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王女と魔術師  作者: ねむのき新月
第六章
23/25

魔神王ダーリア

 クイサは信じられないという表情で、視線を彷徨わせている。


「そ、そんな……、そんな馬鹿な……」


 アイフェはライルを見やった。


「ふ、封印したの……?」

「しました。ちょっと待ってください」


 ライルは小瓶に口付けて、名を呼ぶ。


「出ておいで、イエレド」


 そうして憮然とした面持ちで出てきた魔神は、ライルに詰め寄った。

 今度ははっきりと姿がわかる。

 浅黒い肌に、ぎらぎらとした金色の目が、ライルを睨みつけていた。


『貴様、どこの魔術師だ。なぜ、おれの名前を――』

「渡っていない魔神の名を、知っているだけ刻んだよ。その中にあって、よかった」


 悔しげな魔神に、ライルは命じる。


「行って、かけた呪いを解け。その後は速やかに小瓶に戻り、魔神国へ渡る日まで眠るがいい」


『くそ――。くそくそくそっ!』


 王宮では魔神の登場に騒然となったものの、ファラーシャの体は元に戻っていた。若々しい姿に、侍女たちは喜び、バーティンは母に抱きついた。


 戻ってきた魔神を封じた小瓶を手に、ライルは深々と息を吐いた。


「賭けみたいな方法だったけど、なんとかうまくいった……。ありがとう、エーフ。戻っていいよ」

「あの、あたしからも、ありがとう、エーフ」

『おう。じゃ、ゆっくり休むからな。しばらく呼ぶなよ』


 エーフは肩手を上げて、指輪に消えた。

 アイフェは弱々しいながらも笑みを零す。


「あの魔神、あなたが封じたあとには、随分姿がはっきりしていたようだけど」

「クイサさんのときには、小瓶の持ち主に縛られている状態で、それほどの従属性はなかったんですよ。だから、あの魔神は半分の力も出していなかった。それで、人間の体が欲しかったんでしょうね。ぼくは、名で縛った。完全にぼくの支配下で、主に逆らえないとらわれの魔神になったんですよ」


 そう、とアイフェは頷いて、クイサを見やる。


「クイサ」


 しかしクイサは、ただひたすらに謝っていた。


「イシュヴァ様、申し訳ございません――」


 アイフェなど、彼女の目には入ってはいなかった。



 ◇ ◇ ◇



 ほぼ同時刻。

 幽閉の宮殿では、夜着のラザークが客を出迎えているところだった。


「これはこれは、ご機嫌よう、兄上? 来訪には、いささか不向きな時間ではないでしょうかね?」


 この国の王であるハリークは正装をして、単身で弟に会いに来ていた。

 しかし挨拶もなく、こう告げる。


「バーティンの呪いは解けた」

「そうですか」


 淡々とした会話だった。


「イシュヴァに小瓶を渡したのはおまえか」


 それは問いではなく、確認だった。


「平等に愛することもできぬのに、複数の妻を持つからですよ」

「……もっともだな。だがそれは、わたし個人が反省すべきことだ」


 ハリークの目に、ラザークの枷が映る。


「なぜ、イシュヴァを放っておかなかった?」

「それが夫の台詞ですかね? 哀れだったからですよ、気の毒だったからです。わたしはイシュヴァ義姉上のお手伝いしただけ。自分が第一王妃であるという、その矜持を保つための手伝いをね。わたしも、手伝う相手は選んだんですよ。イシュヴァ義姉上のほうが、この国のためかと思ったのに」


 ディカを手伝えば、マムッドが王になるかもしれない。しかしイシュヴァを手伝えば、第二王妃と第一王子がいなくなるだけだ。ハリークがまた、イシュヴァ相手か、新たな王妃と、王子を、嫡男を作ったほうが、国は荒れないだろう。


