幽閉の王弟ラザーク
翌日、門番に話は通してあったため、ライルは迎えに来たミアに案内されて、アイフェの部屋に向かった。
しかし待ちきれなかったアイフェが、途中までやってきていたのだ。
「あたしの部屋まで来ると遠回りになるから」
そうして、改めて向かったのは、ラザークが幽閉されている宮殿だ。決して、表舞台に立つことはない人物がここにいる。
許可証を持っている今日は、もちろんすんなり入ることができた。許可証にミアの名はなかったので、ごねるミアをなだめすかして、外で待っていてもらうことにする。
背後で扉が閉まり、その音が消えると、ひどく静かな空間が広がっていた。
ケイヴィラの邸によく似た造りの、十分に立派な邸であった。壁紙も天井ももちろん床も、贅を凝らした美しいものだ。置いてある家具調度も、最高級ではないにしろ、貴族でなければ手のでないような代物だろう。
けれど、生活感がない。
静かに出てきた侍従に案内され、アイフェとライルは歩を進めた。
アイフェははじめてラザークに会うわけではない。幽閉される前は、それなりに交流はあったのだ。ただ、この場所で会うのははじめてで、アイフェは少なからず衝撃を受けることになった。
「ラザーク叔父様……」
伸ばしただろう髪は、女性のようにその背に流れている。やや痩せぎすで、全身に気怠げな雰囲気があるが、その中性的な美貌が際だって見えた。
「やあ、アイフェ。久し振りだね」
「……お久し振りです……」
ゆったりと長椅子にくつろぐ姿は柔らかなもので、知らなければ、ここが幽閉場所だとは誰も気づかないだろう。
しかし、目の前のラザークの足には枷がある。歩行には困らないだろうが、両足を繋ぐ鎖で走ることはできそうにない。鍵穴も見えるが、きっとそこに合う鍵はもうないだろう。決して外れることがないように、一度かけた鍵は、溶かしてしまうのだ。
生かしておくため、それがここのやり方だった。
アイフェの視線に気づいたのか、ラザークがうっすらと笑う。
「ああ、鎖が気になるかい? 結構重いんだよ」
まるで罪人のように――いや、罪人なのだ。
「ハリーク兄上におまえから言ってくれないかな。鎖は取って欲しいって」
「……それは」
「冗談だよ」
返答に困ったアイフェに、ラザークはくすくすと壊れたように笑う。
そうしてアイフェの背後に立つライルに、軽く顎をしゃくった。
「彼は?」
「魔術師よ」
「ほう」
興味深そうに目を細め、ライルを眺めやる。
「座るかい? あいにく、お茶さえ出せないけどね」
「いいえ、大丈夫よ。――叔父様。バーティンが呪われているの。叔父様の耳には入っていない?」
アイフェは単刀直入に尋ねた。
極秘の話ではあるが、ここには外に漏らすような人物はいない。
そうして返って来た答えも、それを裏付けるものだった。
「ここには噂話をするものはいないからね。誰も、わたしとは口を利いてくれないんだよ」
肩をすくめて、ラザークはアイフェに聞いた。
「おまえはわたしを疑っているのかい?」
「……」
ラザークは沈黙を肯定と取った。
「この宮殿で何ができるというんだい。きみにならわかるんじゃないかな?」
台詞の後半はライルに向けたものだ。ライルはぐるりと部屋を見回して応じる。
「確かに、魔神の使役は難しそうですね」
「だろう?」
またもやラザークはくすりと笑う。
ただ、とライルは続けた。
「魔神の開封は、魔術師ではなくとも出来ますからね」
「ああ、なるほど」
ラザークの笑みが深くなる。
「わたしが誰かに小瓶を渡したと? では、おまえたちが次にすることは、門番に出入りの確認だね」
そんなラザークとの対面は、実りがあったとは言い難かった。
軽く目を伏せ、暇を告げたアイフェに、ラザークが思い出したように口を開く。
「おまえはいつも元気だね、アイフェ」
「え?」
「わたしは、おまえのことは嫌いではないよ。いつも何かを求めて行動している姿は」
哀れだ――と、ラザークは優しく囁いた。
アイフェの顔色が変わる。
ライルは、ラザークからアイフェを引き離すように、少女の腕を取り、挨拶もせずに部屋を出る。
ラザークは何が面白いのか、そのあともくすくすと笑い続けていた――。
