7嫉妬
昼休み、光姫は約束の時間の十分前に小学校の銅像前に立っていた。隣には悠の姿もある。彼も光姫と同様、十分前行動が基本のようだ。杏哉とメイサはまだ来ていない。
「お姉様ぁ〜!」
心の中でそう思った矢先、真正面からメイサが駆けて来るのが見えたかと思うと、そのまま光姫の胸に抱きついた。光姫は思わずよろけそうになり、踏みとどまる。スキンシップを取ることに不慣れな光姫は、あからさまに挙動不審になり、暫時考えた末、ぎこちない仕草で彼女の頭を撫でた。対応には困るものの、確実に以前より親しくなっているのが実感でき、光姫は頬を緩ませた。
「メイサさんはいつも元気ですね。」
「だってお姉様に会えて嬉しいんだもの。」
「えぇ? 学校にいる間以外はずっと一緒ですよ?」
メイサの言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、光姫は初めて、彼女のセリフにツッコミを入れてみた。少し、照れ隠しでもあった。
すると、初めて光姫に揶揄われたメイサは、ほんの少しの間、驚いたように口を開けていた。けれども、すぐに悠と揶揄いあったあとのような、悔しそうな、けれども楽しそうな笑みを見せた。また新しい彼女の表情を見れた光姫は、自分の心の中で細々と灯る蝋燭に、ぽっと明るく暖かい火が灯ったようだった。
「ゴホンッ!」
その時、わざとらしい咳払いが隣から聞こえた。声の主はもちろん、一人残された悠。悠の胸の奥では、ありし日に灯った、何ものかわからないあたたかいものが、激しく揺れ動いていた。
その様子を見て、真横で抱き合う女子二人に対し、彼は気まずさに居た堪れなくなったのだとメイサは確信する。メイサは良い揶揄い材料ができたと思い、ニヤリと笑って口を開こうとするとした途端、力強い爽やかな声が重なった。
「すみません! 遅れてしまって!」
杏哉がやってきたことでメイサの揶揄いは実行に移されることはなく、四人はそのまま小学校に足を踏み入れた。下駄箱付近には数人の小学生の姿が見られたが、彼らは特に光姫たち中学生や高校生の登場に驚くことはなかった。何らかの理由で、中学生などが小学校に入ることは時々あるのだ。
「向こう側から、火の能力を感じます。」
四人は持ってきた上靴に履き替えた後、光姫が一階の右側の廊下を指差した。
「一階? 一年生ってことですかね?」
光姫を除く三人の中で唯一、この小学校の構造を知っている悠は、かつて自分が一年生だった時、一階を使っていたことを思い出す。この小学校は、学年が上がるにつれ、階も上がっていく決まりになっている。一階には低学年、二階には中学年、三階には高学年、そして四階はその他諸々の教室、という風に。
「その可能性が高いですね。まぁ、他学年が一年生の教室を訪ねにきている、と考えてもおかしくないので、今は何とも言えませんが。」
光姫は悠の言葉にそう返答し、エネルギーの感じる方へと足を進める。進むにつれ、火の能力はだんだんと強まっていく。けれど、やはりその能力は、どこか違和感を覚える。純粋じゃない、透き通っていない、という曖昧な表現でしか言い表せないくらいの、ただの感覚なのだが。もしその子が能力を使えば、能力の強い杏哉も、光姫の曖昧な意見に共感してくれるかもしれない。
その杏哉だが、今は光姫とメイサが並んで歩いている後ろで、悠と何やらヒソヒソ話をしながら歩いていた。
光姫やメイサに聞こえないように、何を話しているかというと、時は少し前に遡る。
「なぁ、お前、なんでちょっと拗ねた顔してんの? 俺が来る前に何が合ったんだ?」
小学校に足を踏み入れたタイミングで、杏哉は心なしかぶすっとしているように見える悠に、純粋に気になってそう問いかけた。しかし、悠自身もその答えがはっきりしていないようで、困ったように苦笑いをした。
「そんな大したことはないですよ。ただ、光姫様とメイサ先輩が揶揄い合っていて、なんだかそれを見たら居た堪れなくなって咳払いして止めただけです。」
