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能力者の日常  作者: 相上唯月
6サプライズ
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9初恋の記憶

「今は何描いてるの?」


この趣味は、光姫もメイサも知らない。杏哉は自分の趣味を公表するのは恥ずかしかったようで、悠が部屋に訪問する際にも、必ずキャンバスを片付けていた。





しかしある時、悠が事前に約束をせずに部屋を開けた時、イーゼルが立てかけてあるのを目にしてしまったのだった。さらに運の悪いことに、その上にはまだ、彼の描いたキャンバスが載っていた。その中に描かれた絵は、満点の星空に向かって、星を掴むかのように手を伸ばす、少女の後ろ姿だった。


悠は我知らず、その絵に見入ってしまった。


キャンバスの上部分は、キャンバスの上の部分は、無数に煌めく、砂銀のような星で占められ、それらが降ってくるような錯覚に陥る。月はそんな星たちを覆い隠すことがないよう、幾重にも色が重ねられ、杏哉の手によって生み出された黄金色で、三日月として描いていた。そして、下部分には、メインの少女の上半身が描かれている。彼女は左手を極限まで伸ばし、無数の星の中から、頭上で存在感を示して輝く、一際明るい星を見つけ、それを掴み取ろうとしているようだ。人の体の柔らかみ、光や影の表現がまた、その少女に生を与えていた。


そこで、悠はふと思う。その少女の顔は見えないが、栗色の長髪を夜風に靡かせるその後ろ姿が、なんとなく見覚えがある気がしたのだ。しかし、最後の一ピースが欠けているかのように、あと少しのところでその人物を思い出すことができず、頭を捻らせていると、突然、頭に衝撃が走った。思わず頭を守るようにおさえると、後ろには、悠を睥睨する杏哉の姿があった。


「あっ…ごめん。勝手に見て…。」


見た事もない杏哉の表情に気圧され、悠はすぐさま謝った。すると、杏哉の表情はすぐにほぐれていき、柔らかくなった。


「いや、大丈夫。悠にならいいよ。ただ…ノックなしに入って来んなよな。」

「それは本当、ごめん。」


どこか刺々しいものを感じるが、杏哉の口調は優しかった。悠はそれに安心し、頭を下げて謝罪した後、気になっていたことを彼に問う。


「この絵は…杏哉が描いたんだよね。」

「ああ。下手だろ?」

「下手? そんなわけない。めちゃくちゃ上手いよ。え、なんか賞とか出してたりする?」

「いいや。賞には出したことない。ただの自己満足で描いてるから。」


杏哉は一旦そこで会話をストップさせ、キャンバスとイーゼル、そして絵の具諸々をクローゼットの中にしまった。


「えぇ、もったいないよ! こんなに上手いのに。」

「俺、別に競おうとか考えてないんだよ。本当に、ただただ描きたいから、そんで描くのが楽しいから描いてるだけ。人に見てもらう必要もない。そんな上手いと思わないし。見られたら恥ずかしいよ。だからさ、他の奴には言うなよ? もう少し上達するまで待って欲しい。」

「そんな…。今でもこんなに上手いのに…。」


悠は杏哉の言葉に遺憾の念を覚えるが、彼は強い意志を持った瞳で悠を見つめていた。自分に非があるのだし、その頼みを断る事もできるはずなく、悠は首肯した。





悠はそうして、いつかの記憶を手繰り寄せた。


そして現在に戻り、杏哉は悠の何の絵を描いているか、という問いかけに対して、


「青空と花畑を描いてる。あと、花畑の上に少女がいる。」


と、答えた。


「また風景画だね。少女っていうのは…前の女の子?」

「あぁ。」


少しバツが悪そうに顔を逸らす杏哉を見て、悠はあることを確信した。悠が彼の趣味を覗き見してしまったその日は、杏哉が他人に絵を隠す所以は、ただただ恥ずかしいからだと思っていた。けれど、まだ要因があったようだ。自身の絵の技術が未熟故に羞恥心を抱き、人に見られるのを避けているのかと思ったが、こちらの要因の方が強いかもしれない。


