10メイサへの意識
「花ちゃんね、ずっとガマンしてたんだよ? ママとパパに『おそとで〝のうりょく〟をつかってはいけません』って。けど、みんなが〝のうりょくしゃ〟はだれもがわるいんだっていうから…おさえきれなくて…。」
空人の話が終わると、花火は早々に愚痴を漏らした。そう、あの時、花火が顔を歪ませていたのは、能力者が理由もなく無能力者を襲うだの、能力者は人間ではないだの、真実とは異なる無茶苦茶な酷いことを言われて、複雑な思いをしていたからだったのだ。
(それにしても…、これはアタシ…、)
(これはもしかして…メイサ、何か勘違いされているような…、)
そう、あれだけ気になっていた、花火が能力を使った理由なんてどうでも良くなるくらいに、二人は冷や汗をかいていた。その理由は、
「花ちゃん…、アタシ、誰だと思ってる?」
「え? はるとくんのおねえちゃんでしょ?」
この花火の返事からもわかるように、空人の話に出てきた、〝はると〟というらしきクラスメートの姉・芽衣と、メイサが人違いをされていると分かったからだ。
「…ごめん、花ちゃん。アタシ、月輪〝メイサ〟なの。芽衣ちゃんじゃないわ。」
すると、花火の顔が石化したかのように硬直した。空人も呆然としている。
「…と、いうことは…アタシ、メイサちゃんに、自分から〝のうりょくしゃ〟だってこと…、」
しばらくして、花火はワナワナと体を震わせ、ブツブツと呟いた。瞳には、いつかの日と同じように、どんどん涙が溜まっていく。
「は、花ちゃん、聞いて。確かにアタシは芽衣ちゃんじゃないけど、アタシ…ううん、アタシたち……能力者だから!」
メイサは、こんな幼い子が泣いている姿を見たくなくて、勢い余ってそう言ってしまった。
「ちょ、ちょっとメイサ先輩⁉︎」
突然の告白に、花火が反応する前に、悠が慌てる。確かに花火は同じ能力者だけれども、隣には空人もいる。信用はできるが、それでも無能力者にバレたとなると、歯の根が合わない。
「…ホント?」
花火が、雲から日光の希望の光が差し込んだように、目を腫らしながらも、雨上がりのお花畑のような、眩しい笑顔を浮かべた。
「ええ、本当よ! そうだ、悠。雨とか降らせて、見せてあげなさいよ。」
「な、なななんで僕が! 言い出したのはメイサ先輩なんですから、メイサ先輩が見せてあげればいいじゃないですか! 僕は嫌です!」
「相変わらず弱虫ね! そんなに怖い? いいじゃない、少しくらい。アタシは物理的な能力は持ってないんだから、能力者だってことを証明する分には、悠の能力の方が向いているわ。」
メイサと悠は、花火に聞こえないように小声で囁き合う。
「メイサちゃん? ゆうくん? なあに、ケンカしてるの? メイサちゃん、ゆうくんに相談せずに〝のうりょうしゃ〟だって言っちゃったから、ゆうくんおこっちゃったの? だいじょうぶだよ、ゆうくん。花ちゃんはもちろん、空人もだれにもいわないよ。」
花火と、花火の言葉に首肯する空人に微笑まれ、悠はうっ、と尻込みする。小学一年生二人にあどけない笑顔を向けられ、悠は空人を信用できずにいる自分が恥ずかしくなった。
「…花ちゃん、空人くん。お外を見てごらん。今、どんな天気かな。」
悠は花火と空人にそう言うと、運動場の見える窓を指差した。
「天気? くも一つない、かいせいだよ。」
「うん、花のいうとおり、すっごくいい天気。ゆうくん、天気がどうかしたの?」
空人に尋ねられ、悠は人差し指を唇に当て、口角を上げた。
「よ〜くお外を見ていてね。一瞬の間だけ、大雨が降るから。」
「いっしゅんだけ、大雨がふるの?」
「そうだよ、空人くん。だから、目を凝らしてよく見てるんだよ。」
悠の言葉に、二人は素直にこくりと頷き、窓の外を見つめた。
三秒くらい経った頃だろうか、
ザーザー
唐突に、本当に突然だった。普通、雨は初めは弱く、だんだん強くなっていくものだ。けれど、目と鼻の先に見えるこの雨は、そんな段階的な要素を一切見せず、ゲリラ豪雨の如く降り出した。そしてその三秒後、それまでの大雨が嘘のように止んだ。
「どうだった? これが僕の能力。」
悠は能力を止めると、花火と空人にニッと笑いかけた。二人は案の定、無邪気で無垢な瞳を輝かせ、
「すごいや! ゆうくんすごい! 雨を降らせられるなんて! ねぇ花!」
「うん、すごい! ゆうくんは水をあやつれるんだね! 花ちゃんの火も、ゆうくんにけされちゃうじゃん! …けど、ほんとうに〝のうりょく〟つかってよかったの?」
「よくはないけど…まぁ、大丈夫。花ちゃんは気にしなくていいよ。」
空人と花火に褒め称えられた後、花火は不安そうに、悠の瞳を見つめた。やはり彼女も能力者の常識を持ち備えてはいるようで安心した。悠は幼い彼女に心配をかけないよう、わざと明るく、平気に見えるように振る舞う。
「…ちょっと悠、さっき使った能力、そこそこ強かったんじゃない? 花に『大丈夫』って言ってたけど、色んな意味で、本当に大丈夫なの?」
メイサは悠の耳元でそう囁いた。悠は彼女の吐息が耳にかかり、慌ててメイサから距離を取った。けれど、メイサは悠の取った行動の意味が理解できないのか、きょとんと首を傾げる。この無自覚め、と悠は心の中で呟く。
