表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王女と魔術師  作者: ねむのき新月
第五章
19/25

王弟妃ディカ

 ライルがミアに呼ばれてやって来た。

 時間帯が時間帯だったので、ミアは食事の準備のために、席を外す。


「うまくいったんですか? 何かありました?」


 アイフェは力無く首を振り、持ってきてしまった小瓶をライルに見せる。


「こういう感じのものしかなかったわ」

「普通の香水瓶ですね」

「宝石箱は確認できなかったの。でも、きっと何かあると思う。ディカ叔母様がラザーク叔父様のところに行って、手ぶらなんてあり得ないでしょ」


 言いながらも、マムッドに触られた感触が気持ち悪くて、そこをさすり続けている。

 それをライルが見咎めた。


「どうしたんです? そんなに腕をこすって」

「マムッドに触られただけ。なんだか――」


 ライルはアイフェの腕を取った。


「肌が剥けますよ。触られたって、マムッド様は酔っぱらってでもいたんですか?」

「知らないわ。あたしには素面に見えたけど。でも前にくれた香水は、娼館で使う香水で、それをつけたあたしに今夜会いたいって」


 ライルはため息をつくしかできなかった。

 恋しい女に娼婦の香りをつけたい男もいるだろうが、それを女に告げるというのはどうだろう。

 しかも、まだ少女と呼ぶに相応しい王女に、だ。


 アイフェは小刻みに震えていた。


「こ、今夜、マムッドが来たら、どうしよう――」

「来る? この部屋に?」

「なんだかよくわからないけど、勘違いしてるみたいで……。あたしが、マムッドを好きだって。でも」


 珍しくアイフェは怯えていた。力では適わないのだと、思い知らされたからだ。


「だったら、ケイヴィラ様のところに避難したらいいですよ。それかバーティン様のところに」

「バーティンは、だって大変なのに」

「ひとが多いほうが心強いでしょう、あちらも」

「うん……」


 邪魔になるだけかもしれないと片隅で思ったが、情けないことにマムッドに対する恐怖が勝って、ライルの提案に乗ることにした。

 バーティンのところに泊めてもらおう。しかしこれから毎日そうするわけにもいかない。

 そんな動揺の中、食事の準備の手を休めて、ミアが取り次いできた。


「アイフェ様。ディカ様がいらっしゃいましたけど……」

「叔母様が? マムッドは一緒?」

「いいえ」

「じゃあ、いいわ。でも……」


 ちらりとライルを見やる。


「奥の部屋に入って構わないのであれば、隠れていますよ。覗き見はしてもいいですよね?」


 何かあったらきっと助けてくれる――と、アイフェは無意識のうちに頼り、ほっと息をついて、ディカを居室に入れた。


「叔母様、いらっしゃい。珍しいわね」


 動揺は現れていないと思う。アイフェはいつものように、当たり障りない笑顔を見せた。


「あら、あなたこそ、わたくしが湯浴みに行っているあいだに、部屋に来たのでしょう?」


 アイフェはぎくりとするが、ディカは上機嫌だ。その理由はすぐに知れた。


「アイフェ。マムッドと結婚してくれる気になったんですって?」


 その内容を理解するのししばし時間がかかったものの、思い切り否定する。


「なってないわ、叔母様。どうしてそういうことになるの?」

「あら、でも。あの子の贈った香水が気に入ったのでしょう? 違うと言うの? では、わたくしの部屋で何をしていたの?」

「そ、それは」

「香水瓶がひとつなくなっているのよ」


 ディカが意地悪く言うところへ、アイフェが観念したように差し出した。


「それは、これよ。この件に関してはごめんなさい。持ってくるつもりじゃなかったの。マムッドがいきなりやってきてびっくりして――」

「わたくしの香水が欲しいの?」


 どういうわけが誇らしげな叔母に、アイフェは首を振った。


「違うわ、ディカ叔母様。それに、マムッドは全然関係ない」


 アイフェは、真っ直ぐにディカを見つめた。


「叔母様、正直に答えて。ラザーク叔父様のところに、何をしに行ったの?」


 この問いに、ディカは目に見えて動揺した。


「な、なんのこと?」

「許可証なしで、叔父様のところに、何しに行ったの?」


 再度問うと、ディカがごくりと息を飲む。


「馬鹿なことをおっしゃい。許可証なしで、ラザーク様に会えるわけがないでしょう。そもそも、わたくしにはラザーク様に会う理由が――」

「ディカ叔母様が、ラザーク叔父様に会いに行ったのは、わかっているの」

「……あの門番ね……! あれだけの大金を払って……。秘密にすると言ったくせに……」


 ディカは憎々しげに吐き捨て、はっと口をつぐむ。アイフェの疑惑を、自分で認めてしまったからだ。そうして、開き直った。


「わ、わたくしは、義弟を案じて」

「だったら父様に許可証をもらえばいいわ。なのに、こそこそと」


 しかしその発言が、ディカのかんに障ったらしい。


「こそこそ? わたくしがいつ? わたくしはただ、魔神を譲ってもらおうと思っただけよ。さもなければ、捕らえるすべを! わたくしと手を組めば、すぐにそこから出してさしあげると言ったのに――」

