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いつか君とここで

作者: 楠木夢路

 卒業式が終わった。

 高校生活もこれで終わりかと思うと、やり残したことがたくさんあるような気がする。三年間はあっという間だった。楽しいことがいっぱいで、このまま時間が止まってしまえばいいのにって何度も思っていた。

 大人になんかなりたくない。

 勉強も試験も好きじゃなかったけど、毎日、当たり前のように友達とおしゃべりをして、どうでもいいような話でも盛り上がって笑い合って。そんな日がずっと続くような気がしていた。

 でも卒業式で泣きじゃくる親友の由美を見てしまった時、そんな日常が終わってしまうんだってことを不意に実感してしまった。

 何でもない普通の高校生活だったけど、卒業式を迎えて、初めて、何でもない日常がキラキラと輝いていて、素敵で特別な時間だったんだと思うと、涙が止まらなくなってしまった。

 涙が涸れるんじゃないかってくらい泣いたけど、翌日からはフリーの日々を満喫することにした。卒業式では由美につられて泣いてしまったけど、自由を謳歌できるってのに、しんみりなんかしていられない。

 今日は仲良しのクラスメイト男女六人でカラオケに行くことになっていた。待ち合わせは駅前広場。

 約束の時間よりずいぶん早く着いたのに、広場のベンチには工藤巧と黒田一樹が座っていた。二人してそれぞれに携帯を覗き込んでいるくせに、会話が盛り上がっている所を見ると、きっとまたゲームで対戦でもしているのだろう。

「早くない? どうせまたゲームやっているでしょ」

 私の声に二人は顔を上げた。巧がにやりと笑った。

「お、梨沙。早いじゃん、お前、暇なの」

「あんたに言われたくないわ。あんたこそ暇なんでしょ」

「何言ってんだよ。俺らは崇高な目的のために、早く待ち合わせたんだよ」

「バッカじゃない。どうせゲームしたいだけでしょ」

 巧は「けけけ」と間抜けな声で笑った。

「梨沙には男のロマンがわかんないよ。な、一樹」

 一樹は返事をする代わりに、無言で私を見る。その視線に、私の胸はドキリと音を立てる。

 一樹はいつもこうだ。

 いつでも仲間に加わっているくせに、たいしてしゃべるわけでもない。巧と二人の時は話をしているようだが、みんなでいる時はたいてい聞き役に回っている。

 ほんの少しだけみんなとは距離を置いて座る一樹は、少し体を斜めにして足を組んで座っている。見ようによっては、大人びているようにも、偉そうにも見えるその座り方に、私はすっかり参っていた。

 でもそれは私だけの秘密だ。

「何がロマンよ。あんたたちって本当に馬鹿よね」

 巧は軽薄な笑いを浮かべて、横に座った一樹の脇腹をつついた。私と話すよりゲームをする方が楽しいのかと思うと、ちょっと腹が立つ。

 でもこれが私の何気ない日常。そして私はこの時間が好きだった。今のまま、このままのグループ交際がずっと続くならそれでよかった。

「何よ、つまんないの」

 本当はそんなこと、ちっとも思っていないくせに、私はすねた振りをして、さりげなく一樹の隣に腰を下ろした。視線を感じてふと見ると、一樹が私を見ていた。目が合った瞬間、胸の鼓動はまた早鐘のように高鳴ってしまう。きっと今、私の顔は赤くなっている。

 私は慌てて一樹に背を向けた。

 その視線の先に由美が飯塚大地と仲良く歩いてくるのが見えた。

 この仲良しグループは由美と大地がきっかけでできた。由美に一目ぼれした大地に告白されて、高校に入ってすぐに二人は付き合い始めた。一樹と巧は大地の友達。由美と私、それからまだ来ていない未来とは友達同士。いつも六人でつるむようになったのは自然の流れだった。

 ずっとこのままでいたい。でもそれは叶わない。

 私と由美、それに大地は地元の大学に進学するけど、他の四人は遠く離れた大学を選び、地元を離れることになっていた。このまま一生会えなくなるわけじゃないけど、何となく感傷的な気分になってしまうのは、目の前で春風に誘われるように舞い落ちる桜の花のせいかもしれない。

