3 晴天の霹靂 (3)
「まあ、座りなさい」
部屋の中央にある応接セットのソファーに、繁太郎が上座に、テーブルを挟んで遥と一宏が座った。
「えっと、お茶いるかね?」
「い、いえ」「別に」
出されても、喉を通らない。遥は何とか平静さを保とうとしたが、顔が強張っている。掌は汗まみれ、腋も背中もである。
――――――――な、何なの?????
もう遥はパニック一歩手前である。
「津田 遥さんだね」
さっきの声とは打って変わっての優しい声である。が、少しも緊張は解けない。
「はい」
声がいつも以上に上ずる。
「失礼だが、君の経歴や親族関係を調べさせてもらった」
遥はどきんとした。
―――――――――どうして!?
動揺しまくる。顔にもモロ出ていただろう。
「歳は31歳。ご両親は君が小学校2年の時に離婚。母親は森田総合病院の看護師。・・・変わった経歴だね。公立高校を卒業後、看護学校へと進み国家試験をみごと合格。だが、看護師にはならず、国立大学へ入学。卒業後我社に入社。いや、当時の面接官がやけに君を気に入ったそうだね」
「いえ・・・そんな・・・」
駄目元で受けた会社である。
「特技は?」
と面接の時聞かれ
「空手です」
と5人並んでいる採用面接試験者での最後。他の4人が無難な受け応えをしていた中で、5人居た面接官の前で、行き成り立ち上がり、パンツスーツ姿でパンプスを脱ぎ、空手の型をやった。採用面接試験者と面接官は吃驚していた。まあ、前代未聞だったろう。終わった後拍手までされてしまった。
こんな大手、まさか合格するとは夢にも思っていなかった。
「どうして、看護師の道を進まなかったのかね?」
遥は一瞬戸惑った。
「何を言ってもいいよ。別にそれで今更解雇などしない」
―――――――まあ、そうだろうな。
「看護士の仕事は、3Kと言われるほど、辛い仕事です。生活も不規則です。母が看護師だったので、その苦労を知っています。ですが、看護師は需要が多く、永久的な資格です。ですから、万が一就職先に困った時の為に取得したに過ぎません」
――――――それに、キャンパスライフもしてみたかったし・・・
「そうだね、どこもかしこも看護師の需要は絶えない。それに、今の世の中医療事故が後を立たない。まあ、それは訴える件数が増えただけだがな。重労働とそれで辞める看護師もいるほどだ。なかなか堅実的だね」
「恐れ入ります」
頭を微かに垂れた。だが、頭の中は「?」マークが泡のように溢れている。
「恋人はいるかね?」
唐突の質問に、眼を剥いた。
「・・・おりませんが・・・?」
「そうか。好きな相手は?」
「おりませんが」
「本当に?」
「はい」
―――――――――何なの?この質問は!?
「そうか。結婚には興味あるかね?」
遥は思わず息を飲み込んだ。
――――――――はあ?
「・・・・・・それは・・・」
目を瞬かせた。
「まあ、いい」
本当にどうでもいいように言った。老人は枯れ枝のような指を絡ませた。
「実はな、隣に居る一宏の花嫁を探しておった」
一瞬止まった。慌てて隣に座っている一宏を見た。一宏は遥を見ず、真っ直ぐに老人を見ていた。
「・・・・・・あ・・・あの・・・どうして・・・?」
――――――――って、鈴木君と会長ってどういう関係よ!!?
「わしの息子じゃ」
「息子さん!?」
部屋中に響き渡りそうな大きな声を上げてしまい、慌てて両手で口を覆った。どうみても、【孫】ほど年が離れている。
―――――――いったい、幾つの時の子よ!?・・・って苗字違うけど?
「・・・まあ、わしの愛人の子じゃがな」
老人はにやにやする。その言葉にも衝撃を受ける。銃弾受け捲くりである。
「どうじゃ?わしに似て、いい男じゃろう」
繁太郎はにやにやしながら言った。遥はその言葉に応えられなかった。確かに若い頃は今で言う、イケメン であったであろう、面影が色濃く残る。
だが、そんな事を考える余裕は今の遥にはなかった。衝撃的な事実に、遥はより一層パニック状態であった。そんな遥とは正反対に一宏は泰然としていた。
「まあ、不適な本妻の息子どもよりは遥かに優秀だ。だからゆくゆくはわしの後を継いでもらおうと思っておる。だから日本に呼寄せたのだがな。まあ、あの時は向こうの上司や社長までもが出てきて、文句を言ってきての。一悶着したもんじゃ」
ははは と老人は声を上げて愉快そうに笑った。
――――――――ヘッドハンティングじゃない!?・・・いや一応そうなのか?
