8花火、空人との対面
「お二人とも、何だかものすごい視線を感じません?」
突然光姫が後ろを振り返り、不審そうな顔で、杏哉と悠にそう尋ねた。光姫と同様に後ろを向いているメイサの顔も疑わしげだった。
そう、光姫は先ほどから、廊下のあちこちから熱い視線を感じていた。杏哉たちを振り返った拍子に後ろに目をやると、そこには目をギラギラと輝かせる一年生たちの姿が。この四人のメンツが集まっていたので、光姫はもしかするとハンター関連のものかと少々警戒していたのだが、まさかのギャップに拍子抜けする。
「あれって、しゅこうがみ みつき、さんだよね?」
「ぜったいそうだよ! あんなきれいな人、このがくえんに一人しかいないよ!」
「ほんとにかわいい、びじん…。あ、あいさつしたらかえしてくれるかな?」
そんな会話が光姫の耳に届く。どうやら、学園に入学してから半年しか経っていない一年生たちにも、光姫の噂は届いているようだった。彼らは顔や体つきでは男女の区別もわからないくらい、まだ幼く、可愛らしい見た目をしているが、話している内容は中学生・高校生の光姫ファンとほとんど同じだ。
なんとも言えない感情になりながら、光姫はとりあえず、棘が刺さるような視線を何とかしたくて、彼らに目を合わせ、にっこりと微笑みかけた。
「きゃー! しゅこうがみさんがわらってくれた…!」
「わ、わたしのほう、みてたよ!」
「ちがう、ぼくだよ!」
すると、彼らは誰が〝光姫に目を合わせられていたのか〟問題で揉め始め、光姫自身には先ほどまでの熱い視線は来なくなった。揉め事を起こしてしまったのは申し訳ないが、ひとまず目的地へと足を進める。光姫の存在感に改めて圧倒された三人も、呆気に取られながら後ろからついていく。すると、突然光姫が足を止めた。
「ここから、能力を感じます。」
光姫が立ち止まったのは、一年二組とかかれた看板のかかっている教室の前。
メイサが光姫の前まで歩いてきて、教室の中を覗き込む。はしゃぎ回っている子もいれば、静かに本を読んでいる子もいる。また、友達とおしゃべりをしている子の姿も。種々雑多な子供たちがいるが、誰もが皆、背丈が低く、ほっぺがまんまるで、とても可愛らしい。
「教室に上級生らしき子はいないわ。火の能力者は一年生だったみたいね。お姉様、どの子なの?」
メイサは他の人に聞こえないよう、光姫の耳元でそう尋ねる。すると、光姫は教室の前に視線を移した。視線の先には、教卓の周りで鬼ごっこをする子供たちの姿が。よくこんな狭い場所で走り回れるものだな、とメイサは呆れる。その子供たちは、ざっと数えて七人。そのうち一人だけが女の子であり、どうやらその少女がこの鬼ごっこの鬼のようだった。
「前の方で走り回っているあの女の子です。少し癖毛で、ツインテールの。」
光姫はそのように火の能力者の特徴を述べた。どうやら、メイサが目をつけていた、鬼をしているあの女の子であるようだ。光姫はツインテールと言ったが、そのの中でも、ツインテールよりも髪の毛が短く、肩についていない、いわゆるピッグテールと呼ばれる、幼い女の子によく見られるヘアスタイル。
「どうする? 誰が話しかけにいく?」
メイサは隣にいる光姫、そして後ろから様子を伺っていた悠と杏哉にそう尋ねる。火の能力者を特定できた以上、彼女に声をかけるのは誰でもいいはずだ。だが、大人数で押しかけるのもどうかと思う。一人で行った方が、彼女からしても馴染みやすいだろう。
メイサの問いかけに対し、人付き合いが苦手な悠はブンブンと首を振る。悠は知らない人、しかも年下に話しかけにいくなんて、とてもできる気がしなかった。メイサにとって、そんな悠の行動は予想通りの返答だったが、隣にいる光姫の反応が予想外だった。光姫は一見、いつも通りに見えるが、その顔にはどこか不安の色が滲み出ていた。
