幸福なる侯爵夫人のお話
ちょっと年上の方と結婚いたしました。貴族の女であるからには珍しいことでもありません。
初夜のとき、ネグリジェ姿で旦那様を待っておりますと、やっていらしたオースティン様はわたくしにこう言いました。
「きみを抱くことはできない。実は……僕には愛する人がいる」
「まあ」
つまりはこういう話でした。オースティン様の愛する人というのは、平民なのだそうです。
結婚なんてもってのほか。ブランチフォード侯爵家に足を踏み入れることさえ許されず、街に借りた小さな屋敷で彼の帰りを待つばかりの日々を送る方なのだとか。
わたくし、シャルロット・ドレイヴンミアは伯爵家の生まれです。侯爵家の正妻になることができる血筋を持っています。
「ドレイヴンミア伯爵家の不利益になることは決してしないと約束しよう。あなたの生活も、侯爵夫人として不自由ないようしてさしあげる。難しい家業にも関わらなくていい。社交界のパーティーにともに出席して、にこにこしていてくれればいいんだ」
彼はそういうと、深々と頭を下げました。
「どうか、――頼む。シャルロット嬢」
わたくしは少し考えましたが、頷きました。
「わかりましたわ。正妻として正当な権限をすべてくださった上、好きに過ごしていいと約束してくださるなら、そういたしましょう」
それで、そのようになりました。
夢のような日々が始まりました。
思いっきり朝寝坊して、ふわふわのパンや紅茶や果物を食べて、嫌いなものはいっさいなし。いつまでだってネグリジェでいてもいいのです。
旦那様は街のおうちに行かれて帰ってらっしゃいません。
「名目だけの奥様」
などとクスクス笑う不届きなメイドたちは鞭でせっかんしてやります。案外、楽しい。わたくしもまた、彼女たちの鳴き声を聞きながらクスクス笑います。
実家ではせっかんされるのはわたくしの役目でした。
お父さまに愛人がいるのも、そのせいでお母さまが狂ってしまったのも似ています。
でも、わたくしは別に狂いません。
旦那様を愛しているわけでもなければ、社交界で不名誉な噂が立つほど邪険にされているわけでもないからです。
人前でのオースティン様は、それはそれは素晴らしい旦那様です。
わたくしに前を歩かせてくださり、欲しいシャンパンのグラスを取ってきてくださり、気遣ってくださり、優しく微笑みかけてくださいます。パーティーの前には今日お会いする予定の方々のお名前、わたくしが何をどう受け答えすればいいかを予習させてくださるのですよ。
なんて素晴らしい、よいお方なのでしょう。
ある日、お買い物に出かけた馬車の窓から、凡庸な容姿の女性と一緒に歩く旦那様をお見掛けしたことがありました。二人はとても楽しそうで、横に並んで一緒に歩いていました。
わたくしはぱたぱたと手を振りましたが、彼らが気づくことはないようでした。
「あらあら」
その日はたくさん帽子を買って帰りました。とても楽しかったです。
二年ほどたち、旦那様が赤ちゃんを連れて帰ってきたときは驚きました。
「きみの子として戸籍に入れておく。貴族の子として育てるよ」
「はい、わかりましたわ。おめでとうございます」
かわいい赤ちゃん。わたくしはおくるみを覗き込んでにっこりします。
「旦那様ァ!」
と叫んでメイドが飛び出したのはそのときです。
「その女は悪魔ですわ! あたしたちのこと鞭で打つのォオオ!」
と絶叫します。
きんきん声に赤ちゃんが泣き出しました。ああ、かわいそうに。
乳母が男の子を連れていってしまうと、ビイビイうるさいメイドを女中頭が殴って大人しくさせました。
旦那様が問うようにわたくしを見ますので、頷きました。
「ええ、彼女たち、ときどきすごく失礼ですもの」
「そうか。……そうか。度を越さないようにしなさい」
「はあい」
メイドがわざとらしく震えあがり、信じられない、という顔をします。
街のおうちにお帰りになるオースティン様を見送って、わたくしは女中頭に命じました。
「鞭」
「こちらにございます」
それでさんざん、メイドを打ちすえましたが、彼女はギャアギャアうるさいばかりでちっとも痛がりも謝りもしませんでした。
え?
