4メイサと悠のバレンタイン
一方、其の頃メイサと悠は。
「さあ、悠。どうぞ。」
メイサはドアノブを開け、手で悠に中へ入るよう促した。すると、メイサはあることに気づく。部屋の中へ足を踏み入れようとする、悠の動きがこわばっていて不自然だ。
「どうかした?」
「いや…。そういえば、メイサの部屋に入るのって初めてだな、って思って。それに同じ家とはいえ、彼女の部屋なんだ、って今更自覚して…。」
悠は体をガチガチにさせ、ロボットのような動きで中へ入っていった。メイサも部屋のドアを閉めて、中へ入る。
「へぇ、メイサの部屋ってこんな感じなんだ…。なんか、いかにもメイサって感じ。」
悠はメイサの部屋をじっくりと眺め、柔らかに微笑んだ。紺色の背景に燦然と輝く星を散りばめたような壁紙、黒いレースのついた天蓋付きベッドに、種々雑多なコスメで彩られた化粧台。黒塗りのタンスには溢れんばかりの洋服が詰め込まれている。その他にも、部屋の中にはメイサ特有の私物で溢れ返っており、また、黒系統のものが多いため、全体的に暗い印象となっている。
「アタシ好みに改造されてるからね。同じ造りでも、悠の部屋とは似ても似つかなくなっているでしょうね。」
メイサはベッドに腰掛けながら、そう口にする。そして、棚の裏に隠していたチョコレートを取り出して、背中に置く。
「で、悠。今日ここに呼んだ理由なんだけど…。」
メイサがパッと顔を上げると、悠はメイサの前に立ち尽くし、両手をお腹の前で合わせ、なんだかそわそわしていた。メイサと目を合わしてもらえない。
「悠? どうしたの?」
「えっ、な、なんでもない…。」
悠は慌てて顔をメイサに向けるも、其の顔は夕焼けのように真っ赤に染まっていた。もちろん、彼の心中は、約一時間前に葵に言われた言葉で埋め尽くされている。あんなことを言われた後でメイサから部屋へのお招きがあれば、当然意識せざるを得ない。
「もう、本当にどうしたのよ。ねぇ悠、今日、なんの日かわかる?」
「え? 今日? あ、二月十四日か。聖バレンタインデーだね。西暦に二百六十九年に、兵士の自由結婚禁止政策に反対したバレンタイン司教が、時のローマ皇帝の迫害によって処刑された。それから、この日がバレンタイン司教の記念日としてキリスト教の行事に加えられたんだよね。」
突然始まった悠の豆知識披露に、メイサはポカンと口を開いた。
「その…悠は、バレンタインの度にそんなこと考えるわけ?」
メイサはもしかして日本のバレンタインの習慣を存じないのか、なんてことまで思いながら、呆然としながらそう尋ねる。
「えっ、う…。そ、そんなわけないじゃん。ちょっと今、冷静じゃなくて。」
悠はズボンで手のひらの汗を拭った。確かに、今の悠はどこか忙しなくて、冷静を欠いているように見える。其のため、先ほどの謎の豆知識を口走ったのか。
「ねぇ、悠。これまで、ぶっちゃけチョコってどれくらいもらってた?」
メイサはチョコレートを背中に隠しながら、唐突の豆知識披露の仕返しをする。可愛らしい顔立ちの悠のことだ、彼のファンは大勢いただろう。
「どれくらい、って、もらってること前提みたいな…。」
「だって実際、そうでしょう? ほら、吐いてみなさいよ。」
「うっ…。えっと…平均的には三十くらい…?」
悠は居心地悪そうに、おずおずとバレンタインにもらっていたチョコの個数を吐露した。
「嘘、三十⁉︎ 自分で聞いといてなんだけど、思いの外多かった! やばくない? え?三十⁉︎ だって学年の女子って八十人くらいでしょう? その内の八分の三は悠の手に…。そうですかそうですか、貴方ってそんなにモテ男だったんですね。可愛い系男子…ショタはファンもさぞかし多いことでしょうね。」
「そ、そんな言い方しないでよ…っ。…とりあえず、可愛い系って言わないで。それに全員学年一緒なわけないじゃん。いくらなんでもそれは買い被りすぎ。それに、その中には義理チョコも含まれてるんだから。他学年からも三分の一くらい貰ってたし、見知らぬ人から突然渡された事も何度かある。あれは流石にビビった。僕、電車登校だったんだけど、毎日同じ電車に乗っていた女子が僕のこと気になっていたらしくて。名前も知らないのにさ…。しかもそういうことが何回か…。それに、多ければ多いほどいいってもんじゃなくて…。毎年紙袋持って行くの大変だし…。毎年この日になったら男子から疎まれたし。しかもお返しが大変で…。」
メイサが唐突の豆知識披露のせいで、ぷくっと頬を膨らませていると、悠がメイサの求めていない情報まで吐き出したので、
「ストップ! モテ話終了! はい、アタシに集中!」
と、無理やり、彼の奔流のような言葉を止めた。
「ていうかだいぶ前に、アタシが顔覗き込んだだけで、悠、顔が真っ赤になってなかった? あのウブさはなんだったのよ。めちゃくちゃモテてんじゃないの。」
「いや、一方的にモテるのと恋愛経験が豊富なのはまた別…って、痛っ。やめてっ、脇腹つねらないで!」
メイサは拗ねた表情のまま、チョコレートを入れた袋を背中から前に出して、悠に突き出した。
「これ! アタシから! 今年は学校に行ってないしアタシだけだろうけど、来年からはチョコレートもらうの禁止だからね!」
「め、メイサから? わ、嬉しい! 僕、これまでチョコもらって告白されても、彼女達の事好きになれなかったから…。好きな人からもらうのは初めて。ありがとう…!」
メイサが差し出したチョコレートを受け取ると、悠はパァ、と一面にお花が咲いたような満面の笑顔を浮かべた。これまた思いの外、想定以上に嬉しそうな反応をしてくれたのでメイサは素直に驚いた。
「喜んでもらえてよかったわ。よかったら、一緒に食べない?」
「うん!」
悠はリボンをするするとほどき、中からハート型のピンクのチョコレートを取り出した。
「あ、悠。アタシが食べさせてあげる。それちょうだい。」
メイサは悠の手からチョコレートを取り上げて、ニヤッと笑う。
「ほら、口開けて。あ〜ん。」
「えっ。」
メイサからチョコレートを差し出され、悠は顔を薔薇色に染めて戸惑う。
「め、メイサも一緒に食べようよ。ね?」
「じゃあお言葉に甘えて後で食べるわね。其の手には乗らないわよ。恥ずかしいから各々の手でつまんで一緒に食べよう、っていう魂胆でしょう? あ、一緒に食べるなら、アタシにも食べさせてもらえる?」
メイサに全てを見透かされ、さらに余計に羞恥に苛まれるであろう行為を付け足されてしまい、悠はうっと言葉を詰まらせる。
「ほら、早く!」
ニヤニヤと笑うメイサに急かされ、悠は思い切って、彼女の指元に顔を持って行った。そして、指を食まないように気をつけながら、チョコレートをつまむようにパクッと食べる。
「どう? 美味しい?」
「うん、すっごく。外と中で味が違うんだね。中身も、二層になってるのが美味しい。見た目も味も、売り物みたい。流石はメイサだね。」
「良かった。じゃあ次はアタシに…、って、ちょ、ちょっと⁉︎」
手作りチョコレートを褒めてもらい、上機嫌で顔を綻ばせるメイサが、もう一つ同じ種類のチョコを摘んで悠から食べさせてもらおうとした。其の時だった。