(そっか。お姉様って意外なことに、知らない人と話すのはあんまり得意じゃないんだっけ。口に出さないけど、できれば行きたくないんだろうな…。)
苦手なことはやりたくない、と素直に言えばいいのに、とメイサは思う。だが、そうすることをしないのも当主としての彼女の矜持なのだろう。
そして、残った杏哉は無表情を貫いているので、本気で別にどちらでも良いのだと思う。だが、相手は小学一年生の女の子だ。高校生男子より、中学生女子の方が親しみやすいだろう。
「じゃあ、アタシが行ってくるわ。ほら、アタシってさ、人と話すの得意だし?」
メイサは、休み時間ずっと友達と喋っているような、いわゆるクラスの中心的女子だ。知らない人に話しかけることになんの抵抗もないし、すぐに馴染める。
光姫たちにお礼を言われ、メイサは一年二組の教室に足を踏み入れる。数人の生徒が突然入ってきた中学生を訝しげに見つめていたが、メイサはお構いなしに目的の少女の方へと向かう。少女に近づくと、胸に留めてある名札の文字が読めた。
『しらぬい はなび』
名札には、平仮名でそう綴られていた。メイサは頭の中で漢字に変換する。
「不知火 花美ちゃん…かな。」
もしかすると、ファイヤーワークスの〝花火〟そのままかもしれない。だが名前に〝火〟なんて字を入れるだろうか。いや、でも彼女は火の能力者の家系なので、火を入れてもおかしくはないのでは。そんな仕様のないことをあれこれ考えていると、
「おねえちゃん、花ちゃんになにか用?」
足元から、甲高い、子猫が喉を鳴らすような子供の声がした。メイサはハッとして下を向くと、『しらぬい はなび』ちゃんが訝しげにメイサの顔を見上げていた。どうやら、彼女の名前を心の中で漢字に変換していたはずが、声に出ていたようだった。漢字がわからないので、ひとまず平仮名で〝はなび〟として表記しておく。
「あっ、そ、そうなの! 初めまして、突然ごめんね。お姉ちゃんはメイサっていうんだけど、あなたに用があって来たの。よろしく、はなびちゃん。」
メイサは勢いで、唐突に簡単な自己紹介をした。言ってしまった後で、流石にいきなりすぎたか、これでは引かれてしまうのではないか、そんな考えが頭によぎったが、メイサの心配は杞憂に終わった。目の前の彼女は驚いたり、緊張したり、はたまた怯えたりするような素振りを全く見せず、メイサに屈託のない、無邪気な笑顔を向けた。
「うん、メイちゃん、よろしくね! あとね、花ちゃんのことは、花ちゃんってよんでね。」
(め、メイちゃんっ?)
突然のあだ名呼びに、メイサは戸惑う。自分のことも〝花〟と呼んでいるようだし、人にあだ名をつけるのが好きなのだろうか。
「わかったわ、花ちゃんね。それでね、花ちゃん、早速なんだけど…、」
メイサはひとまず、はなびを連れて光姫たちの元に戻ろうと考え、彼女に声をかけた。
「メイちゃんは、花ちゃんの〝のうりょく〟をみにきたんだよね?」
すると、花がメイサの言葉に被せるようにして、少し声を顰めてそう聞いた。この発言には、メイサは数秒間思考が停止し、瞠目して口をあんぐりと開けた。
メイサの反応が予想外だったのか、はなびは案じ顔をして、メイサを気遣う。
「め、メイちゃん? ち、ちがったの? ちがうの?」
はなびがあたふたとしている間に、メイサの思考は戻ってきた。そして、とりあえず状況整理を行う。
「は、花ちゃん? の、能力とは……ひ、火の能力であってる…?」
「うん、あってるよ。よかったぁ、人ちがいかとおもったよ。花ちゃんはね、てのひらに、火の玉をだせるの。ほかにも、いろいろできるよ。まっててね、あとでちゃんと見せてあげるから。」
はなびは、まるでメイサのことを知っているように話す。まるで、メイサに能力を見せることを事前に約束をしていたかのように。メイサは戸惑いながらも、頭に浮かんだ問いを投げかける。