血が吹いているし、謝っているじゃないって?
何を言っているの。平民なんだもの、この程度の傷なんてへっちゃら、痛いとさえ思ってもいませんよ。
わたくしのことを内心、見下しているのでわざと泣き叫んでみせるのでしょう。謝るふりをして、やめてくれるのを待っている。
その手には乗りません。
腕が疲れたので他の使用人に代行させ、彼女が動かなくなるまで殴りました。
翌朝、私室に呼び出してもうひとしきり打ちました。
翌日も翌日も。
翌日も翌日も翌日も。
一週間後に悲観して池に身を投げたそうです。まったく、彼女は早くそうすべきでした。わたくしの旦那様の屋敷でわたくしの気分を害して無事でいられるはずはないのですから。
七、八年ほど経った頃でしょうか、旦那様が男の子を連れて屋敷にやってきました。
「子供たちのお茶会を企画してほしい。この子のお披露目会だ」
「まあ、なんて愛らしい子でしょう」
「ほら、挨拶しなさい」
「はじめまして、おくさま」
「賢いわねえ」
「それじゃ、頼むよ。我々は庭を見てくるから」
「かしこまりました。……あのう」
「何だい?」
「この子、なんてお名前ですの?」
オースティン様は絶句しました。
「……アーノルドだ」
「そう。わかりましたわ」
それで、そのように手配いたしました。
ブランチフォード侯爵家当主オースティン様の第一子、アーノルドより。
せっかくなのでわたくしお手製のかわいいはんこもつきました。うふふ、かわいい。
これまでにもパーティーで仲良くなった女性たちとお茶会はしたことがありましたので、やり方は難しくありませんでした。
当日、アーノルド様は言い含められていたのか、
「本日はお母さまと呼ばせていただきます、おくさま」
と言ったものです。
わたくしはしゃがみ込み、相好を崩して彼を撫でました。
「偉い偉い、ちゃんと状況をわかっているのですねえ。将来のブランチフォード侯爵家を負って立つにふさわしい、賢い子ですこと」
お茶会には同格の貴族の子女たちを呼び、それなりに成功して終わりました。
その日の夜、珍しくも旦那様がわたくしの元にいらして、
「今日のきみの態度は……素晴らしかった」
とお褒めになりました。
「まあまあ、ありがとうございますわ。オースティン様に褒めていただけるのは嬉しゅうございます」
「生さぬ仲の息子なのに、実の母のように親身になってくれて。招いたお子たちも立派な家柄の子たちばかり。僕の我儘に付き合わせて人生を棒に振らせたも同然なのに」
と、何やら感極まった様子です。
わたくしは朗らかに言います。
「いいえ。このように立派なお屋敷に住まわせてくださっているだけで十分ですわ。アーノルド様もとってもかわいい子。きっと立派な侯爵になりましてよ」
彼はほっとしたように笑いました。
十年が経ちました。
成人年齢は十八歳なので、あと半年でアーノルド様が新当主になります。
オースティン様と平民の女性は、避暑地に隠居するそうです。
「きみも好きにしていいんだよ、シャルロット。好きな土地に新しい家を建ててはどうだい?」
どうかそうしてくれ、という顔で彼は言いました。
「考えておきますわね」
とわたくしは応えました。
アーノルド様が同じ屋敷に住むようになってもわたくしはここに住み続けました。
メイドが粗相をしますと鞭打ちますし、お客様もお呼びします。社交界へは出なくなりましたがお呼ばれしていくこともあります。
「お……お母さま、お体を大事になさってください。田舎の領地の名義をお母さまに差し上げます。お好きなお屋敷を建てられては?」
やや引きつった顔でアーノルド様が言いに来たこともありましたが、わたくしはコロコロ笑って言いました。
「まあぼうや、まだそんな年ではなくってよ。血の繋がらない母親に気兼ねなどしなくていいのですよ」