「ごめん、ごめん。遅くなっちゃった」

 約束の時間を少し過ぎた頃にやっと姿を見せた未来が合流すると、私たちは近くのカラオケ店に向かった。

 三月も残り一週間。全員がそろうのは今日が最後だ。

 私たちは思い切り楽しんだ。イケイケの曲で踊り、切ない別れの曲に泣いた。何度も交代しながらマイクを握り、喉が涸れるまで何曲も、何曲も歌いつくした。

 カラオケ店を出たときにはすっかり日が暮れてしまっていた。

「送っていくよ」

 一樹の言葉があまりにも自然だったから、私は茶化すことも断ることもできなかった。

「一樹、梨沙のこと、よろしくね」

 訳知り顔で手を振る由美に見送られて、私たちは歩き出した。うまく隠しているつもりだったのに、一樹に対する私の思いは、由美にはお見通しだったらしい。いつばれちゃったんだろう。そんなことを取り留めなく考えていた。

 一樹は相変わらず無言だった。無言だったから、私は間を持て余して考えることで気を紛らわせようとしていたのかもしれない。

「私さ、バスに乗るんだけど、一樹の家ってどこだっけ?」

 一樹は足を止めた。

「ちょっと寄り道していかない?」

 こんな展開が待っているなんて、思いもしなかった。

 ずっと仲良しグループでつるんではいたけど、いつもみんなも一緒だった。それにいつもなら、必ず巧がいた。今までは帰り道だって、一樹は巧と一緒で、だから私が一樹と二人きりになることなんて、一度だってなかったのに……。

 返事をしようにも喉がカラカラ。それはカラオケのせいか、それとも緊張のせいかもわからない。

 さりげなく頷くのが精一杯のプチパニックになっていた。

 駅まではすぐだった。でも一樹は少し遠回りになる川沿いの道に私を誘った。川の両端は遊歩道になっていて桜の並木が続いている。その桜の木の下のベンチに私たちは並んで座った。

 電灯に照らされた夜桜はあまりにも幻想的で、今まで見たどんな桜よりもきれいだった。

「すごーい」

 思わず声を上げた私を見た一樹はちょっと得意げな顔をしていた。いつもの澄ました顔とは別の一樹の顔に、私は見惚れてしまった。

 本当のことを言うと、私は一樹のことをずっと好きだった。でも。ただ仲良しの友達でいられれば、それで良かった。特別な関係になることより今の仲良しグループのまま続いていくことの方が、私にはとってずっと、ずっと大切だった。

 だから私は自分の気持ちを誰にも悟られないように隠していた。

 きらきら輝いていた私の高校生活。その中にはいつも一樹がいた。毎日が楽しくて、明日が来るのが待ち遠しいのも、仲良しグループでつるんでいられたから。

 そして、そこに一樹がいたから。

 これから私たちはばらばらになってしまうけど、それでもこの先もずっと友達でさえいれば、きっとまた会える。

 自分の気持ちを一樹に伝えるなんて考えたこともなかった。

「これを梨沙に見せたかったんだ。この町を離れる前に、この桜並木を歩いて、最後に梨沙と一緒に夜桜を見たかった」

 ドキンと心臓が大きな音を立てた。一樹にも聞こえてしまうんじゃないかと思った私は、いつものように振る舞おうと必死だった。

「やだ、最後だなんて。一樹、大げさなんだから。夏休みには帰ってくるんでしょ? 案外、ホームシックでゴールデンウィークには帰ってきてたりしてね」

 笑いながら背を向けて歩き出した私の手を、一樹はぎゅっとつかんだ。

「親が仕事も辞めて地元に帰るんだって言い出して……。だから県外の、親の地元の大学に進学を決めたんだ。今までみたいにみんなで集まって、何てこと簡単にはできないかもしれない」

