魔神王ダーリア
クイサは信じられないという表情で、視線を彷徨わせている。
「そ、そんな……、そんな馬鹿な……」
アイフェはライルを見やった。
「ふ、封印したの……?」
「しました。ちょっと待ってください」
ライルは小瓶に口付けて、名を呼ぶ。
「出ておいで、イエレド」
そうして憮然とした面持ちで出てきた魔神は、ライルに詰め寄った。
今度ははっきりと姿がわかる。
浅黒い肌に、ぎらぎらとした金色の目が、ライルを睨みつけていた。
『貴様、どこの魔術師だ。なぜ、おれの名前を――』
「渡っていない魔神の名を、知っているだけ刻んだよ。その中にあって、よかった」
悔しげな魔神に、ライルは命じる。
「行って、かけた呪いを解け。その後は速やかに小瓶に戻り、魔神国へ渡る日まで眠るがいい」
『くそ――。くそくそくそっ!』
王宮では魔神の登場に騒然となったものの、ファラーシャの体は元に戻っていた。若々しい姿に、侍女たちは喜び、バーティンは母に抱きついた。
戻ってきた魔神を封じた小瓶を手に、ライルは深々と息を吐いた。
「賭けみたいな方法だったけど、なんとかうまくいった……。ありがとう、エーフ。戻っていいよ」
「あの、あたしからも、ありがとう、エーフ」
『おう。じゃ、ゆっくり休むからな。しばらく呼ぶなよ』
エーフは肩手を上げて、指輪に消えた。
アイフェは弱々しいながらも笑みを零す。
「あの魔神、あなたが封じたあとには、随分姿がはっきりしていたようだけど」
「クイサさんのときには、小瓶の持ち主に縛られている状態で、それほどの従属性はなかったんですよ。だから、あの魔神は半分の力も出していなかった。それで、人間の体が欲しかったんでしょうね。ぼくは、名で縛った。完全にぼくの支配下で、主に逆らえないとらわれの魔神になったんですよ」
そう、とアイフェは頷いて、クイサを見やる。
「クイサ」
しかしクイサは、ただひたすらに謝っていた。
「イシュヴァ様、申し訳ございません――」
アイフェなど、彼女の目には入ってはいなかった。
◇ ◇ ◇
ほぼ同時刻。
幽閉の宮殿では、夜着のラザークが客を出迎えているところだった。
「これはこれは、ご機嫌よう、兄上? 来訪には、いささか不向きな時間ではないでしょうかね?」
この国の王であるハリークは正装をして、単身で弟に会いに来ていた。
しかし挨拶もなく、こう告げる。
「バーティンの呪いは解けた」
「そうですか」
淡々とした会話だった。
「イシュヴァに小瓶を渡したのはおまえか」
それは問いではなく、確認だった。
「平等に愛することもできぬのに、複数の妻を持つからですよ」
「……もっともだな。だがそれは、わたし個人が反省すべきことだ」
ハリークの目に、ラザークの枷が映る。
「なぜ、イシュヴァを放っておかなかった?」
「それが夫の台詞ですかね? 哀れだったからですよ、気の毒だったからです。わたしはイシュヴァ義姉上のお手伝いしただけ。自分が第一王妃であるという、その矜持を保つための手伝いをね。わたしも、手伝う相手は選んだんですよ。イシュヴァ義姉上のほうが、この国のためかと思ったのに」
ディカを手伝えば、マムッドが王になるかもしれない。しかしイシュヴァを手伝えば、第二王妃と第一王子がいなくなるだけだ。ハリークがまた、イシュヴァ相手か、新たな王妃と、王子を、嫡男を作ったほうが、国は荒れないだろう。
「直系を大事にしたつもりですよ、兄上」
蕩々と語るラザークに、ハリークは軽く目を伏せた。
病に倒れなければ、イシュヴァ本人があの小瓶を使っていただろうか。それは、いまとなっては誰にもわからないことだ。
「しかし、イシュヴァの願いが叶えば、おまえにも益があったのだろうな」
「わたしに、益?」
「たとえバーティンを廃したところで、おまえが玉座に座ることはない」
その言葉に、ラザークは面白そうに口の端を持ち上げる。
「わかっていますよ、もちろん。さっきも言ったでしょう? 兄上に新たな王子が生まれる可能性も十分ある」
「わたしに、息子がなくとも」
「先にムイード兄上ですか。行く行くはマムッドに? まあ、そうでしょうね。ディカ義姉上が喜びそうだ。あぁ、それとも――」
ラザークは思わせぶりに言葉を切って、ハリークを見据えた。
