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王女と魔術師  作者: ねむのき新月
第二章
6/25

魔術師




 王立図書館は、ケイヴィラの邸から王宮前の通りを真っ直ぐに行けば、着く場所にあった。

 ライルにも迷いようがない。


 外側は煉瓦造りの立派な建物で、内側は主立った通路には質素なものながらも絨毯が敷かれている。足音を響かせないための配慮だろう。

 写本するための部屋は、四人掛けの長い机がいくつも並び、葦筆が紙を滑る音しか聞こえてこない。

 書物は等間隔に並んだ背丈よりも高い棚に、整然と分類され並べられていた。求める医学書はもちろん、旅行記、博物誌、哲学書に占術の本まである。


 ライルは深呼吸して気を落ち着かせた。


 何万冊あるのだろう。確かにここにあるすべてに目を通すことができれば、とてつもない知識を得られるだろうが、それを覚え続けていられる人間などいるとは思えなかった。

 それに、もっと多くの人々に知識を与えるために、写本して持ち帰るのが一番だ。

 翻訳もしながらというのであれば、時間も労力も半端なことではない。


 歓喜に震えながらも、ライルはケイヴィラへのぶつけようのない小さな文句を、もみ消す努力をしていた。


 ケイヴィラの情報は、小出し過ぎるのだ。

 確かに入場は無料だが、むろん写本するというのであればそれなりに身元を問われる。筆も墨も紙も無償であるわけはない。

 王侯貴族たちであれば、自宅に写本師を囲って本を作ることもある。本を所有しているということが、一種の箔になるのだ。

 持っているだけのために大枚をはたくなど、ライルには信じがたいことだが、それでも学問の保護にはなるし、それを広く知らしめるのだとしたらいいことだ。


「さて」


 ケイヴィラに与えられた文具類は遠慮なく持って来た。席を確保して、どこから手をつけようかと考える。

 両親が寄越した一覧表を眺めつつ、はじめる前から疲れたようなため息を漏らす。

 すべての写本を終わらせるのに、何年かかるのか見当もつかない。しかし書き写すことでも勉強になるには違いない。

 ケイヴィラに言われている仕事は基本的に夜のことだ。昼は好きにさせてもらおう。


 はじめるか、と自分にだけ聞こえる声で呟き、医学書を手に取った。


 そうして、静かな時間が流れていたが、それは唐突に破られる。

 乱れた息が近寄ってきたと思ったら、ばんっと机に両手が置かれた。

 驚いて顔を上げたライルの目に入ってきたのは、軽く汗ばんでいるようなアイフェの姿だった。


「何ですか、いったい」


 声を落として尋ねるあいだも、周囲の視線が痛い。この闖入者は、突き刺さってくる無言の刃を感じないのだろうか。


 感じていないのだろうな、とライルは軽く天を仰いだ。

 アイフェは肩で息をしていて、いまだに整わない。


「や、っと、見つけ、たわ、よ――」

「……ぼくを、探してた?」

「魔、魔術師――」


 ライルは無言のまま立ち上がった。

 写本も途中であるが、アイフェをひきずるように、とりあえず建物から出るのが最善の解決策だろう。




 暗い屋内に慣れた目に、強い陽射しは少々目に染みる。

 ライルが太陽に手をかざしたとき、引きずられるままになっていたアイフェだったが、我慢しきれなくなったのか身をよじる。


「ちょっと、いい加減放しなさいよっ」


 どうやら、息切れはおさまったらしい。

 出入り口で言い合いをしていては、結局は迷惑になるし、目立つこと請け合いだ。

 建物の影まで連れていってからライルは腕を放し、言いたいことは色々あるがまずこう尋ねた。


「今日は、まさかひとりで出歩いているわけじゃないですよね、王女様?」

「ミアが一緒よ! 昨日も会ったでしょ、あたしの侍女!」


 噛みつくように言い返されるが、ライルはもう一度尋ねる。


「あぁ、昨日の、ね。で、どこに?」

「どこって、ここに――」


 横を見て背後を見てぐるりと一周見て、アイフェはようやくミアがいないことに気がついたようだ。


「どこかではぐれたのかしら」


 首を傾げるアイフェに、ライルはため息をつく。


「あなたに万が一のことでもあれば、罰を受けるのはその周囲の人間です。自分の立場ってものを考えるべきですよ、王女様」

「あなたに言われなくても、そんなことわかってるわよ!」

「そうですか? とてもわかっている方の行動とは思えませんね、王女様」


 せっかくの写本の時間を邪魔されて、ライルも機嫌がいいとは言い難い。

 アイフェも、そこに思い至ったようだ。


「……邪魔をしたのは、悪かったわよ」

「ご理解いただけて恐縮です、王女様」

