7悠、仲間になる【挿絵あり】
「そうだ、杏哉さんにお願いしたいことがあるのです。」
「俺にですか?」
杏哉は突然光姫から頼られ、はて、と首を傾げる。
「実は、この中に水の能力者がいるんです。先ほど失神してしまい、外に運び出すのが困難で…。お願いできますか?」
「そういうことなら、お任せください。」
光姫が事情を説明すると、杏哉は嫌な顔せずにバン、と自身の胸を叩いた。
光姫らが更衣室の奥に行くと、水の能力者は意識を取り戻していた。しかし、意識が戻って間もないのか、虚な目でぼうっとしていた。
光姫はそんな少女に手を差し出すと、彼女はその手の主が光姫だと分かり、安堵したように瞳に生気を取り戻した。そして光姫の手を握ると、ジャージ姿の彼女は立ち上がった。そして、メイサと杏哉のところへ戻る。少女は光姫の背中に隠れるようについてきた。
メイサは馴れ馴れしく光姫にくっつくなんて、同性だとしても許容できない、とあからさまに顔をしかめる。メイサは隣の杏哉を見ると、彼もまた不愉快そうな顔つきをしていた。
「お二人は私たちと同じ能力者。隠れなくてもいいのですよ。」
光姫が声をかけると、少女は恐る恐る光姫の背中から顔を出すも、人見知り&口下手なのか、口をぱくぱくさせ、まごついて言葉を発せずにいる。
すると、そんな庇護欲をそそられる可愛らしい見た目の少女を見たメイサは、それまでの不快そうな表情から一変して、頬を緩ませる。だが、杏哉は今まで以上に、苦虫を噛み潰したような顔つきになっていた。
「アタシ、月輪メイサ。中二。闇の能力者だけど、派生した家系だから未来予知の能力しか使えないの。これからよろしく。」
メイサが目を細めてニコッと微笑み、悠に右手を差し出した。悠はおずおずと、透明感のある白い華奢な右手でメイサの手を握り返す。
「…初めまして、俺は樹護宮 杏哉。高校一年。光姫様の側近の一人で、緑属性のトップの家系。」
杏哉はなぜだか、初対面の少女に向けて、険しい顔を向けてそんな傲慢な態度をとる。両手を体の前で組み、無性に苛立っている様子だ。少女は当然、突然現れて自らの立場をひけらかす杏哉に怯え、身体を縮こまらせる。光姫とメイサは彼女が哀れに思えて仕方なかった。
「ちょっと杏哉、いくらこの子がお姉様に馴れ馴れしかったからって、そんな態度取ることないんじゃ…!」
「だってメイサ、こいつ、男のくせに女子更衣室に大人しく蹲ってたんだぞ。イラついてもしょうがないだろ。いや、わかってるよ。緊急事態だったんだから、こんなのただの八つ当たりだ。ただ、同じ男として看過できないというか…。」
「「え?」」
メイサが杏哉を非難しようとすると、杏哉の口から、思ってもみなかった言葉が発せられる。光姫と杏哉は驚愕して目を見開き、口をあんぐりと開けて少女、いや、少年を振り返る。
「だってほら、こいつ、喉仏出てるもん。」
杏哉は拗ねたようにそう言い、水の能力者の首元に視線を遣る。光姫とメイサもおずおずと視線を向けると、言われてみれば確かに、男性特有の特徴である喉仏が目立っていた。顔の可愛さに目が惹かれ、そこまで気が付かなかった。しかし自身の身体で経験のある杏哉は、その部位が目についたのだろう。
「…お、お初に、お目にかかります。中学一年の…水氣悠、と申します。の、能力は水属性、です。えっと…男です…。…よろしくお願いします。」
【挿絵が入っています。非表示の方にはご覧いただけません】
女性陣から少年自身の言質を求められていることを察し、少年・悠はおずおずと自己紹介をする。そして少年から発せられた言葉、というより、声色に女性陣は息を呑む。それは男性にしては高いものの、女性であるとは思えないような、そんな男性特有の低い声だった。
「ふん、初めからそう言えよ。なんで隠してたんだよ。さぞかし女子更衣室を堪能したことでしょうね。」
「は、初めから僕、女だなんて言ってませんよっ。ご当主様が勝手に勘違いしただけで…。」
