1それは、二ヶ月ほど前のこと【挿絵あり】
ジリリリリリリリリ…
目覚まし時計が鳴り、天蓋付きベッドのピンク色のレースに包み込まれるようにして眠っていた少女は、伸びをしながら体を起こした。ベッドの横には円に型どられた窓があり、カーテンを開けると、そこから見える景色はまだ薄暗い。目覚まし時計の針は五時を指している。まだ暑い日は続くものの、朝晩は肌寒い日が増え、秋の深まりを感じる九月の半ば。段々と過ごしやすくなっていくのを実感する。
彼女の部屋はとても広く、先ほどまで寝ていたベッドや座り心地の良さそうなソファ、床に敷かれた赤いカーペット、壁には有名画家の油絵。それ以外の様々なものも高価なものばかりだ。
少女はベッドから降りると、壁にかけてあったセーラー服を手にとった。紺色のセーラー服に、赤いリボン。これは国立附属中学校の制服である。小、中、高が一緒になっている学校で、小学校から直接中学に上がれる生徒は60%、外部から入ってくるのは、小学校から落ちた分の40%である。先ほどのテストの成績からもわかるように、少女は小学校の頃から優秀な成績をおさめ、この中学三年間、定期テストでは毎回学年トップだ。加えて運動神経も抜群で、非の打ち所がないとはこのこと。
少女はパジャマから制服に着替え、勉強机の横に置いてある姿見の前に立った。そして、髪を綺麗にとかし、ハーフアップに結った。
【挿絵が入っています。非表示の方にはご覧いただけません】
鏡に映っていたのは仙姿玉質、絶世独立、という言葉にふさわしい美少女だった。ぱっちりとした大きな瞳、長いまつ毛、筋の通った高い鼻、薄い唇。髪は瞳と同じ栗色。花の顔、花顔柳腰、優美、花を欺く美人、などなど、幾つもの平凡な美人の形容を掛け合わせても釣り合わないような、一度見たら頭から離れないような別嬪。
そして、部屋を出ると、広い廊下の先にある洗面所を開け、泡を立て、顔を洗う。
「光姫様、おはようございます」
彼女は二階から一階に降りると、階段の横で、彼女の侍従である明光さんがにこやかな笑みを浮かべて立っていた。歳は40代前半くらいだが、十年ほど前はさぞ美しかったであろう典雅な顔をしている。穏やかで優しい彼女が、光姫は大好きだった。
「おはようございます、明光さん。こんな朝早くから、いつも本当にありがとうございます」
光姫は玲瓏な声で挨拶を返すと、小さく頭を下げた。
「いいえ、滅相もございません。光姫様こそ、こんな早朝からお稽古だなんて。あなた様は私たちの誇りでございます。いいえ、間違えました、能力者全員の誇りです」
「そんな、大袈裟です。私は使命を全うしているだけですから。それから、今日はお稽古ではないのです。お父様から、大切なお話があるとのことでして。それでは、明光さん、また後ほど」
光姫はそう言うと、再び頭を下げ、長い廊下を進んでいった。この屋敷は洋風の部屋と和風の部屋があり、光姫がいたのは洋室。これから行くのは、畳の敷いてある和室の部屋だ。そんな光姫の後ろ姿を見て、明光さんはしみじみと思った。
(光姫様は次期当主候補…いえ、もうほぼ次期当主で確定であるのに、偉そうなそぶりを全く見せない。それどころか、自分を謙っておられる。本当に素晴らしいお方だわ。父親である照光様も、さぞかしお喜びになっていることでしょう。)
そう、光姫は照光の一人娘で、守光神家の次期当主候補の一人である。基本的に守光神家では当主の子供が次期当主になるが、その子供が当主にふさわしくなかった場合は別の守光神家の者が選ばれる。そもそも守光神家とその他の境目とは、雷の能力を所有しているか否かだ。それ故、ほぼ百%ありえないが、直系でも雷の能力が受け継がれていなければ、守光神家の一員にはなれない。
だが、光姫は見ての通り、成績優秀、運動万能、性格良しの完璧なプリンセス。能力者たちの支持から推測するにも、次の当主は光姫で間違いないだろう。
(奥様は今、何をしていらっしゃるのかしら……)
奥様とは照光の妻であり、光姫の母親のことだ。彼女は今、とある事情から遠くの実家に里帰りをしており、一週間前ほどから不在にしている。
光姫は長い廊下の先にある、一番奥の部屋を開けた。そこには何もなく、ただっ広い空間で、あっけらかんとしていた。実はここは能力完全防備室なのである。その名の通り、能力を使っていることが絶対に外部に気づかれない部屋だ。能力を使うとエネルギーが集中するため、能力者は能力を行使したことが他の能力者に察知される。無能力者には本来到底不可能だが、彼らはそれを可能にした。そのエネルギーを察知する道具を開発したのだ。それにより、能力を行使して捕まってしまうことを防ぐために作られた。