「あなた、さっきから『王女様王女様』って、あたしのこと馬鹿にしてるでしょう?」

「とんでもない、王女様」

「その言い方が馬鹿にしてるのよ」

「自覚を促して差し上げているだけですよ」


 ライルがにっこりと笑うと、アイフェはひくりと頬を引きつらせる。


「信じられないわ。叔母様ったら、どうしてこんな――」


 しかしアイフェはここで目に見えて、ぐっとこらえた。


「まぁ、いいわ。あたしのことはアイフェって呼んでちょうだい」

「とんでもございません、王女様」

「いい加減に、その当てつけがましい口調をやめて」

「いえいえ。不敬罪にでも問われたら、嫌ですからね」

「そんな罪になんかなるもんですか。あたしは王家の中でも軽い立場だもの」


 吐き捨てるような口調に、何かの事情を感じたライルは、ふと口を閉ざす。

 その隙をつくように、アイフェは身を乗り出した。


「そんなことより! あなたに急ぎの用があったのよ、魔術師。ちょっと、どこに行くの」


 再び腕を引かれてアイフェが聞くと、ライルが前を見たまま応じた。


「ケイヴィラ様の邸に戻ります。どんな話か知りませんけど、魔術師がどうのなんて、おおっぴらに話すもんじゃないでしょうに」

「そうかしら。父様は魔術師だもの。みんな馴れてるわ。もう! 自分で歩くから腕を放して!」


 確かに少女を無理に連れているように見えるだろう。それはさすがに不本意なので、望み通りに腕を放して、ライルは吐息とともに呟いた。


「国王が魔術師の国。我が母国ながら、不思議な国です。魔術師なんて、国によっては火炙りにされかねないっていうのに」

「火炙り? 野蛮ね」

「それだけ危険なものだと思われてるってことですよ」


 魔神と対抗しうる、不可思議な力――。



 ◇ ◇ ◇



 遙かなる古の時、この地には、魔神と人間が混在していた。


 しかし魔神に比して無力な人間は、彼らに怯え、隠れ住むことを余儀なくされていたのだ。

 そんな暗黒の時代に、一条の光のようにひとりの魔術師が現れる。

 彼は強大な魔力を持つ人間だった。

 彼は魔神が恐れるものを探し、魔神を意のままに扱うことができた。

 そして魔術師がその方法を他の人間たちに教えていった結果、人間は徐々に魔神を追いやりはじめたのだ。


 あるとき、ある部族の王――魔神たちは人間と同じように、いくつかの部族に別れていた――が、魔術師に提案する。


『魔神と括られても、人間に害を及ぼさないものもいる。悪鬼とともに退治されてはたまらない。その魔力で異なる世界への門を開くのなら、我らの一族は、魔神だけの国を造り、そこに渡ろう』


 魔術師はそれを聞き入れ、魔神の国となるべき世界への門を作った。


 そこは、この世界と似て非なるもの。人間ではおそらく暮らせはしないが、魔神ならば快適な世界だろう。


 かの魔神王の一族は門をくぐった。それに倣う魔神たちも次々に世界を渡った。


 しばらくして魔術師は門を閉じ、鍵をかけた。


 魔神の国から、魔神たちがやって来ることのないように。

 あちらの世界へ、人間たちが間違って渡ることのないように。


 そうして魔神が減ったこの地で、魔術師は王となり、このジャウハラ王国を作ったのだ。


 王となった魔術師だったが、魔神との諍いは続いていた。


 魔神の国へ渡ることをよしとしなかった魔神は、当然こちらに残っていた。

 人間を玩具のように弄ぶ悪しき魔神は、やはり魔術師が封じることになった。


 それは魔神王との約束だった。


『魔神の国へ渡りたくはないのかもしれない。しかし魔神と人間はともに存在すべき種族ではない。魔術師よ、消滅させることも可能であろう。だが我らは世界を譲った。たとえ従わぬ魔神といえども、消してはくれるな。封じて魔神の国へ、無理矢理にでも渡そうぞ』


 魔神の国への門の場所に、魔術師は宮殿を造った。

 門を守るのは魔術師の役目だ。封じた魔神を魔神の国へ渡すのも、魔術師の役目だ。


 それが、この国の王の役目となった。


 封じた魔神たちは、定期的に開かれる門から、魔神の国へ送られた。そしてその際には、自主的に魔神の国へ渡りたいという魔神――大移動のときにはなんらかの事情で渡り損ねた――がともに送られることとなった。


 この国の初代王は強大な魔力を持っていた。

 あらゆる魔神を従えるだけの魔力を持っていた。

 人々は王を恐れ、敬い、従った。


 五百年の時が流れたいまも、その直系の子孫が王となり、国を守っている。

 そして最高最強の魔術師である国王は、かの部族の魔神王ダーリアが使い魔として、守っているのだと言う。

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