3ハイテンション・葵
その日の放課後。授業が終わり、平生のように、光姫、メイサ、杏哉、悠は他愛もない話をしながら、車の心地よい揺れを感じ、四人の家へ向かう。車内では、いや、登下校中に限らず、四人集まった時、まず初めに話題を提供するのはメイサだ。
今日も、いつものように話を振り、五分くらいその話で盛り上がっていたところで、あることに気づいた。悠の様子がどこかおかしい。さっきからソワソワしているようで、会話に参加できていない。
「悠? どうかした?」
「えっ…、ななな、なんでもない…ですけど。」
悠はメイサに声をかけられると、双眸を見開いて顔の前で両手をぶんぶんと振った。明らかにおかしい。絶対、何かを隠している。だが、否定するということは彼はその〝何か〟に触れてほしくないのだ。それなら、わざわざ深掘りすることはない。空気を読むことは大切だ。メイサは平素から、あくまでそういうスタンスでいる。
「そっか。じゃあさー、さっきね、『きのこの山』と『たけのこの里』がどっち派か話してたんだけど、悠はどう?」
「えっ、そんな今更なこと話してたんですか。この二択って、会って間もない頃に自己紹介で話すやつですよ。まぁ僕は…たけのこの里、ですけど。」
「悠も⁉︎ 嬉しっ、アタシも『たけのこの里』なの! 絶対『たけのこの里』の方が美味しいのに、お姉様と杏哉ったら、『きのこの山』派なのよ! 信じられないわ。」
思わずメイサが熱くなって語ると、悠は微妙な面持ちで苦笑いした。その苦笑いも、なんだか不自然だった。
屋敷に到着し、夕食を食べ、入浴を終えた後。光姫とメイサはお風呂上がりにダイニングルームにやってきて、ソファに座り、今朝結んだ、光姫のリボンの話をしていた。
「それで、そのリボンはどうだったの、お姉様。周りから好評だった?」
「ええ。好評だったんですが、それはもう、ものすごく驚かれました。私の友人の白城さんたら、私が好意を抱いている人ができた、と勘違いしたんです。説得するのが大変でした。それに、いつもは隠れているようで、今日初めてお会いしたのですが、私のファンクラブの皆さんも飛び出してきて、質問攻めに遭いました。心なしか、カメラのシャッターを切る音もたくさん聞こえたような気がして。はぁ〜、今日は本当に疲れましたねぇ。」
眼前でため息をついている光姫の話す内容に、メイサは思わず笑顔を引き攣らせる。いつもは隠れており、常にカメラでシャッターチャンスを狙っているという、ファンクラブ会員。もはやストーカーではないか。
「で、でも、たまにはおしゃれしてみるのも楽しいでしょう?」
「そうですね。メイサさん、またお願いします。」
すると、光姫は偽りのない満面の笑顔でメイサの言葉に首肯した。
「もちろんよ。あ、リボンはすぐにとったらまた話題になりそうだから、しばらく取らない方が得策ね。ううん…卒業までつけておいた方がいいかも。」
メイサは一日でリボンを取ってしまったら、「あの超絶美人の光姫が失恋した」なんて噂が流れかねないと真剣に考え、そうアドバイスした。光姫は眉を下げながら微笑むという複雑な表情で、「分かりました。」と首肯した。姉妹水入らずで――血の繋がった本当の姉妹ではないのだが――幸せな時間を過ごしていると、
「あのぅ…。」
と、いったん会話が途切れた所で、背後から弱々しい声が聞こえた。会話に熱中していたために気づかなかったメイサは思わず飛び上がり、バッと後ろを振り向く。光姫は彼から感じる能力で、近づいてきていることに気づいていたのだろう。突然声がしたのに、驚く様子は皆無だった。
「悠…どうしたの?」
「…あの、メイサ先輩とお話が…したくて…。」
悠がボソボソと呟くようにそう言うと、光姫は気を害する様子もなく、
「まぁ、そうでしたか。それなら私は邪魔ですね。先に失礼させていただきます。おやすみなさい。メイサさん、悠さん。」
と、微笑みながら去っていった。
