8収容所破壊
三月一日の夕食後。四人はダイニングルームのソファでくつろいでいた。
「いよいよ、あと二時間後に収容所破壊ですか。」
杏哉がポツリと呟くように言った。四人とも、一見ダイニングルームでくつろいでいるように見えて、実は内心ソワソワして仕方がなかったのだ。
「まぁ、私らは元より参加しませんが。光姫様のご成功を心よりお祈りしております。」
杏哉がニッと笑って、光姫に向けて右手でサムズアップをした。そんな杏哉を見た悠とメイサは二人で顔を見合わせ、同じく破顔してグッドサインを作る。
「ありがとうございます。精一杯頑張ります。」
光姫はこれから、収容所の扉を破壊する。位置情報は以前に確認済みなので、光姫の技術ならば、正確な位置に雷を落とすことができるだろう。なので杏哉もメイサも悠も、不成功という心配はしていない。
「どこから落雷させる予定ですか?」
「自室でしようと思っています。リラックスできた方が良いと思うので。」
杏哉が尋ねると、光姫は自室で能力を行使すると答える。
「そうですか。なら、私らは邪魔ですね。皆、部屋に戻るか。」
杏哉は光姫の回答から、メイサと悠にそう声をかけた。
「もう戻りますか?」
「そうですね。失敗する未来は見えていませんが、心の準備はしておきたいです。」
ソファから立ち上がり、杏哉は光姫に手を差し出す。このような紳士な仕草が当たり前のように出てくる杏哉に、光姫は人知れずドキッと胸が高鳴る。そして徐にその角張った手に自信の手を添えると、少し力が込められて光姫を立たせた。明らかな自分との力の差にも、光姫の胸は高鳴る。
「ありがとうございます。収容所を破壊するのは私だけですが、その後はみなさんにも働いてもらいますからね。みなさんというか、能力者全員ですが。地方へ移動してもらう方々は破壊後すぐに動いてもらうことになります。三人方はそこまで遠出という訳でもありませんので、ゆっくりはしていられませんが、午前五時くらいまでは就寝していられます。杏哉さんは最も建物の崩壊が多い愛知県、悠さんは最も津波が高い高知県。私は予知で最も死者数が多かった静岡県へ向かいます。メイサさんは生存確認の為に配置しますので、私の近くにいてください。ではみなさん、明日に備え、ゆっくり休養と取ってください。」
「はい。心得ました。光姫様も収容所破壊後、どうかゆっくりなさってくださいね。」
「明日は今後の能力者と無能力者の運命が決定する、歴史に残る大切な日ですからね。僕も精一杯努めます。光姫先輩はまだ一仕事ありますが、どうかご無理をなさらず。」
「アタシも頑張るわ! といっても、アタシは物理的な力は持ち合わせていないし、未来予知の生存確認だけしか出来ないけれど。お姉様にばかり負担をかけて申し訳ないけれど、今日はもう少し頑張ってね! 失敗なんてあり得ないけれど、成功を祈っているわ!」
杏哉、悠、メイサの順に、二時間後の光姫の活動への励ましと、明日への意気込みを述べた。光姫は思わず頬を弛緩させ、目尻を下げてコクっと首肯した。
「ありがとうございます。皆様のような側近を持って、私は幸せ者ですね。」
緩ませた光姫の瞳が、光を反射させて潤んでいる。
「大袈裟ですよ。」
側近らが顔を見合わせ、代表して杏哉が口を開く。その声は温かみを帯びていて、光姫はさらに目に涙を溜めた。つい最近まで、心を許せる友人が一人もいなかった自分が、こんなにも信頼できて思いやるのある親友を持つようになるなんて、一体誰が想像しただろうか。光姫は滲んだ視界で三人の姿を映した。
「いいえ、私にとって三人は誰よりも特別な存在です。決して大袈裟ではありません。今後も、どうかよろしくお願いしますね。」
光姫はポケットから取り出したハンカチで涙を拭き取り、深々と頭を下げた。
その後、光姫はメイサとお風呂に入ってから、自室へ戻った。時計を伺うと、長風呂をしてしまい、もう一時間経っている。つまり収容所破壊まで残り一時間だ。そこには父親もいることを今更ながら思い出して、光姫は両親の顔を脳裏に思い浮かべ、しみじみとした。明日を過ぎて無能力者に受け入れられれば、両親と当たり前のように再会することができるのだ。光姫は嬉しさで胸が締め付けられるようだった。光姫はこれから大胆に能力を行使するのでこれくらい良いか、と思い、母親・陽子にテレパシーを送った。
「お母様。起きていらっしゃいますか。」
『光姫? 久しぶりね。もう能力を平然と使うようになったの? これから収容所を破壊するのだものね。これくらい微々たるものだわ。』
光姫が母親に短くテレパシーを送ると、すぐさまその返事が返ってきた。体が暖かい光に包まれるような錯覚がして、気持ちも穏やかになっていく。
『というか、なあに。起きていらっしゃいますか、って。お父さんじゃないんだから、敬語なんてよしてよ。いつからか、お母さんに話す時も敬語になっちゃって悲しかったのよ。今はお父さんよりも光姫の方が偉いでしょう? もう昔みたいに話して欲しいわ。お父さんにもそうしたらどう?』
久々に耳にした、お母さんの包み込むような柔らかい口調と声色に、光姫の心がじんわりと満たされる。
「…分かったわ、お母様。」
『それでいいのよ。当主の娘である前に、光姫はお母さんとお父さんの子供なんだから。ごめんね、光姫。お母さん、そっちに戻れたらよかったのに。戻る、って言ったんだけど、使用人が五月蝿いのよ。今行ったら危険だ!って。お父さんもいなくて心細い時に一人にして、光姫に寂しい思いをさせて、母親として面目ないわ。』
