12ハーフ
「そんな大層なもんじゃないよ、僕らは。ただの〝ハーフ〟だ。」
言い切ると、炎はお決まりのように垂れ目の赤茶色の双眸を細め、ふんわりと微笑んだ。
だが、その言葉の意味を理解しているのは不知火兄妹のみ、いや、早くも車内を隅々まで探索し終え、炎の膝上で足をブラブラさせている花火は、分かっているのかいないのか微妙なところだが。
「ハーフ?」
暫時の静寂の後、杏哉が訝しげに眉間のしわを寄せて、話の口火を切った。
「あぁ、ハーフだ。能力者と無能力者のね。僕の母さんは無能力者で、父さんは能力者なんだ。僕には能力が遺伝
しなかったけど、花火にはした。それだけの話だよ。」
あまりにあっけらかんと炎が話すので、光姫たちは一瞬、それだけだったのか、と納得しかけた。だが、よくよく考えてみれば、いや、よく考えなくとも、これは一大事だ。
「え…能力者と無能力者が結婚したの…?」
メイサが瞠目して唖然としながら、呟くように炎に問うた。
「そうだよ。父さんと母さん、今でもすごく仲良くてさ。見てるこっちが恥ずかしくなるくらい。」
すると、これまた平然と言葉を返す。さらには、両親のラブラブ事情まで付け足す炎。
「お、お互い知ってるんですよね?」
今度は、メイサに変わって悠が前のめりになって炎に尋ねた。
「ああ、当然知ってる。君たち、常識に囚われすぎじゃない? 確かに世間では能力者と無能力者は敵対してるけど、お互い同じ人間なんだからさ。恋くらいしてもおかしくないでしょ。」
「えー…。」
あっけらかんと、いや、むしろ説き伏せようとする炎に、質問した悠を初め、その場にいた不知火兄妹以外の全員が絶句した。運転席で口を挟まずに光姫たちの会話を聞いていた、瞠目している島光さんも含めて。
「…あ〜あ。というかさ、みんないいなぁ。この場にいる僕以外は能力持ちって訳でしょ? 僕も能力者に産まれたかったよ。両親のうち片方だけが能力者だったとしても、能力者の息子って時点で追われる身なのは一緒なんだからさ。僕には能力が遺伝しなかった、なんて、いくら説明したって聞かないだろうし。だからさ、どうせなら、僕も花火みたいに炎を掌から出してみたかったんだよね。ほんと、羨ましい。」
静寂を埋めるように、炎は自分の理想を語り、光姫たちに羨望の眼差しを送った。それを受け、光姫たちは複雑な気分になる。光姫も『能力者でなければハンターに怯えることなくのびのびと暮らせるのに』と思った回数は片手では数えられないほどある。だが、炎のように実際には能力を持たないのに日々ビクビクしながら生きるのは、光姫なんて比較にならないくらい、さぞかし不服だろう。周りを見ると、メイサも悠も杏哉も、皆が頭を垂れ、伏し目がちになっていた。
「あ、ごめん…。不謹慎な言葉だったよね、僕は能力者になったことなんてないのに…。」
皆の様相の変化に気がついた炎は、慌てて両手を合わせて必死に謝罪した。
「いえ…炎さんは悪くないです。」
光姫は彼の発した発言に、否定の言葉を一言返したが、それ以降は続かなかった。
暫時、吐息が聞こえる程の、凍てつくような静寂な沈黙が続いた。
皆が俯き、発言する言葉を選んでいる様子だ。その時、
「ねぇ、おにいちゃん。なんでみんな、かおいろがくらいの?」
一人、この状況を飲み込めていない花火が、場違いに明るい声で炎に問うた。
「あ…花火、えっと……な、なんて言えばいいか…。」
「おにいちゃん、そもそも、メイサちゃんとゆうくん以外の二人は、花ちゃん、しらない人だよ。だれ?」
彼女の言葉を受け、今更ながらに、光姫と杏哉は花火に自己紹介をしていなかったことを思い出した。
「改めまして、初めまして、花火さん。申し遅れました。私は中学三年生の守光神光姫という者です。」
「みつき、ちゃん?」
光姫は花火の元に近寄り、しゃがんで花火に目線を合わした。花火は光姫の顔を見つめ、首を傾げながら名前を復唱した。
「ええ、みつきです。よろしくお願いします、花火さん。…どうかしましたか、花火さん?」
光姫が花火の顔を覗き込むと、幼い彼女は、そのパッチリとした大きな瞳を爛々と輝かせ、口を半開きにしたまま、光姫の顔を穴が開くほど眺めていた。
「みつきちゃん、きれい…! かわいい…!」
「えっ、ええ?」
花火の飾らない直接的な言葉に、光姫は思わず尻込みし、その羽二重肌の頬にはほんのりと赤みがさした。
「そ、そんなことないですよ。花火さんもとても可愛いです。」
光姫は照れながら、本音なのか謙遜なのか分からないが、花火に天使のような穏やかな微笑みを向け、同様に花火のことを褒めた。
