」

 舌打ちされてしまったとまだ勘違いしているのか、門衛の態度はやけに硬い。敬礼の姿勢を取る彼の肩はがちがちに固まっていた。

 そう緊張しないでよお兄チャン。ふざけた女声で言い残し、影虎は屯所内へと足を運んだ。

 屯所の中は比較的に涼しかった。蝉の声が少しばかり遠ざかったから、そう思えるのかもしれない。

 部隊長の詰めている部屋へと向かう。莉功は、平時の際はそこにいるはずだ。

 戸越しに一声かけると、入れと莉功の声が返ってきた。

「俺さあ」

 戸を開ける影虎に、莉功は声を重ねる。

「紫呉くんに壱班来いって言ってたはずなんだけど」

 机に片肘をつき、足を組んだ莉功が不機嫌な声で言った。

 室内には莉功の姿があるだけだ。他の部隊長たちは所用で出ているらしい。

「なーんで来ないのかにゃー」

 莉功はこちらをちらりとも見ようとしない。

 ふざけた体を装っているが、纏う空気は張り詰めている。珍しく怒気を露にする莉功に多少気圧されつつ、影虎は莉功の向かい側に腰を下ろした。

「なあ、何で来ねえの?」

 莉功はようやく影虎に視線を合わせた。

「つか、俺だけじゃなくて彰司も来いって言ってた気がすんだよね。仮にもさー、壱班の部隊長なわけよ俺らは。従ってもらわんと、困っちゃうんだけどねー」

「何のことすか」

「あれ、もしかして知らんの?」

 眼鏡の向こうで莉功の目が丸くなった。

「何か紫呉くんの事だったらさあ、全部知ってるっつーか把握してるっつーかだと思ってたわ」

「んな事ないすよ」

「槙がさ、……ああ、槙は知ってるよな?」

 それは知っている。例の、あの店を騒がしにきていた荒くれ者だ。

 槙が死んだという連絡は受けた。阿片による中毒死であろうという事も。その腰ぎんちゃくであった二人もまた同じく、死亡した事も聞いている。

「その槙が死んだ時に紫呉くんが側にいたんだよね。疑ってるとかじゃあねえけど、参考人としてちょっと来ておくんなさいよって、言ってたはずなんだけどにゃー、あー、眠いわー」

 莉功は眼鏡を外し、目頭を指でほぐした。

 なるほど、得心がいった。

 壱班の部隊長の言葉に背いたとなると、罰は免れない。しばらくの謹慎は確実だ。

 紫呉とてそれは分かっていただろう。だがそれを凌駕する程の、激情だったのか。

 もう嫌だと、己のせいで誰かが苦しむのはもう嫌なんだと、もろく崩れそうな声を落とした主を思い出す。

「まあ鳥獣隊のお仕事的な何かが急に有ったのかなー、って俺も思ったわけだよ。でもそしたら俺らにも連絡はくるっしょ? でも無いしさあ。じゃあ何で紫呉くん来ないんだっていうね。だからまあ、温情かけるっつったら恩着せがましいけど、まあ、待つのももう無理なわけで」