悠は正直に答えて、自分自身でもただそれだけのことなのだ、と思い返した。それなのにあの時、無性に胸の奥がモヤモヤして、思わず二人の会話を自分の手で止めてしまった。それは紛れもない事実だ。だが、なぜそんなことをしたのかと問われると、それは答えに困る。
「それだけ?」
杏哉は何を考えていたか知らないが、悠の答えを聞いて、きょとんとした顔つきになる。
「それだけですよ。けど、心の底から慕っている光姫先輩に、あの時だけ、無性にイライラして。あっ、このことは本人に絶対言わないでくださいよ?」
「大丈夫、言わないから安心しろ。」
自分の感情を手探りで見つけ出そうとする悠に、杏哉も考えを巡らせる。悠が顔を紅潮させているので何事かと思ったら、光姫とメイサがただ揶揄い合っていただけだと知る。たったそれだけなのに、悠は無性に光姫にイラついたという。悠自身でも、先ほどの自分の行動に理由が見出せていないようだ。
「もしかしてなんだが、お前は自分の立場がとられたことに対して、光姫様に嫉妬してるんじゃないか?」
「嫉妬…? …そうなんでしょうか?」
そこで杏哉はふと思い至った考えを悠に告げると、悠はあまりピンときていない様子で問い返してきた。しかし数秒考えた末、ああ、と納得に至ったような声を出した。
「…確かに杏哉先輩のおっしゃる通りかもしれません。普段、メイサ先輩をいじるのは僕なのに、さっき、控えめではあるけれど、光姫先輩がメイサ先輩を揶揄っていた。それが、羨ましいというか、悔しかったというか…自分の役目がとられた気がして、それで、思わず止めちゃったんじゃないかと…。」
幼稚な嫉妬が原因であると答え導き出したのはいいものの、それを人に伝えることは大変羞恥心にかられ、悠がもじもじしながら述べると、杏哉はニヤッとした笑みを浮かべて言った。
「話してくれてありがとう。……なぁ、お前、メイサのこと好きなんじゃないか?」
彼が唐突にそんなことを言うものだから、悠は驚愕して、目を白黒させた。
悠は唐突だと思っているが、杏哉がその考えに至ったのは、決して先ほどの悠の言動を聞いたからだけではない。常日頃から、悠はメイサに気があるのではないか、と勘付くような言動をしていたからである。本人は無意識だろうが。
しかし、悠はそのことを知らないし、もちろんメイサにアプローチしようなどという気は一切合切なく、無意識である。それゆえ、杏哉の突然の言葉に必要以上に戸惑った。今の理由のどこに、そんな恋愛要素が絡んでくるのだろうか。意味がわからない。確かに、メイサは親切で良い人で、良い意味で第一印象を裏切られたため、彼女のことをもっと知りたい、と興味を抱いていたのは確かだが…。そんな悠の頭の中とは裏腹に、胸の奥では、例のあたたかい何ものかが存在を主張するように、その温度を上げて盛んに灯っていた。
「はっ? な、なんで…。」
「いや、だって好きじゃない奴取られたってなんとも思わないだろ。俺だって、お前が来る前は、お前のいうメイサを揶揄う立ち位置に居た。けど、お前にその役目を取られたからって、俺は悔しいとは思わない。むしろうるさいのと話さなくて良くなって清々してる。」
「…けど、杏哉先輩の場合、メイサ先輩じゃなくて光姫先輩と一緒に並んで歩けることが多くなって嬉しいってのもあるんじゃないですか。」
悠は、杏哉に簡単に自分の感情を言い表せられるのが悔しくて、悠はそう言い返した。すると、杏哉は顔を真っ赤にして、
「だっ、だからお前っ、俺は別に光姫様のこと好きとは一言も…っ。」
(あ、そうだった。この人、光姫先輩のこと好きなんだって認めてないんだった。)
悠はメイサにそう教えてもらったことを、ふと思い出した。もしかして自分と一緒なんじゃないか、そんな考えが一瞬頭をよぎったが、違う。彼はただ単純に、人に知られるのが恥ずかしくて否定しているだけだ。自分はそんなに幼稚じゃない。
「はいはい。ってことで、杏哉先輩も僕がメイサ先輩をどう思ってるかは、言葉で簡単に解決しないでくださいね。僕もいずれ、自分の気持ちがわかると思うんで。」
悠は手のかかる弟に接するように、澄まし顔でそう告げた。悠には五つ下の弟がおり、彼がお菓子が欲しいと駄々をこねる姿と、眼前の、自分の気持ちを認めない幼稚な男子高校生が重なった。




