56 コレット・ウェルノヴァ
ドロシーの案内の元、使用人に見つからないようにアリーシャは注意を払った。
シオンが捕らえられているとすれば本館ではないと考えた。
ウェルノヴァ伯爵は気の良い性格に見えるが、貴賤に対する感情をはっきり示し、それでいて利己的な男である。
自分の寝食をするこの建物に嫌悪するシオンを幽閉するだろうか。
暗い地下室の可能性もありえるが、一か所だけにある地下室には何も見つからなかった。
「別館があります。ウェルノヴァ伯爵の先代はそこに愛人を囲っていたらしいです。人を隠すには良さそうな場所と思います」
ドロシーが言うには今はほとんど使用されることがないという。よくそんな情報まで掴んだものだ。
他家の事情も把握できるアルバートはもしかすると危ない組織に関わっているのではないか。
それをスルーしアルバートからの情報を吸収するドロシーもドロシーであるが。
別館は鍵がかけられていた。確かに今は誰も使用されていなかったというのは本当のようだ。
「じゃーん」
ドロシーは髪からピンを取り出し、鍵穴にがちゃがちゃと差し込む。そんなもので開くのだろうか。
がちゃ
開いた。
ドロシーのスキルにアリーシャは声にならない。
驚く時間があればシオンを探さなければとアリーシャは別館の中へ入り込んだ。
中には人の気配はない。少し期待をしていたのに落胆してしまった。
「………です」
耳元に響いた求めていた男の声にアリーシャは反射的に先ほど覗いた部屋を見つめた。
上質な寝台と家具が揃えられている部屋で、おそらく愛人の部屋だったと推測していた。
さっきは誰もいないと思ったのに、何故シオンの声がしたのか。
幻覚だろうか。
もう一度中の方を覗いた。中を開くといなかったはずの人たちがいた。
ウェルノヴァ伯爵、使用人たち、そしてシオンがいた。アリーシャはシオンの名を呼んだが、反応がない。
これは無意識に取り込んでしまった情報のようだ。
サイコメトリーで見ている光景だと知った。
ここには呪いの気配は感じなかったのだが、一体誰の記憶なのだろうか。
ここからみる角度にアリーシャは首を傾げる。
使用人の視点だろうか。
「役立たずめ!」
ウェルノヴァ伯爵はシオンに燭台を投げつけた。それが頭に命中しシオンの額から血が流れた。
「何のためにお前を呼んだと思ったんだ。それなのに、娘が死んでしまった。ああ、そうか。お前が来たからか。死神のお前など呼ぶんじゃなかった!!」
「伯爵、残念な結果でした。ご令嬢を亡くされた悲しみも怒りも当然のことです。ですが、今はどうか私に怒りをぶつけるのではなく、ご令嬢の名を呼んであげてください。傍に近づかなくとも彼女の耳に届くように」
シオンはちらりと寝台の上で眠る少女をみつめた。その瞳は悲し気であった。
周囲の使用人たちは涙をこぼした。
「コレットお嬢様、………うぅ」
一人の侍女が令嬢の元へかけよる。年配の女性で、どうやら彼女の乳母のようだ。
「私に病を移せば良かったのです。そうすればあなたはこんなに苦しまずに………」
涙ながらに少女の死を悼む声にシオンは何も言わずに耳を傾けていた。
伯爵はシオンの胸倉を掴み、罵倒し、罵倒するだけ罵倒し終えたら彼を扉の向こうへと押しやった。
「帰れ。金は後日送り届けてやる。いいか。絶対にコレットが死んだということを言うなよ、誰にもな。コレットはまだ生きている!」
そう叫ぶ伯爵にシオンは頭を下げて、部屋を出ていった。その表情に疲労が滲み出ていた。
「何をぼうっと突っ立っている」
入口付近に控えている男にウェルノヴァ伯爵は怒鳴り散らした。
「今すぐ、修道院や孤児院へ迎え! 王都内にいなければ遠方まで探し出せ。魔力を持つコレットと同年代の娘を!!」
男は急いで部屋を飛び出していった。しばらくしてウェルノヴァ伯爵は椅子に腰をかけ、絶望的だと言わんばかりに頭を抱えた。
「コレットが魔力を持っていると聞いて、花姫に選ばれると期待していたのに。くそっ! これではあいつらに馬鹿にされてしまう。何とかコレットの代わりを見つけないと! 妃に相応しい花姫を」
乳母はきっとウェルノヴァ伯爵を睨んだ。
どうして今そんなことを言うのだと言わんばかりの瞳である。
ただ相手は貴族、自分は力のない平民だから乳母は何も言えずにいた。
アリーシャもその気持ちはわかる。
何故伯爵はシオンの言葉通り、コレットの名を呼ばないのだ。手を見る限り伝染病だとわかる。近づかないにしても彼女の耳に届くように名を呼んであげればいいのに。
もう死んでいるのだが………それでも彼女の名を呼んでほしかった。悲しくて悔しい。
その感情を抱くことで、アリーシャは誰の記憶か理解した。
この部屋で強い思念を残した者。
今、命を落としこの場を俯瞰的に見ているコレットだ。
その情景はただただ悲しいというものだった。
「あの、伯爵様」
隅の方で控えていた侍女がウェルノヴァ伯爵に声をかける。
その声を聞いてアリーシャはぞっとした。
「私は魔力を持っています」
突然の言葉にウェルノヴァ伯爵は驚いて侍女をみやった。年齢は15歳にもみえる。大人びている印象があり20歳以上にもみえる。
「私ならコレットお嬢様になれると思います」
その提案の声はあの時と同様のものであった。アリアに呪いを提案する侍女と同じ口調。
そして、侍女の衣装と化粧、髪型で今の雰囲気は一切ない。だけど、すぐにわかった。
彼女はアリーシャの知る花姫コレット・ウェルノヴァだった。
くるっとコレットはアリーシャの方を向く。まさかアリーシャに気づいたのかと警戒した。
にたりとコレットになる予定の侍女は笑った。
それは胸の奥からこみあげてくる、あまりにも恐ろしい笑顔であった。
その笑顔をみた瞬間に、記憶は途絶えアリーシャは身を崩してしまった。
「アリーシャ様!」
ドロシーはすかさずアリーシャの身を支える。
アリーシャの足はまだがくがくと震えていた。
あの笑顔をみた瞬間、目の奥へと吸い込まれる感覚を覚えた。
別館を出た頃にぽつぽつと小雨が降る。妙に肌寒いと感じたのはそのせいかとアリーシャは考えた。




