19漫画のセオリーでは
一向に悠の目が覚める気配がない。どうしたら、飛んで行った魂が戻ってくるだろうか。
「え、実はこれ、結構まずい状況だったりする? 病院行きのレベル?」
残念ながら、メイサにそんな知識はない。頭の良い悠なら解決策が分かったかもしれないが、その本人がこの状況なら一体どうすれば。
「…ほっぺ、つねってみる?」
メイサはそう思いつき、悠の右頬を思い切りつねった。だが、うねり声を上げるだけで、起きる気配はない。その後も弱めにビンタしてみたり、おでこにデコピンしてみたりしたが、やはり起きなかった。
「…いやぁ〜、真面目にまずいかも、これは…。」
頭を捻っていると、メイサはあることを思いついた。メイサの思いついた方法は、そんなことをしても意味がない、と思われる行為だったが、先月読んだ漫画では、これで相手は起きた。というより、やる寸前に起きるのがセオリーだ。セオリー通りならばそれでいい。だが、定石通りにならなかった場合――。
「…。」
考えても仕方ない、というより効果があるとは思えないのだが、漫画では大抵これで――。
そんなことを言い訳にして、メイサは悠に好意を抱いてから、いつかしたいと心に秘めていた行為に移ろうと、俯いた悠の顔を持ち上げ、自分の顔を近づける。
「…悠が起きてない状態でやっても、ノーカンよね。」
メイサとしては、このファースト行為は自分からではなく、悠からして欲しかった。
「…お願い、起きて…! そんでアタシにやり返して…。」
だが、その思いは虚しくも。予想もしていなかった相手によって遮られることとなる。
「見て、あの彼女! 寝てる彼氏にキスしようとしてる!」
「本当だ!」
メイサの思いついた行為――キスは、二人の様子を周りで見ていた女子二人によって妨げられたのだった。
「…メイサ先輩?」
するとその時、頭を押さえながら、う〜んと唸って悠が目覚めた。メイサは慌てて、
「あ、え、えっと、本当にごめんなさい! まさか気絶するから嫌がってたとは思わなくて…。」
頭を深く下げ、一生懸命謝った。
「大丈夫ですよ。僕もちゃんと言わなかったのが悪いです。前に乗ったの小学生低学年の頃でしたし、少しはマシになってるかな、と思ってしまい…。」
「いいえ、悠は少しも悪くないわ。次のアトラクションからは、悠に選ばせてあげるから。」
メイサがそう言うと、悠は辺りを見まわし、
「…じゃあ、空中ブランコに乗りませんか?」
と、入り口から見えていた空中ブランコを指差した。
そうして二人で空中ブランコの列に並び、何事もなく楽しんだ後は迷路や占いなどの建物に入ったりアトラクションで遊んだりして、時間を忘れるほど楽しんだ。もちろん、ジェットコースターなどの酔いそうな乗り物は控えたが。
そうして、気がつけば、あと三十分で、車に戻らなければならない時間になっていた。
「最後は決まってるわよね。行きましょ。」
そうして二人が向かったのは、お馴染み、クリスマスデート最後のアトラクションの定番・観覧車。多くのカップルは、この頂上で告白をするのだが、メイサたちの場合はそうではない。ちょうど今は夕日が出ていて、観覧車頂上での告白に最も適した時間帯だろうが、メイサたちはもっとずっとロマンチックな、夜景を見ながらの告白だ。
観覧車の列に並ぶと、そこには数多くのカップルの姿が見られた。
やっと順番が来て、二人は観覧車へ乗り込む。
「なんだか、ゴンドラの中って、想像よりも狭いですね。」
「そうね。アタシも思った。きっと、前に来た時はもっと体が小さかったのよ。」
メイサと悠はそんな会話を交わし、観覧車から下を眺めた。たくさんのアトラクションや建物が、だんだんと小さくなっていく。夢中で眺めていて、メイサはふと思った。
(…告白いつするのか知ってるから、普通に風景眺めてたけど、別に観覧車の上ですることって、告白だけじゃないわよね。こんな風に、ただの友人みたいに観覧車に乗るのって、なんか違うわよね。)
頂上まであと少し、というところで、メイサは『告白はしなくとも、観覧車の頂上で何か特別なことをしたい』と考え出した。
(…キスくらい、付き合う前にしたって、いいわよね。さっきもアタシ、やってみようと思ったし。)
メイサは一人で納得し、頂上付近で悠にキスされたいと考え始めた。
(けど、アタシが何もしなかったら悠は何も…。)
チラリと悠を見ると、彼はメイサと同じように、もしくはそれ以上に外の風景を眺めるのに夢中になっており、メイサと何か特別な事をしよう、という考えは毛頭ない様子だった。
(やっぱり、アタシが誘導しないといけないわね。)
メイサは、まるで悠の方に責任があるというような様子で、はぁ、と嘆息をついた。
(そうね。まずは…。)
メイサは今までゴンドラ内を悠と向かい合わせに座っていたのが、席を立ち、キスしやすいよう、悠の隣に腰掛けた。
「えっ、メイサ先輩、どうしたんですか?」
すると、悠はメイサの行動に対し、不思議そうに首を傾げた。メイサはそれに答えず、悠に密着するように近づいた。そして、無言で悠の左手を握る。
「め、メイサ先輩?」
悠は瞠目して、何かを察したのか、それとも単純にメイサと距離が近くなったからか、頬をほんのりと紅潮させた。そして、メイサは悠に顔を近づけてゆっくりと瞳を閉じた。
(よし、完璧。あとは悠が気づくかどうか…。)
ちなみに、攻め方に詳しく交際経験のあるメイサだが、まだキスはしたことがない。交際していたといっても小学生の頃だったので、そういった欲求や知識はあまりなかったのだろう。
「…メイサ先輩? 頂上着きましたよ。目を閉じていたら見えませんよ?」
するとしばらくして、そんな彼の落ち着いた声が聞こえてきた。
メイサは遺憾の意を顔に出さないようにして、徐に目を開けた。
(やっぱ、悠にキスは早すぎたかな…。まぁ、アタシも実際にはしたことないけど…。)
俯いたまま、心の中でそう呟いたメイサ。顔を上げようとしたその時、体がグッと力強く引き寄せられた。客観的に見て、これは悠に抱きしめられている、とメイサが気づいたのは、数秒経ってからのことだった。
「…僕もそんなに鈍感ではないので、メイサ先輩の言いたいことは分かります。けれど、それは僕にはまだハードルが高すぎるので、これくらいで許してください。」
耳元で、小さいが故に掠れた調子の、どこか普段とは異なる声色でそう囁かれ、メイサは悠の肩口に真っ赤になった顔を埋めた。
「…悠…。けど、もう少し経ったら、してね。約束よ。」
悠の前の台詞の返事として、メイサも艶のある声を出し、そう伝える。なんだか、この前の会話を知らない人がこのセリフだけ聞くと、キス以上のあらぬことを想像しかねないな、とメイサは自分で発していて恥ずかしくなる。
すると、悠はメイサの言葉に対し、首をこくりと下に振った。どうやら、恥ずかしくて言葉にはできないらしい。
メイサと悠は、ゴンドラが地上に近づき、スタッフに支えられるまで、喋らず抱き合ったままでいた。
そうして観覧車から降ろされる二つ前くらいで、他の人の目があることに気づいた悠は、慌ててメイサから体を離した。メイサは悠の温もりが名残惜しかったが、人前で抱き合っているのはメイサとしても恥ずかしいので、再び抱きつくのはやめた。観覧車から降りた後、面映さ故、顔を逸らして一言も交わさずに駐車場へ向かった。




