62 ティティス包囲網
北の森、王宮内の北方面にある森で一部の者しか出入りはできない。アリーシャでも存在は知っていたものの入ったことはなかった。
中に踏み入れるだけでアリーシャの前身が鳥肌たった。ぎゅっと用意してもらったショールをしっかりと肩までかけて中に入る。
本当は入りたくない。
だけど、この先にコレットがいる。この呪いを作り出した張本人が。
「こんばんは、アリーシャ様」
祠の入り口で待っていた自分と同じ年齢の少女が挨拶をしてきた。
同じ年齢と言ってもいいのだろうか。
普段、見かける彼女の雰囲気を纏っているが、自分よりもずっと年上の女性なのではないかと錯覚してしまいそうになる。
「こんばんは、何とお呼びすればよいのでしょう」
コレット、それとも女神と呼ばばいいのだろうか。
ヴィクター王太子が言う通りであれば彼女はティティスの分身だ。
しかし、名を呼ぶのはアリーシャにはできない。
アリーシャは女神の名を呼ぶのは恐ろしいと感じた。
「コレットで良いわ。その様子ではヴィクター王太子は捕まったのね」
彼女は深くため息をついた。その声には失望と落胆の色がみえる。
「彼には期待していたのよ。あんなに歪んだ悪意を持つ男は滅多にない。女よりも厄介な底意地の悪さがとても気に入っていたわ」
ほんの少し残っていた良心も封じ込め自分の思うままに動く彼を思い出していた。
「アリーシャ様も残念だわ。何で余計なことをどうしてしてくれたのかしら」
呪いが弱まっているのはアリーシャが回収しているのをすでに気づいていた。
何度か止めようと思ったが、アリーシャがここまで適格に動けるのをみて警戒した。
ティティスの天敵、メデアが背景になるのではないか。
しらばく観察していたがメデアが彼女の背景にいないとわかり安心した。
「何故、そんなことをしたの?」
アリーシャには理解できなかった。
自分が花姫になり始まった苦しい日々はコレットが用意したものだ。
一部は違うかもしれない。
しかし、彼女の用意した呪いと彼女が強くけしかけたりしなければ、アリーシャはあれだけの悪意に晒されることはなかっただろう。
今も覚えている。アリーシャが社交界ではじめて強い悪意に晒された時、それは彼女の嫌みがはじまりだった。
クリスの嫌みもコレットがいなければそれほど大したものではなかった。
はじめは一人じゃ強気になれないのかと思ったが、コレットがクリスを刺激していたからだと知ったのは最近のことだ。
「まるで全部私が悪いように言うのね。傷つくわ」
ただ少し心の奥底の感情を刺激しただけなのにと彼女は呟く。
「あの感情さえ持っていなければ誰もあなたを虐めたりなんてしなかったわ。そうでしょ?」
「そうね」
アリーシャも否定はしない。
エリーをはじめ王宮の使用人たち、初期の花姫の教員、エリザベス王妃、ヴィクター王太子。
彼らが抱く感情は間違いなく元から持っていたものだろう。
「でも、表に出さずに抑え込む理性はあったかもしれない。それを奪ったのはあなたでしょう」
パンと皮膚を叩く強い音が響く。コレットがアリーシャの頬を叩いたのだ。
動揺したアリーシャの髪をコレットに掴まれ、地面に座り込ませられた。
「いつまで立っているの? 私の前で偉そうにせずひれ伏しなさい。泥姫」
その蔑みの言葉にアリーシャは恐怖を覚えた。
普段から聞きなれている呼び名で今更怯える必要はない。
だけど、今、とんでもなく地面に膝をつかなければいいけない恐怖に襲われた。
彼女の口から紡がれる言葉は呪いが含まれていた。
アリーシャのショールを奪いコレットはそれをびりびりに引き裂いた。
「ああ、おかしい。ちょっと知恵をつけたのね。本を読んで頑張って魔法をかけたショールだけどこの程度、私にはまったく聞かないわ」
両の膝と手を地面につけたアリーシャをみてコレットはぐいっと彼女の顎を捕えた。