別に杏哉は、日頃から女子更衣室に入ってみたいなどという、卑猥な欲を持ち合わせているような変態ではない。ただ、同じように男として生まれたにも関わらず、不可侵領域である女子更衣室に足を踏み入れた悠のことが、どうしてか羨ましく思えてしまうのだ。
必死に言い訳しようとする悠は、言葉を一言も発さず、制服ではなくジャージ姿でいれば、どこからどう見ても女子にしか見えない。
懸命に言い訳を考える悠と、それを待ち構える杏哉。そして唖然とする女性陣。しばらく沈黙が流れる。
「ま、誠に申し訳ありませんでした! 全て私の責任です。女子更衣室になんか放り込んじゃって…その…。」
我に返った光姫は、頬を好調させながら慌てて深々と頭を下げた。悠を女子だと初めに思い込んだのは、他でもない光姫だ。そのせいで危うくメイサまでもが勘違いするところだった。
「あ、あのっ、ご当主様っ。あ、頭を上げてください!」
能力者の全ての権限を持つ当主に頭を下げられて落ち着いていられるはずもなく、悠は慌ただしく光姫を宥める。
「にしても、あんた本当に男子?」
光姫が頭を上げているその横で、メイサは悠に疑いの目を向ける。男子として思って見てみると、無理やりそう見えなくもないが、それにしても童顔の悠は少女のようだ。色素の薄いさらさらのショートボブ。華奢な体つきに、くりくりとした瞳、可愛らしい童顔。透明感のある白い肌。
「月輪先輩、でしたっけ。その質問、失礼だと思いませんか?」
杏哉の手から離れた悠は、メイサに近づいてキッと睨みつけた。聞き方がまた嫌味っぽい。確かに不躾な質問をしたメイサも悪かったが、それにしても光姫への態度との差がなかなかに激しい。メイサは彼によって作り出された剣呑な空気を和ごますように、アハハ、と笑い、明るい声を出した。
「ごめんごめん。だって可愛いんだもの。あと、アタシたちみんなお互いのこと下の名前で呼んでるから。それから、お姉様…あぁ、えっと、光姫ちゃんのこと、ご当主様って呼んでるけど、目立つからそれもやめなさい。他と同じ、光姫先輩で。」
「ご、ご当主様を下の名前で…?」
「みなさん、勘違いした私がいうのもアレなのですが、そろそろ移動したほうがよろしいかと。」
ごほん、という咳払いが聞こえたかと思うと、光姫が少し耳を紅潮させてそう切り出す。まだ、悠の性別を間違えたことへの恥ずかしさが消えないのである。
「悠ちゃ〜ん? 顔が赤いんですが〜? あんたもお姉様の〝妹〟志望?」
「やめてください。」
悠を女子だと勘違いしたのはメイサも同じはずなのに、彼女は恥ずかしげもなく、光姫の目の前で悠をいじっていた。悠は顔を赤らめながら、メイサの揶揄いに、全てをひっくるめて一言返した。
その後、四人は急ぎ足で校門へと抜き足差し足で駆けていく。そしてそこには、驚くべき光景が待ち受けていた。
「なっ、何この騒ぎは…。」
思わず声が裏返るメイサ。目の前には、小中高関係なく、この学園の生徒、中には教員までもが、何としてでも能力者の力で落雷した場所を見ようとして、人だかりができていた。
「これでは通れませんね…。」
光姫も困り果てていると、隣にいる悠が光姫の顔を見上げて言った。
「なら、もう一度雷、落としてはどうですか? もちろん、人がいないか確認した上で。学園の外に落としたら、みんな走って出て行きますよ。」
悠は自己紹介した時とは打って変わり、ハキハキとした声でそう提案した。
先ほど思いきり性別を間違えられ、必死に杏哉に言い訳をしたり、メイサに揶揄われたりしたおかげで、悠は光姫たちに対する『初対面で恥ずかしい』という感情は消え去ったようだった。いいことなのか悪いことなのか微妙だが、詰まる所、彼と馴染めたということなのでよしとしよう。
「え、でも…。」
