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王女と魔術師  作者: ねむのき新月
第三章
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カビーカジュの本

 アイフェの部屋に戻りながら、ライルが尋ねた。


「さっきの、どういう意味です?」

「え? さっき?」

「ファラーシャ妃が、ひどい仕打ちって」

「ああ。ファラーシャ様は、もともと母様の侍女だったのよ。それを父様が見初めたのね」


 さらりと言われた経緯だったが、思わずライルが口元を覆う。


「……どろどろですね」


 アイフェは軽く肩をすくめた。


「母様の怒りっぷりったらなかったわよ。ファラーシャ様を責めるわ、父様を責めるわ、あたしを責めるわ」

「ちなみに聞いていいですか? あなたの母君は」

「一年くらい前に、天園の住人になったわ。最近、喪が明けたところなの」

「……これは、申し訳ありません」


 この国の人々はこの世界で亡くなると、次の世界で生きると言われる。そこが天園と呼ばれる場所だ。


 アイフェは軽く手を振って、その謝罪を受け入れる。


「いいわよ、別に。あたしは、母様には嫌われてたから。母様はいっつも怒ってる感じだったもの。父様がたまにやって来てもそう。だから、父様がファラーシャ様に惹かれたのもわかるのよね」


 まるで他人事のように説明する少女に、ライルは不思議そうな視線を向けたものの、それを問う前に、アイフェが顔を上げた。


「あの呪い、解けそう?」

「まだわかりません」


 アイフェは不満そうに唇を尖らせる。


「ぱぱっとできないの?」

「できませんよ。魔術と言っても様々にありますし、魔術師なんて全能からはほど遠いんです。あなた、王族でしょう。そういう初代王とかの話はないんですか」

「あるけど。魔術の勉強はしなかったわ。あたしには魔力がないんだもの」


 ふてくされたような口調に、ライルが問うた。


「本当にないんですか? 絶対? なぜわかるんです? 魔力のあるなしなんて」

「七歳までに初代王の使い魔が現れるかどうか、よ。その使い魔がわかれば、魔力のある子なんですって。あたしには現れなかった。バーティンも、見てないみたいね。ケイヴィラ叔母様は、小さい頃に会ったって言ってた」

「へえ」


 感心しているのかいないのか、そんな相槌を打ったライルに、アイフェが問い返す。


「あなたこそ、修行はしてないの? 色々できるんでしょう? 誰に教わったの?」

「父から、少し」

「お父様? 薬師じゃなかったの? 魔術師なの?」

「薬師ですよ。でも魔術師というか、祓魔を得意にしてます。旅をしていると、結構魔神に会う確率も高いんですよね。困っているひとに会ったときには、魔神を追い払っていましたよ」

「封印はしないの?」

「基本的には、祓うだけですね。なんだか古い本を持ってて、ぼくもそれを見ながら覚えたんですけど」


 ふいにアイフェが身を乗り出した。


「それ、いまも持ってる? それを覚えたら、あたしも魔術師になれるのかしら」

「持ってますけど、ケイヴィラ様の屋敷に置いてあります」


 少女の勢いに気圧され、ライルはつい正直に答えていた。



 ◇ ◇ ◇



 ライルは自分のどこに失言があったのか考えていた。


 アイフェはその本をどうしても見たいと言い張った。

 変装を解いたライルとともに、そのままケイヴィラの邸にやって来たのだ。


 ミアはずっとアイフェに付き従っているが、かなり不服そうな表情をしている。

 ファラーシャの宮殿に行くのに、ミアの振りをライルがしたことが気に入らないのと、どうしても本が見たいと訴えるアイフェに押し切られたのと、面白くないことが重なったからだろう。