彼とわたくしが名ばかりの親子であることなど周知の事実です。
彼が何かを言いますと、わたくしは大げさにご友人に吹聴いたします。彼宛に来た手紙を勝手に開封いたします。彼のご友人がいらっしゃれば挨拶します。
だっておかあさんですもの。
なにもおかしいことはありません。
オースティン様から手紙が届いたり、ご本人がいらっしゃるときもあります。
「いい加減にしてくれ。どうしてアーノルドの邪魔ばかり……きみはやはり、あの子を嫌って」
「まあ。だってわたくし、侯爵夫人ですもの」
わたくしは微笑んでみせるのでした。
「母親と子供が同じ屋敷に住みながら朝食も共にしないと、悪い噂が立っているんだよ」
「避暑地で平民を連れ歩く以上に悪い噂がありまして?」
オースティン様はがっくりと項垂れました。
「やはり僕を恨んでいるんだな……アーノルドに何かするのはやめてくれ!」
「いいえ。違いますわ」
にこにこ。わたくしは笑います。
「わたくし、このお屋敷が好きですの。それだけ」
アーノルド様はわたくしを嫌厭するようになりました。
「いい加減どこか行ってくださいよ」
と、ぶっきらぼうに憎々し気な目で言われることもあります。
「家内のお仕事はどうなさるのですか? 手紙の整理は? 招待状は? うふふ、殿方は貴婦人のお仕事のこと、おわかりにならないでしょ?」
「そうやって僕に復讐したところで、父上はあなたのことなんて見やしませんよ」
ハッ、と鼻で笑って勝ち誇るアーノルド様。そういえば、とわたくしは声を上げます。
「そろそろお嫁さんをお取りになってはいかがですか? オースティン様は何もおっしゃらなくて?」
「僕の妻は僕が決めます。今はあなたの進退の話ですよ。話をそらさないでください。僕の家から出ていけって言ってるんです!」
「ダメですよ。ご当主なのですから、お嫁さんは必要です」
わたくしはゆるく首を横に振りました。
「お父様が動かれないなら、仕方ない、わたくしが見繕って差し上げましょうか」
「結構です! 早く出ていけよ!」
「まあこわあい」
クスクス。わたくしは口元に手を当て笑うのでした。
しばらくして、どうやらアーノルド様は気づいたようでした。
お見合いの話はどこからもやってこない。そして、社交界でやっていくには独身ではいられない。
ブランチフォード侯爵家の家業というのは確か、運送業だったかしら? 国じゅうにものをお届けし、時には国王陛下のお膝元まで名産地のチーズやワインをお届けすることさえあるそうです。
それはもちろん、各地の貴族へ顔をつなぎ人脈を保つお役目を果たしてくれる女性が必要ですね。
オースティン様がこちらへいらっしゃったとき、聞いてみたことがあります。
「そういえば、アーノルド様のご結婚のご予定は?」
旦那様は苦虫を嚙み潰したような顔をなさいました。
「……すぐに決まるさ。すぐに。それより、あなたは出ていく覚悟を決めてくださいよ」
「うふふ。貴婦人のお仕事って案外大変ですものねえ。今はわたくしが女主人のお仕事を代行しておりますが、人間いつ死ぬかなんてわかりませんもの。早くアーノルド様のお嫁さんのお顔が見たいものですわ」
ほどなくして、オースティン様の平民の愛人が狂言自殺を起こしました。
なんてみっともない。死ぬなら潔く死ねばいいのに。
避暑地に駆け付けたアーノルド様が紙のような顔色で戻ってきます。決してはずせない会議があるのです。
大変ですね。
半分平民の血が混じった、取り立てて有力でも有名でもないただの侯爵のお嫁さんになりたいという貴婦人が早く見つかるといいですね。
まさか二代続けて卑しい平民の血を家に入れることなんて、できるはずありませんもの。親戚も、社交界も、今はわたくしが文句も言わずよく働くことで抑えているのです。
クスクス。
わたくしがいなくなったらこのおうち、どうなっちゃうのかしら?
