9回想ーー〝のうりょくしゃ〟は怖い?
それは、今から三ヶ月ほど前の、九月のことだった。
事は生活の授業、つまり小学三年生から〝社会〟という科目になる授業で習ったあることが契機だった。
「えー、みなさん、能力者について聞いたことはありますよね? ほら、絵本とかにも沢山描かれているでしょう? 今日から野菜の収穫以外の生活の授業では、そんな能力者の生態について、詳しく説明していきます。能力者は我々と同じ姿をしていますが、中身は全く別です。大前提として、能力者は、我々人間とは別の生き物ということを覚えておいてください。彼らは古くから人智を超えたその能力で、私たち人間を痛めてきたのです。」
「せんせー、でも〝のうりょくしゃ〟なんて、みぢかにいないよ〜?」
先生の言葉に反応し、空人は手を挙げてそう発言した。小学校に入学する際、親から〝のうりょくしゃ〟に気をつけろだかなんだの言われたことがあるが、そんな恐ろしい能力を使える生物が近くにいたのなら、とっくに人類は滅びているはずだ。空人だって実際にこの目で見たことがない。すると、先生は肩をすくめて、
「それがそうとも言えないんですよ。このご時世は物騒で、能力者は捕まらないように、人間のふりをしているんです。能力者は見つかり次第、捕まえられるんでね。この教室にも能力者が潜んでいるかも、なんて!」
と、説明し、最後に一年生たちに脅しをかけた。
(〝のうりょくしゃ〟はこわいなぁ…。いまもちかくにいるかもしれないなんて…。)
空人は鳥肌のたった腕をさすりながら、隣の席の花火をちらっと見た。
(〝のうりょくしゃ〟たち、かくれんぼしてるんなら、花が〝のうりょくしゃ〟なんてこともありえるんだよね…。)
花火とは一ヶ月前の席替えで隣同士になり、彼女は積極的に空人に話しかけてきた。二人ともお喋りなのもあり、話してみると、とても気が合った。それから、花火とは親友になったのだ。
(…でも、もし〝のうりょくしゃ〟が近くにいたら、ぼく、おはなししてみたいな。だって、あんなすごい力もってるんだもん。この目で見てみたいよ…!)
チャイムが鳴った。
クラスメートたちが席を立ち、仲のいい友達の元へ散らばっていく。空人も椅子から立ち上がり、花火の近くに寄る。すると、花火の顔が悔しげに歪んでいるように見えた。しかし、隣に空人がやってきたのがわかると、彼女は、いつものように満面の笑顔を浮かべた。
(花? なんだったんだろう、ぼくのみまちがいかなぁ。)
そうだ、彼女がそんなマイナスな感情を露わにした表情をするはずがない。花火はいつでも喜色満面で空人と話してくれるのだから。空人は単純な頭でそう考え、瞳を輝かせて意気揚々と語りかける。
「花、さっきのおはなし、すごかったね! ぼく、〝のうりょくしゃ〟にあってみたいや! せんせいは〝のうりょくしゃ〟はおそろしいものだっていうけど、せかいは広いからさ、きっと、やさしい〝のうりょくしゃ〟もいるよ! こわい〝のうりょくしゃ〟でも、はなせばちゃんとわかってくれるよ!」
理想を語る空人の瞳は、快晴の空に浮かぶ太陽のように燦々と輝いていた。そんな空人を、花火は珍しい物でも見るかのように、目を白黒させて見つめている。
「花? どうかしたの?」
空人が花火の返事を待ち続け、数分経った。けれど、花火は空人をじっと見つめるだけで、なかなか言葉を発さない。いつものおしゃべりは、一体どこへ行ったのか。やはり、どこか具合が悪いのだろうか。
「空人は…やさしいんだね。ねぇ空人、〝のうりょく〟を見てみたいとおもう?」
すると、花火は優しい笑みを浮かべた後、平生と打って変わって神妙な顔つきで、空人に答えが決まりきっていることを問うた。
「うんっ‼︎」
空人は覚えている限り、今年が始まって以来、恐らく最も大きな声を出し、花火の赤みがかかった茶色い瞳を見据えて、大きくかぶりを振った。
初めて授業で能力者について習ってから、ピッタリ四週間経ったある日。
「やった! きょうは〝のうりょくしゃ〟についておしえてもらえる日だ!」
空人は一人飛び上がって喜んだ。週に一回ある生活の授業がやってきた。先週も先々週も先々々週も、生活の授業は屋上にある畑で野菜の収穫、つまり後の理科の授業の週だった。本来は交互に社会と理科の授業を行うのだが、野菜の面倒はこまめに見ないとならないため、二年後に社会となる授業は長らくお預けだった。
「やったね、花!」
空人は興奮して、隣の花火に同意を求めた。すると、花火はあの時と同じような歪んだ顔をしていた。もしかして、花火は能力者の授業が嫌い、つまり能力者が怖いのだろうか。
「もしかして花、〝のうりょくしゃ〟がこわいの?」
「ううん、こわいんじゃない。ただ…、」
ただ、何だろうか、空人がその続きを尋ねようとしたら、先生が入ってきて授業が始まった。念願の能力者について学べる時間。空人はそのことが嬉しくて、花火の様子がおかしいことなんて、頭からさっぱり抜けた。
その日の授業では、能力者には五つの種類がある事を知った。光、闇、火、水、緑。
(かぁっこいい! とくに、火をあやつる〝のうりょくしゃ〟なんて、わるいやつなんてバーってほのお出して、ギッタギタのメッタメタにできるじゃん!)