「まずは、サヒード兄上」
「サヒードはもういない」
「この王宮にはいませんね」
ラザークは歌うように、ハリークをうかがった。
「ハリーク兄上。サヒード兄上を、どこに隠したんです?」
ハリークは首を横に振る。
「サヒードはおまえを信頼していたのだ。わたしやおまえや母上にいらぬ遠慮をして」
ふんと、ラザークは鼻を鳴らす。
「腹違いとはいえ我が兄ながら、愚かだと思いませんか? わたしとサヒード兄上がいたら、この国を牛耳ることなど簡単だった。ハリーク兄上、あなたさえその気であれば、異国を――いいえ、世界を獲ることさえ協力したのに」
「だからこそ、サヒードは死ぬことにしたのだ。おまえに目を覚まして欲しかったから」
「わけがわかりませんね」
力を持って生まれた。その力を使うすべも知っている。どこに使用を躊躇うことがある。
「初代王は、魔神王と約束をしたのだよ。いつの日か、魔神の国へと渡る日まで、魔神を保護するように」
ハリークは、願いを込めた。
「おまえは、その想いがわからないのか」
「古の時代に、人間は魔神に虐げられてきたのです。そんな中、力を持った魔術師が出てきて、立場は逆転した。魔神は使役するものです。そうでしょう?」
ハリークは悲しげに弟を見た。
「……ラザーク」
その瞬間、ハリークののど元に短剣が突きつけられていた
「兄上。魔法円で魔力は使えずとも、剣くらいは使えるんですよ。この飾りの剣でも、力一杯突けば、無事ではすまないでしょうね」
例え足枷があろうとも、この距離では防げまい。
「そのようだな」
しかしハリークにはなんの動揺も見られなかった。
「おひとりでおいでとは」
「ひとりだと思うか?」
はったりだと、ラザークは嘲笑を浮かべる。
「使い魔ですか? 本当にいるんですかね? わたしは見たことがありませんが」
王家の生まれで魔力を持つか否かは、七歳になるとその前に現れる初代王の使い魔でわかるという。
しかしラザークは、その使い魔をこれまで見たことがなかった。
「おまえの前にも現れたはずだ。だが、おまえが気づかなかっただけのこと。それにおまえは、七歳になる前から、魔神があちこちにいると言っていただろう。魔力があるのは、わかっていた」
ラザークはふんと笑う。
八年前も、バーティンを守るためにすら、初代王の使い魔は現れなかった。ラザークは、魔法円におびき出されて捕らえられたのだ。
しかし、気づけばハリークの背後に人影が見えた。
「おや、いつの間に……。どこから入ったんだい?」
ラザークは視線だけを向けた。
「正面から」
「おまえ、アイフェの侍女だろう?」
長い髪を揺らし、ミアはきゅっと唇を三日月の形にして笑う。いつもの人好きのする雰囲気とはかけ離れた、刃のような雰囲気で。
「そう、いまはな――」
ミアは、みるみるうちに変化した。長い髪はそのままに、しかし爪は鋭く伸び、口元には小さな牙が覗く。背中に生えた羽は小さなものとはいえ空を舞い、尖った耳が主張している。麗しい女魔神が、そこにいた。
「……なるほど」
ラザークは得心した。
「時によって姿を変え、常にこの王家に宿っているか」
そして剣を突きつけたまま、目の前のハリークに微笑みかける。
「バーティンには玉座を。アイフェには守護者を? 平等に愛しているのですかね?」
この国の王を守る魔神は、健在だった。
「それも、父であるわたしが悩めばいいだけのことだ。おまえは混乱を招いた」
「兄として、わたしのことは大事ではないのですか?」
「兄としては、もちろん大事だ。ずっと、大切にしてきた。しかし、わたしは国王として、国を民を魔神を守る義務がある。――ダーリアよ」
ハリークの脇から、ミアが――女魔神が、約束の魔神王ダーリアが、足を踏み出す。
「素敵な建前ですね。あなたに都合がいいだけだ。まぁ、いいでしょう? それで?」
『眠れ、永遠に』
魔神王が、そう命じる。
ラザークは口元に笑みを刻んだ。腕から剣が落ち、その身が、ゆっくりと傾いていく。
『この国の王は、我らを守る義務がある。このようなところで、死んでもらっては困るな、いまはまだ』
「わかっている」
『一度は、見逃した』
「わかっているとも……!」
ゆっくりと冷えていく弟の身を、ハリークは抱きしめた。