オースティン様がフラフラといらっしゃいました。
「きみの勝ちだ。僕は……きみのそばにいてあげよう」
「結構ですわ」
わたくしは扇を振ります。
「いりません。迷惑です。帰ってください。ここは、わたくしのおうちです」
それからやや、口調を軟化させて微笑みます。
「オースティン様。婚約者に突然、婚約破棄され疵ものになり、嫁ぐ宛もなく途方に暮れていたわたくしを拾ってくださったことには感謝しております。ご恩は長年に渡る妾奉公ならぬ正妻奉公でお返ししたつもりですわ。これ以上、何をお望みで?」
「すま……すまない……」
「わたくし、平民女って嫌いですの」
ぱらりと扇を開き、口元を覆って眉をひそめます。
「我が父が狂った愛人は平民でしたし、あなたの愛人も平民。跡取り息子は卑しい混血児。わたくしの人生には分を弁えぬ平民女が纏わりついてきて、臭くて臭くてたまりませぬ」
ぱちんと扇を閉じます。
「それでも、この地位と権限は手放しません。ここはわたくしのおうち。あなたのおうちは、街や田舎や森の中。社交界で堂々と手紙の送り先とも言えないところに住みたくって住んでいらっしゃるのでしょ? ホホ。どうぞ小さなおうちにお帰りなさいまし」
棒立ちのオースティン様へ、扇を振って示しました。お帰りはあちらです、お客様。
それで、夫である人はトボトボ帰っていきました。
それからすぐ、愛人は二度目の自殺未遂をしたそうです。平民って本当に覚悟もできないのね。
アーノルド様がどうにかこうにか自力でお嫁さんを連れておいでになりました。
そこそこ大きな商家の娘さん。若くて愛らしい方です。
わたくしは長年培った書類整理や手紙の書き方、社交術、会話の仕方から歩き方まで手取り足取り教えて差し上げましたが、すぐに音を上げ、
「旦那しゃまあああああああ。おかあたんがいじめううぅぅぅぅっふううンン」
とアーノルド様へ泣きつくようになりました。
「おのれ、メアリーの若さに嫉妬したなババア!」
「その物言いはなんです」
飛び込んできたアーノルド様へ、わたくしはよく通る低い声で一言。
「母親に対しその口のきき様、ブランチフォード侯爵家の名をなんと心得るか! 下がりゃれ!」
ワンワンと部屋じゅうがわたくしの声に震え、アーノルド様は何か言い返そうと口を開きましたので手元のカップを顔へ向かって投げました。パリンと高価な陶器が割れ、わたくしはバンと机を叩きます。
「聞こえぬのか。下がりゃ!」
若い人たちは立ち去りました。んもう。
それからもちろん、お嫁さんのご実家に正式に抗議の手紙を書き、ご両親を呼びつけ謝罪させました。
ちょうどお客様が見えている最中でしたのよ。給仕の関係で使用人を下がらせることもできず、ああ、商家の奥方様の真っ赤になったお顔といったら。
腰かけるわたくしにご両親は何度も何度も頭を下げ、娘の無礼を詫びました。
「ブランチフォード侯爵家に逆らうつもりはありませんのです、奥様」
「ええ、今回はわかりましたわ。とはいえ、お嫁に出す前にこういったことは躾ておくべきでなくて? 姑に逆らうなど、貴族社会ではありえぬことなのですよ。まあご存知なかったのかもしれませんが」
商家の旦那さんの顔が真っ青になり、怒りのあまり口髭が震えました。とはいえ、ブランチフォード侯爵家および同席している貴族の奥様方の援助と人脈を失うことはできないのでしょう、旦那さんは絨毯の上に膝を付きます。
「平に、平に。ご容赦くださいませ」
慌てて奥方様も同じようにしました。
ドアをバンっと蹴破るようにして、アーノルド様のお嫁さんが飛び込んできました。血走った目、肩で息をして。
「パパ! ママ!」