「前からなんとなく思ってたんだけど…その女の子さ、光姫先輩なんでしょ? だから、人に見られるのが嫌なんだね?」


悠が確認するようにそう尋ねると、杏哉は瞠目し、その場に硬直した。


「…なんでわかったんだ?」

「杏哉の様子と、あとシンプルに似てたよ。すごいね、実在の人物を再現できるなんて。しかも後ろ姿なのにさ。」

「そっか…。そうだ、光姫様だ。そういう訳だから、絶対、人に言うなよ?」

「別に話してもいいと思うけどなぁ。こんなに上手いんだからさ。きっと、モデルになれて、光姫先輩もお喜びになるよ。顔を描いてる作品はあるの?」

「ない。俺に光姫様の麗しきお顔を描く度胸なんてない。」


悠の問いかけに、杏哉は即答して首をブンブンと振った。その感情には大いに同意できる。


「じゃあ、光姫先輩なしに絵を描いたら? それなら人に見られてもいいでしょ?」

「それなんだがなぁ…試みたことはあるんだよ。けど…俺、中学の時に美術部に入ってたんだ。で、その頃にはもう既に光姫様に思いを寄せていた。だから、初めから油絵には光姫様を描いていたんだ。だからさ…なんか、光姫様を描かないと、上手く描けないんだよ。」


すると、杏哉はそんな恋する少年のようなセリフを口にした。間違ってはいないのだが、素直に光姫が好きだと認めたのは初めてで、悠は驚いた。


「あれ、杏哉、光姫様のこと好きだって気づいてたの?」


悠がそう尋ねると、杏哉はハッとしたように口を押さえた。だが、もう既に時遅し。言ってしまった言葉は取り消せない。なかったことになんてならない。杏哉はあれこれ言い訳を考えたが、観念して、心に正直になった。


「…気づいてない訳ないだろ…。ただ、認めたくなかったんだ。


どうせ、俺は緑属性の側近だ。光姫様は光属性の当主で、伴侶もきっと、光属性の人が選ばれるだろう。元から、俺に勝ち目なんてないんだよ。だから、必死に否定しようとしてた。けどさ、俺…多分お前が思ってる以上に、光姫様に本気で恋してる。光姫様はなんでも完璧にこなせて、誰もが羨むお姫様だ。だけど、俺はそんな光姫様だから、恋した訳じゃない。


俺…光姫様の側近の候補として幼い頃から鍛えられてて、一度だけ、この屋敷に訪れたことがあるんだ。父親も先代当主の側近だったしな。確か、小学一年生の時だったな。その頃にお会いした光姫様は、まだ当主の娘である威厳なんて微塵もなくて。ただの、クラスにいるような普通の女の子だったよ。俺らはその日のうちに意気投合して、駆け回って遊んだ。


俺は…あの無邪気な光姫様の笑顔が好きだった。高校になって再会して、光姫様はこの世のものとは思えないほど、神々しい存在になられて。加えて、光姫様は達観した天使のような微笑みをするようになったけれど、時折さ、無邪気であどけない笑顔も浮かべるんだ。何も変わってなかった。俺があの時、守りたいと思った笑顔のまんま。」


杏哉は長々と、そう語った。悠は杏哉からいつになく真剣な瞳を向けられ、一切合切、声を発することができなかった。


「だから…、」


杏哉が何かを言いかけた時、コンコン、とドアを叩く音が聞こえた。杏哉は慌てて言葉を引っ込め、扉へ向かう。杏哉に目で訴えられ、悠は油絵をクローゼットに隠した。


杏哉がドアを開き、二人が足を踏み入れる。二人とも、部屋を訪れるのは初めてなのか、物珍しそうに周囲をキョロキョロと見回している。キャンバスとイーゼルがなければ、特に特徴のない、綺麗に整頓された部屋だ。


「あの…光姫様、中からの話し声、聞こえました?」


杏哉は不安だったのか、部屋の外にいた光姫に声が聞こえたかどうかを尋ねた。


「? いいえ、聞こえていませんよ。」


すると、光姫は首を傾げた後、首を横に振ってそれを否定した。杏哉はあからさまに安堵した様子で、胸を撫で下ろしていた。


これまで杏哉が頑なに光姫に好意を抱いていると認めなかった理由を知った悠は、その様子を複雑な心情で眺めていた。杏哉はこの先、光姫に告白することはないのだろう。このまま光姫の近くで、けれども遠くから、彼女を見ていることしかできない。それがどんなに口惜しいことか。あっけなくメイサと想いが通じ合ってしまった自分と比較して、自分には何も非がないのに、情けなくなってしまった。


「メイサ…。」


隣に寄ってきた最愛の人に呼びかけると、メイサは首を傾げてその意図を問う。


「ううん、なんでもない…。というか…寝巻き、可愛いね。モコモコだ。あったかそう。」

「えへへ、そうでしょう? シロクマのパジャマ! 可愛いでしょ〜。ほら、フードに耳がついてるのよ。ほら、悠も来て。あったかいからさ。」


メイサは悠の腕を掴み、真横に寄り添うように座らせた。確かにふわふわモコモコで、とても暖かい。けれどそれよりも、メイサに握られた手の方が熱い。さらに、彼女を意識しだすと、風呂上がりでまだ仄かに熱を持っている艶やかな長い黒髪、そしてシャンプーの残り香が悠を刺激した。