 眠いわーとぼやきつつ、莉功は机につっぷした。制帽が机上に転がる。

「で」

 転がった制帽を掴まえ被り、莉功は顔を上げた。眼鏡を外している所為か、目つきがすこぶる悪い。

「影虎くんは何しにきたの」

「話しておきたい事があるんすよ」

「ふうん?」

 制帽で口元を隠し、莉功は片眉を上げる。

「……じゃ、移動しよっか」

 他の者に邪魔をされたくない話だと感づいたのだろう。察しの良い男だ。莉功は眼鏡をかけなおし、立ち上がった。

 莉功に付き従い、部屋を後にする。

 分かれ道にさしかかった時だ。ふいに莉功が立ち止まった。

「その前に俺も確認したい事あるんだけど」

 左に曲がろうとしていた莉功だったが、そう言うなり、右にくるりと向きを変える。制服姿の背を影虎は黙って追った。

 やがて着いた先は安置室だ。瑠璃治安維持部隊の一つ、遺体処理を受け持つ肆班と話し合いを持つ間は、ここで遺骸を保管している。

 北の位置に所在する事もあり、そこはひんやりとしていた。夏の今は、室内に氷柱を立てている。

「槙の腰ぎんちゃくすね」

 寝かされた遺骸には覚えがあった。一人は無残に顔を裂かれている。もう一人は腹に深い刺し傷が見られた。

「そ。戸籍も身元も確認済み。受取人はおらず。現在肆班の処理待ち」

 莉功は氷柱の側に屈み込んだ。

「両名とも先日華芸町にて発見。発見者は瑠璃治安維持部隊乾第壱班隊員。争う声がすると住人の通報を受けて現場に向かう。発見当時既に息は無し。周囲には阿片と金銭があったことから、それをめぐっての悶着と見られる。ガイ者甲――昭夫の方だな、こいつが、ガイ者乙――こっち、浩志ね、こいつの腹を刺す。逆上した浩志が昭夫の顔を斬りつける。浩志はそのまま腹の小刀を抜く間もなく死んだ。……てのが、一応の見解」

 また、と立ち上がった莉功が、影虎の隣に並ぶ。

「凶器となった小刀も発見済み。一つは浩志の腹に残留。もう一つは浩志が手にしていた。浩志の手のひらに血の痕は無く、死亡後に誰かが持たせたという可能性は低い。……はずだけど、零ではないと、俺は思うね」

 まあ俺だけじゃないだろうけどそう思ってんのは。付け加え、莉功は鼻から息を抜く。

「まあとにかく何にせよ、相打ちって事でカタつけようぜってのが、壱班の総意だな」

 つまりは、他に関わった者がいるはずだと莉功は見なしているのだろう。

 確かに、それは影虎も思う。

 甲――昭夫の顔は、ちょうど上下を真二つに分かつようにして斬られている。傷は深い。だが綺麗だ。斬る事に慣れた者に因る傷だ。武器の扱いに長けた者ではないと、こうはならない。

「お前さんらのお仕事じゃねえよな?」

 莉功は眼鏡越しに鋭い眼光を送ってくる。その視線を受け止め、影虎は頷いた。

「さっき莉功さんが言ってたじゃないすか。鳥獣隊の任務なら、他の者にも連絡は行く」

「だよねえ」

「何でそんな事聞くんすか」

「こんな芸当できんの、紫呉くんぐらいのもんじゃねえのって思ってさあ」

「任務でも何でもねえのにあいつが人を殺したって?」

「…………怖ぇよ目が」

 そう笑いながらも、莉功は影虎の視線から逃げようとしない。

 蝉の鳴き声が聞こえる。

 遠く、行きかう隊員たちの足音がする。

「悪い。そうは思っちゃいない」

 やがて莉功は影虎から視線を逸らし、真剣な面持ちで瞑目した。

「ま、浩志の奴が、実はえらく腕の立つ野郎だったって事にしとくよ」

 外部犯とかめんどくせえし。目を開けた莉功は言いながら、氷柱の側に舞い戻った。屈んで、制帽で顔に風を送る。

「んで本題だ。影虎くんの話って何」

「……警戒、しといて下さい」

 影虎は割れた昭夫の顔に目を落とした。横顔に莉功の視線を感じる。

 加羅は紫呉に奪うと言った。

 紫呉が奪われて厭うもの。それは金でもなく、地位でもなく、情を繋いだ相手だ。その彼らを奪うと、加羅は告げたのだ。

 推論ではある。だがきっと、答えに近いだろうと影虎は思っている。

 紫呉は自分のせいで誰かが傷つく事を、苦しむ事を、ひどく厭っている。それを知っての事だろうか。

 おそらくは、雪斗を襲撃したのも加羅だ。

 紫呉が交流を持つ相手の中で、己たち二影や鳥獣隊を除けば、雪斗は紫呉との距離が最も近い。それに雪斗は武力を有さず、人の出入りが多い華芸町で一人住まいだ。襲撃するには、一番容易い。

