4光姫の元へ
中学棟の二階、つまり中学二年生の教室がある階。そして、その階の中央に、三組というプレートが吊り下げられた教室がある。中では数人の生徒が残っていた。
その中に、病的に青白い顔をしたメイサ、そして友人の真矢の姿もある。
「メイサ、大丈夫? 顔色が悪いよ?」
真矢が心配そうに、血の気を失っているメイサの顔を覗き込んだ。
「保健室、行った方がいいんじゃない?」
「だ、大丈夫よ…。」
普段はからかってくる真矢が、珍しく案じ顔をし、メイサの体調を心配してくれている。その時、真矢が何かを思い出したような表情をし、メイサに耳打ちした。
「あ。そういえば聞いた? 今、この学園内に能力者…ハンター…だっけ? ともかく、その人たちが来てるんでしょ? それって、この学園に能力者がいるかもしれない、ってことなんだよね? ほんと、怖いよね。能力者がこの学園にいるかもしれないなんて。物騒な世の中よね。」
「そ、そうね…。」
真矢はため息をつき、眉根を寄せた。真矢は『能力者ハンター』という単語がうろ覚えだったが、実はこれが普通なのだ。無能力者にはあまり馴染みない集団で、滅多にお目にかかれない。なので、生徒たちがどこか浮き立っているということを、メイサははっきりと感じていた。
「ねぇメイサ、本当に大丈夫? なんかさっきよりも顔色悪くなってるんですけど。」
(それは真矢がハンターの話なんてするからよ!)
メイサは意中でそう叫んだ。
すると、真矢はメイサの作った渋面に、何か感じたのか言葉を続ける。
「メイサ? 本当に何か悪い物でも食べたんじゃないの? 心当たりない?」
心当たりなんて大ありである。だが、これだけは口が裂けても言えない。
能力者ハンターが、今にもこの棟、この階、この教室にやってくるかもしれない、ということ。そして、今真矢の目の前にいる友人が、そのハンターに捕まえられる対象として、今にも意識を手放しそうなほど怖気付いているなんて。
「わ〜! あれがハンター? 強そう〜!」
「え〜! 私、初めてみたよ!」
「あれが噂の能力者ハンターだってよ!」
「てかハンターがこの学園に来るって、冷静に考えたらやばくね? 能力者がここにいるってことだろ?」
メイサと真矢が話していると、廊下から生徒たちのそんな話し声が聞こえてきた。握りしめたメイサの掌にじっとりと汗が滲む。シールドを張ってもらっているからといって安心できるほど、メイサは図太くない。
追い打ちをかけるように、女子たちの話し声がメイサの耳に飛び込んできた。
「ね、もしかして手に持ってる消化器みたいなやつ、あのニュースでやってた、その…水かけるだけで能力を封印できるっていう機械かな? すごぉい!」
「能力者がさ、実際にかけられるところ、見てみたいなぁ。」
(…それはつまり、アタシが捕まるところを見たいと?)
『かけられるとこ見てみたいなぁ。』と、確かにそう口にした生徒は知った声だった。クラスメートで、真矢ほどではないにしても割と仲のいい女子だ。
その時だった。廊下のどよめきが大きくなったかと思うと、次の瞬間、火が消えたように辺りが静まり返った。
「ちょっと私、廊下見てくるね。メイサは安静にしといて。」
しばらくして、その様子を見に廊下へ出ていった真矢が帰ってきた。
「メイサ! ハンター、私たちの隣の教室にいるみたい!」
「えっ…⁉︎」
メイサは唇が震え、顔から血の気が引くのを感じた。
(そんな近くに…? もしかして、アタシの気配に何か勘づいてる…?)