「私は帰国などしたくありませんでした」
その言葉には、皮肉と嫌悪が含まれていた。それに遥は違う意味で、驚いた。
「まあ、そう言うな。我息子や孫達はそろいも揃ってああも馬鹿どもだ。『継がせん!』と言っているのに、わしの死を今か今かと待ちわびておるわ。もうわしは遺言にお前を跡取にするとまで認めている」
「そんなもの、その場限りですよ。直につまみ出されます」
感情のない言葉。
―――――――ちょ、ちょっと!私の前で貴方方の御家事情を話しないでよ!!
遥の頭の中に、ドラマの『華麗なる一族』の重厚なメインテーマが流れていた。
「まあ、あやつらが取締役員達を納得させるだけの器があるとは思えんがな」
老人は意味深な笑みを浮かべた。
『腹黒じじい』的な笑みと、遥は思った。
「私などよりも、村瀬専務が適任だと御推察致しますが」
「お前が現れる前まではそう思っておった。だが、お前はわしの思う以上の者になった。村瀬も不服はないと言っておる」
幹部役員の中では、「社長はただのお飾り」と冷笑している。実質、会社実権を持っているのは、繁太郎であり、村瀬であった。繁太郎の息子は、ただの『判子押し係』である。
「あの方が社長に就任されたら、誰も文句を言わないでしょう。別に好き好んで波風立てる必要もないでしょうに」
「まあ、村瀬でも十分であろう。不遇な息子達に失望して村瀬をわしの傍に置き育てた。わしの片腕といってもいいだろう。・・・だが、自分の息子が優秀なれば、継がせたいと思うのは親としての心情ではないか?・・・今の世の中、世界に通用する人間が必要じゃ。いくら技術力が優れた兵士が居たとしても、指揮官が愚鈍ならば、戦には勝てん」
遥を無視するように、二人の間で火花が散っていた。
――――――・・・あの・・・私、別にいなくてもいいんじゃない?
当初の話から道筋がずれていた。遥は今すぐにでも逃げ出したい心境だ。
繁太郎は遥に目線を戻した。遥は微かに居住まいを正した。
「・・・まあ、そういう訳で、遥君。この子を宜しく頼む。28歳で君よりは年下ではあるが、同年代よりも精神年齢はかなり上じゃ。頼りがいはある。保障しよう」
「ちょ、ちょっと待って下さい!!」
遥は慌てて両手を振る。
「なんじゃ?」
老人は、眉間の皺が多く深くなる。普通の小娘なら怯えるだろうが、遥は逃げなかった。
「ど、どうして【私】なんですか!?」
「君の事は調べたと言っただろうが。仕事を嫌な顔一つせずに、自分から率先してする、と。今時珍しいと聞いておる。同期の中では一番仕事が出来るとな。同僚にも上司の受けもいい。こうして面談しても、しっかりとしておる。君なら一宏の嫁として充分やっていけるだろう」
――――――――もっといるだろうが!!
「あ、あの鈴木さんの意見を!そ、そう!付き合っていらっしゃる相手とか、好きな相手とか」
「おりません」
即答。
―――――――あ、あんたーーーーーーー!!!この状況を解っているのか!!空気読め!!嘘でも『いる』と言えーーーーーーーー!!!