学園外に落とすなんて、学園にいた能力者が逃げて行った、と言っているようなものだ。確かに人はいなくなるが、それではハンターを落雷した場所に留めておくことができなくなる。さらには、その時に出て行った生徒を監視カメラで確認すれば、その人たちの中から能力者である光姫たちを絞ることも可能となる。十分に人は多いが、全校生徒から絞るのとは訳が違う。能力者を見つけることが仕事の、ハンターたちならやりかねない。
さらに、学園外の人がいないところを探すのは大変だ。光姫はこの付近に住んでいるわけではないので、この地域を全ては把握していないのである。
その時、光姫は人混みに飲まれそうになりながら、あることが頭に浮かぶ。
(雷の代わりに、悠さんに雨を降らせて貰えばいいんじゃ…。そうしたらハンターを誘き寄せることも…いや…。)
だが、すぐに自分で本人に言う前にその案を却下する。そんなことをすれば、この学園にいる能力者が二人はいることを確定されてしまう。それはだめだ。ありえない。捕まるとしても、光姫一人にしなければ。大切な友人たちが捕らえられてしまうのは、自分が捕まるよりも悲壮で残酷だ。
「お姉様! 悠! アタシ思いついたわ!」
その時、ずっと顎に手を当て、唸りながら何かを考えていたメイサがパッと顔を上げた。
「悠よ! 学園外に雷を落とすのはリスクも高いし危険でしょ? だからさ、雷の代わりに、水で、そう、雨を降らせましょうよ!」
「みっ、水? それってつまり…。」
悠は明らかに戸惑い、口を開けて瞠目した。そして、目を白黒させたのは悠だけはなく、光姫も同様だ。ついさっき光姫が考えていたことを、まるで光姫の心中を読み取ったかのように、メイサはそっくりそのまま口にした。
「ダメですっ、メイサさ…、」
光姫が口を挟もうとするが、目を爛々と輝かせたメイサは反応せず、何も言わずに続ける。話に夢中で、光姫の言葉は聞こえていないようだ。
「そうっ、悠が能力を使うの! 水なら人にあたっても濡れるだけだし。そうね…真ん中を開けて校門への道を作ってほしいから、能力を使うのは小学校の校庭に生えている芝生の上にしましょ。雷が落ちたのは高校棟と中学棟の間だったから、ちょうど人が半分に分かれるわ。」
メイサは口にしなかった詳しい作戦を心の中でまとめる。
まず前提として、水を芝生にまくというのは雷に対してインパクトが小さい。現在進行中の能力だったとしても、気づかない人が大多数だろう。だからこそ、気づいた人の集まりと気づかなかった人の集まりとの間で、隙間の道ができる。そして、そこを通って校門まで行く、というのがメイサの考えた案だった。その数秒前に光姫も思いついていたのだが。
「え、えぇぇ…。」
悠は自分の両手を見つめたまま、硬直している。よほど能力を使うのが怖いのだろう。
今なら悠が嫌がっていることを口実にし、彼に能力を使わせないことが可能かもしれない。光姫が口を開こうとした時、バシンッと鈍い音が響いた。光姫は思わず息を呑み、口をつぐんだ。何が怒ったかというと、小刻みに震える悠の背中を、メイサが力強く叩いたのだった。
「もう、あんた男でしょ。小心者! いくじなし! もしこれが杏哉なら、お姉様の頼みとなれば、即座に実行するわよ。」
「さっきまで僕をいじっていたのはどこの誰ですか! 全く、都合のいい時だけ…! というか、今はジェンダーレスの時代なんですから、そんな古臭いセリフは…、」
「もう、つべこべうるさいっ。いいから早く!」
メイサは言い訳を始めようとする悠を無理やり遮り、再度彼の背中を叩く。先ほどよりも力が入っていたようで、彼はその衝動で崩れ落ちた。
光姫が今更、根本の案の実行をやめよう、とは言いずらい雰囲気になっている。
「僕はあなたより年下なんですよ! 後輩いじめるとか恥ずかしくないんですか!」
悠はなかなか折れず、歳の差を言い訳にメイサを攻撃する。だが、メイサはその言葉を無視し、怖いほどの完璧なスマイルを作って、しゃがみ込んだ彼を見下ろす。悠はひっ、と小さく悲鳴をあげ、即座に立ち上がった。
「わかりました、やりますよ、やりますからっ。」