悠もメイサの手を優しく強く握り返すと、彼女は顔にふわりと満開の花を咲かせた。次第にお互い気恥ずかしくなり、手を握った状態のまま、二人はどことなく目を逸らした。キスもした間柄なのに、手を握るだけで恥ずかしくなるなんて、ちぐはぐだ。悠が逸らした目を正面に向けると、杏哉に呆れた瞳を向けられていた。


「お前ら…二度目だけどさ、人前であからさまにイチャつくなよ。」

「手を握ってるだけじゃない!」

「充分イチャついてるだろ!」


メイサが反論するも、杏哉は容赦なく言い返す。イチャついている側がいうものなんだが、悠も杏哉の言い分が正しいと思う。


「ね、そんなことより早くテレビつけましょ。」


メイサはそう言って、話題を変えるようにリモコンを手に取った。その手は、ちゃっかりとまだ悠の手を握ったままである。メイサは杏哉や光姫の視線を意に介せず、NHKをつける。今は九時前なので、番組は中間に差し掛かるといったところ。


「あっ、あいみょん! アタシ、あいみょん好きなのよね。」

「そうなんだ、確かに歌声も曲もいいよな。でもなんかちょっと意外かも…。なんか、一軍女子って韓国の男性アイドル…BTSとか好きそうじゃん?」


メイサの知らない一面に、杏哉はほんの少し目を見開きつつ、それに共感した。


「人を集団で一つにまとめないで。失礼ね。けど韓国アイドルか…アタシ、あんまり興味ないのよね。悠がいれば他の男は要らないわ。」


そう言って、メイサは悠の腕に抱きついた。杏哉は自らの発言で二人のイチャつき、主にメイサからのスキンシップを増やしてしまい、嘆息をついた。一方で、抱きつかれた悠は、少し照れくさそうにしながらも、彼女の頭を優しく撫でている。


「本当に、お二人は仲がよろしくて、見ているこっちも幸せな気分になりますね。」


そこへ、先ほどまで黙っていた光姫が口を挟む。三人同時に彼女の方へ視線を向けると、彼女は瞳を細め、暖かな光を帯びさせて、悠とメイサを見守るように眺めていた。


「えぇ…? 私は、二人を見ると心底呆れるんですけど…。」

「杏哉さんの意見もわからなくもないですが、私は真逆ですね。最近わかったことなんですが、私、人の恋路を側から眺めるのが好きみたいです。だから悠さんとメイサさん、私の前では、存分に睦み合ってください。眺めているのは楽しいですから。大歓迎、むしろ期待してますっ。」


光姫は含羞みながらも、大きな瞳を爛々と輝かせる。光姫に〝イチャつき〟を要求されていることを知り、悠とメイサは気恥ずかしくなる。そして、少し距離を取った。


「えーっ? なんでですかっ?」


恥を耐え忍んで思い切って願望を口にしたのに、そして彼らもそれを望んでいるだろうに、光姫は納得がいかない。そして駄々をこねる子供のように頬を膨らませる光姫を見て、杏哉はくすくすと笑いを溢した。


その後、四人はテレビを点けたままで、しかしそれをほとんど視ずに、他愛もない話で盛り上がった。


いつの間にか零時を回っており、四人は慌てて床の準備をした。ここで各々自室へ戻るという選択肢もあったが、こんな夜遅い時間に廊下を出歩くのもよろしくない。


というわけで杏哉は、テレビを視ている間に、使用人に洗ってもらったシーツや布団をベッドに置く。光姫とメイサにはこのベッドで寝てもらい、杏哉と悠は床に敷いた布団で寝る。


床についてからも、四人で夜を過ごすという非日常に興奮して話が弾んでしまって、四人はなかなか寝付けなかった。


結局、最後まで起きていたのは今日の主役である杏哉だった。杏哉は一時を回る時計を眺めながら、しみじみと思う。今日はこれまでの誕生日の中でもトップレベルに心踊る誕生日だった。


杏哉は隣ですやすやと寝息を立てる、童顔のせいであどけなく見える可愛らしい横顔を一瞥する。本人に言ったら鬼の形相で地の果てまで追いかけてきそうだと思いながら、今度はベッドに眠る女性二人の方に視線を向ける。と言っても、床からベッドの上は角度的に見えないのだが。悠は彼ら三人に目を向けてから、天井へと向けた。


そして、今日一日の思い出を脳裏に再生しながら、深い眠りについたのだった。

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