 さっさと本を見せて王宮に送り返そうと、ライルは心に決めた。


 ケイヴィラは昼寝の最中で、ミアは厨房に行きお茶の用意をすると言い、アイフェはそのままライルの部屋に向かった。


 そしてライルは、くだんの本をアイフェに渡す。


 目をきらめかせて受け取ったアイフェだったが、表紙をめくり、次々に頁をめくるうちに、そのきらめきが消えていく。


「……何も書いてないわよ?」


 めくってもめくっても、少々厚めの紙を束ねた本には何も書かれていない。


「ああ。あなたにも読めないんですね。これはぼくにしか読めない、ぼくだけの本なんですよ。これを写したら父の本は、やはり文字が消えてしまったんです」


 アイフェは本を手に、ライルを見やる。


「代々続く魔術の本ってこと?」

「そうらしいですね。カビーカジュが守っている本だって、聞いています」


 カビーカジュとは、本を守る魔神のことだ。書が好きな良い魔神で、この世界に残ることを望み、それが許された数少ない魔神である。


「父様も持ってるはずなのよね、王家に伝わるカビーカジュの本……。今度見せてもらおうかな。あたしに、もしかしたら読めるかもしれない」


 アイフェはふっとライルを見上げた。


「ねえ? あなたのお父様、都に呼べない? 祓魔師だったら」

「薬師です。住んでいる村は、ここから十日以上かかるところですよ」

「……そう」

「ですが、一応、状況だけは手紙で送っておきます。もしかしたら、何か知っているかもしれませんからね」

「ええ、是非お願い」


 そうして本を荷物に戻し、ライルは写本師五人分を得るために、行動を開始する。


「どちらにしても、通りすがりの魔神の可能性は低いでしょう。『バーティンを廃せ』は、何かの計画があるんでしょうね」


 実際、ファラーシャは十五日ごとに老けていく。もしかしたら、バーティンが年を取っていくはずだったのかもしれない。どこかで呪いがずれたのだろうか。


「地道に行きましょうか。普通に考えれば、呪われるのは誰かに恨まれてしまったときでしょうね」

「バーティンは恨まれるような子じゃないわ」

「個人的にはそうでしょうね。でも、王太子だとしたら」


 アイフェは俯いた。


「やっぱりそうなるわよね。王位を狙っているひとが怪しいって」

「バーティン殿下が廃されて、次に王太子になるのは誰ですか?」

「たぶん、父様の二番目の弟――異母弟なんだけど、ムイード叔父様」


 アイフェの台詞に、ライルが首を捻る。


「ちょっと待ってください。一番目の弟君は?」

「父様のすぐ下の弟のサヒード叔父さまは……。ムイード叔父様と同腹なんだけど、あたしが生まれる前に亡くなってるの。だから会ったことはないし、あんまり話を聞いた覚えもないわ」

「……あぁ、そうなんですね」

「そう。で、えっと、ムイード叔父様は城内に宮殿があるけど、自分の領地にいるほうが多いかしらね。次は、ムイード叔父様の息子のマムッド」


 一瞬アイフェは顔を歪めたものの、続ける。


「その次は三番目の、父様とは同腹の弟の、ラザーク叔父様になるのかしら? でも、継承権は剥奪されてるから……」

「剥奪?」


 穏やかでない単語に、ライルが怪訝に聞き返す。


「ラザーク叔父様は、父様を襲ったの。バーティンが生まれたときに。父様に世継ぎが生まれたのが気に入らなかったんですって。それで、自分で封じた魔神を父様に向けたのよ」

「そのラザークってひとは、魔術師なんですか?」

「そうよ?」


 あっさりと認められて、ライルはため息をついた。この国の王家は魔術師の血を引く。薄くなってそれほど魔力はないとはいえ、魔術師がいないわけではないのだ。


「先に欲しい情報でした……。この王家に、他に魔術師はいるんですか?」

「いないわ。ある意味、一番この王家の人間なのは、ラザーク叔父様なのよね。でもずっと幽閉されてるの」

「え。まだ生きてるんですか? 国王を襲ったのに?」

「生きてるわよ、もちろん」

「甘くないですか」

「初代王の言いつけなの。家族仲良く」

「……よくそれで、いままで王家が続いたって思いません?」

「そうね。でも、悪いことじゃないでしょ?」


 他国では、王に即位した際に、兄弟すべてを殺してしまうような国もあるというのに。この国を平和だと喜ぶべきか、抜けていると嘲笑うべきか。


 ライルは気を取り直して、整理する。


「一番怪しいのは、ラザーク様、でいいですか?」

「でも幽閉されてるのよ。いくつか持っていた魔神を封印した小瓶も全部取り上げて。それに幽閉されている宮殿は、建てる前に地面に強力な魔法円を描いてあって、宮殿の中では魔術は使えないの。もちろん、魔神も呼び出せない」


 そこでライルは確認する。


「この王都内では、基本的に使い魔以外の魔神は動けないんですね?」

「ええ。もし王都内に魔神がいるとしたら、魔術師の使い魔だけよ。あなたの魔神みたいにね。さもなければ、叔母様のところに行こうとしている魔神ね」

「ということは、今回の呪いは、誰かが使い魔を使って呪いをかけていることには違いない、と」

「そうよ」


 そう言ってるでしょ、とでも言いたげなアイフェに、ライルは苦笑する。


「だったら、操っている魔術師を探すより、魔神を片づけたほうが早いってことですよね?」

「それができれば。街の魔術師に依頼してあるのだとしたら、探すのは簡単じゃないもの。でも別の魔神がまた呪いをかけに来る可能性もあるでしょ? 魔術師だって捕まえておかなくてはならないと思う」

「……ごもっとも」


 アイフェの正論に、ライルも同意する。


「魔神の名前がわかれば、すぐに封印はできるんですけど」

「そうなの?」

「まあ、道具がいりますが」


 それは明日にでも市場に行くとして、とライルはひとりごちて、続ける。


「どうやら十五日ごとにやって来る律儀な魔神のようですから、襲われそうな日には、ファラーシャ様の宮殿で見張りましょう。それまでは首謀者を探せばいい」

「うん」


 そうして、アイフェはふっと上目使いにライルを見た。


「ねえ? ファラーシャ様に渡したあの腕輪。このあいだ、あなた、小瓶にも口づけてたわ。あれは何?」

「あれは……。ぼくが口付けたものには、魔力が宿るみたいで、硝子とか、特に透明な水晶は魔神を封印する力を持つんです。ただその水晶が、ぼく以外に使えるかどうかは――」