「あっ、ええ。おやすみ、お姉様。」
「あ…す、すみません。割り込んでしまって…。…おやすみなさい、光姫先輩。」
メイサと悠は彼女の背中に向けて、それぞれ挨拶を返した。
「…でー、話って何? 悠。」
光姫の足音が遠ざかるのを待ってから、メイサはソファの背後につったままの悠に問うた。そして、隣に座るよう促す。悠はメイサの隣に座ることに逡巡しているのか、立ち往生していたが、しばらくして、おずおずとメイサの隣に腰掛けた。
(ま、まさか告白…? いや…違うか。クリスマス・イブに告られるんだから。)
しかし、未来が変わることは十分にあり得る。メイサが告白される未来を知ったことで、過去のメイサの行動が変わり、悠の気持ちが変化したことも考えられなくもない。だが、メイサは決定的に何か行動を起こしたわけではない。悠が告白を早めようとするのは考えにくい。
「あの…大したことじゃ、ないんですけど。…今日、なんで僕の教室に来たんですか? 何か用でもあったんじゃ…。」
なんだ、そのことか。メイサは思わず拍子抜けした。帰りの車内でもモジモジしていたが、これが原因だったなんて。だが、理由を話せと言われても、未来予知のことを話すわけにはいかない。メイサは思わず言葉に詰まる。
「ああ…そのこと。えっと…ふ、普段の悠の様子を…見に…。」
「僕を見に? なんで突然…?」
「いや…悠ってさ、友達の話、全然しないじゃない? だからちゃんと友達と話せてるのかな、って心配になって…。」
我ながら苦し紛れの言い訳だ。これでは、メイサが悠のことを「ぼっち」だと思っているようではないか。メイサの失礼極まるセリフに幻滅したりしないだろうか。
「メイサ先輩…! そんなこと考えてくれてたんですか。ご心配、ありがとうございます。」
すると、悠はパッと表情を明るくし、メイサの考えもしなかった言葉を発した。言い訳で咄嗟に考えついたセリフだったのに、本気にされ、更に感動されては居心地が悪い。伏し目がちになっていると、悠が徐に口を開いたので、メイサはのっそりと顔を上げた。
「確かに…僕は単独行動が多いです。けれど僕は内部生ですから、数人ではありますが、信頼できる小学生からの友人はいます。」
先ほどの言葉は言い訳ではあったが、悠が「ぼっち」なのではないかと心配していたのは本気なので、メイサは少しホッとし、胸を撫で下ろした。
その後、もう少しで十時を回るので、悠は自分の部屋へ戻った。メイサはというと。
そろそろ元三ツ星シェフの菊乃さんが、使用人に作った夕食の片付けを終え、台所から出てくるはずだ。もちろん菊乃さん以外にもシェフは二人いるので、共に出てくるだろう。そのタイミングを見計らい、メイサは台所前で待ち伏せしていた。
「ふぅ〜、やっと終わったわね。二人とも、今日も一日お疲れ様。」
するとその時、中高年の穏やかな女性の声が響いた。彼女が菊乃さんである。
その後に、アラサーと思われる女性の声が続く。
「今日も疲れたね〜。でもやっぱ、能力者ってこと隠さなくていいのは本当ありがいわ〜。」
彼女は菊乃さんの、年の離れた十歳年下の妹。
そして菊乃さんの妹の後に、若い溌剌とした女性の声が響く。
「だよね、叔母さん。主人様も優しいしね。そういや、最近側近の子たち来たじゃん? あの子たちとは、まだ全然話したことないよねー。もちろんみんなと仲良くなりたいけどぉ、特にさ、あのメイサちゃんってこと話してみたいよね。」
こちらの若い女性は、今年二十歳になったという、菊乃さんの娘だ。必然的に、運転手の島光さんの娘でもある。島光葵という名前だったはずだ。
「確かに。三人のうち、女子はあの子だけだし、なんせ、メイサちゃん可愛いしね。」
葵の言葉に、葵にとっての叔母はそう相槌を打つ。
(…アタシのこと話してる…。なんてタイミングの良さ…。いや、タイミングいいのか? これは…。)
自分の話題なため、メイサは彼女たちの前に出るタイミングが掴めず、彼女たちから見えない場所で隠れていると、