「お、叔母様……?」


 たがが外れたような叔母に、アイフェが怯む。

 ディカは威圧するように、姪を覗き込んだ。


「ラザーク様は、忌々しいことに、わたくしには手を貸してくださらなかったわ。わたくしが、王妃ではなかったから! でも、イシュヴァ様にはどうだったのかしらね」

「か、母様……?」

「ええ! こそこそしていたのはイシュヴァ様のほう。まったく何をしていたのやら!」

「母様がどうしたっていうの?」


 表情を強張らせるアイフェに、ディカはどこか獲物をなぶるような笑みを浮かべていた。


「ほほ。亡くなった方をどうこういうつもりはありませんけど、イシュヴァ様はラシード様と昵懇だったのよ。あなた、知らなかったの?」


 母の行動など、知るはずもない。アイフェは、実の母であるイシュヴァとは親密ではなかったから。


「あなたもイシュヴァ様の娘ということかしらね」


 意味ありげに、ふんとディカは鼻で笑った。


「イシュヴァ様は、闇に紛れるようにしてよく行っていたわ。本当に、何をしに行っていたのかしらね?」

「……何をしていたと言うつもり?」


 低く問うアイフェに、ディカは肩をすくめた。


「ラザーク様は美丈夫ですものね」

「まぁ、ディカ様! 言っていいことと悪いことがあります!」


 ひりつくような空気に、急に割り込んできたのは、クイサだった。

 ミアがクイサの背後で、引き留められなかったことを無言でアイフェに詫びている。


「あら、あなた。まだここへ出入りしているの? 隠居したのではないの?」

「わたしのことはお気遣いなく。ディカ様、イシュヴァ様への無礼な発言、取り消していただきたいですわ」

「そうよ、叔母様。母様を侮辱するつもりなら」


 それでもイシュヴァはアイフェの母なのだ。


「侮辱? 王妃と言ったところで、王子を生めなかった妃にどれほどの価値があるというの?」


 蔑むような発言は、アイフェの胸に突き刺さった。

 そうして瞬きひとつの間のあとに、ディカが急にわなないたかと思ったら、ぶるぶると震える指を上げた。

 その指先を、アイフェが追う。

 そこには、バーティンのところにやってきていた魔神がいたのだ。

 クイサは胸元で手を組んで、壁際で魔神を凝視している。

 