母の口から出た光姫を思いやる言葉に、光姫はじんわりと胸と瞳が暖かくなる。確かに、両親が一気に自分の側から離れてしまい、空虚感を抱いていたことは事実だ。しかし、今は違う。後に最愛の妹と思うようになるメイサと出会い、現在ほんのり他の人とは異色の想いを抱き始めた杏哉と出会い、自分の事を心底尊敬してくれる悠と出会った。
「…ううん。そんなことないよ。いや、寂しかったのは事実。だけど私、この半年で、素敵な出会いがたくさんあったの。今はその三人が側近としてそばにいてくれて…私の心は満たされているわ。あ、もちろん、お母様やお父様とは今すぐに会いたいけれど。」
光姫は言葉を選んだ末、そう素直な感情を口に出した。すると、クス、というほのかな笑い声と共に、母親の一層温かい声が頭に響いてきた。
『そうだったのね。光姫が側近の家系じゃない子も側近にしたって聞いて驚いたけれど…そんなにも大事な存在だったのね。安心したわ、お母さん。だってあなた、幼い頃から壁を作っていたもの。』
「壁?」
『そう。透明な壁。まぁ、仕方ないわよね。能力者の…それも、当主の娘なんて立場で生まれちゃったら。他の人とは仲良くしづらいのは当たり前だわ。そんな光姫が心許せる人たちを三人も見つけるなんて。嬉しい限りだわ。見ない間に成長したのね、光姫。あ〜あ、今すぐ光姫のところに飛んでいきたいっ。明日まで待てないわ。いつまでも、どこまでも、私の愛しい一番星。大好きよ、光姫。』
「おかあ…さま…。」
母親の慈愛のこもった言葉を受け取り、なんとか耐えていた瞳のダムはついに崩壊した。
「お母様、私も大好き。」
『ふふ、ありがとう。そういえば、光姫、これから大仕事なんですってね。収容所に雷落とすんだっけ? 頑張ってね! 応援してるわ。そろそろ時間が迫ってきているし、切った方がいいわよね。じゃあ光姫、また明日、会いましょうね。』
「ありがとう、お母様。また明日。」
光姫の最後の言葉でテレパシーが途切れ、のちに母親の温かみの余韻と、同時に喪失感が残った。時計を伺うと、あと十分で時間だ。その前に、あの人にもテレパシーを送っておきたい。光姫は再び神経を研ぎ澄ませて、父親にテレパシーを送った。収容所では全ての能力が制限されるというわけではなく、テレパシーは問題なく使えるので非常に助かっている。もしもそれが出来ていなければ、収容所内の能力者と連携が取れない故、この大掛かりで大雑把な作戦は実行にすら移せなかっただろう。
「お父様、もう少しで時間ね。さっき、お母様ともテレパシーを送り合っていたの。」
『光姫か。そうだな。頑張れよ。お父さんも破壊後は他の能力者のフォローと、無能力者の無力化に努めるから。明日の地震までに、必ず彼らを各々の立ち位置に行かせる。』
今度もまた、すぐさま返事が返ってきた。お母さんと違い、お父さんはこれから正念場なので、そうでないとおかしいのだ。
『そういや、なんか違和感あると思ったら、光姫、敬語やめたのか。』
「あ、そうなの。さっきお母様と話していたんだけど、私が世代交代したんだし、もう敬語じゃなくて、ただの親子として接してもいいんじゃないか、って言われたの。」
『そうか。今は光姫が当主だもんな。むざむざと捕まって、当主を継がせて、不甲斐ない父親で申し訳ないな。』
お父さんの声が沈んだ暗い声色に変わる。光姫は穏やかに、安心させるように訂正した。
「そんなことないよ。それに…この作戦が成功して、無能力者に能力者が受け入れられたら、当主の座はお父さんに返すわ。私にはまだ早い。あ、そうなったら敬語も戻さないといけないのね。」
『心配しなくても、これから覚えていけばいいんだぞ。あと、敬語は元からいらん。お前はお父さんのお母さんの娘だ。立場なんて関係なく、子供は子供らしく振る舞え。』
「ありがとう、お父様。じゃあ私、今後も昔みたいに話すわ。当主の立場を返す話だけど…私は、次期当主として、仕事を覚えたいの。ダメ?」
光姫が幼い子供のように、駄々をこねるような口調で尋ねると、本当にただの父親のような柔らかな口調で、返事が返ってきた。
『光姫がそれを望むならそれで構わない。では、一旦の当主最後の仕事として、五分後の落雷と、明日の人命救助、よろしくな。』
「はい、お父様。」
表情は伝わらないが、光姫は返事と共に、満面の笑みを作った。そしてテレパシーを切ると、キリッと表情を引き締める。いよいよ収容所に雷を落とす時間だ。光姫は雷を落とす座標を正確に定めるため、神経を研ぎ澄ます。座標が確定すると、チラと時計を一瞥した。
(残り一分…。)
光姫は両手を広げて大きく息を吸い、同様に大きく息を吐いた。深呼吸を何度か繰り返し、いよいよその時がやってくる。時計の長針が十二を指し、光姫はグッと体に力をこめる。
光姫は身体の中心から、目には見えないけれど、何か莫大な物が流れ出ていくのを感じた。
目に見える距離にはないが、確実に派手に落雷しただろう。さほどの疲労感はないが、一仕事を終え、光姫はベッドに座り込み、ホッと息をついた。暫くベッドの上で上半身を投げ出して目を瞑っていると、タタタと幼い子供が駆けてくるような足音が聞こえ、光姫はベッドに投げていた上半身を起こした。同時に、ノックの音が響いてくる。