「……大丈夫ですか?」
「ええ、もちろんよ」
叔父の言葉が悲しいのか腹立たしいのか、冷たくなった指先を、アイフェは隠すように握りこんだ。
「いつも、あんな感じなんですか」
「そうね……。ちょっと、変人っぷりが増したかもね」
そんなふうに軽く話題にして、雰囲気を無理やりに明るくする。
宮殿を出て、ミアが寄ってきたときには、ラザークの言葉などなかったかのようにふるまっていた。
業腹だが、アイフェはラザークに言われたように、門番に問いかけた。
「最近出入りしたひとはいる? あたしたちが入るときにも何か書いていたわよね? その帳面を見せてちょうだい」
「衛士長に確認しなければ、無理です」
門番はどこまでも職務に忠実だった。
アイフェは、我慢をやめた。
「面倒だわ。貸して」
そう言うや、さっとひったくる。
「あ、なんてことを!」
「困ります! アイフェ様!」
取り返そうとする門番二人を邪魔したのは、ライルだ。
「まぁまぁ、減るものでもないでしょう?」
もしかしたら門番の給金が減るかもしれないが、そこは気づかなかったことにする。
一通り眺め終わって、アイフェが帳面を返すと、門番は抱きかかえるようにそれを隠した。
「いないわね……」
王弟の身でありながら、訪問客はいない。
アイフェは宮殿を見上げた。
ラザークがやったことは許されることではない。しかし、生き地獄というのはこのことなのだろうか。
時間は、門番の交代時間だったようだ。引継を眺めていてもしようがないと、アイフェはそこを立ち去ろうと歩き出す。
「ちょっと、そこの門番さん」
しかし、ライルは交代した門番を捕まえていた。さっき、アイフェに帳面を取られた門番で、もちろんこちらをあからさまに警戒している。
「は? なんでしょうか」
「あなたは、門番になってどのくらいですか?」
親しげに肩を抱き、宮殿から離れながら、ライルは問いかける。
怪訝な顔をしながらも、王女とその連れに邪険にしてもいいことはないだろうと判断したのか、門番はそれに応じた。
「まだ、一年足らずです」
なるほど、まだ年若く、アイフェと同年代くらいかもしれない。
「仕事はどうです?」
「恐ろしいですが、それほど大変なことではありません」
「ラザーク様を、何度外に出したんですか?」
さりげない問いだったが、アイフェははっとライルを見た。
そして門番は侮辱だとでも言うふうに、目を見開く。
「まさか。一度もありません」
「では、許可証を持たないひとを何人、もしくは何回通したんですか?」
「一度もありません」
まるで青年に挑むように、門番は強く答える。
ライルは指輪に口付けた。ここは、魔法円の外だ。
「エーフ」
『呼んだ?』
突然現れた魔神とライルを交互に見やって、門番はあとずさる。
「ま、魔術師」
そんな門番を、ライルは冷然と見据えた。
「嘘は嫌いです。真実のみを話してください。さもなければ」
耳元で何事か囁くと、門番はみるみる青ざめた。
「……あ、そ、そんな」
「もう一度聞きます。ラザーク様の外出は」
「ありません!」
「許可証のない出入りは」
「そ、それは」
「呪文の詠唱をはじめていいですよ、エー」
「ありました!」
「誰だったか、覚えていますか?」
「それは、その……」
門番は、アイフェをちらちら見やる。
「誰なの?」
王女からの問いかけに、門番は言いにくそうに口を開いた。
「ディカ様が……」
「ディカ叔母様……?」
アイフェはライルと目を見合わせた。
◇ ◇ ◇
居室に戻ってから、アイフェは聞いた。
「さっき、門番になんて言ったの? 随分あっさりと正直になったでしょう?」
ミアが珈琲を用意して、それぞれの前に置いていく。
「まぁ、たいしたことではないですよ」
「今後の参考にしたいわ。魔術師特有の脅し文句とかがあるの? ねえ?」
食い下がるアイフェに、ライルは口元を覆いつつ、ぼそりと呟く。
「子供を作れなくする呪いもありますよ、と言っただけです」
まぁ、とミアが顔をしかめる。
意味を理解して、アイフェもたちまち頬を染めた。しかし問いただしたのが自分なので、どこにも文句を付けられない。
「そ、そう、そういう――。ええ、わかったわ」
