第2話:世界の裏側と検証の始まり
1.熱狂の裏側、路地裏の孤独
中央都市「セントラル・ゲート」。
空はどこまでも高く、澄み渡っている。AIが気象データからリアルタイムで生成しているという雲は、ゆっくりと形を変えながら、広場を埋め尽くすプレイヤーたちに涼やかな影を落としていた。
「よし、北の草原へ出発だ! 最初のクエスト、最速で回すぞ!」
「ギルド『鉄血の旅団』の勧誘です! 効率重視の先行逃げ切り組、集まれ!」
そんな威勢のいい声が響き渡る中、カイトは一人、街の喧騒から隔絶された路地裏にいた。
彼の目の前にあるのは、一見するとただの装飾の一部にしか見えない、石造りの防壁だ。彼はその壁に向かい、一歩下がっては飛び込み、また一歩下がっては飛び込むという、極めて単調で、かつ奇妙な動作を繰り返していた。
フルダイブ環境における「ジャンプ」は、現実の筋肉を使うわけではない。脳から発せられる跳躍の信号を、リンク・ギアが読み取り、アーク・コード内のアバターに反映させる。その同期精度は極めて高いが、カイトが求めているのは、その精度の外側にある僅かなノイズだった。
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【検証】最新VRMMO『EFO』にバグがあるか調べてみた【1日目】 同接数:3人
[名無しさん1]: こいつ、ログインしてから30分、ずっと壁にぶつかってね?
[名無しさん2]: 何してんの。マジで。
[名無しさん3]: チュートリアルNPCが泣いてるぞ。早く話しかけてやれよ。
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視界の端で流れるコメントに対し、カイトは息を整えながら口を開いた。
「みんなには、僕がただ壁にぶつかっているように見えるだろうね。でも、実はこれ、すごく高度な対話なんだ。……アーク・コードの物理演算エンジンとのね」
カイトは、石壁の冷たい感触を手のひらで確かめた。
ザラついた表面、僅かに湿り気を帯びた石材の質感。AI管理システム『コードオメガ』は、こうした世界の肌触りを完璧にシミュレートしている。だが、完璧であればあるほど、その処理負荷は指数関数的に増大するはずだった。
「いいかい。この世界には3000万人のプレイヤーがいる。全員が今、この瞬間も移動し、何かに触れ、座標を更新し続けているんだ。……君たちがもし、この世界の神だったら、どうやってその負荷を捌く?」
2.座標の「間引き」という推論
カイトは再び壁に向かって、今度は斜めの角度から走り込んだ。
衝突。
硬質な岩のフィードバックが肩に伝わり、カイトのアバターは弾き返される。
「普通なら、サーバーを増強して力押しで計算する。でも、コードオメガは違うやり方を選んでいるはずだ。……それは、優先順位の策定だよ」
カイトは、壁の角にある継ぎ目を指差した。
「プレイヤーが激しく戦闘しているとき、AIはダメージ計算やスキルのエフェクト処理にリソースを全振りする。逆に、僕のように路地裏で壁を見つめているだけのプレイヤーに対しては、演算の精度を間引くんだ。……座標の更新頻度を、1秒間に60回から、例えば30回に落とす。人間の脳はフルダイブ下でそれを補完してしまうから、普通にプレイしている分には気づかない」
だが、カイトは普通のプレイヤーではなかった。彼は以前のクソゲー検証で培った、ミリ秒単位の違和感を察知する感覚を持っていた。
「ジャンプという動作は、垂直方向の加速度が最大になる。そこにダッシュの水平ベクトルを重ねる。……さらに、この壁の角はポリゴンが複雑に噛み合っている処理の境界線だ。ここなら、AIの計算が1フレームだけ遅れるはずなんだよ」
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[名無しさん2]: 理屈はわかった。でもそれ、もう100回は失敗してるだろ。
[名無しさん1]: 画面越しには、ただの不審者が自傷行為してるようにしか見えないぞw
[名無しさん3]: 運営が『バグはない』って断言したのは、こういう総当たりが無意味だって自信があるからじゃないのか?
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「無意味かどうかは、やってみないとわからない。……よし、101回目。次は、視点を固定せずに、衝突の瞬間にメニュー画面を開いてみよう」
カイトの言葉に、視聴者たちが反応した。
「メニュー画面を開く」――それは、VRMMOにおいて最も基本的な動作の一つだが、同時にシステムにとってはUIの描画という割り込み処理が発生する瞬間でもあった。
3.最初の手応え
カイトは深く呼吸し、路地の奥へと後退した。
助走距離、約5メートル。
初期装備の布の服が、風を切る音を立てる。
(来る……。座標のデルタ値が、更新タイミングと重なる、この瞬間!)
カイトは全力でダッシュし、壁の角に向かって踏み切った。
空中で、視界を右に30度振り、同時にメニューボタンをトリガーする。
その瞬間だった。
「――っ!?」
いつもなら「ゴン」という硬い衝撃とともに弾き返されるはずの感覚が、一瞬だけ、霧の中を突き抜けるような**柔らかい手応え**に変わった。
カイトの視界が、一瞬だけ石壁の内部――暗いテクスチャの裏側に半分だけ埋まり、直後、システムによる強力な座標補正が働き、彼は壁の前に弾き出された。
カイトは地面を転がり、肩で息をしながら、メニュー画面を閉じた。彼の目には、確かな光が宿っていた。
「……見たかい、今の?」
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[名無しさん1]: え、今、ちょっとめり込まなかったか?
[名無しさん3]: 画面がバグったのかと思った。
[名無しさん2]: マジかよ。一瞬、壁の中が見えたぞ。
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「やっぱりだ。コードオメガは、UI表示の負荷を処理するために、一瞬だけ僕の周囲の衝突判定の更新を止めた」
カイトは立ち上がり、自分の手を見つめた。
アーク・コードという完璧な現実に、初めて小さな、だが決定的な亀裂が入った瞬間だった。
「当たり判定が、消える瞬間がある。……これが、神代ディレクターが隠したかった真実の一つ目だ」
### 4.検証の「沼」へ
カイトは、もはや止まらなかった。
一度でも成功の兆しが見えれば、あとはその再現率を高めるための論理的な試行錯誤を繰り返すだけだ。
ジャンプの高さ。ダッシュの速度。メニューを開くタイミング。
それらをミリ秒単位でずらし、最も壁が薄くなるポイントを探し出す。
110回、120回、150回。
カイトの額からは汗が滲み、呼吸は激しくなる。配信の同接数は、相変わらず3人のまま。しかし、コメント欄の熱量は、先ほどとは明らかに異なっていた。
「……惜しい。今のはメニューを開くのが1フレーム遅い。……次は、ジャンプの最高到達点ではなく、着地の直前を狙う」
カイトは、AIの癖を読み始めていた。
『コードオメガ』は、プレイヤーが地面に接地している瞬間に最も厳密な座標計算を行う。ならば、接地判定が生まれる直前に全ての負荷を集中させれば――。
「さあ、二つ目の違和感を捕まえに行こうか」
カイトが再び壁に向かって走り出したとき、彼の口元には、獲物を追い詰める解析者特有の不敵な笑みが浮かんでいた。




