第7話:バグ検証開始
1.「脆弱性」の視界
セントラル・ゲートの裏路地。先ほどまで世界の裏側という虚無の領域にいたことが嘘のように、目の前には再び、重厚な石造りの防壁がそびえ立っていた。
だが、カイトの目に映る景色は、以前のそれとは決定的に異なっている。
(……これが、アーク・コア(エラー品)の力か)
カイトが手首を軽く振ると、装備された黒いノイズの塊が脈打つように震える。
彼の視界は、もはや美しいテクスチャで飾られたファンタジーの世界ではない。石壁の表面には、物理演算のベクトルを示す矢印が幾重にも重なり、地面との接地面には「Collision Status: 1(衝突判定:有効)」というデバッグ用のような文字列が半透明のレイヤーとなって浮かび上がっていた。
「みんな、見えるかい。これが、今の僕に見えている世界の真実だ」
カイトは視界の端に浮かぶ配信ウィンドウに向けて、静かに語りかける。
同時接続者数は、バズの余波を受けて4,000人を超え、さらに増え続けていた。
--------------------------------------------------------------------------------
【検証】最新VRMMO『EFO』にバグがあるか調べてみた【1日目】 同接数:645人
[名無しさん1]: さっきのノイズ、配信画面にも映ってるぞ!
[名無しさん2]: なんだこれ、開発画面か? サイバーパンクすぎて草
[名無しさん3]: 座標軸とかグリッド線とか出てるんだけどwww
[名無しさん1]: カイト、お前今、何をしようとしてるんだ?
--------------------------------------------------------------------------------
「検証だよ」
カイトは短く答えた。
「偶然1回成功しただけじゃ、それは単なるラッキーでしかない。バグを武器に変えるには、それがなぜ起きるのか、どうすれば確実に引き起こせるのかという、再現率を100%に近づける必要があるんだ」
彼は壁をじっと見つめる。
カイトが装備したアーク・コア(エラー品)の影響か、壁の角、特定の一点だけが、赤黒いノイズを放って明滅していた。
資料にあるバグ01「壁判定消失バグ」の発生ポイント。AI「コードオメガ」が、ポリゴン同士の噛み合わせをマージしきれずに残した、数学的な穴だ。
「アーク・コードの運営は完全なゲームだと豪語した。なら、この穴も彼らにとっては想定内の仕様であるべきだ。……さあ、その仕様を徹底的に洗い出そうか」
2.地道な「作業」の始まり
カイトは壁から正確に5歩、距離を置いた。
石畳を蹴り、加速する。
跳躍。
ダッシュ。
メニュー開閉のラグ。
ゴン。
鈍い衝撃音が路地に響き、カイトの体は壁に弾き返された。
「……失敗。ジャンプの入力が、座標更新タイミングより1フレーム早かった。次は、滞空時間をあと30ミリ秒だけ延ばす」
彼はすぐに立ち上がり、元の位置に戻る。
加速。
跳躍。
ゴン。
「失敗。ダッシュの慣性が足りない」
加速。
跳躍。
ゴン。
「失敗。今のはメニューを開くタイミングがずれた。……次」
カイトの動作は、もはやゲームを楽しんでいるプレイヤーのそれではない。一定の動作を機械的に繰り返し、結果をフィードバックして数値を微調整する――工場の製造ラインか、あるいは研究室の実験作業そのものだった。
--------------------------------------------------------------------------------
[名無しさん1]: 5回連続で失敗か……。
[名無しさん2]: さっきの壁抜け、やっぱり奇跡だったんじゃないの?
[名無しさん3]: てか、この壁にぶつかり続けるだけの配信、見てて何が面白いんだよw
[名無しさん1]: 待て、カイトの顔、マジだ。こいつ、本気で再現しようとしてる。
--------------------------------------------------------------------------------
視聴者たちが呆れ、あるいは期待を込めて見守る中、カイトは10回目の試行に挑んでいた。
彼の脳内では、アバターの筋肉の動きと、システム側の座標更新ログが完全にリンクし始めていた。
(コードオメガは、僕が壁に近づくたびに、計算リソースを壁の表面に集中させている。……だけど、僕があえて空中を見ながらメニューを開くと、描画優先度がUI側に傾き、壁の判定が数ミリ秒だけ後回しにされる。そこだ!)
11回目。
カイトの体が、壁の角に触れる。
ズルッ。
半分ほど、腕が壁にめり込んだ。
だが、すぐに座標補正が働き、表側に押し出される。
「……いい感触だ。座標のズレが、視覚化されているおかげで修正しやすい」
カイトは不敵に笑い、再び助走を開始した。
3.研究者かよ
15回。
16回。
17回。
カイトは黙々と、無言で壁に挑み続けた。
その姿に、配信のコメント欄の空気が徐々に変わっていく。
--------------------------------------------------------------------------------
[名無しさん1]: 18回目……。
[名無しさん2]: おいおい、こいつ、毎回微妙にジャンプの高さ変えてないか?
[名無しさん3]: データの取り方がガチすぎるだろ。もはや実況じゃなくて研究報告会だ。
[名無しさん1]: 研究者かよって言いたくなるなwww
[名無しさん2]: でも、だんだん惜しいシーンが増えてきたぞ。
--------------------------------------------------------------------------------
「19回目……行くよ」
カイトの声が、研ぎ澄まされた刃のように響く。
石畳を蹴る音、風を切る音。
ジャンプの頂点から、下降に転じる瞬間。
カイトは、左手首のノイズが赤から白に変わる、極小のタイミングを捕まえた。
シュン。
衝突音はない。
カイトの体が、バターをナイフで切り裂くように、音もなく石壁を透過した。
一歩。
再び、灰色と黒の格子模様が広がる世界の裏側へと降り立つ。
「20回目。再現成功だ」
カイトは、背後に浮かぶセントラル・ゲートの断面図を見つめながら、静かに宣言した。
--------------------------------------------------------------------------------
[名無しさん1]: !?!?
[名無しさん2]: マジかよ、また入った!!
[名無しさん3]: 20回やって成功率5%……いや、最後の方はほぼ形になってたぞ。
[名無しさん1]: こいつ、本気でこのバグを自分のスキルにするつもりだ……。
--------------------------------------------------------------------------------
「確率5%? 違うよ。……今は、コツを掴んだ。次の20回なら、おそらく8割は成功させられる」
カイトは、手に入れたアーク・コアを弄びながら、虚空に浮かぶ監視カメラ(運営)に向けて視線を送った。
「神代さん。これが、君の作った完璧なゲームを攻略するための、僕なりのやり方だ。……さて、再現率を高めたら、次はこれを使って実戦で何ができるか、試してみようか」
カイトの瞳には、もはやレベル1の初期ステータスへの不安など微塵もなかった。
彼には見えている。この世界を構成する、あらゆる理不尽なまでの脆弱性が。