「直系を大事にしたつもりですよ、兄上」


 蕩々と語るラザークに、ハリークは軽く目を伏せた。


 病に倒れなければ、イシュヴァ本人があの小瓶を使っていただろうか。それは、いまとなっては誰にもわからないことだ。


「しかし、イシュヴァの願いが叶えば、おまえにも益があったのだろうな」

「わたしに、益?」

「たとえバーティンを廃したところで、おまえが玉座に座ることはない」


 その言葉に、ラザークは面白そうに口の端を持ち上げる。


「わかっていますよ、もちろん。さっきも言ったでしょう? 兄上に新たな王子が生まれる可能性も十分ある」

「わたしに、息子がなくとも」

「先にムイード兄上ですか。行く行くはマムッドに? まあ、そうでしょうね。ディカ義姉上が喜びそうだ。あぁ、それとも――」


 ラザークは思わせぶりに言葉を切って、ハリークを見据えた。


「まずは、サヒード兄上」

「サヒードはもういない」

「この王宮にはいませんね」


 ラザークは歌うように、ハリークをうかがった。


「ハリーク兄上。サヒード兄上を、どこに隠したんです?」


 ハリークは首を横に振る。


「サヒードはおまえを信頼していたのだ。わたしやおまえや母上にいらぬ遠慮をして」


 ふんと、ラザークは鼻を鳴らす。


「腹違いとはいえ我が兄ながら、愚かだと思いませんか? わたしとサヒード兄上がいたら、この国を牛耳ることなど簡単だった。ハリーク兄上、あなたさえその気であれば、異国を――いいえ、世界を獲ることさえ協力したのに」

「だからこそ、サヒードは死ぬことにしたのだ。おまえに目を覚まして欲しかったから」

「わけがわかりませんね」


 力を持って生まれた。その力を使うすべも知っている。どこに使用を躊躇うことがある。


「初代王は、魔神王と約束をしたのだよ。いつの日か、魔神の国へと渡る日まで、魔神を保護するように」


 ハリークは、願いを込めた。


「おまえは、その想いがわからないのか」

「古の時代に、人間は魔神に虐げられてきたのです。そんな中、力を持った魔術師が出てきて、立場は逆転した。魔神は使役するものです。そうでしょう?」


 ハリークは悲しげに弟を見た。


「……ラザーク」


 その瞬間、ハリークののど元に短剣が突きつけられていた


「兄上。魔法円で魔力は使えずとも、剣くらいは使えるんですよ。この飾りの剣でも、力一杯突けば、無事ではすまないでしょうね」


 例え足枷があろうとも、この距離では防げまい。


「そのようだな」


 しかしハリークにはなんの動揺も見られなかった。


「おひとりでおいでとは」

「ひとりだと思うか?」


 はったりだと、ラザークは嘲笑を浮かべる。


「使い魔ですか? 本当にいるんですかね? わたしは見たことがありませんが」


 王家の生まれで魔力を持つか否かは、七歳になるとその前に現れる初代王の使い魔でわかるという。


 しかしラザークは、その使い魔をこれまで見たことがなかった。


「おまえの前にも現れたはずだ。だが、おまえが気づかなかっただけのこと。それにおまえは、七歳になる前から、魔神があちこちにいると言っていただろう。魔力があるのは、わかっていた」


 ラザークはふんと笑う。

 八年前も、バーティンを守るためにすら、初代王の使い魔は現れなかった。ラザークは、魔法円におびき出されて捕らえられたのだ。

 しかし、気づけばハリークの背後に人影が見えた。


「おや、いつの間に……。どこから入ったんだい?」


 ラザークは視線だけを向けた。


「正面から」

「おまえ、アイフェの侍女だろう?」


 長い髪を揺らし、ミアはきゅっと唇を三日月の形にして笑う。いつもの人好きのする雰囲気とはかけ離れた、刃のような雰囲気で。


「そう、いまはな――」


 ミアは、みるみるうちに変化した。長い髪はそのままに、しかし爪は鋭く伸び、口元には小さな牙が覗く。背中に生えた羽は小さなものとはいえ空を舞い、尖った耳が主張している。麗しい女魔神(ジンニーヤ)が、そこにいた。


「……なるほど」


 ラザークは得心した。


「時によって姿を変え、常にこの王家に宿っているか」


 そして剣を突きつけたまま、目の前のハリークに微笑みかける。


「バーティンには玉座を。アイフェには守護者を? 平等に愛しているのですかね?」


 この国の王を守る魔神は、健在だった。


「それも、父であるわたしが悩めばいいだけのことだ。おまえは混乱を招いた」

「兄として、わたしのことは大事ではないのですか?」

「兄としては、もちろん大事だ。ずっと、大切にしてきた。しかし、わたしは国王として、国を民を魔神を守る義務がある。――ダーリアよ」


 ハリークの脇から、ミアが――女魔神が、約束の魔神王ダーリアが、足を踏み出す。


「素敵な建前ですね。あなたに都合がいいだけだ。まぁ、いいでしょう? それで?」

『眠れ、永遠に』


 魔神王が、そう命じる。

 ラザークは口元に笑みを刻んだ。腕から剣が落ち、その身が、ゆっくりと傾いていく。


『この国の王は、我らを守る義務がある。このようなところで、死んでもらっては困るな、いまはまだ』


「わかっている」

『一度は、見逃した』

「わかっているとも……!」


 ゆっくりと冷えていく弟の身を、ハリークは抱きしめた。

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