アイフェはそれだけ言って、この話題をうち切った。
ライルもわざとらしく咳払いをしてから、これからの内容に相応しく、生真面目な顔を作る。
「ラザーク様は、魔神を封印できる魔術師なんですよね。魔神はすべて取り上げられたとのことですが、取りこぼしがあったのかもしれません」
それを使って、誰かが、バーティンを呪っているのかもしれない。いや、十中八九そうなのだろう。王宮の外から、攻められるわけがないのだ。
「あったとしたら、指輪とか、小瓶とか、きっと小さいものよね? ディカ叔母様のところに、忍び込んで探してみる」
その決意に、ライルはため息をついた。
「王女様ですよね?」
「大丈夫よ。叔母様が湯浴みに行っているあいだに、探してみるわ」
「それでしたら、わたしのほうが適任ですよ。掃除の手伝いでもしながらとか」
ミアが申し出るが、アイフェが首を横に振った。
「だめよ。もし万が一誰かに見られて、盗んだって思われたらどうするの? 立場上、あたしのほうが安全よ。身分なんてこういうときに有効活用するものだわ」
やる気になってしまっているアイフェに、ライルもミアも説得は諦めた。
ライルは写本の様子を見に、図書室へ行くことになった。
夕刻までに首尾良くいったら、ミアが呼びに行くということで、話はまとまったのだ。
◇ ◇ ◇
善は急げとばかりに、アイフェは、早速行動に移した。
ディカは日に何度も入浴することがある。朝起きてすぐ、食事と食事のあいだに、寝る直前など。
体がふやけてしまうのではないかと思っていたが、いまはその嗜好に感謝する。
ディカが浴場に行くのを確認して、アイフェは話があるとの体を装い、ディカの部屋を訪れた。不在を告げられたが待つと言い張り、留守番の侍女には仕事を言いつけて、人払いをする。
そうして化粧品辺りを漁りはじめた。
いくつかの小瓶があるが、中身は普通に液体が入っているように見える。
ライルが魔神を封じた小瓶には、煙のようなものが揺らめいてみえた。きっと、そういうものを探せばいいのだ。
小瓶にはそれらしきものは見当たらず、使いかけの香水と思しき小瓶を置いて、宝飾品の入った箱も調べようと手を伸ばしかけたときだった。
「アイフェ?」
いきなり声をかけられて。びくっと文字通り飛び上がる。
「マ、マムッド」
「何をしているんだい、ここで? 母上なら湯浴みだよ」
「え、ええ、そうみたいね」
そう応じるアイフェの手元を、マムッドは注視していた。
「それは? 母上の香水瓶?」
「えっ、あっ、そ、そうなの! このあいだあなたがくれた香水が、気に入ったのよ。それで、叔母様も同じものを持っているのかなって思って、あの」
「そうか、あれが気に入ったかい? よかったよ。娼館でも使っているらしいんだ」
「……娼館――」
アイフェは青くなっているのか赤くなっているのか、自分でもよくわからなかった。ただ、ふつふつと沸き上がってくる腹立ちは間違いない。
「あれを付けているきみに会いたいな。今夜はどうだろう」
「な、何――?」
マムッドがじりじりと近寄ってくる。
アイフェはその分じりじりと下がったのだが、繰り返すうちに追いつめられ壁が背に当たる。
「アイフェ――」
真正面で微笑まれて、うすら寒くなる。
マムッドはマムッドで美男子であり、侍女たちの中には熱を上げているものもいるとは聞くが、いかんせんアイフェはその本性を知りすぎていた。
「マ、マムッド。このあいだ、あたしを襲わせたでしょう。あ、あんなことしても、無駄よ。本当にあたしに見直して欲しいんだったら、もっと自分をしっかり持って、それで」
そんなアイフェの苦し紛れの言葉が、マムッドに届くはずもなかった。
「恥ずかしがらないで。何も心配いらないよ、わたしに任せて」
甘く囁いたつもりなのだろう。
マムッドの両腕が広がって、逃げなければと思っているうちに、アイフェは抱きしめられていた。
そして顎を取られて、目の前にマムッドの唇が迫ってくる。
「――いやッ!!」
アイフェは力いっぱい拒絶した。
体に回された腕はほどけなかったが、しゃにむに蹴り上げた足が、マムッドのどこかに当たって、急に自由を取り戻す。
悶絶するマムッドを一顧だにせず、アイフェは逃げ出したのだ。