思わず、鬼の形相で睨みつけてしまった。その彼は一瞥も遥を見ようともしない。
他の女性陣なら、「玉の輿」とばかり大喜びだろう。
だが、遥は違っていた。
「幾ら金持ちだろうが、不幸が襲い掛かってくるのは眼に見えている!!」であった。テレビドラマではないが『愛憎と金と欲が渦巻く魑魅魍魎の世界』の中に飛び込む勇気など、ない。
そもそも遥は結婚など「絶対にしない!」と固く心に誓っていた。
遥の母は遥の父親と強制離婚していた。遥の父は競馬・競輪・競艇とギャンブルにのめり込み借金。母が看護師としてその生計を立てていた。家に居る時の父は酒びたり。暴力もしばしば。毎日のように借金の返済の催促の電話や取り立てなども来た。挙句の果てには蒸発。もうそれ以来父とは会っていない。「男のクズ」を小さい頃から散々見てきた遥にとって、父=男=最低 と幼い心に一生消えない烙印となって刻み付けられた。その為、「一生の資格」として看護師の資格を取り、一生男に縋る事無く生きる道を選んだのである。
世間からは『負け犬の遠吠え』と言われようが、今の生活で十分満足していた。同年代よりも高い給料。シングルライフを充実させていた。友達の中にはせっせとお見合いパーティーに行く者や、結婚して子供もいる子も居た。「幸せ」だと「貴女も結婚しなさい」と催促する。だが、中には離婚した子も居た。「金輪際結婚なんてしない!!」と愚痴相手にさせられたものであった。【結婚】だけが幸せではない。
人それぞれだの幸せの形がある。
「お断りします!」
断固とした決意を告げた。老人は細い目を見開かせた。まさか、この条件を飲まない女がいる事に、驚いたのである。隣の一宏は別段驚きもせず、ここに入ってから1回も遥を見ていなかった。
「どうしてだね?」
不機嫌というよりも、興味の方が上回った、と言った口調であった。
「私、結婚なんて興味ありません。それに鈴木さんの事も知りません。そんな相手と「結婚しろ」とは、甚だ強引ではありませんか?人権無視もいい所です!」
―――――――――えい!!嫌われようが解雇されようが、そんな魑魅魍魎の巣に喜んで飛び込めるか!!
今の悠々自適な生活を捨てるなど、断固として出来るものではなかった。
遥はキっと老人を睨みつけた。こういう場合、手に職を持っている女は強い。
老人は又又鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。暫し遥を見ながら、顎に手が伸びる。
遥の、断固とした拒否を全面に打ち出している表情を見つめる。「ここで目線を逸らしたら負けだ!!」的に。
繁太郎は、自分と目線を合わせ、目を反らさないこの孫とも言える女を、興味津々、その奥底にある真意を覗き込もうとするかのように、凝視した。
そして、もう片方の手で膝を叩いた。
「気に入った!!強引だろうが、君には一宏と結婚してもらおう!」
「会長!!話が違います!!」
一宏が初めて声を荒げた。
「お断りします!!」
思わず遥の腰が少し浮いた。
――――――――人の話を聞け!!じじぃ!!
怒鳴りそうになった。
「なに、結婚しても直に離婚して慰謝料を思う存分貰えばいいだろう。一生仕事しないで暮らせるぞ。うん、そうしなさい。慰謝料は10億くらいでいいかの?もっといるかの?」
その単位に、思考が一瞬無くなった。
まるで、「1万、2万上げるよ」的な言い方。
――――――――金銭感覚が違い過ぎる・・・
離婚の原因の一つに『価値観の違い』がある。正しく、ソレである。
一気に上がった血圧が、急に失速し、貧血状態のようになる。座り心地が良すぎるソファーに身体が沈んだ。起き上がるのが困難なほども沈みようである。眼が頭の中がぐるぐる回っていた。
「婚約披露パーティーは1ヵ月後だ。その前にそちらの親にも挨拶に行かせよう。明日はどうだ?一宏」
「私、仕事です!」「仕事です」
現実に強引に引き戻された遥は怒鳴るように、一宏は冷たく、同時に言った。
―――――――平日だ!!じじぃ!!
チラっと一宏を見る。一宏の顔が今まで見た事もない微かではあるが、片頬がピクピク振動していた。憤怒しているのかが、傍から見ても解った。
――――――――鈴木君も嫌なんだ。まあ、当たり前か。さっき、「帰国などしたくなかった」と言っていたし。相手私だし。
「なんじゃい。休みを取ればいいだろうが」
「そんな不真面目な事出来ません!」
遥は、なるべく声を抑えて言ったが、声音は興奮で上ずる。
「不真面目とは、人生の転機だろうに。・・・そうか、だったら今度の土日に挨拶に行きなさい。いいな一宏」
――――――――お、横暴な!!
