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王女と魔術師  作者: ねむのき新月
第二章
5/25

妃と王太子

 しばらく大人しくしていたほうがいい、とミアはアイフェに切々と訴えた。


 確かに、気のいい門番に、いつも職務怠慢すれすれのことをさせるのも申し訳ないとは思っていたが、ケイヴィラの邸へ行ってあの魔術師と交渉したいとも思っている。

 しかしミアがクイサに叱られるのを恐れてか、絶対に同行しないと言い張るのだ。他の侍女ではもっと怯えるだろう。アイフェとしてはひとりで出かけても問題ないのだが、ミアが侍女頭やクイサに叱られるのも気の毒である。


 そう判断して、せめて二、三日は我慢しようと決め、アイフェは仕方なしに自室で織物に勤しんでいた。


 アイフェの部屋は、以前はケイヴィラが使用してた部屋だった。

 寝室になっている部屋は、木々の意匠の緑の壁紙は森に似て、薄い茶色の床に、濃い茶色の絨毯は大地を思わせた。さほど高さはないものの大きめの寝台は、多少寝相が悪くても問題ないところが気に入っていた。

 客間は青と白の空のような壁紙で、まだ幼い頃のバーティンが来たとき、クッションを投げ合って遊んだり、白と黒の騎馬の駒を取り合う盤遊戯をしたりするが、身内以外の客はまずこない。

 普段くつろいでいるのは、居間としている部屋で、アイフェが織物をしている場所でもある。大小のクッションがいくつか散らばり、小さな円卓の上には水差しがおかれている。


 ミアも主人に倣って織物をしつつ、飲み物を用意したり甘いものを進めたりと、アイフェがおとなしくしている時間を、なるべく引き延ばすような努力を重ねていた。


 しかし、二日目の昼には、アイフェはこの状況に早々に飽きてしまった――むしろ、よくもったと褒めるべきだろう。もともと活動的すぎる少女には、向いていない作業だ。

 どこに嫁ぐにしろ機織りは必須だと、母にもクイサにも言われ続けた。母は機織りが上手だったが、アイフェにはその才能は受け継がれなかったようだ。


 アイフェは、道具を隅に置き、すっくと立ち上がる。


「バーティンのところに行くわ」

「は? アイフェ様?」

「城の外には出ないわ。でもバーティンのところに行くくらいはいいわよね? どうしてるか気になるんだもの」

「……わかりました」


 ミアはやれやれとぼやきつつ、それに従った。



 ◇ ◇ ◇



 王妃と王太子の宮殿に向かえば、前庭で剣の稽古をしていたバーティンが跳ねるようにやってきて、出迎えてくれた。


「姉上!」

「バーティン」


 アイフェは弟の姿に目を細める。

 あと十年も経たないうちに、きっと侍女や女中はもちろん、異国の王女でさえ見とれるような美少年に育ちそうだ。もっともいまはまだ、成長途中の華奢な姿に、長い剣が似合わない。

