見返りは写本
どうやら更新の日付を間違えた模様……。
今後は多分、大丈夫。多分……。
ケイヴィラの邸に行く途中で、悲壮感漂うミアに合流した。
「あぁ、アイフェ様! よかった、ご無事ですね!」
「ミア。ついてきてると思ってたのよ」
「衣の裾が、店先でひっかかって」
それをはずしているうちに、アイフェに遅れたのだと言う。
行き先はわかっていたし、最短距離を進んでいたので、問題はないと思っていたが、それでも寿命が縮みそうだったとミアがぐずぐずと泣き言を繰り返す。
「なるほど。侍女も大変ですよね?」
そう言うライルに、ミアは曖昧な表情を浮かべている。
ライルはアイフェを見やり、アイフェはその視線にむっとしつつ、ミアには素直に謝る。
そうして三人は連れだってケイヴィラの邸に戻った。
出かけたときは異なっていたのに、同時に姿を見せた三人に、ケイヴィラが居間までやってきて目を丸くする。
「まあ、どうしたの、三人で」
「ぼくに話があるようで、図書館まで押し掛けてきたんですよ」
「ええ、あなたがあそこにいるって、アイフェに教えたのはわたくしですもの」
悪意の欠片もないようなケイヴィラに、ライルは何も言うことができなかった。
アイフェは女中がお茶の用意をするのも待たずに、ライルに向き合う。
「前にも言ったけど、あなたを魔術師として雇いたいの」
ライルは首筋を撫でながらうなだれた。
「ぼくは魔術師じゃないって言ってるでしょう?」
「でも魔神を封じることができるのよね?」
「できますけど、都にもできる魔術師くらいいるでしょうに」
「ざっと調べた限りでは、見つけられなかったわ。あなた、自分が珍しい存在だって知らないの?」
青年はきょとんとアイフェを見つめる。
「珍しくはないでしょう、別に。国王が魔術師の国で、市場にだって、魔術師を名乗る人はいますよ」
「自称魔術師は大勢いるけどね、魔神を封じられる魔術師はめったにいないのよ!」
どこか世間ずれしているライルに、アイフェは目眩を覚えそうになる。王女の自分が思うのだから、きっと相当なものだ。
そこに割り込むように口を開いたのはケイヴィラだった。
「ねえ、アイフェ? あなたが魔術師を探しているのは、バーティンに関係すること?」
もちろんと頷きかけて、アイフェははっとケイヴィラを見やった。
「……叔母様の耳にも入っているの?」
口止めしてあるはずだというのに、どうして漏れるのだろう。
「使用人たちは噂話が好きだから。いくら口止めをしても、広がってしまうわ。でもまだ噂のうちだからいいけれど、これが真実だと知れたら、面倒ね」
「だから、魔術師が必要なの。どうしても」
「そうねぇ、そうなのでしょうけどねぇ……」
叔母と姪の視線を一度に浴びることになったライルは、思わず瞬きを繰り返す。
「ええと、すみません、話が見えませんが?」
「そうよね。話がね」
ケイヴィラは姪に判断を任せるように、視線を向ける。
アイフェは一瞬迷ったものの、依頼するのであれば包み隠さず話すことになると、意を決した。
「他言無用よ」
「……まぁ、努力はします」
「努力じゃ困るの」
「もしかして、ぼくは、別に聞かなくてもいい話ですよね、それ。魔術師ではないですし、おかしなことに巻き込まれるのも――」
言いさして、ライルは、ぎゅっと唇を噛むアイフェに気づいた。
「ライル、意地悪しないであげてちょうだい」
ケイヴィラにたしなめられて、ライルは降参するように小さく両手を上げる。
「わかりました。喋りませんよ」
その言葉を推し量りつつも、アイフェにはもう選択の余地がない。
「バーティンは、あたしの異母弟なの。この国の世継ぎの王子であるバーティンが、呪われているの」
「さすが王家。物騒な話で」
そんな呟きに、アイフェが声を低くする。
「王家じゃなくてもあると思うけど」
「……申し訳ありません。続きをどうぞ」
アイフェの表情から、これ以上からかうのは得策ではないと判断したのか、ライルがおとなしく促す。
「あなたには、その呪いを解いて欲しいのよ」
「でも、王様は魔術師でしょう」
息子である王子にかけられた呪いなのだから、その父親である王が解けばいいだけの話だ。この国一番の魔術師は、王なのだから。
「あなたの言うことももっともだと思う。でも、父様の使い魔は父様しか守らないわ」
「そうなんですか? 不便な魔神ですね。じゃあ、そうだ。ケイヴィラ様だって魔術師でしょう?」
そんなライルの指摘に、ケイヴィラはおっとりと首を振る。
「わたくしは夢見専門。それもたいして役には立たないわ」
「そんなことないわよ、叔母様」
アイフェは本気でケイヴィラを擁護してから、ライルに向き直った。
「呪いを解ける魔術師は、探せばいるかもしれないわ。でも急いでいるし、信用がおけるかどうかわからないもの」
「これは驚きですね。ぼくのことは信用してるんですか、王女様?」
ライルの頬をひっぱたきたくなる衝動に駆られたが、拳を握るにとどめて、アイフェはその気持ちを抑え込む。
「あなたを信用しているケイヴィラ叔母様を、信じてるのよ」
そうですか、とどうでもよさそうに応じて、ライルが続ける。
「でも、ぼくは写本をしに来たんです。その合間に、ケイヴィラ様の手伝いはするということにはなっていますが――」
「あたしが職人を雇うわ。あなたの代わりに写本ができるように」
「勉強にもなりますから、自分で写したいんですよね」
本心なのか意地なのか頑固なのか、どれにしても、ここで怒っては相手の思う壺で、絶対に雇えない。
どう言えばいいか、どうすればライルの気に添うか――アイフェは閃いて、ぱっと指を立てた。
「わかったわ。三人! ううん、五人でどう? 写本師を五人雇う。本職だもの、あなたが写すより早くできるに決まってる。勉強のほうは、あなたが自力でがんばってちょうだい。あなた、写本師の本をご両親に送ればいいでしょう? あなたひとりでやるずっと早く、ずっとたくさんの本を送れるわよ?」
どう? と挑むようなアイフェに、ライルが呻く。
「……さすがケイヴィラ様の姪御姫ですよ。足元を見てくれましたね。金の使い方を間違ってますよ、いくらうなるほどあるにしても」
「あたしの家政状況はどうでもいいわ」
しばし二人は無言で睨みあった。
ケイヴィラのときと同様、ライルの天秤がアイフェの差し出した報酬に傾くのに、時間はかからなかった。
「明日、王宮に行きます。それでいいですか?」
「いいわ。よろしくね」
アイフェはほっと安堵の息を漏らしたのだ。
◇ ◇ ◇
アイフェとミアが去ってから、ケイヴィラがどこか咎めるように、ライルに告げた。
「お金なんかうなってなくてよ」
「え?」
「あの子は王女としての対面を保つ十分な資金を持っているわ。けれど写本は結構高額だもの。色々我慢することになるでしょうね」
「でも、飢えることはないでしょう?」
「……ええ。そうね」
確かに、一般庶民とは感覚は違う。ケイヴィラもアイフェも、王族としての暮らししか知らない。
それでも。
「手伝ってあげてちょうだい、ライル」
「約束しましたから、手伝いますけど。――どういう結果になっても、責任は持てませんよ?」
ライルの言葉に、ケイヴィラは悲しそうに微笑む。
「みなが幸せに、というのは無理なのでしょうね」
「……ぼくは、予言はできませんから」
ライルは静かに呟いた。