そう、メイサの言う通り、悠は先ほど、全力の半分ほどの能力を駆使した。限界の半分を費やして三秒間の土砂降りなのだから、身をもって自分の能力の弱さを実感させられる。いや、これでも平均的なのだから、あんまり思うと、メイサなどの悠よりも能力が弱い能力者たちに失礼だ。
「まぁ、全力の半分くらいですけど、こんなに強い力を使うのは久しぶりかもしれません。けど体調は大丈夫です。それよりもハンターのことが心配ですけど……この学園に能力者がいることは既にバレていますし、少しくらいなら構いませんよね…?」
「何よ、珍しく強気だと思ったら、なんで最後アタシに問いかけるの。構わないと思ってるのか、思ってないのかどっちなのよ。」
メイサは悠の行動にクスクスと笑う。悠は彼女に何か言い返してやろうかと思ったが、やめた。別に睨まれているわけでもなく、ただ悠のした行動が面白いと思って笑っているだけだ。そこには悪意も何もない。悠の脳内でそんな綺麗事が紡がれる中、本心では、
(…メイサが上品に笑ってるところ、すごい可愛い……。)
先ほど杏哉に指摘され、もしかしたら自分はメイサのことが好きなのでは、と心の奥底で思い始めた悠は、さっきから、どうしてもメイサを異性としか見られなくなっていた。そうなってみて、改めてメイサをよく眺めていると、あろうことか、百合の花のように微笑む、メイサの笑顔に見惚れてしまった。今まで、彼女がこんなにも可愛いということに気づかなかっただなんて、自分はバカだ。そう、彼女の微笑む姿はまるで、満月前後の明るい月の周りに見える、大きな光の輪―「月輪」のように神秘に溢れ的な美しさを放ち、それはそれは魅力的だった。
「悠? どうかした? 顔赤くない?」
「なっ、なななんでもありません!」
気がつけば、目の前にメイサの顔があり、悠は慌てて飛び退いた。メイサの行動が大胆なのはいつものことだが、今は本当に勘弁してほしい。また、それは同時に彼女が悠を異性として、男として見ていないことを表しており、悠は少し胸がキリキリと痛んだ。
「あのぉ…、」
鈴の鳴るような可愛らしい声がその場に響き、悠はハッと我に返った。先ほどから置いておかれている花火と空人が、呆然としてメイサと悠を見つめていた。
悠は気づく。きっと先ほど、メイサに反応して悠の顔が紅潮していたことも二人に見られていただろう。やっと冷め始めた顔が、再びカアッと熱くなった。
「あ、ごめん、二人とも。」
悠が色々な意味で恥ずかしさに耐えられなくなり、両手で顔を覆っている中、メイサが花火と空人に謝ってくれた。
「ううん、へいき。それよりも、メイサちゃんとゆうくんこそ、だいじょうぶ? さっき空人と、そのことはなしてたんだけど。」
「ん? なあに?」
「じかん。」
キーンコーンカーンコーン キーンコーンカーンコーン
メイサが聞き返し、花火が一言答えたそのタイミングで、まるで図ったかのようにチャイムが鳴り響いた。聞き慣れたその音に、メイサと悠は互いに顔を見合わせ、状況を理解した。今のチャイムは予鈴、つまりあと五分で本鈴がなる。本鈴までには席に着いていないといけないのに、今二人がいる場所は小学校。中学棟までは多少の距離がある。二人は一斉に青ざめた。
「ゆ、悠っ、早く行かなきゃ! お姉様と杏哉は今もまだ小学生たちに囲まれてるのかしら、もしそうなら廊下にいるはずよね。あぁ〜!」
「そ、そうですね…。あ、えっと、花ちゃん、空人くん、色々話してくれてありがとう。そうだ、花ちゃん、今日の放課後、四時半までこの教室に残っていられる? もしできたら残っていてくれると嬉しい。僕ら、また来るから!」
悠は帰り際、教室のドアから一瞬顔を出し、花火に伝えた。
「わ、わかった!」
花火はそう言ってこくりと頷いた。悠はありがとう、と花火に向けて叫ぶと、メイサを追いかけて廊下を走った。案の定、光姫と杏哉は予鈴が鳴るまで小学生たちに囲まれていたらしく、廊下の端でヘトヘトになっていた。
「お姉様、大丈夫⁉︎ 疲れてる時に申し訳ないんだけど、いや、アタシのせいではないんだけれども、あと五分、死ぬ気で走らないと授業に間に合わないわよ! 特に杏哉! あと…お姉様、大丈夫?」
メイサは皆に警告したのち、光姫にかけより、彼女の体調を気にかける。すると、メイサは一瞬、光姫の体が黄金の薄い膜に包まれるような錯覚を覚えた。彼女の表情が先ほどより明るくなったのを見ると、どうやら、彼女は光の能力を使い、自身の体を癒したようだった。
悠はそのタイミングで、先ほど花火と放課後の約束をしたことを三人に話し、授業が終わった後、昼休みに集まった小学校の銅像前で集合することになった。
「…みんな、覚悟はいいかしら?」
メイサは三人の瞳を順々に見つめ、確認をとった。光姫が回復し、花火との約束も伝えたとなれば、一刻も早く、各自教室へ戻らねばならない。そして、四人の中でも特にまずい状況にあるのが杏哉だった。杏哉はこのメンバーの中の唯一の高校生であり、高校棟は中学棟のさらに奥にある。
四人は腹を決めると、外靴を手で持ち、上靴のままアスファルトの上を疾風の如く駆け出した。その甲斐あって、悠、メイサ、光姫は本鈴ギリギリでなんとか間に合い、杏哉も自慢の足で本鈴前に教室に着くことができた。