光姫の本心からの言葉かどうかはさておき、メイサ、杏哉、悠は思った。なかなかに無理のある謙遜である、と。確かに花火は愛くるしく可愛いが、それは小学一年生だからこその可愛さなのであって、光姫の可愛さとは大いに異なる。
「ほんと? やったぁ。」
光姫に褒め返され、花火は眩しいほどの笑顔を浮かべ、両手を挙げて喜んた。周囲から見れば、光姫の先程の言葉は謙遜にしか映らないのだが。
するとその時、炎がゴホンッと大きな音を立てて咳払いをした。
「えー…っと皆さん、そろそろ僕たち帰ってもいいかな〜?」
炎は語尾を伸ばし、左手に巻いた腕時計をチラッと一瞥しながら、おずおずと尋ねた。そして、炎は愛おしそうに膝の上に座る花火を見やる。その様子を見て、光姫はまだ幼い花火には門限があるのかもしれない、という考えに思い至った。
「すみません、長いこと引き止めてしまって。…あの、最後に、花火さんのことなんですが、」
『花火を保護し、監視するために彼女を光姫たちの仲間に迎え入れたい』、そのセリフが光姫の口から出る前に、炎は険阻な顔を光姫に向け、被せるように話し出した。
「何? 花火を君たちの仲間に入れて守るとかそういう? もしそうならば、お断りさせていただくよ。花火は僕が守るから大丈夫。最愛の妹を、杏哉はともかく、今日面識を得たばかりの人たちには任せられない。例え、あなたが当主様だとしてもね。」
彼は言い終えると、訝しげに光姫をギロリと睨んだ。普段はその包み込むような垂れ目の赤茶色の瞳を細め、柔らかい笑みを絶やさない炎だが、相変わらず彼は最愛の妹・花火のこととなると態度を豹変させる。
「…そうですか。わかりました。」
光姫は炎の豹変ぶりにも慣れ、従容として迫らず、毅然として応答した。
「炎。以後、俺たちは花火には一切関わらない、ってことでいいんだな?」
すると、ずっと口を閉じていた杏哉が炎に確認を取った。
杏哉の問いかけに、炎はにこやかな微笑みを浮かべて首肯した。
「うん、それでいいよ。あ、あとさっきおもっきり睨んじゃってごめん。花火を守る、って思ってくれてたのに。流石に僕が悪かったよ。…それじゃ、皆さん、さようなら。杏哉はまた明日。バイバイ。」
炎は杏哉、光姫、メイサ、悠に右手を振り、左手で花火と手を繋いで車を降りていった。
「…何あいつ、感じワル。いや、第一印象は良かったんだけど、花ちゃんの話が出た途端にあの様じゃねぇ。確かに花ちゃんは可愛いけど、シスコンって怖いわ〜。」
車を出発させてしばらく経ってから、メイサが沈黙を破るようにして炎の毒を吐いた。だが、それに受け答えする者はいない。皆、なんと返事するべきか分からないのだ。ただ一人、元から炎の性格を知っていた杏哉は、皆の反応を目の当たりにして苦笑いしていた。
「あ、そういえば。みんなって兄弟いるの? お姉様の妹は私だけって分かってるんだけど…。ちなみに、アタシも一人っ子。杏哉と悠は? 今更だけど、今まで聞いたことなかったわね。」
メイサは慌てて、自ら作ってしまった重々しい空気を変えようと、精一杯明るい声を出して話題転換をした。
「俺は…一つ下の妹と、それから三つ下の弟がいる。」
「えっ! 杏哉ってお兄ちゃんだったの⁉︎ しかも妹さん、お姉様と同じ年齢! 弟さんは悠と同い年ね。じゃあ、お姉様と悠って、杏哉にとって妹&弟的存在だったってこと?」
メイサがニヤニヤしていると、杏哉は頬を紅潮させながらメイサをギロっと睨んだ。
また、杏哉はその後、妹と弟はこの学園ではなく、地元の国立に通っていることを教えてくれた。元々杏哉もそこに通っていたらしい。国立同士では、どの地域でも転校が可能なのだ。
「悠は?」
「…僕には、五つ下、小学二年生の弟がいます。」
「小学二年生か〜、じゃあ花ちゃんと歳が近いのね。だからさっき、花ちゃんと空人くんに話しかける時、話し下手のくせに『お外を見てごらん』なんてお兄さんぶった言葉が、すらすら出てきたわけね。」
「やっ、やめてください。」
メイサに口調を真似られ、悠は伏し目がちになって耳たぶを赤くした。その様子を見て、メイサは意地悪そうに片頬だけ吊り上げて笑った。
その後、光姫の屋敷に着くまでの間、メイサは杏哉と悠に兄弟について様々な事を尋ねられた。もちろん、話し上手で饒舌のメイサは、一人っ子の光姫にも話題を振り、その場にいる四人、さらには運転手である島光さんまでも含め、誰一人として置いてきぼりにされたり、暇になったりすることはなかった。