 いくつかのことが、起きた。


「き、きゃああああ!」


 ディカの悲鳴を合図としたように、いきなり部屋の中に強風が吹き荒れる。まるで小さな竜巻が生まれたかのようだった。

 魔神の姿を認めた瞬間に、ライルはエーフを呼び出していた。

 飛び交う家具や調度から守るように、ライルはアイフェを抱え込む。

 エーフが魔神に飛びかかっていったと同時に、魔神は姿を消した。

 そんな中、幸運にもディカは気を失ったようだ。


 静まりかえった部屋で、クイサが声を震わせた。


「魔神が、なぜ……。お、おまえ、魔術師なのでしょう? なぜ、こんな」

「生憎、副業魔術師で、全能者じゃないんですよ。とりあえず、ぼくの使い魔が追いかけては行きました」


 そうして、クイサはぽかぽかとライルを叩く。


「おまえ、アイフェ様をお離しなさいっ」

「あ、失礼」


 どちらかといえば、アイフェがライルにしがみついている状態だったで、はっとしてアイフェが離れる。

 そうしてアイフェの視界に入ってきたのは、額から血を流すライルだった。


「や、やだ、ライル、大丈夫!?」

「何かの破片が、かすっただけです」


 言いながら、袖口で額の傷を拭う。ついた血に少し顔をしかめたものの、それほど痛みはない。


「額の傷は、出血のわりにそれほど大きくはないんですよ」

「ほ、本当に?」

「ええ、それよりミアさんのほうが」


 はっとしてアイフェが振り向くと、ミアがうずくまって頭を押さえているところだった。


「ミア!」


 ミアは頭でも打ったのか、近くに壺が転がっている。


「大丈夫、ミア!」

「あ、はい……。ちょっと、くらくらしますけど」

「壺が頭に当たったんですか? どの辺りです?」


 そうミアに手を貸そうとするライルを、アイフェが止める。


「あなたもだめ! 怪我をしているでしょう」

「ぼくは医者を目指してるんですよ。このくらいの手当は自分でできます」


 それから、じっとミアを見つめた。


「とりあえず、ミアさんはそこに横になってください。頭を打ったのなら、大事になることもあるんですよ」

「いえ、でも、なんとも……」

「ミア、言うことを聞いて」


 アイフェに言われて、素直に従う。


「あとは、えっと、包帯? 軟膏?」

「包帯を巻くほどの怪我ではないですね、ぼくのは。ケイヴィラ様の家に帰ってから、手持ちの薬を塗りますよ」

「じゃあ、えと、何が必要……?」


 口は動くものの、まだ行動する気力がないようだ。

 ライルはそんなアイフェに、ふと視線を変えた。


「クイサさん? 彼女に珈琲でも持ってきてください」

「言われるまでもありません」


 きっとクイサはライルを睨みつける。

 アイフェはクイサを見てライルを見て、横たわるミアを見て、なんとか言葉を発した。


「珈琲。は、あとで、いいわ。でもやっぱり、手当を。綺麗な布とか、お湯とか」

「ああ、じゃあ、それを」


 クイサは渋々動き出す。


「どの辺りを打ったんです?」

「ここですね」


 ミアはそう言って、右のこめかみ辺りに手を添える。


「こぶはできていないようですし、出血もないですね。では、この指を追ってください」


 ライルは人差し指を一本立てて、ミアの顔の前で左右に何度か往復させる。ミアの視線はそのあとをしっかりと追った。


「目眩や吐き気は?」

「大丈夫、だと思います」

「ゆっくり、起きあがってください」


 ミアは言われたように、上半身を起こした。


「どこか動かしにくい場所や、しびれている場所は?」

「ありません」

「そうですよね」

「……あの」


 ミアにだけ見えるように、ライルは口元に一瞬だけ笑みを浮かべた。そしてアイフェを振り返るときには、すでに真顔だ。


「でももし今晩あたり、具合が急に悪くなるようでしたら、医師を呼んでください」

「ええ、何かあるようなら、呼ぶわ。ありがとう」


 そのときちょうどクイサが戻ってくる。

 お湯と布で、ライルが自分の額を拭こうとするのを、アイフェが布を奪う。


「じっとしてて。自分じゃ見えないでしょ。そっと拭いてあげるから」

「鏡でも貸していただければ……」

「じっとしていなさい」


 目に涙を浮かべたその剣幕に、ライルが引き下がる。

 ゆっくり傷の周囲から血を拭っていく。確かにライルの言う通り、傷はそれほど深くも大きくもないものだった。

 ほっとアイフェは安堵の息を漏らす。


「傷は大きくはないわ。血も止まりそうだけど、あて布をしておいたほうがいいんじゃない?」

「大げさに包帯を巻くつもりはありませんよ。止まりそうなら、放っておきます」


 そんなやりとりの横では、クイサがミアに怒鳴っていた。


「侍女として失格ですよ!」

「す、すみません」

「まず主人を守るものでしょう? それを――」

「やめてちょうだい、クイサ!」


 すると、クイサの矛先はアイフェに向いた。


「アイフェ様は甘すぎます! イシュヴァ様であれば――」


 この言い分に、アイフェは反射的に叫んでいた。


「母様が厳し過ぎただけよ! いい加減にして!」


 その言葉に、クイサの表情がたちまち歪む。


「なんて、お可哀そうそうなイシュヴァ様……」


 クイサは悔しげにそう言うが、それ以上アイフェに食ってかかるようなことはなかった。


「……呪い云々で案じておりましたが、案の定。わたし、しばらく泊まり込みますわ。ミアもあの状態ですから」


 そう冷やかな視線を向ける。確かに、軽くても怪我人だ。しかも頭を打っている。


「わ、わたしは大丈夫です」

「何を言っているのです。アイフェ様にご不自由をかけるわけにはいきません」


 アイフェは、そんな二人の声が急に遠くなったような気がした。

 なぜか自分の体が傾いていくのはわかったが、止めるすべがない。


「アイフェ!?」


 ライルの声が、最後に聞こえた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