奥方様が悲鳴を上げて娘に飛びつくと、引きずり倒し、自分たちの間に平伏させます。
「娘はしばらく引き取ります。よく言って聞かせます。どうかご容赦ください。どうか、どうか……」
わたくしは頷きました。
商人どもが行ってしまうと、わたくしと同席の貴婦人たちのコロコロと喉を鳴らす笑い声が響き渡りました。
夜。
わたくしは女中頭、もう何代か代替わりしているのですが、ともかくその女に手を差し出して、
「鞭」
「こちらにございます」
わたくしはそれで、あの嫁にことの次第を教えたと思しきメイドをぶちのめしました。
「なんて薄汚い。いみじくも貴族家に仕える者が主に確認も取らずお客様の身分を漏らすとは」
メイドは鳴き声を上げます。
「おゆるぢぃ……」
「やだっ、汚いっ」
わたくしはぎょっとして鞭を止めました。なんと血まみれの歯が飛んできたのです。
まあまあまあ。
「痛くもないのに痛いふりして、こんなやり方でわたくしに盾突こうだなんて!」
さすがに腹が立って、死ぬまでぶってやりました。
なんていきり立った、分を弁えぬメイドなのでしょう。
翌日、アーノルド様がどかどかとやってきました。
「シャルロット! 貴様を拘束するゥ!」
「まあアーノルド様。はしたなくてよ」
彼の後ろには憲兵さんたちがいます。ご苦労様です。
「貴様は我が妻を家から追い出し、我が義理の両親を跪かせた。その上メイドを殺した!」
「誰がそんなことを?」
わたくしは頬に手を当てます。
「悲しゅうございますわ。どこの誰かの言うことを真に受けておしまいになるだなんて」
「言い訳をするなああああ! お前なんて牢屋行きだ、必ず死刑にしてやるからなッ! 者どもかかれェい! エエエエエィ!!」
興奮して、アーノルド様は足踏みをなさいました。
憲兵さんたちはのろのろ動こうとします。わたくしは隊長さんと目を合わせ、優雅に片手を差し出します。
「お久しぶりですね、コール卿。お母上様はお元気?」
「は。……お久しゅうございます、ブランチフォード侯爵夫人。おかげ様をもちまして母は気楽に過ごしております」
兵たちは動きを止めました。アーノルド様はパチクリと瞬きします。
コール卿はブランチフォード侯爵領の持ついくつかの街の憲兵隊を束ねる隊長さんなのですが、ご高齢のお母上様のおかげんがよろしくないのです。困っていらっしゃると小耳に挟んだため、わたくしが領地のうち気候のよい土地と建物、メイドを融通いたしました。
やっぱりお役人さんはお給料が少ないから、ふふ、物質的な支援が効果的です。コール卿はご領地もお持ちでいらっしゃらないし。
「本日はどのようなご用件で?」
「ご機嫌伺いです、奥様」
隊長さんはチラリと横目でアーノルド様を見ながら、にこやかに言いました。
「ご機嫌いかがでございますか?」
「大変よろしくてよ。どうもありがとう」
しばらく世間話をして、憲兵さんたちは帰っていきました。
わたくしは大仰なため息をひとつ、壁際で不機嫌そうに仁王立ちするアーノルド様に向き直ります。
「アーノルド様」
「きっさまああああ、憲兵までも囲い込んだのかッ。おのれ、やはり愛されたことのない女は陰険だ! いつか絶対に殺してやるううううう!!」
「あなたの学費を出したのはわたくしです」
アーノルド様はぽけっと口を開けました。
「あなた方が住んでいた街のおうちにいた使用人の手配を工面したのはわたくしです。大本を稼いだのは旦那様ですが、予算を振り分け、投資して増やし、社交界にてブランチフォード侯爵家の名を売ったのはわたくしです。あなたのお母さまの美容代がいくらで、今いる田舎のおうちがいくらだったかも存じておりますよ」