だが、守光神家をはじめとして、力の強い能力者は自分の能力を制御することができる。本当はこんな部屋必要ない。彼らは能力を使っている時に出るエネルギーを、自分自身で抑え込むことが可能なのだ。それでも念には念をと、もし漏れた時は大変なので、このような部屋で能力の訓練をしている。能力は生まれつき持ち合わせているものであるとはいえ、訓練しなければ伸びない。そして今の光姫に教えられる能力者となれば、それは一人しかいない。そう、彼女の父親、守光神家の当主であり、能力者の王・照光だ。
彼は毎朝、この時間に光姫に能力の稽古をつけている。だが、今日は違う。
「おはよう光姫。今日は大切な話があって、お前を呼んだ」
「はい」
光姫は、正座している照光にならい、同じように正座をして、照光を見つめた。
「能力者が、無能力者に反抗しようとしているのは、お前も知っているな?」
「ええ。お父様が懸命に止めていらっしゃいますが、皆の反応を見ていると、そろそろ限界なのではないかと思います」
光姫は真剣な表情で自分の考えを返す。照光はコクリと頷き、話を再開した。
「……あぁ。私にも、もはや彼らを止めることは不可能。私の賛成がなくとも、個人個人で無能力者に向かって行く者も現れる……いや、もうすでに時遅し、だな。だが、個人で行ったところで、勝てるはずがない。このような調子で次々に能力者が捕まえられるのであれば、ここはいっそ、私が立ちあがり、反抗したがっている能力者と共に向かう方が効率的だ」
照光の話を聞き、光姫の表情が、花が咲いたようにパァッと明るくなった。
「お父様、ついに立ち上がるのですね! お父様がいれば、能力者の勝利で決まり……、」
「光姫。そのことなんだが。向こうの本当の実力を、私たちは知らない。もしかすると、大勢で反撃してきた時のことも考えているかもしれない。そうなれば、私も戻って来られるかどうかわからないのだ」
喜ぶ光姫の言葉を遮り、照光は切り出した。その言葉に、光姫はぽかんとした表情を浮かべる。
「お父様が負けるなんて、そんなことあり得ません! 無能力者も、能力者の王が立ったとなれば、戦わずして引くかも知れませんし!」
「いや、そんな甘い考えではいけない。それに、私は能力者の王であることを無能力者には言わない」
静かにそう告げる照光に、光姫は目を見開き、声を張り上げた。
「ど、どうしてですか⁉︎」
「私が王だと名乗り出て負けた場合、能力者は言い逃れもできない敗北を意味するからだ」
その言葉に、光姫は唖然として父を見つめた。その考えを聞いて、光姫は自分がいかに子供じみた考えを持っていたことをありありと実感した。父親といると、どうしても思考が子供らしくなってしまう自分がいる。
「…お父様が立ち上がる、という行為は、決定的に無能力者と能力者の未来を決める、そんな重大なことだったなんて…。私、思ってもいませんでした。ただ、お父様が立ち上がり、能力者が救われればいいと。…お父様。もし、お父様が負ければ、私たちの当主、能力者の王がいなくなります。それは、どうされるおつもりですか」
光姫は父が負けるなんて、そんなことはあり得ないと思っていた。だが、無能力者の最大の実力がどれほどなのかわからない。それは、父でさえも上回るかもしれないのだ。もしそうなった時、父が立ち上がると、当主がいなくなる。光姫は父が負ける可能性を考え直した結界、その未来に直面した。
「次期当主なら決まっている。私が戻ってこられなければ、次期当主が新たな当主だ」
『私が戻ってこられなければ』という言葉が耳に残り続ける中、光姫は声を顰めて尋ねる。
「…次期当主とは、一体誰なのですか?」
光姫は知らなかった。自分が、能力者全員から、次の当主に相応しいと思われていることに。彼女は子供である自分が当主になるわけがない、と思い込んでいるのである。今まで、子供が当主になったことは一度だけある。当時は本家の一族のみが当主になれることが可能だったのだが、伝染病が流行り、本家の者がその子供だけとなった。仕方なく周りの大人がサポートする前提で子供を当主に立てると、彼には政治の才能があり、ほとんどサポートを得なくとも、一人で成り立ったのだ。けれど、今は当主は本家に限るという決まりはない。守光神家の者であれば誰でも当主になることは可能なのに、わざわざ子供の光姫を選ぶ必要はない。
「……お前は何も知らんのか」
「? 何がです?」
「……まぁいい。私が捕まらなければ来ない未来だからな。今は希望を持つことにしよう。だが、もし私が負ければ、その時は……テレパシーで、次期当主に伝える。……今日伝えたいことは以上だ」
光の能力者はテレパシーが使える。元々彼らには人の心を癒す能力があり、それを応用したのだ。心の中に呼びかける言葉を、通話に利用したのである。
「わかりました。それでは、私、学校に行く準備をして参ります」
光姫はぺこりと頭を下げると、部屋を出た。
「……期待しているぞ」
部屋のドアを閉める時、ボソッと聞こえた父の言葉の意味が、光姫にはわからなかった。