第8話:バグ再現成功
1.「確率」を「技術」へ
セントラル・ゲートの北東防壁。路地裏に響く単調な足音と、石壁に身体がめり込む際にかすかに生じる電子ノイズが、カイトの周囲を支配していた。
1時間前、成功率わずか数パーセントの「奇跡」でしかなかった壁抜けは、今やカイトの手によって解体され、再構築されようとしていた。
「……よし。座標軸のブレが収まった。AI『コードオメガ』が、僕のこの動作パターンを通常の移動ルーチンとして誤認し始めてる」
カイトは、左手首のアーク・コア(エラー品)が投影するデバッグレイヤーを凝視した。
視界には、壁の当たり判定を示す「Collision Status: 1」の文字が、カイトが特定のステップを踏むたびに激しく明滅し、「0」へと切り替わろうとする予兆が見えていた。
彼は壁から正確に3メートルの位置に立ち、右足を一歩引く。
助走。
加速。
跳躍。
空中でメニュー画面をコンマ1秒だけ呼び出し、即座にキャンセルする。
シュン。
カイトの身体が、抵抗なく石壁を透過した。
再び降り立った世界の裏側――格子模様の虚無空間で、カイトは懐中時計を確認するかのような冷静さで呟いた。
「これで、10回中8回成功。……再現率80パーセント。もはやこれは偶然じゃない。この世界の物理法則そのものに刻まれた、確定した仕様だ」
2.同接1000人の衝撃
カイトが再び壁を抜けて表の路地へと戻ると、配信画面のコメント欄は、もはや人間の目で追える速度を超えていた。
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【検証】最新VRMMO『EFO』にバグがあるか調べてみた【1日目】 同接数:1,024人
[名無しさん1]: 1000人突破きたあああああ!!
[名無しさん2]: おい待て、今8連続で成功したぞ!?
[名無しさん3]: さっきまで「研究者かよ」とか笑ってたけど、これガチの技術じゃねーか
[名無しさん1]: 16.6ミリ秒の隙間を8割で通すとか、こいつの集中力どうなってんだ
[名無しさん2]: 運営見てるかー! 完璧なゲーム(笑)がボロボロだぞwww
[名無しさん4]: カイト、お前もう「底辺実況者」卒業だろこれ
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同時接続者数、1000人。
カイトがこれまで数年間、クソゲーの片隅で叫び続けても届かなかった数字が、たった1時間の壁抜けによって達成された。だが、カイトの心臓は高鳴ることもなく、むしろ深海のように静まり返っていた。
「みんな、驚くのはまだ早いよ。……これが完全にバグであると証明された今、次に考えるべきことは一つだ。このバグを使って、どれだけ効率的に運営の想定を破壊できるか」
カイトは、初期装備の錆びた短剣を鞘から引き抜いた。
レベルはまだ「1」。ステータスは、通りを歩く一般プレイヤーよりも遥かに低い。
だが、彼の視界には、世界中の誰もが見落としている近道の筋道が、青い光のラインとなってはっきりと見えていた。
3.「仕様」という名の武器
「神代レイジディレクターは、このゲームを完全だと言った。なら、僕が今からやることも、運営が用意した完璧な仕様の範囲内だということになる。……そうだよね、運営さん?」
カイトは、空中に浮かぶ不可視の監視プロトコル――運営の視線――に向かって、挑発的に口角を上げた。
「これだけの人が見ているんだ。もしこれがバグだというなら、運営は自分たちの無能を認めて、今すぐメンテナンスに入るべきだ。……でも、彼らはやらない。いや、できないんだ。AIに任せきりにした世界の修正は、人間が手作業で行うにはあまりに複雑すぎるからね」
カイトの言葉は、配信を見ていた一部のプロ解説勢の視聴者を唸らせた。
コードオメガが生成する世界は、あまりに緻密すぎて、一部分を修正すれば他の10箇所に影響が出る。壁判定を安易に強化すれば、今度はプレイヤーが階段で動けなくなるような二次被害が発生するのだ。
「さて、再現実験は終わりだ。……そろそろ、このバグを実戦に投入してみようか。レベル1の初心者が、サービス開始初日に、誰もがレベル30以上必要だと言っている最初の禁断の地へ足を踏み入れる。……ワクワクしないかい?」
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[名無しさん1]: 禁断の地……? まさか、あのダンジョンか!?
[名無しさん2]: レベル1で行く場所じゃねーだろwww
[名無しさん3]: 壁抜けでショートカットする気か! 伝説回確定だな
[名無しさん4]: 運営、今頃血眼でログ解析してそう
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カイトは路地を抜け、街の北門へと向かった。
その背中には、1000人の視聴者の熱狂と、運営の焦燥が重なっていた。
「これ完全にバグだな。……でも、だからこそ最高の攻略ツール(武器)になる」
カイトの瞳の奥で、黒いノイズが明滅する。
彼が向かう先には、初心者プレイヤーを絶望させるための最初の壁――巨大なダンジョンの入口が待ち構えていた。