空人はこの間テレビで見た、怪獣の口から出る火を思い出した。怪獣は敵だけれども、もし味方ならば、どれだけヒーローが有利になることか。空人はそんなことを考えた。
「今日のはなし、こわかったね。いろいろしゅるいがあったけど、火があやつれる〝のうりょくしゃ〟なんて、出くわしたらワタシたちすぐにころされちゃうじゃん。」
すると、どこからかそんな言葉が聞こえてきた。空人の心臓に、グサッとナイフが刺さったような感覚を覚える。
「たしかに。〝のうりょくしゃ〟にあわないようにちゅういしなくちゃ。でもさぁ、なんで〝のうりょくしゃ〟はりゆうもなくわたしたちをおそうのかなぁ。」
はたまた、そんな声も。空人の心に刺さったナイフが、さらに深く突き刺さる。
空人は耳を塞ぎたくなった。確かに能力者は人智を超えた存在で、人間からすれば恐るべき生物かもしれない。けれど、姿形も全て人と同じで、知性も持つ。昔の時代に、能力者がむやみやたらに人を襲うなんてことが本当にあったのだろうか。人間が、自分達にはない能力を持つ能力者を恐れたせいで、〝能力者は怖い〟という考えで定着してしまった、なんてことも…。
「あ〜あ。〝のうりょくしゃ〟なんて、そんざいしなかったらいいのに。」
その言葉が決定打だった。空人の心に刺さったナイフが、心臓を突き抜けた。空人は彼らのもとに近づくと、
「やめてよ!」
と、叫んだ。いや、叫んだのは空人ではなかった。空人の喉元にも同じセリフが用意されており、いつでも言える準備ができていたのに。
そう叫んだのは、花火だった。
クラスメート全員が、呆然としていた。いつもお花畑のような笑顔でいっぱいの花火が、目を剥き、唇をかみしめて憤慨している。
「ど…どうしたの、花ちゃん。」
先ほど能力者の悪口を叩いていた三人のうちの一人が、恐る恐る言葉を発する。
「どうしたもこうしたもないよ! みんなひどい! なんでそんなに〝のうりょくしゃ〟をわるくいうの⁉︎」
一生懸命抗議する花火の両目が、うるうると潤んでいく。
「いや、だって〝のうりょくしゃ〟はわたしたちにとって害のあるそんざいで…。」
「そんなことないもん! いい〝のうりょくしゃ〟だって、たくさんいるもん!」
花火は今にもこぼれ落ちそうな涙を双眸に溜めて、大きく首を横に振った。
「な、なんでそんなことわかるの! なんで花ちゃんは〝のうりょくしゃ〟の味方なの⁉︎」
彼女も花火の勢いに負けず、言い返す。そして、
「………花ちゃん、〝のうりょくしゃ〟なの?」
と、訝しげに問うた。もちろん、彼女も本気で言ったわけではなかったのだと思う。花火に「ちがう!」と思い切り否定され、じゃあなんで、ともう一度聞くつもりだったのだろう。
それが、花火の衝撃的な一言によって、その考えはかき消された。
「…そうだよ。」
教室内が途端にざわつく。その時、先生はこの場にいなかった。そのためか、生徒は余計に慌てた。花火も、言ってしまった後で、ハッとした顔つきになっていた。
「じゃ、じゃあ、〝のうりょく〟ってのを見せてみてよ!」
信じたくなかったのだろう。彼女は強気に、花火にそう言ってみせた。花火はそれを受け、逡巡するような仕草を見せた後、こくりと頷いた。花火は右手を胸の前に持ってくる。
ボワッ
次の瞬間、その右手に小さな火の玉が浮かんでいた。
その場で硬直し、動けなくなるものもいれば、甲高い悲鳴を上げる同級生もいた。
そんな中、空人は体を震わせながら、花火をじっと見つめていた。
「せ、せんせー、よんでこないと! つかまえてくださいって‼︎」
そんな中、いつもクラス委員などのリーダーに積極的に立候補するクラスメートが、そう叫んだ。多数のクラスメートたちが、
「そ、そっか!」「せんせいよんでくればいいのか!」
と、その子の意見に賛成した。複数の同級生たちが教室から出て、先生を呼びに行こうとしている中、花火は呆然と掌に浮かんだ炎を見つめていた。火の玉は静かで、穏やかに燃えていた。それはまるで、諦観の境地のような、花火の心情を表しているようだった。