 しかしここで吹き出してはバーティンがふてくされると、アイフェは必死にこらえた。


「剣術の稽古なの?」

「うん。でも、いま終わったところ。着替えて来るね」


 そしてアイフェは妃――ファラーシャにもてなされることになった。

 ファラーシャは二十九歳の、第二王妃だ。とはいえ、第一王妃であるアイフェの母はすでに亡いため、この後宮の主人はファラーシャである。


 しかし、淡い色調の壁紙に、小花模様が織り込まれた絨毯は、質素とも言えるものだ。置かれている水差しは藍色模様の陶器製で、宝石が埋め込まれているわけでもない。


 袖口と裾にだけ細かな刺繍の施された淡い紅色の装束を纏い、耳飾りと指輪をひとつだけはめ、薄絹で顔を覆ったファラーシャは、万事控えめな女性だった。


 クイサが勘ぐるような自作自演はあり得ないと、アイフェには言い切れる。


「ファラーシャ様。バーティン、元気そうですね?」

「ええ、本当に」


 頷くファラーシャの声は弱々しいものだった。心労が重なっているのだろう。母親の不調は、きっと息子にも悪影響を及ぼすに違いない。


 アイフェは意を決したふうに、問いかけた。


「あの、ファラーシャ様? まだ、魔神の声は続いているの?」


 三度、魔神は訪れたと聞いた。


「いまはおさまっております。このまま、何事もなければ……」

「父様には?」

「いいえ、何もお伝えしてはおりません。これで終わるかもしれませんし――」

「でも、この王宮は祓魔師がちゃんと守っているはずなのよ。それが破られているのなら、問題だわ」

「ええ、ですが」


 ファラーシャの歯切れは悪い。


「たまたま、入り込む隙間があっただけなのでしょう」


 だとしても問題だと思うのだが、ファラーシャは薄絹の向こうで微笑んだようだ。


「アイフェ様がくださった護符もありますから」


 それは、自分自身にそう言い聞かせているようでもあった。


 この国では、数十年前、王位を狙った魔術師が出現してからは、お抱えの魔術師はいなくなった。王族のそばに置くには、危険すぎると判断したからだ。以来、王宮を守る魔法円は強力になり、祓魔に特化した術師がいるだけだ。防御は完璧のはずなのに、魔物が出るという。


「そんなに強い魔物なのかしら……」


 そこへバーティンが戻ってくる。


 アイフェは重い雰囲気を払拭するように、バーティンに明るく話しかけた。


「バーティン! 剣の稽古をがんばっているのね、偉い偉い!」

「うん。魔神が来たら、わたしが追い払うんだ。そのためには、剣をしっかり使えるようにならないといけないからね!」


 意気込む幼い姿に、アイフェは胸を突かれた。


「でも、護符があるでしょう?」


 ううんと、バーティンは首を振る。それをファラーシャは止めようとしたのだが、遅かった。


「昨日も来たんだ。だから早く強くなって、わたしが追い払うんだ」


 アイフェはファラーシャを見やり、バーティンを見やる。


「護符は全然効かったってこと……!? でも、なんの騒ぎもなかったのに」

「母上が、凄く口止めしたから……。あの魔神は、窓からやって来て、同じ台詞を言って消えたんだ」


 ファラーシャは来ていないと言った。なぜ嘘をついたのか。

 アイフェは、もう一度ファラーシャを見る。

 その視線から逃れるように、妃は薄絹の中で俯いた。


「ファラーシャ様。父様に言って、もっとしっかり魔除けをしてもらうべきだわ」

「いいえ。魔神は時折やってくるだけで、害はないのです。陛下のお心を煩わせるようなことはありません」


 そうして、ファラーシャはバーティンに提案する。


「バーティン。姉上様とお散歩にでも行っておいでなさい。わたくしは少々疲れましたので、少し休ませていただきます」

「はい。――行こう、姉上?」


 息子は母の言葉に素直に頷き、姉の手を取って外へ出た。


 王宮は、都の北側にそびえるジャニ山脈の泉から水路を引き、緑豊かな庭を演出していた。柑橘系の樹木が植えられ、花と実の両方を楽しむことができる巴旦杏の木、色とりどりの薔薇や、素馨も植えられている。


 バーティンと王妃用の庭に出てきたアイフェだったが、散歩をするような気分ではない。

 それは、バーティンも同様だったようだ。


「母上、大丈夫かな。なんだか元気がないんだ。侍女たちもずっと暗い顔をしてる」

「うん……。父様は来た?」

「朝一番にいらっしゃったよ。政務の前に。でも母上は、何事もないように振る舞いなさいって、わたしにも言うんだ。母上は、何も言わなかったけど、父上は、わたしに変わりないかって聞くんだよ」

「なんて答えたの?」

「変わりありません、て答えた」


 健気な弟の頭を、姉は撫でる。いつか、届かなくなるにしても、それはまだまだ先のことだ。


「バーティンはたったひとりの息子だもの。父様は、あなたのことがとても大事だから、きっと本当のことを言っても、あなたを守ってくれると思うわよ」

「でも、母上が黙っていろというのであれば、わたしは黙っていることにする」


 それに、とバーティンは思い詰めたように続けた。


「これは、誰かがわたしのことを嫌いだってことだよね?」


 確かに、そうなのかもしれない。しかしそれはバーティン個人ではなく、王太子としてのバーティンなのだ。とはいえ、そんなことを告げたところで、バーティンにとって、大差はないだろう。