「会長!!」
一宏が声を荒げる。
「拒否は許さん」
有無も言わさぬ迫力であった。日本の大物政治家も尻込みするであろう威圧感である。一宏は歯軋りをした。膝に置いていた両手が握り拳を作っていた。
「ちょ、ちょっと待って下さい!!結婚して直に離婚なんて、意味ないじゃないですか!!」
――――――――そうよ!!意味無いじゃん!!
「いや、こいつは今まで女と付き合った事がないらしい。『ホモか』かという噂が立ってての。まあ、それを一掃する為の結婚じゃ」
「だからって、結婚して直に離婚なんかしたら、一緒じゃないですか!」
遥はなんとかこの話をナシにしたい心境だ。
―――――――彼なら他にもっと条件のいい相手がいるでしょうが!!
「そうかの?」
飄々として老人は立ち上がり、デスクに戻り、そのにあるインターコムを押した。
「来てくれ」
すると扉から、4人の女性と2人の男性が入ってきた。姿見鏡を押した1人の女性。男性は二人とも外国人で、女性4人の内二人も外国人。
「鈴木、お前は持ち場に戻れ。遥君。今から身体の寸法を測る」
「は?」
「これから様々なパーティーに出てもらう。その為のドレスを作らねばならん。まあ婚約披露の時には着物だがな。後は頼む」
「ちょ、ちょっと待って下さい!!私お受けするとは」
遥の抗議の声も聞かず、老人はサッサと出ていこうとする。その動作はとても80歳を過ぎているとは思えない、確かな足取りであった。
「会長!話が違います!!」
一宏が声を荒げる。その声にその場に居た者達は一斉に一宏を見る。
「お前、仕事が残っているだろう。さっさと持ち場に行け」
一宏の片顔の筋肉が怒りのあまり微かに動く。そして、苛立ちが溢れる背中を見せながら、部屋から出て行った。
一人取り残された遥は。ぽかんとする以外なかった。
―――――――――ひ、人の話を聞けーーーーーーー!!
怒りが込み上げてくる。二人が出て行った重い分厚い扉に向かって叫んだ。心の中で。ここに人が居なければ、叫んでいただろう。
「上着だけお脱ぎください」
外人の女性がにこやかに言い、日本人の女性が通訳した。遥は断る隙もなく、マネキン状態になった。
――――――――夢!?夢!?夢ーーーーーーーーー!!!
遥は心の中で叫んでいた。
寸法を測っている最中、男が遥に話しかける。通訳の女性がそれを日本語で遥に伝える。英語なら少しだけ理解できる遥であったが、男が使っている言葉は英語ではないみたいである。
「どのようなデザインが宜しいですか?華やかなのがいいかしら?それともシック?」
「・・・・・・・・・あ・・・普通で・・・」
素っ頓狂な物言いに寸法を測っている助手達は笑いを堪える。男性は首を竦める。
「では、大人しめがいいかしら?」
「それでお願いします」
いつの間にか流されている。
「お色は?」
「お任せします」
男は又首を竦めて、苦笑いする。男はデザイナーなのだろうか。
大きな鞄から数種類の色の布地を取り出し、遥に合わせ始めた。ふと、男が持参した鞄を見た。超高級ブランドのロゴが目に留まった。
――――――・・・C・D~~~~???う・・・うそ・・・
遥は、目を剥いて、放心していた。
信じられなかった。
自分一人の為に、世界的にも超高級有名なブランドのデザイナーが、わざわざ寸法を測りに来るなど、有り得ない。
――――――・・・夢だ・・・
そう思わないと、今の状況を受け入れなれない。
遥がなすがままにされている間に、デザイナーは色を決める。もう一人の男は、機械とメジャーで椅子に座らされた遥の足のサイズを測っていた。そして、もう一人の男性デザイナーとなにやら意見を言い合っていた。
遥が総務部に戻って来たのは就業間近であった。「ああ、急ぎの仕事はやっておいたから」
と上司が言ってくれた。
「申し訳御座いません」
一宏は、戻って来た遥に一瞥もせず、パソコンのキーボードを忙しなく走らせていた。
【3 終】




