第3話:壁抜けバグ
1.「16.6ミリ秒」の極限検証
始まりの街「セントラル・ゲート」の片隅。
華やかな大通りから外れた薄暗い路地裏で、カイトの孤独な戦いは1時間を超えようとしていた。
彼の目の前にあるのは、テクスチャの継ぎ目が僅かに歪んだ石壁。
端から見れば、初期装備のまま壁に向かって無意味な体当たりを繰り返す狂人の姿にしか見えないだろう。
だが、カイトの精神はかつてないほどに研ぎ澄まされていた。
「……みんな、飽きてきたかな。でも、ここからが本番だ」
カイトは荒い息を整えながら、視界の端に浮かぶ配信ウィンドウに目をやった。
同時接続者数は、相変わらず「3人」。
しかし、その3人は呆れ果てながらも、カイトの異様な執念に目を離せずにいた。
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【検証】最新VRMMO『EFO』にバグがあるか調べてみた【1日目】 同接数:3人
[名無しさん1]: おいおい、まだやってんのかよ。
[名無しさん2]: もう1時間だぞ。普通にスライム狩りに行ったほうが絶対楽しいって。
[名無しさん3]: 壁に激突する音だけが路地裏に響いてて草。通報されるぞ。
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「いいかい、第2話で見せた壁が柔らかくなる現象。あれをさらに突き詰めると、理論上は壁の判定を完全に消失させることができる」
カイトは壁を指差し、自分に言い聞かせるように、そして数少ない視聴者に向けてロジカルな解説を始めた。
これが彼の「知略」の基盤だ。
「アーク・コードの物理演算は、1秒間に60回――すなわち約16.6ミリ秒に1回の頻度でキャラクターの座標と壁の衝突をチェックしている。通常の移動なら、AI『コードオメガ』の補正で絶対に壁は抜けない」
カイトの瞳が、解析者特有の冷徹な光を帯びる。
狙うのは、壁判定消失バグの再現。
それは、単なる偶然を待つ作業ではなく、システムの論理的欠陥を突く精密作業だった。
「だけど、ジャンプによる垂直移動の最高速と、ダッシュによる水平移動の加速。この2つの入力を完全に同一のフレーム――つまり0.016秒の隙間に叩き込んだらどうなると思う?」
カイトは、石壁の冷たい表面をもう一度だけなぞった。
AIが管理する完璧な現実は、その「完璧な周期」ゆえに、計算の継ぎ目という致命的な弱点を抱えていた。
「ジャンプとダッシュを同時入力する。すると、AIは一瞬だけどちらの座標計算を優先すべきか迷い、その1フレームだけ衝突判定のフラグを空にする可能性があるんだ。……行くよ」
2.「理」の崩壊
カイトは壁から正確に5歩、距離を置いた。
石畳を蹴る音。
加速。
1歩、2歩、3歩。
壁が目の前に迫る。
(来る……計算の更新、第42フレーム。ここで右足の接地と同時にジャンプとダッシュのフラグを同時成立させる!)
カイトの脳内では、もはや美しいファンタジーの光景は消え失せ、世界は「0」と「1」の羅列に変換されていた。
踏み切る瞬間、彼は指先に全ての神経を集中させ、コントローラーを操作するようにアバターの肉体を制御した。
――同時入力。
ドン、という衝撃音は響かなかった。
カイトの視界が、一瞬だけホワイトアウトする。
次の瞬間、全身を包んだのは、水の中に飛び込んだような、あるいは重力から解き放たれたような、気味の悪いほどの無の感覚だった。
「――っ!?」
カイトが目を開けたとき、そこにあったのは、先ほどまで見つめていた石壁の表面ではなかった。
足元には、テクスチャの貼られていない灰色と黒のチェッカーボード模様が地平線の先まで広がっている。
頭上には空もなく、ただ未完成のデータが漂う闇が支配する世界。
カイトは、石壁を完全に透過してしまったのだ。
3.静まり返る世界
カイトがゆっくりと後ろを振り返ると、そこには自分たちが今しがたまでいた「セントラル・ゲート」の街並みが、まるで劇場の舞台裏のように切り取られて浮遊していた。
壁の裏側。
本来プレイヤーが踏み入ることのできない、開発用の座標計算領域。
カイトは震える指で配信画面を見た。
コメント欄は、数秒間、完全に静止していた。
そして、爆発が起きた。
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[名無しさん1]: は?
[名無しさん2]: ……え? 待て待て待て待て。
[名無しさん3]: 消えた……? カイト、お前今どこにいるんだ!?
[名無しさん1]: 待て、今の巻き戻して見たけど、マジで壁をすり抜けてる。
[名無しさん2]: 運営見てるか? 完璧なゲーム(笑)にバグがあるぞ!!
[名無しさん3]: サービス開始初日に世界の裏側に到達した奴なんていねーよ……!
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「検証成功。……バグ01、壁判定消失バグだね」
カイトの口元に、不敵な笑みが浮かぶ。
彼が立っている場所は、公式のマップには存在しない未公開エリア。
その時、カイトの視線の先に、不自然に整然と並べられたオブジェクトが映った。
虚無の地平線にポツンと置かれた、金色の装飾が施された宝箱。
「神代ディレクター。君の作った完全な世界は、裏側から見ると意外と穴だらけだ」
カイトの配信の同接数は、この瞬間から、これまでの停滞が嘘