「えっ? う、うん…。じゃ、じゃあっ…。お友達は、花ちゃんがそんなすごい能力を持ってることを、知ってるの…?」
「うん、しってるよ。みんな、すごいってほめてくれるもん。」
それらのメイサの問いに、はなびはニコニコと笑顔を浮かべ、こくりと頷く。
メイサは気が滅入ってきた。もしかすると、はなびは外で能力を使ってはいけないと親から教えられていないのだろうか。日常的に少々使うくらいならば、メイサも同罪であるし理解できるが、人前で堂々と使うなんてそんな恐ろしいことを…。また、能力者は無能力者から差別される存在であることも、彼女には分からないのだろうか。
(というか、周りの子もどうかしてるわね。花ちゃんが能力を使って、怖がるどころか、逆に褒めるなんて…。)
「ねぇ君、花ちゃんが能力使ってるところ、見たことある?」
メイサは本当にはなびの言葉が真実なのかを確認するため、先ほどはなびと共に駆け回っていた、あどけない男の子に尋ねる。
「もちろん! 花はね、ほんっとうにすごいんだよ!」
男の子は目をきらきらと輝かせながら、思わず声が上擦るほどに興奮していた。
「そうだ、おねえちゃんに、はじめて花が〝のうりょく〟をつかって見せてくれたときのこと、はなしてあげるね。」
眩しいほどの輝く瞳でメイサを見つめる男の子は、親切にもそう言ってくれた。確かにそれはメイサにとっても有益な情報だ。だが、メイサはあることを考え、今にも話したくてウズウズしている男の子に向けて、メイサは右手で〝ストップ〟の仕草をした。
「ご、ごめん。あのさ、お姉ちゃん、廊下で友達待たせてて。その子達にも一緒に君のお話を聞いて欲しいの。いいかな?」
「え、うん…。その人、花ちゃんが〝のうりょくしゃ〟だってこと、ヒミツにしておいてくれる?」
なぜか、メイサが友達を連れてくるというと、花火は不安そうに表情を曇らせた。メイサには自ら能力者であることを明かしたのに、一体どういうことなのか。意味はわからないが〝花火が能力者である〟ということを、悠が吹聴して回ることはない、というより、すでにもう知っているので、ひとまず頷いておく。
「もちろんよ。だから連れてくるわね! ちょっと待ってて!」
メイサは男の子にそう伝え、急いで教室から駆け出した。男の子がはなびの事を教えてくれると言っているのに、メイサだけが聞いていてもいいのか。はなびやさっきの男の子は、〝ゆ〟から始まる名のついた誰かさんのような臆病な子ではないので、他の三人が一気に登場し、話を聞いたとしても問題ない。初めは彼女の性格がわからなかったため、みんなで押しかけてもいいのか、また、すぐに打ち解けてくれるのかがわからなかったため、メイサ一人で向かったのだ。だが、それらは全て取り越し苦労であった。彼女らの馴染みやすさがわかった以上、みんなで聞いた方が、後でメイサが説明する手間が省けて楽だ。
「お姉様、杏哉、悠! ちょっと来…っ。」
来て、と言い終える前に、メイサの言葉は途切れた。廊下に広がる光景に、思わず呆然としてしまったからだ。そこには、学園のプリンセス・光姫と、彼女に群がる一年生、また噂を嗅ぎつけてきた上級生らしき見た目の何十人もの小学生たち。そして、光姫を助けようと、人をかき分けている杏哉。だが、小学生はどんどん押しかけ、とても抑えきれていない。そんな中、メイサの目についたのは、
「悠っっっ‼︎」
メイサは廊下の隅にいる悠に駆け寄り、彼をキッと睨みつけた。
「わっ、め、メイサ先輩⁉︎」
「悠っ、なんであんただけ傍観者なのよ⁉︎」
そう、光姫や杏哉が一年生たちに囲まれている中、悠だけは一年生たちの群がりの外から、不安げに、けれども何もせず、二人をじっと見つめていた。気の弱い悠は、光姫に近づきたいという強い意志を持ってやってきた小学生たちに打ち勝つことができず、どんどん外へ外へと押し出されてしまったのだろう。