「って、噂をすればメイサちゃん⁉︎」
突然、視界に双眸を大きく見開いた葵がいた。葵はカールのかかった茶髪を高い位置でポニーテールにし、その大きな瞳は切れ長く、ガラス玉のように澄んでいる。
なぜバレたのか。あの場所からは絶対に見えない位置にいたのに。
「なんで分かったかって? だってうち、パパの子供だもーん。パパはね、守光神家と家柄が近いから、近くに能力者がいれば気づけるんだー。あーでも、守光神家とは遠目のママの血も混じってるから、パパみたいにすぐに気づいたり、遠くにいても分かる、ってのは無理だけどねー。」
と、葵はメイサの心を読んだかのように、そしてその所以までベラベラと語る。
「あ、知ってるだろうけど、改めまして、私、島光葵。これからよろしくぅ。仲良くしてね、メイサちゃん。」
「は、はい。よろしくお願いします。」
「で、メイサちゃんはなんでこんな遅い時間にダイニングにいるの? うちらのこと待ってたの? え、え、なんでなんで?」
簡単な自己紹介を交わした後、メイサもどちらかといえば同じタイプなはずなのに、思わず引くほどにハイテンションな葵は、メイサにグイッと顔を近付け、理由を求めた。
「実はアタシ…菊乃さんに、美味しいスイーツの作り方を教わりたくて…。」
「へ〜! ママいいなぁ。メイサちゃんに求められてぇ。ねぇメイサちゃん。美味しいスイーツの作り方なら、うちでも教えられるよ〜! なんたって、ママの娘だもんね! ママから極秘メニューだって教わってるんだから! ねぇママ、メイサちゃんに教えてもいいよねー?」
と、呆れるほどに良く舌の回る葵は、後ろからメイサたちの様子を見ていた母親にそう尋ねた。すると、菊乃さんは穏やかな笑みを浮かべ、頷いた。
「ええ、いいわよ。けれど、あんまりメイサ様を困らせたらいけませんよ。」
菊乃さんから発せられた〝メイサ様〟という単語を聞き、そういえば明光さんを除く使用人よりも、メイサら側近の方が立場が上だということを思い出した。
「わかってるよ〜。だって! メイサちゃん! ってことでぇ、今週の日曜日、朝からたっぷり時間かけて秘伝のスイーツレシピを伝授するから、一緒に作ろ〜?」
葵は瞳の横でピースを作り、三日月のように瞳を細める。
「はい、お願いします!」
葵の誘いに、メイサは期待に胸を膨らませ、満面の笑みを浮かべて首肯した。早口なところは除き、強引なところなど、彼女はメイサと似た性格の持ち主だ。メイサは今、彼女と一緒にいて心地よいので、すぐに仲良くなれそうだと思った。
「あ、そうそうメイサちゃん。お互い敬語はなしね。いやぁ、本来ならばうちの方が立場下じゃん? だからうちが敬語使わなきゃいけないんだけどぉ。けどさぁ、メイサちゃん含め側近の子達みんな年下だしぃ、メイサちゃんの性格的にも馴染みやすそうだから、タメ口で話そ。ね?」
「そうね、葵。アタシも、葵とは仲良くなれそう。」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ。そして早速呼び捨てかい、お嬢さん? いいねぇ、うちもメイサって呼ぶ!」
そう宣言し、葵はニッと魅力的な笑いを浮かべた。メイサも同じように笑みを作って返す。
その後、葵は菊乃さんたちと共にダイニングルームを出て行き、メイサも自室へ戻った。
結論、葵のハイテンション&それについていけるメイサの高度なコミュニケーション能力の組み合わせにより、二人は初日から仲を深めたのだった。
メイサは自室に戻り、寝巻きに着替えると、ドサっとベッドに横になった。
(…今日は悠のいいところは見つけられなかったけど、悠にとってアタシがどれだけ特別なのか、ってことは知れた…。それに、葵とも仲良くなれたし。ふふ。)
メイサはベッドの上で、瞳を閉じて心の中でそう呟いた。自然に口角が上がる。
コンコン
その時、ノックの音が聞こえた。