「ええとね、嫌いっていうわけじゃなくて」

「わたしがいないほうがいいって、思ってるひとがいるってことでしょう? ……わたしは、王様になんかならなくてもいいんだ」


 そんな投げやりな言葉に、アイフェは叱るように弟の肩に手を置いた。


「何言ってるのよ、バーティン。そんなこと言っちゃだめ」

「でも」

「あなたは立派な王様になるから。姉上が保証してあげる。ね!」


 バーティンは笑みを見せたものの、姉を気遣ってのことだとわかる笑顔だった。


 ひとしきり庭を散策して、屋内に戻りしばしファラーシャと歓談して、アイフェはそこをあとにしたのだ。


 居室まで戻る道すがら、半歩遅れてくるミアが口を開いた。


「アイフェ様。ファラーシャ様は、随分お疲れのご様子でしたね」


 ミアも気がついていたようだ。


「そうね。やっぱり色々こたえていると思うのよね」


 魔神に呪いの言葉を吐かれては、どれほど頑強なものでも気に病もう。ファラーシャは頑強などとはほど遠い。それでよく害はないなどと言うものだ。

 ファラーシャにしてみればバーティンさえ無事なら問題はないのかもしれないが、それにしても精神的な苦痛は母子ともにあるだろう。


「まぁ、こたえているんだとは思いますけど、なんていうか、こう、ちょっとおかしいというか」

「そうよね、凄く、違和感があるのよ」


 言葉が出てこなくてもどかしそうなミアだったが、アイフェも似たような感想を持ったのだ。

 いままでファラーシャは、室内で薄絹をつけていたことはない。どれほど体調が悪かろうと、客が来ている途中で退席したことはない。


 そんなもやもやした心を抱えて部屋に戻ると、見慣れない包みが置いてあった。

 ミアが中身を確認すると、出てきたのは硝子製の小瓶だ。中に液体が入っているのがわかる。


「何、これ?」


 包みについていた小さな紙に名前が書いてあるのを、ミアが読んだ。


「マムッド様からの贈り物のようですよ」

「なんで贈り物? 今日なんの日?」

「アイフェ様のお誕生日ではないことは確かです」


 小首を傾げるアイフェと同じように、問われたミアも小首を傾げる。


「まぁ、いいわ。捨てるわけにもいかないし……。どこか、目に付かないところにしまっておいて」

「香りの確認はしません? お好きな香りだったら使ってみても」

「えー……」


 確かに好きな香りだったら惜しいような気もする。しかしマムッドからの不意の贈り物の裏が、不安だった。できれば送り返したいくらいだ。

 そこへ当のマムッドが来たと、侍女のひとりが取り次ぎをしてきた。渋々部屋に通す許可を与えると、侍女と入れ替わるように顔を出す。


「やあ、アイフェ!」

「……こんにちは、マムッド」


 マムッドはアイフェの父ハリークの異母弟ムイードの息子だ。アイフェには従兄にあたる。

 金糸銀糸で鮮やかな刺繍の施された上等の衣装を身に纏い、真っ白いターバンに大きな石榴石の飾りを付けている。均整の取れた体つきに、鼻筋の通った顔立ちをしていて、黙って立っていれば立派な貴公子に見える。

