3光姫と杏哉のバレンタイン
其の後、夕食を食べ終えた後。
「ねぇ悠、この後、アタシの部屋に来れる?」
「いいけど、どうかしたの?」
「後でのお楽しみよ。」
メイサは悠に誘いをかける。すると、悠は本当に分からないような表情をしていたので、メイサはサプライズのし甲斐が有るな、と顔を綻ばせた。
一方で光姫も、
「杏哉さん。私もこの後、杏哉さんに用事があるんです。」
「私にですか? なんでしょう。仕事の件なら今にでも――。」
光姫が杏哉を誘うと、こちらもまた、其の意図が全く読み取れていないような態度を示した。てっきり仕事の内容であると決めつけるが、光姫はそれに首を振る。こちらは杏哉の一方的な片想いだと思っているので、いや、現状では実際そうかもしれないが、わからなくても仕方がない。
「いいえ、私的な用事です。一度部屋に戻ってから、一緒に右庭に来て欲しいのですけれど、ご都合は大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。」
私的な用事、と言われてさらに困惑した表情を浮かべる杏哉に、光姫は微笑みながら集合場所を提示した。
光姫は部屋へ戻り、今日メイサたちと作ったチョコレートを大切に手に取って、部屋を出た。そして駆け足で右庭に向かうと、杏哉は直接向かったのか、もう既に東屋に居座っていた。今日は青白い月明かりが美しく、日本昔ながらの東屋と、誰の目から見ても美青年である杏哉の横顔は、とても絵になっていた。
「あの…杏哉さん。お待たせしてしまい、すみません。」
光姫は持ってきた外靴を履いて、庭に出た。駆け足で杏哉の元へ行き、ぺこりと頭を下げる。すると、杏哉は歯並びの良い、白い歯をニッと見せて爽快に笑った。
「いえ、私が先に来てしまっただけなので。何しろ、光姫様のプライベートな用事に、私が何か関わっているらしいんで。そりゃ、気になりますよ。」
「そうですか。そんなに大したことではありませんよ。」
光姫は杏哉の反対側に腰掛けて、笑いながらそう言った。言ってから、光姫はハッとする。
(バレンタインのチョコレートを渡すのって、大したことかしら? でも本命ではないし…あれ、でも、義理でもない…。じゃあこれって…?)
光姫は膝の上に隠しているバレンタインのチョコレートが一体何チョコなのかわからなくなりながら、チョコレートを机の上に出す。
「光姫様、これは…?」
「えっと、今日はバレンタインではありませんか。実は今日、メイサさんと一緒にバレンタインのチョコレートを作っていたんです。もちろん、メイサさんは悠さんに手渡すつもりで。私もお誘いを受けてご一緒させていただいたんですが、私には渡す相手がいなくて、それで…。」
光姫が早口で捲し立てるようにそう説明すると、困惑していた杏哉の表情が、絡まりが溶けた糸のように納得がいったような顔つきになっていった。
「そういうことでしたか。危うく勘違いするところでしたよ。」
杏哉はそう言ってハハハ、と声に出して笑う。しかし、その笑い声はどこか威勢がなかった。それに、何故だろう。光姫も、杏哉にそのような判断で合点して欲しくはなかった。
「杏哉さん。」
光姫はスッと椅子から立ち上がり、特別真面目な顔つきで、杏哉の名前を呼ぶ。
「これは、本命チョコとは言い難いですが、義理チョコではありません。そこの勘違いはしないでいただきたいです。」
「え? それってどういう…?」
本気で混乱している様子の杏哉だが、あいにく光姫はその回答を持ち合わせていない。自分自身でも、己の気持ちが分からないのだ。
「私にもよく分かりません。けれど、杏哉さんは、私にとって特別なことは確かです。本命と言うには感情がついてきていませんが、ただの義理チョコとは思わないで欲しいです。」
「そ、そうなんですか…。」
杏哉はやはり意味の分からないように、曖昧な返事をした。其の困惑した表情を見て、光姫はにっこりと微笑む。杏哉も、光姫につられて口元を緩めた。そんな彼の表情を見て、光姫は「とりあえず、今はこれで良い」と心中でぼそっと呟いた。




