第4話:開発者エリア
1.「世界の裏側」への第一歩
石壁の感触が消え、視界が激しく明滅した次の瞬間、カイトの全身を包んだのは完全な静寂だった。
つい数秒前まで聞こえていたセントラル・ゲートの喧騒――露店の威勢のいい呼び込み、馬車の車輪が石畳を叩く硬い音、プレイヤーたちの浮かれた笑い声――それらすべてが、厚い鉛の板で遮断されたかのように完全に消失している。
「……着いたな。ここが、アーク・コードの裏側だ」
カイトがゆっくりと目を開けると、そこには絶景も、中世ファンタジーの情緒も存在しなかった。
足元に広がっているのは、テクスチャの貼られていない灰色と黒のチェッカーボードが地平線の先まで続く、無機質で数学的な平面。頭上には昼も夜もなく、ただデータの読み込み待ちを示すような深い闇が、宇宙の深淵のように広がっている。
カイトが振り返ると、自分が通り抜けてきたセントラル・ゲートの街並みが、まるでおもちゃのジオラマのように虚空に浮いていた。建物の裏側は描画されておらず、中身の詰まっていないポリゴンの殻が剥き出しになっている。これが、世界最大のVRMMOと謳われたゲームの、AIが隠し続けてきた計算の残骸だった。
--------------------------------------------------------------------------------
【検証】最新VRMMO『EFO』にバグがあるか調べてみた【1日目】 同接数:12人
[名無しさん1]: は……?
[名無しさん2]: なんだこれ、何が起きたんだ!?
[名無しさん3]: 画面がバグったのか? いや、カイトは普通に歩いてるぞ……。
[名無しさん1]: おい、誰か今の録画したか!? 壁を透過して「外」に出たぞ!
--------------------------------------------------------------------------------
カイトは、激流のように流れ始めたコメント欄を横目に、冷静に足元のチェッカーボードを踏み締めた。
一歩踏み出すたびに、足元から「ポッ、ポッ」という、本来の歩行音ではない電子音が響く。これはAI『コードオメガ』が、このエリアに適切な環境音を割り当てていない証拠だ。
「みんな、落ち着いて。ここは公式マップには存在しない未公開エリア、あるいは開発用のデバッグバッファと呼ばれる領域だ」
カイトは興奮を抑え、解説者としての口調を維持した。
「AIが世界をリアルタイムで生成する際、一時的なデータの置き場が必要になる。通常、プレイヤーがここに立ち入ることは想定されていないから、AIはここを透明化したり消去したりする必要がないんだ。……つまり、バグを使えば、ここは神の視点で世界を観察できる特等席になる」
2.捨てられた秘宝
カイトはチェッカーボードの平原を、座標計算の中心点と思われる方向へと進んだ。
VRMMOにおいて、こうした未公開エリアには、往々にして面白いものが放置されている。開発者がアイテムのドロップ率をテストし、そのまま消し忘れたデータ。あるいは、AIが生成に失敗して隔離した仕様のゴミだ。
「……見つけた」
闇の先、不自然に整然と並べられた黄金の光がカイトの視界に飛び込んできた。
そこには、現実の物理法則を無視して空中に等間隔で浮遊する、10数個の金色の宝箱があった。
--------------------------------------------------------------------------------
[名無しさん2]: 宝箱……? なんであんなところに!?
[名無しさん1]: 開発者専用の隠し部屋かよ!
[名無しさん3]: 運営見てるかー! サービス開始初日にチートエリア発見されたぞwww
[名無しさん1]: 同接500突破! おい、この配信今トレンドに上がり始めてるぞ!
--------------------------------------------------------------------------------
カイトは、そのうちの一つの宝箱に近づいた。
装飾は、始まりの大陸で見かける木製のそれとは比較にならないほど豪華で、淡い燐光を放っている。カイトが手を触れると、指先に計算上の反発力のような冷たい熱を感じた。
「これはおそらく、AI『コードオメガ』がアイテムのドロップ倍率をテストするために用意した、検証用のオブジェクトだね。本来ならサービス開始前に削除されるべきものだけど……どうやらAIくんは、世界の隅っこにこれを隠しておけばバレないと思ったらしい」
カイトは不敵に笑い、宝箱の蓋に手をかけた。
彼にとって、この宝箱を開けることは単なるアイテム入手ではない。運営が謳う完全なゲームという嘘を、白日の下に晒すための弾丸を込める作業だ。
「さあ、運営さん。君たちが存在しないと言い張った世界のゴミ箱には、一体何が入っているのかな?」
3.配信の熱狂と、広がる「綻び」
カイトが宝箱を開けようとしたその瞬間、配信画面のコメント欄は伝説の目撃者になろうとする視聴者たちの叫びで埋め尽くされていた。
誰一人として注目していなかった底辺実況者の配信は、今やSNSのクリップ機能を通じて、EFOの全プレイヤーコミュニティへと急速に拡散され始めていた。
「アーク・コードの壁を抜けた奴がいる」
「誰もいないはずの場所に、金色の宝箱が隠されている」
その噂は、鋼鉄大陸でレベル上げに勤しむトッププレイヤーや、魔導大陸で魔法を研究する魔術師たちの耳にも、SNSを通じて届きつつあった。
カイトがゆっくりと、宝箱の蓋を押し上げる。
ギィィ……と、この世のものとは思えない電子的な軋み音が響き、中から溢れ出したのは、純粋な光と、バグによって生じたノイズの混じった黒いキューブだった。
「……なんだ、これは」
カイトの目に、初めて驚愕の色が浮かぶ。
それは通常の武器でも防具でもなかった。
彼の視界に、真っ赤なシステムメッセージが躍る。
【警告:未定義のアイテムを取得しました】
【警告:世界の論理整合性が崩壊しています。AI管理システム『コードオメガ』に報告……報告……エラー】
「検証成功、だ。……でも、これは僕の予想よりも、ずっと壊し甲斐がありそうだね」
カイトの背後で、チェッカーボードの空が僅かに歪んだ。
同時接続者数は、ついに50人の大台を突破しようとしていた。、視界が激しく明滅した次の瞬間、カイトの全身を包んだのは完全な静寂だった。
つい数秒前まで聞こえていたセントラル・ゲートの喧騒――露店の威勢のいい呼び込み、馬車の車輪が石畳を叩く硬い音、プレイヤーたちの浮かれた笑い声――それらすべてが、厚い鉛の板で遮断されたかのように完全に消失している。
「……着いたな。ここが、アーク・コードの裏側だ」
カイトがゆっくりと目を開けると、そこには絶景も、中世ファンタジーの情緒も存在しなかった。
足元に広がっているのは、テクスチャの貼られていない灰色と黒のチェッカーボードが地平線の先まで続く、無機質で数学的な平面。頭上には昼も夜もなく、ただデータの読み込み待ちを示すような深い闇が、宇宙の深淵のように広がっている。
カイトが振り返ると、自分が通り抜けてきたセントラル・ゲートの街並みが、まるでおもちゃのジオラマのように虚空に浮いていた。建物の裏側は描画されておらず、中身の詰まっていないポリゴンの殻が剥き出しになっている。これが、世界最大のVRMMOと謳われたゲームの、AIが隠し続けてきた計算の残骸だった。