「そ、そんなこと言ったって…。」
「メイちゃ〜ん、どこいったの〜? って、わ、なにこのさわぎっ。」
すると、教室を飛び出ていったメイサを探しに、廊下へ顔を出したはなびが、星羅雲布のような人だかりを目の当たりにし、顔を顰めていた。それを見て、早く戻らなければ、とメイサの気持ちが急ぐ。けれど、光姫や杏哉をあの騒動の輪から引っ張り出すのは困難だろう。
「仕方ないわね。お姉様や杏哉には後で説明しましょう。よし悠、行くわよっ。」
「へっ? なんで僕が…? というか、〝メイちゃん〟って誰ですか?」
メイサは、数分前の自分と同様に〝メイちゃん〟という愛称に疑問を抱く悠の手を引き、一年二組の教室へ入って行った。前だけを向いていたメイサは気づかなかっただろう、不意に手を握られた悠の頬が、ほんのり紅潮していたことに。
メイサと悠は、教室に足を踏み入れ、はなびと男の子の元へ向かった。彼らはメイサに連れられてやってきた悠に対し、律儀に自己紹介をした。その際にも、悠に〝花火が能力者である〟ことを秘密にしろ、と念を押された。そして、男の子は空人くんというそうだ。彼は最近習ったであろう〝空〟と〝人〟の漢字を空中で書いて説明してくれた。
空人が自分の漢字を説明していたのを横で見ていたはなびは、自分もわかるぞ、とアピールしたくなったのか、
「は、花ちゃんも! えっとね、花ちゃんの漢字はね、〝花〟に〝火〟だよ!」
ここで初めて花火の漢字を知った。定番の花美ではなく、ファイヤーの花火だった。
小学一年生たちの堂々とした自己紹介を受け、悠もおずおずと、小さな声で名乗る。小学一年生にとって、中学生は大人だ。メイサも昔そうだった。小学六年生さえ大人だと思っていた。花火や空人もそう思っているだろうに、それが、何だこの〝大人〟は。自己紹介さえもまともにできないのか。メイサには彼らが、悠に哀れみの目を向けているように見えて、思わず笑ってしまった。
「というわけで、アタシの友達の悠。この人ね、人と喋るのが大の苦手なの。だから二人とも、どうか仲良くしてあげてね。二人から話しかけてくれたら、このお兄ちゃんも、頑張って答えてくれるからね。」
「僕は幼稚園児かっ。」
自己紹介さえまともにできなかった身が言えたことではないのだが、メイサのあまりのいいようにムッとして、悠がメイサの耳元で囁くと、メイサに頭を小突かれた。
「うん、ゆうくん。よろしくね。」
「よ、よろしく…おねがい、します…。」
花火は愛くるしい笑顔を浮かべて右手を差し出し、悠は言葉を返すと、恐る恐るその小さな手を握り返した。
「ふふ。なんで小学生相手に敬語なのよ、悠。」
メイサは、小学生である花火はタメ口なのに、中学生である悠は丁寧語を使うという、おかしな光景に思わず笑い声をこぼした。
笑いが収まると、ひとまずメイサは悠に、彼を連れてくる前の話を要約して話した。
「えっ、えぇぇ………⁉︎」
すると、悠も先ほどのメイサと同じように体を硬直させ、数秒間の動きが停止した。
(そりゃそうなるわな…。)
メイサは一人、こくこくと頭を上下に振った。その後、しばらくして悠が思考を取り戻すと、先ほどのメイサと同じような問いを花火に投げかけ、彼女は平然と返すものだから、悠は正気を失いそうになっていた。
空人が花火の能力を初めて見た時のことを話す、と言ってくれてから、なんやかんやで、十分くらい経った後、ようやく、待ちくたびれた空人の出番が来た。
「メイちゃんも、ゆうくんも、はなしがながいよぉ。」
空人はほっぺを膨らませてを拗ねたように愚痴を漏らした後、
「じゃ、これから花ちゃんのこと、はなしてあげるね。」
と、先ほどまでの不貞腐れた態度はどこへやら、彼は意気揚々として話し始めた。