 話途中だったが、アイフェはライルの襟首をつかんだ。

 予想外の行動にライルはなされるがままに首を引かれる。

 そうして、唇が一瞬重なった。

 離れてから、アイフェは真剣な顔をしてライルに聞いた。


「これで、あたしにも魔神を封印できると思う?」


 ライルは深々とため息をつき、手の甲で自分の唇に触れる。


「……できないと思いますよ。そもそも、年頃の女の子がこういうことをしちゃいけないと思いますけど」


 そうしてアイフェは、今更ながら自分の行動に気づいたふうに、ざっと頬を染める。


「ち、違っ。バーティンのためよっ」


 そこへ折悪しく、ミアがお茶の支度をして戻ってきたのだ。


「ア、アイフェ様! その破廉恥な男から離れてくださいっ!」


 盛大な音を伴い盆を取り落としたミアが、慌ててアイフェとライルのあいだに立ちはだかる。


「ちょ、え、ぼく?」

「違うのよ、ミア! いまのはあたしから」

「はぁ? なんてことをおっしゃるんですか!」

「ぼくは、不可抗力で」

「んな、なんですって? 乙女の唇をなんだと思って――!」


 アイフェは必死でミアをなだめることになったのだ。



 ◇ ◇ ◇



 姉が弟思いなのはよくわかった。

 ライルは、アイフェの行動を思い返してため息をついた。

 ミアはどうにか納得してくれたようだが、終始冷ややかな視線を向けてくれたものだ。


「ライル? どうかしたの? 何か悪いことでもあった?」


 衣はともかく、食住はケイヴィラの好意にすがるしかない状態だ。

 夕食の席で、ライルはケイヴィラに聞いた。


「いえ、なんでも。ケイヴィラ様はどう思います?」

「え? ああ、バーティンのこと? わたくし、身内は疑いたくないわ。ラザーク兄上のこともあるし。悲しくなるから」

「その悲しくなることを、お聞きしたいんですけど」


 食後の甘味として出された石榴を手の中で弄びながら、ケイヴィラは覚悟したように応じる。


「……何かしら?」

「王位を狙ったと聞きました。それで、幽閉されていると」

「ええ」


 ケイヴィラは辛そうな表情を浮かべたままだ。


「具体的には、どういうことでしょう?」

「公にはなっていないわ。この国の王が魔神に襲われるなど、あってはならないことですもの」

「そこです。魔神に襲われたとしても、国王には使い魔がいるはずです」

「ええ、そうよ。もちろん、王は無事だったわ。けれど、『魔神が王を襲った』というだけで、大変なことなのよ」


 この国の王は強い魔術師なのだ。すべての魔神を従えるほどに。そしてその魔力の庇護下で、民は心安く暮らしている。王に牙を剥く魔神の存在など、魔術師の存在など、あってはならない。


「でもラザーク様には、魔神を捕らえるだけの魔力があるということですね」

「その通りよ。ラザーク兄上は強い魔術師。ハリーク兄上には魔力がないの。ただ使い魔が、とても強力だから」

「その使い魔は、国王しか守らない」


 ライルはふうと吐息を漏らした。とても面倒な感じがする。


「あなたの使い魔は?」


 ふいにエーフのことを聞かれて、ライルは肩をすくめた。


「あんまり役に立ちませんよ」

「そう? でもあなたが封じたのでしょう?」

「封じたというより、封じさせられたというか」


 ケイヴィラが首を傾げると、ライルが苦笑して続ける。


「この世界で生きるのが面倒になったって言うんですよ。だったら王都に行って、王に魔神の国へ送ってもらうようにって言ったんですけど、それも面倒だって」


 いつか王都に行くときがきたら、連れてってくれればいい、とエーフは言った。


『それまではおまえの使い魔になろう。おまえは魔術師じゃないんだし、それほど呼び出しはしないだろう? 時折なら、いい暇つぶしだ』


 ケイヴィラは楽しげな声を上げた。


「変わった魔神ね。では、預かりましょうか、その指輪。魔神の国へ送るまで」

「ここに着いたときにそう言ったんですけど、しばらくこのままでいいって言われました」


 指輪の中がどうなっているのか、ライルにはわからない。封印された魔神たちはそれぞれの空間を持つらしい。以前エーフに尋ねたときは、涼しい木陰で常に眠っていると教えてくれた。


「ぼくはそれほど呼び出しませんからね。指輪の中が、存外居心地がよかったのかもしれません」

「そうね。進んで封印されにくる魔神も多いですものね」


 二人の会話は日常的なようで、随分とかけ離れたものだった。

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