 依然として加羅の目的は知れない。だが、目的を果たす手段として、奪うという行為が選ばれた。いや、奪う事それ自体が目的なのかもしれない。分からない。何にせよ、真意なぞ知りようがない。

「警戒ねえ……」

 莉功がさも面倒臭いと言いたげな声で呟く。影虎は無言で頷いた。

 莉功は非戦闘員ではない。中々に腕が立つ事は影虎も知っている。そうでなければ、壱班の部隊長など勤められない。

 彼ならば雑魚を一層する事は容易いだろう。だが、それでも注意を促がすべきだと思った。彼に何らかの害が見舞って、傷つくのは紫呉なのだ。それは嫌だ。避けるべきだ。

 莉功は唸りながら目を瞑っている。

 紗雪は、須桜がどうにかするだろう。須桜もきっと、影虎と同じ結論にたどり着いている。

 雪斗は保護舎に在るうちは安全だ。周囲は壱班の者で固められている。わざわざ侵入に困難な場所を襲撃する必要は、その危険リスクと比べれば感じられないように思う。

 親族は心配するだけ無駄だ。支暁殿は幾重にも護られている。

 浅葱は、平気なはずだ。浅葱は情報屋だ。相手にとっても有益な情報を手にしているかもしれない。その相手を無闇に手にはかけまい。

 また、浅葱に接する事はつまり情報を与える事。浅葱と繋がりの有るこちらに情報が流れる可能性があるという事。ならばきっと、おいそれと接触は持たないはずだ。

「どんくらいのもん?」

「俺の片足、奪えるくらいの相手」

「……そりゃ、おっかねえ」

 片目を開け、莉功は影虎の右足に視線を送った。

 この義足と付き合うようになって、もう六年が経つ。

(六年)

 無為に過ごしてきたわけじゃない。あの頃に比べればずっと、己も強くなったはずだ。義足との付き合い方もうまくなった。

(護ってやるさ)

 今度こそは。

 失った影虎の足元に蹲って紫呉は泣いた。護らなくて良い、だから死ぬなと。

 己とて、腹に風穴を開けられているくせに。しかも、友と慕った相手にだ。己とて深い傷を負ったくせに、それでも泣いたのだ。あの馬鹿は。己の為ではなく、何も出来なかった不出来な『影』の為に涙を流した。

 主のそんな姿は見たくない。違う。させるべきではないのだ。そんな事を。

 ならば戦え。護れ。強く在れ。

「りょーかい。洋には、悟さんとこ行くように言っとく」

 制帽を被り直した莉功は、お手上げといった態でひらひらと手を振った。

 悠々館の主である柊悟もまた、鳥獣隊『鳩』の一員である。今は茶屋の主を勤める彼だが、元は瑠璃七官のうちの一つ、軍事を司る赤官の長であった男だ。腕は信頼に足る。

 彼の息子である崇もまた、鳥獣隊『鳩』の一員だ。普段はその名の表す通り伝書鳩の役割を司る事の多い彼らだが、一通りの戦闘訓練は受けている。

 莉功の弟である洋は、鳥獣隊『雀』の一人だ。里に『正しい』情報を流す事を主としている為、普段は戦闘に従事していない。一応の戦闘訓練は受けているものの、彼は戦闘を得意としていない。一人にするには、やや不安が残った。

「俺は、ま、出来るだけここにいるようにするさ」

 ここ、と莉功は首と視線を巡らして壱班の屯所を見回す。

「あー、おっかねえおっかねえ面倒くせえ。つか、影虎くんが護ってくれりゃあ俺は面倒でなくて良いんだけどねー」

「俺にはやる事があるんで」

 半ば本気じみた莉功の愚痴を、影虎は微苦笑で受け流す。

 留守を頼むと紫呉は言った。命を下した。

「俺にしか出来ないんだ」

 その命令に用意された答えは、諾のみだ。


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