「…サ…イサ…メイサ! ちょっとどうしたの、大丈夫⁉︎」
「はっ、ご、ごめん。ちょ、ちょっと気持ち悪くて。」
気がつくと、真矢がメイサの顔を覗き込んでいた。メイサは反射的にその場から飛び退いた後、慌ててそう弁解した。
「え⁉︎ 大丈夫なの? てか、なんでそんな状態なのに、さっき教室戻ってきたのよ? 帰るか、保健室行くかが妥当でしょうよ。」
「だから、それはさっきまで言ったじゃん。忘れ物したの。それで忘れ物とった後、急に具合悪くなったって…、」
「嘘! だって、メイサ教室入ってきた時から顔色悪かったもん。演技したって無駄。」
メイサの弁明を最後まで聞かず、真矢はメイサの言葉を遮ってそう主張する。
「う…。」
知り合ってからまだ二年しか経っていないものの、最も深い関係にある真矢には、口からのでまかせでは誤魔化せないらしい。喜ばしいことではあるが、この状況では不都合極まりない。
メイサが言葉に詰まっている、その時だった。
メイサは、神経を糸に例えるなら、それがピンと張るような感覚を覚えた。
能力だ。誰かが能力を使った。能力の弱いメイサでも、はっきりと感じ取れた。
それと同時に、廊下から複数名の足音が遠ざかっていくのが聞こえた。どうやら、ハンターが階段を下っていったようだ。
「あー、ハンター行っちゃった〜!」
それとほぼ同時に、廊下にいた生徒の声が耳に届く。それに続けて、
「なんで? もしかして、能力者のエネルギー察知したとか?」
「ということは、下の階、もしくは外に能力者がいるってことか?」
と、そのような会話が聞こえてきた。その途端、嫌な気配が背中を冷たく流れ、メイサの胸の中に分厚い雨雲が忍び寄る。
(さっき、アタシ、エネルギーを感じた…。お姉様が、能力を使ったってこと…? アタシや杏哉からハンターを遠ざけるために、外で能力を使ってひきつけた…? もしかして、囮になろうとしてる…?)
水の能力者が学校に残っていることを知らないメイサは、能力を行使したのは光姫以外にあり得ないと思い込んでいた。そして一瞬、その考えが頭によぎる。その時、
『メイサさん! 聞こえますか。そちらで何か変化があり、不安になられている状況を想定して、このテレパシーを送ります。実は、こちらで少し異常事態が発生したのです。ですが、メイサさんは何も心配する必要ありません。そのまま、そこで大人しくしておいてください。』
と、光姫の声が心の奥からじんわりと響いてきた。その後、その声がメイサの体に広がるような錯覚を覚え、メイサの精神を根の部分から癒していく。
テレパシーだ。光の能力者のみが使える力。メッセージを伝えるだけでなく、相手の心身ともに癒すことができるという優れもの。
(…囮になろうとしてるわけではなさそうね…。)
メイサは一瞬安堵の息を吐いたが、その後すぐにその表情が引き締まった。
(囮じゃないことはひとまずよかった、けど…異常事態、って言ってたわよね。これは囮と同等にまずい状態だったりする? そうよ、お姉様はむやみに能力を使ったりしない…。じゃあ、さっき感じたエネルギーは一体…?)
『そこで大人しくしておいてください。』
その時、光姫の声が再び聞こえたような気がした。一瞬、テレパシーかと思ったが、今回は心身が癒やされる感覚はない。あぁ、とメイサは理解した。
きっと、これは自分自身からの忠告だ。今、メイサの脳裏に浮かんでいる考えを実行すれば、光姫の、現当主の命令に背いたことになる。後で痛い目に遭っても知らないぞ、という脅し。
(…アタシが行っても邪魔になるだけかもしれない。けど…アタシがこうしてる間にも、お姉様はたった一人でアタシや杏哉を守ろうとしてくれている…。…決めたっ、このままじっとしているなんて、アタシの柄に合わないわ!)
メイサは心の中で考えをまとめると、弦の切れたような勢いでガバッと立ち上がった。椅子が勢いよく後ろに動き、ガタンと大きな音を立てる。
「めっ、メイサ?」
「真矢! ちょっとアタシ、保健室行ってくる!」
何かを考えるように頬杖をつき、黙りこくっていたメイサが突然立ち上がったかと思うと、唐突にそう切り出した。真矢はメイサの行動についていけず、挙動不審になっている。
「え? なんで今になって? ま、まぁいいわ。私が連れて行ってあげるから…、」
「お気遣いなく!」
メイサは真矢の言葉を遮りそう叫ぶと、真矢の言葉を待たずに教室を飛び出した。
真矢は呆然として口をあんぐりと開けていたが、すぐに我に返った。慌ててメイサに続いて教室を出て、一階へと駆けていく。メイサはひと足さきに一階へついていたので、保健室の方へ駆けていく真矢の姿を、メイサは下駄箱の陰に隠れて見ていた。
(ごめんね、真矢…。いつかアタシが能力者だってこと、心置きなく真矢に伝えられる日が来たらいいな…。)
メイサは心の中でそう呟くと、下駄箱から門の外の様子を伺った。すると、外にはハンターと思わしき人たちが数人常駐していた。この状態で外へ出ては、光姫にシールドを張ってもらっているとはいえ、自ら捕まりに行くようなものだ。あまりにも無謀すぎる。
(そうだ、校舎の裏側にある扉から外に出よう!)
メイサはそう思い立ち、すぐに身を翻して校舎の奥へと走った。