「は、花火! なにかいったらどうなの!」
先ほど、花火と言い争っていた彼女は声を荒らげる。突然名前が呼ばれて、花火はビクッと肩をふるわせる。けれど、花火は瞳に涙を溜めるだけで、何も言わない。彼女の綺麗な赤茶色の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた時、
「空人くんも、なんかいいなよ!」
と、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。クラスメートからも、空人は花火の最も仲の良い友達として認識されていた。親友が能力者だと知って、空人がどう思ったか。そんなの、言うまでもない。体の震えを見れば、言わずともわかるだろうに。
「花、すごい‼︎」
空人の言葉が教室中に響く。
そう、空人の身体の震え所以は、決して底知れぬ恐怖ではなく、気持ちが滾るような興奮であった。
その途端、今にも教室を飛び出ようとしていた、常にリーダーをやりたがる子を含めた数人が、足を止めた。
空人の言葉に、一拍遅れて、リーダー好きのその子は間抜けな声を出す。
「は?」
「だから、花はすごいよ! 花は火をあやつれる〝のうりょうしゃ〟なんだ! かっこいい!」
空人がいつものように瞳を太陽のように燦々と輝かせ、
「ほらね、いい〝のうりょくしゃ〟もいるんだ!」
と、声を張り上げて続けた。
空人の一言に、クラスメートたちが反応する。花火が能力者だと分かった途端、彼らは彼女を怖がり、恐れた。けれど花火は紛れもない、皆の知る笑顔が素敵なクラスメートだ。同級生たちは能力者だから怖い、という最近習った知識に押し負かされ、能力者というだけで花火を理由もなく非難した。暫時、沈黙が流れる。
「ねぇみんな、このままだったら、〝りゆうもなく〟人をおそうっておそわった、〝のうりょくしゃ〟と同じことやってることになるんだよ。それって、はずかしいとおもわない? 自分たちのことは、たなにあげてさ。」
空人は黙りこくっているクラスメートたちに、さらに追い打ちをかける。
すると、花火と言い争っていた彼女が、フッと口元を緩めた。
「…そっか、そうなんだ。花火はいい〝のうりょうしゃ〟なんだ!」
流石は小学一年生というべきか。まだ〝能力者が怖い〟という固定観念ができておらず、花火が能力者だと知っても、空人の言葉でいとも簡単に受け入れることができた。一人が花火のことを受け入れれば、後はもう、何も心配いらなかった。
「うん、ぜったいにそうだ! 花火は花火だもん!」
「ごめん、花ちゃん! ワタシたち、花ちゃんが〝のうりょくしゃ〟って分かっただけで、ひどい態度とっちゃって。」
クラスメートたちは次々に、花火に近寄って謝罪をしたり、〝能力者〟としても彼女を受け入れた。
「…みんな、ありがとう。…おねがい、なんだけど…花ちゃんが〝のうりょくしゃ〟だってこと、大人の人にはいわないで。パパとかママとかにも。花ちゃんさ、〝のうりょく〟をつかったこと、ハンターの耳に入ると、つかまっちゃうから…。」
花火はクラスメートに囲まれながら、呟くように必死にそうお願いした。すると、
「…花火ちゃん、じつはぼくのねえちゃん、〝のうりょくしゃ〟にあこがれてて。〝のうりょくしゃ〟に会うことが、ねえちゃんの幼いころからの夢なんだ。ねえちゃんはこの学校の中学生なんだけど、ねえちゃんにだけでいいから〝のうりょく〟を見せてほしい。おねがい、花火ちゃん。」
花火のお願いを受けた後、クラスメートの一人が花火の前に進み出て、顔の前で両手を合わせ、必死にそう願い求めた。
「いいよ。そのおねえちゃんが〝のうりょく〟のことだまっていてくれるなら。」
花火がそう言って笑顔を見せると、彼の顔は途端に明るくなる。
「ありがとう! ぼくのねえちゃん、芽衣っていうんだけど。じゃあ、またはなして、あいてるときに来るように言っておくねっ。」