 しかしアイフェはこの二歳年上の従兄が、いまひとつ好きになれなかった。


「気に入ってくれたかい?」


 その問いがあの小瓶のことだと、ややあって気づく。


「え、ああ、あの香水。あー、あの、ちょっと出ていて帰ってきたばかりなの。まだ香りは確認していなくて」

「そうなのかい? でもきみにきっと似合うよ。きみも年頃の娘なんだから、少し着飾ってみるのもいいじゃないか」


 洒落た男性が女性をくどくような台詞だが、アイフェは胡散臭そうにマムッドを見やった。そもそもそんな気の利いた台詞が吐けるような人物ではないのだ。

 入れ知恵をした黒幕に、心当たりがある。


「そういうふうに言えって、ディカ叔母様に言われたの?」


 ディカとはマムッドの母親だ。マムッドは、何をするにしてもディカに意見を求める。そしてディカもまた、何事においてもマムッドの行動に口を出すのだ。

 アイフェの憶測は的を射ていたようで、目に見えてマムッドは狼狽える。


「え? い、いや、そうじゃないよ」


 言われたのね、とアイフェは確信した。

 しかし、ごほんと咳払いをひとつして、マムッドは立ち直った。


「わ、わたしの妻になる女性に、贈り物をしてはいけないかい?」


 意味がわからず一瞬きょとんとしたものの、次には叫ぶように声を上げた。


「あ、あたしはあなたの妻になんかならないわ!!」

「どうして? いとこ同士の結婚は喜ばしいものだよ」


 いとこがどうとかいう問題じゃない、あなたの問題だ、とはさすがに口に出せなかった。

 それに、マムッドにそう言ったところで通じるとも思えない。

 アイフェの沈黙を、自分の言葉を受け入れたものだと思ったのか、マムッドは話を変えた。


「そういえば、ファラーシャ妃の宮殿では大変らしいね」


 ぴくりとアイフェの頬が引きつるが、マムッドは気づかない。


「なんのこと?」

「呪いだよ」

「呪いなんか、王宮内で起こるわけないでしょ」

「まさか、きみは知らないわけじゃないだろう? それに使用人たちの口には、戸がないんだよ」


 アイフェは怒りを耐えて、冷ややかにマムッドを見やる。


「まったく、バーティンを廃せばいいだけのことなのに、呪いが続けばバーティンの命が危ないんじゃないのかい?」

「――命?」

「そういうことだろう、呪いっていうのは? 違うのかい?」


 アイフェはひゅっと息を飲んだ。


『バーティンを廃せ。さもなくば、その命、時を駆けるものと知れ』


 あの言葉は、やはりそういう意味なのだろうか。


「でも。バーティンは元気だわ」

「いつまで続くかな」


 せせら笑うようなマムッドに、アイフェは思わず疑念を口にしていた。


「あなたがやったの?」


 マムッドは目を見開いた。


「何を? 呪いをかけたって? 魔神を使って? どんな嫌味だい、それは。わたしにもわたしの父にも、魔力はなかったというのに」


 語気の荒くなったマムッドに、さすがに言い過ぎたかとアイフェも反省する。


「ご、ごめんなさい。そういう意味じゃ」


 それをマムッドは手を振って遮った。


「ああ、構わないさ。ハリーク陛下だって、王位を継ぐまでは魔力なんかなかったっていうからね」

「でも、父様は魔術師よ」


 国王は国で一番の魔術師だ。

 それに何を思ったのか、マムッドは目に見えて不機嫌になる。


「不愉快だよ。帰る。少しは夫を立てるすべを身につけたほうがいい」


 どこから文句をつけるべきか、あまりの言われように、アイフェは咄嗟に言葉を出すことができなかった。

 マムッドはかさにかかったように、さらに続ける。


「バーティンが廃されたら、次の王はわたしの父だ。そしてその次はわたし。いいかい? きみは王妃になれるんだよ。よく考えることだね」


 そんな台詞を残して踵を返したマムッドの、その足音が遠ざかっていくのを聞きながら、アイフェは荒れていた。

 手近な座布団をばしばしと扉に投げつける。


「あたしのほうが不愉快よっ。夫を立てるすべですって? ふざけないで!」

「アイフェ様。落ち着いて」


 ミアがなだめてくるが、アイフェは覚悟を決めた。


「こうなったら、背に腹は代えられないわ」


 すっと立ち上がってすたすたと部屋を出ていく女主人を、侍女は慌てて追いかけた。


「アイフェ様、ちょっとお待ち下さい。どちらへ、アイフェ様!」

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