悠は涙目になりながら、震える声を張り上げる。そして瞳を閉じ、大きく息を吸い込んだ数秒後、クワッと目を見開いた。その途端、小学校の芝生の上にだけ雨が降るという、とてつもなく不可解な出来事が起こった。しかも、芝生は校庭を囲むように茂っているので、いわゆるコの字型なのである。中央を避けるようにして降る雨が、今ここに現れた。自分から提案したものの、メイサはその不可思議な現象に興味津々といった様子で身を乗り出している。杏哉もまた、自身にはない水の能力を目にして、ほお、と感嘆の声を漏らしていた。ただ一人、少々この作戦に不満がある光姫は、犠牲を払ったので何がなんでも逃げ切らなければならないと責任を覚え、雨に気を取られることなく、じっと前を見つめている。
「そろそろ行きましょう。小さいですけど隙間、できてますよ。」
しばらくして、光姫はそう言って目線を校門へ向ける。すると、思惑通り人混みの中でわずかな隙間があき、校門の一部が見えていた。そうして、四人は雲霞の如く人が蠢く中、わずかに空いた隙間をなにとか通り抜け、校外へ出た。四人とも僅かに息が上がっている。
「やっと出れた…!」
悠は感動で声を震わせ、ほっと胸を撫で下ろしていた。
そんな悠の様子を、同じく安堵の表情を浮かべ、目を細めて見ていたメイサ。実はメイサは、先ほど悠に無理やり能力を使わせたことに対し、仕方がなかったとはいえ僅かながら罪悪感を抱いていたのだ。
その後、メイサはしばらくして悠から視線をずらし、小学校の芝生に目を向けた。水の能力によって作られたその不可解な雨は、だんだんと弱まっていったかと思うと、風にゆらめく蝋燭の炎のように不安定になり、しまいには止んだ。
「光姫様! ご無事でしたか⁉︎」
その時、張り詰めたような誰かの叫びに近い声が、どこからか聞こえてきた。
「島光さん! ご心配をおかけして申し訳ございません。」
光姫の専属ドライバーである島光さんが、校門前に現れた光姫の姿を捉え、一目散に車を降りて駆けてきた。光姫も彼の元へ駆け寄り、深々と頭を下げた。
「とんでもございません。ご無事で何よりです。」
島光さんは瞳には、燦然と日光を反射する透明の涙が浮かんでいた。
「ところで、その方達は? 能力者のようですが…。」
島光さんは守光神家の家柄ではないが、守光神家から比較的近い家系。そのため、光姫と同じように誰が能力者か、など、能力を使わずとも感じることができる。守光神家で仕えている者たちは皆そうであるため、守光神家とほとんど同じ能力を使うことができる。しかし無論、彼らは雷の能力は使えない。守光神家とそれに近い家系は、雷を操れるか操れないかの境目で分かれるからだ。
「あっ、えと、よろしくお願いします。アタシは闇属性の月輪メイサです。派生した家系なので能力は弱いですが。」
「私は守光神家当主の側近の緑の家系、樹護宮杏哉です。お会いするのは二回目でしょうか。」
「ぼっ、僕は…水の能力者で、水氣悠、です…。お初にお目にかかります…。」
メイサ、杏哉、悠の順に彼らは島光さんに簡単な自己紹介をした。島光さんは目を細めて優しく微笑んだのち、「これからも光姫様をよろしくお願いします。」と、まるで光姫の親のように彼女を想い、そう言った。彼は近頃、光姫が学生生活を謳歌しているということを感じ取っていたのだった。
「島光さん、皆さんをご自宅までお送りしていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「もちろんです。さ、皆さん車内へ。」
三人は初め、その誘いに遠慮していた。だが、結果的に彼らは光姫や島光さんに甘え、黒塗りの高級車に乗り込んだ。
彼らはハンターに囲まれ、まさに絶体絶命な危機的状況を経験したすぐ後なのだ。メイサ、杏哉、悠は、守光神家の車に乗せてもらうのは僭越であり、出過ぎたことだと頭では理解していたものの、恐怖や不安の感情に打ち勝つことはできなかった。
その後、島光さんに送ってもらった彼らは、無事にそれぞれの家路についた。