わたくしは優しく、言いました。
「もっとたくさん、お勉強しましょうねえ。ブランチフォード侯爵家当主に必要なことをもっと。どうしてもあのお嫁さんがいいなら止めはしないけれど、もっとあなたのためになってくれるお嫁さんを探してあげましょうか?」
しばらく、一年くらい、アーノルド様は駄々をこねていました。
彼の評判は下がりに下がり、とうとう家業の運送業までもが傾きかねない、ということになってオースティン様がいらっしゃり、もくもくと現場に立ち経営を立て直しました。
もっと働いてね、わたくしのために。
愛人は何度目かの自殺未遂で、どうせ全部狂言だし痛くもないくせにしくしく泣いているそうです。気持ち悪ーい。
アーノルド様が何かへまをすれば、平民の血のせいだと言われます。
オースティン様が何か成功をすれば、ドレイヴンミア伯爵家の奥様のおかげだと言われます。
平民の愛人女に首ったけの貴族の男とその息子の社交界での評価なんてそんなものです。
奴らに文句ひとつ言わず仕えているわたくしは、もちろん『哀れな女』ですが。
社交界はまだ、わたくしに対し行われた理不尽な婚約破棄を忘れておりませんから、妥当な扱われ方だとみなされているのです。
まったく。
クッソ腹立つなァ!
わたくし、何も悪くないのに。
元婚約者が悪いのに。
何よ、あいつが選んだ平民女の眼球が裂けるよう横に鞭を振って打ってやったくらいで婚約破棄って。
ふんだ。盲目の平民女と慎ましく平民として生きていけばよろしいわ、ばーか。
オースティン様もばーか。
一生、居座ってやる。
一生、ブランチフォード侯爵家のため甲斐甲斐しく働いてやるんだからねっ。
どうして平民女って、こうも貴族の女の人生を邪魔するんでしょう?
オースティン様が先に死んだら思う存分復讐しよう。そのためにも、ブランチフォード侯爵夫人の座とこの家は死んでも手放さない。
わたくしはそう決意しているのでした。
さて、アーノルド様が離婚してほどなく、わたくしはとある子爵家の令嬢をお嫁さんに指名しました。
彼女のおうちの抱える負債をブランチフォード侯爵家の財力で救済してやり、死にに行くような顔でやってきた彼女を優しく抱擁します。
「大丈夫ですよ、心配しないで、エリザベス様。わたくしはシャルロット。ブランチフォード侯爵夫人でありドレイヴンミア伯爵家の生まれです」
「あ……はじめまして、お義母上様……」
「すべて教えて差し上げますから安心なさってね。たとえば夫の操縦の仕方だとか。おうちのお仕事のやり方すべてを」
エリザベス様はぎこちなく微笑みます。金で買われた貴族の花嫁ですから、アーノルド様のことを嫌い抜いておいでです。彼女がわたくしの敵になることはないでしょう。
オースティン様に間違いがあったとするならば、女主人の仕事の価値を見誤り、わたくしにすべて任せたことです。手紙を見れば家の財政状況はわかりますし、ふたりの愛の巣にかかる金の出どころを握れば強く出れます。使用人を懐柔すれば会話から何から筒抜けです。
わたくしはドレイヴンミア伯爵家の生まれ。
平民女の愛人に狂った父に怒り狂った母の失敗を見て育ち、そうならないやり方は心得ています。
アーノルド様はどうやら最初の妻とまだ続いている様子。
つまり、ブランチフォード侯爵家は富み栄えるでしょう。
夫の愛人なんてものは妻の権限でどうとでもできるのです。
国家権力なんてものは貴族家の名声と『施し』によってなんとでもなるのです。
もちろんやりすぎは禁物ですが、そんなへましません。
わたくしは勝つのです。
勝ち続けるのです。愚か者どもにも、世間体にも。
絶対に。