 私は動けなかった。さっきまでの浮わついた感情はすっかり消えてしまった。

 一樹の言っていることは聞こえているし言葉もわかっているはずなのに、理解できない。いや、わかっているんだけど、私の心はそれを受け止めることができずにいた。

 プチパニックどころか大混乱。まるで天国から地獄だった。

 もう二度と会えないかもしれない。私はゆっくりと振り返って、それから真直ぐに一樹を見た。一樹は私の視線を受け止めて、それから桜の木を見上げた。

「なんか信じられなくてさ。またここに帰ってきて、今までみたいにみんなで遊びに行って、それがずっと続いていくんじゃないかって、そう思っていたんだよね」

 一樹の口調はどこまでも静かだった。

「なんで、もっと早く教えてくれなかったのよ」

「梨沙には言えなかったんだよね。しんみりした別れなんて嫌だから。みんなとは楽しくバカ騒ぎして終わりにしたかったんだ」

 言われてみれば、いつもより一樹ははしゃいでいたかもしれない。

「この桜、梨沙と一緒に桜を見られて良かったよ。これからはこんな風にみんなで集まるのも難しいだろうし……」

 今だ、今、伝えなくっちゃ、きっと後悔する。そう思っているくせに、私の口は私の意思なんか無視して、勝手に動いてしまう。

「同窓会、同窓会しようよ、二十歳になったら。毎年でもいいよ。帰省じゃなくても、一樹が遊びにくればいいじゃない」

「そうだね、それはいい考えだよね」

 一樹にとっては、キラキラした時間も、一緒に過ごした時間も、もう思い出でしかないのかもしれない。そう思うと、悲しくて悔しくて、急に感情が溢れて出してしまった。

「何よ。なんでよ。私、何にも知らなかった。楽しく遊んで、今日はバイバイしても、またすぐに会えると思ってたのに。どうして今頃になって、そんなこと言い出すのよ」

「えっと…。ごめん、梨沙。悪かったよ。頼むから、泣くなって」

 そんなこと言われても、もう涙は止まらなかった。

「私、一樹のこと、ずっと好きだったんだよ。でもまた会えるなら友達でもいいって思ってたのに、それなのに、最後の別れだなんて……。どうしてそんなこと言うの。ひどいよ、なんで教えてくれなかったのよ」

 どれだけ泣いても涙が止まることはなかった。でも泣きながら、こんな結末はあまりにも悲しすぎるんじゃないかと思い始めていた。

 一樹にとって、私が高校生活の思い出の中に残るだけの友達なら、せめて笑っている私を覚えていてほしい。

 私は唇を噛み締めた。それから涙を拭いて顔をあげた。

 一樹はものすごく困った顔をして、まっすぐに私を見つめていた。

「みっともないとこ、見せちゃったなー。みんなには内緒にしてね。でなきゃ、また巧に馬鹿にされちゃうから。巧ったらいつも私のこと、子供っぽいって笑うんだよ。せめて素直って言ってほしいわ。でも……」    

 思考回路はとっくにショートしている。支離滅裂で自分でも何を言っているのかもわからないまま、私はしゃべり続けていた。

 一樹はそんな私を、突然、ぎゅっと抱き締めた。

「どうしてはこっちのセリフだよ。梨沙はどうしてそうなんだろう」

 一樹が何を言っているのか、今度こそ理解不能だ。

「さらりと好きだって言ってくれたけど、それ、僕が言うつもりだったのに。まさか梨沙に先越されちゃうとは思いもしなかったよ」

 私は完全に固まってしまった。これはもしかして……?

「ただの友達として遊ぶのはこれが最後。遠距離だから簡単には会えないけど、だからこそちゃんと付き合ってほしいんだけど」

「え? 嘘……。意味わかんない」

「頭ン中で、どうやって伝えようかって、散々考えたのに台無しだよ。どうして勝手に先走っちゃうかな」

「だって最後って……」

「みんなで集まるのは、って言ったのに。だいたい梨沙はいつも人の話を最後までちゃんと聞いてないよね」

「そんなことないもん。一樹が紛らわしい話し方するからでしょ」

「そんなことないし……。そんなこと、なかったよね?」

 いつも涼しい顔をしている一樹がまた困った顔をしているのが、何だか可笑しくて、私はつい笑ってしまった。

「笑うとこか? 泣いたり、笑ったり、梨沙は忙しいな」

 そう言った一樹もほっとしたような顔で笑っている。

「一樹も笑ってるし。あんなに泣いた私の涙、どうしてくれるのよ」

「夜桜に感動しすぎて涙したってことで、どう?」

「そうね、そうしよう」

 夜風に吹かれた桜の花びらがひとひら、まるで祝福してくれるかのようにふわりと舞い降りてきた。                


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― 新着の感想 ―
なんて瑞々しく可愛らしいお話なんでしょう。 今の世の中、青少年が混乱しているように感じます。 貴重な青春を過ごしている若者たち皆に こんな良い恋愛をして欲しいと強く思いました。
臨場感が伝わってきました。 このまま二人は離れ離れになっちゃうのと思ったけれど勇気を出して告白。 そのおかげでは二人はハッピーエンド。 遠距離恋愛ではあるけれど、これから二人がどうなっていくのか続きの…
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