「頑張ったのね。偉いわ。でも、良い魔力を持った身でもきちんと使えないなら全く意味がない」
コレットはにこりと微笑みアリーシャの顎を捕えた。ぐいっと無理に上を向けさせられて首が痛い。それでもコレットに逆らうことができない。
「ねぇ、その体を私に預けてくれない? 私だったら有効に利用できるわ」
「それは………」
「もちろんあなたの望みを一つ叶えてあげるわ。あなたの処刑人を元の場所に返してあげる」
耳元に囁かれてアリーシャは反応した。
「シオンはどこ」
「ここにいるわよ」
辺りを見渡すがシオンらしき人影は存在しない。
もしかすると祠の中でとらえられているのかもしれない。
無事なのかわからない。早く助けてエヴァに治療してもらわなければ。
アリーシャは深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
そして詠唱を唱えた。たった一言の簡単な詠唱だ。
その瞬間、アリーシャとコレットの足元が強く光輝いた。
アリーシャの手から一瞬のうちに光の線が引かれ二人を円陣の中へ閉じ込めた。
気づいたコレットは立ち上がり陣から逃れようとするが、横から現れた少女の詠唱二言で強化された。
「ふはは、よくやったぞ。アリーシャ。短時間でよくここまでできた。さすが私の子」
8歳に言われる褒め言葉ではない。
アリーシャの両袖に隠していたのは彼女の腕についていたブレスレットであった。
小さなペリドットがちりばめられたブレスレットで、エヴァの持ち物であった。
王都にやってくる前にイブと制作した魔法道具であった。
三つの詠唱で発動する呪いの女神の力を封じ込める陣を組み込める。
袖には隠匿の魔法をかけたのでコレットには見つからずにすんだ。
これだけのもの用意できるはずがないと油断し、コレットはあっさりと捕えられた。
「メデアの使いか」
忌々し気にコレットはエヴァを睨んだ。
エヴァは気にせずアリーシャの腕を掴んで、コレットから引き離す。
「完全復活していないと聞いたから勝機はあると踏んだ。やはりお前のその肉体ではティティスの力を全て受け入れるのは無理なようだな。ティティスの分身よ。アリーシャを見下し油断したお前の負けだ」
エヴァはにやりとコレットを見つめた。
向こうから息を切らしながらヴィクター王太子が走ってきた。手には美しい装飾の施された剣を持っている。
「さぁ、続いてアラヴィンの剣だ。これでティティスの分身を倒すのだ」
王宮には魔法使いが保管している初代王の剣がある。
それにはモリナの父・春の妖精の加護が付与されている。
悪しき者、呪いを浄化する力が備わっている王家の秘宝であった。
ヴィクター王太子は準備の間エヴァの使いで魔法使いの保管する秘宝を回収してやってきた。
建国祭や即位式でもないのに持ち出すなど言語道断と問答を行っていたが、後で父王にいくらでも叱られる覚悟で権力を駆使して持ち去った。
かなり全力疾走で持ってきたので彼はふらふらだった。
エレン王子に支えられる形でヴィクター王太子はアラヴィンの剣を抜く。
暗い森の中、月の光に反射してその剣は美しく輝いていた。
エレン王子、ヴィクター王太子の傍にいたアルバートは一連の流れをみて確信した。
これで終わる。
アリーシャはようやくティティスの呪いから解放されるのだ。
「アリーシャ、お前の役目は終わった。なるべく遠くに離れておけ」
「でも、シオンを早く助けたい」
「女神を退治しなければシオンを助けられない」
きっと祠の中でシオンは捕らえられているのだ。
早くティティスの分身を倒す。
アルバートに言われてアリーシャはゆっくりと後ろへ下がる。
足がふらつくのはまだコレットが発した言葉の影響が残っているからだ。
アリーシャの代わりにアルバートとヴィクター王太子・エレン王子がエヴァの元へと近づいた。
エヴァの声とともにヴィクター王太子は剣をコレットへと向けた。




