西市場にて
三日後、アイフェはミアを連れてケイヴィラの邸を訪れ、ライルに申し訳なさそうに告げた。
「父様が、許可証をくれないのよ」
父が暇な時間はほとんどない。
通常の政務はもちろんのこと、定期的に届けられる市民からの嘆願書は自身でしっかり目を通すし、抜き打ちで国費の会計監査をすることもある。異国からの使者をもてなし、ときには城下へ視察にも行く。
そんな父王に、アイフェが会いたいと思うのなら、やはり直前でも知らせが必要なのだ。
幸い、父はアイフェと会う時間をすぐに作ってくれたが、好ましい出来事ではなかったのだろう。
いままでも、父の笑顔はあまり見たことはなかった。王として表情を読まれないようにしているのか、いつも感情がよくわからない。
アイフェは気後れしつつも、久し振りにお茶を飲みつつ当たり障りのない会話をかわしていた。
そして頃合いを見て、ラザークの名を出したとたんに、表情は変わらなかったものの、父は明らかに不機嫌になったのだ。
会いたい理由もろくに告げられないアイフェに、許可証など出せない。
そう、にべもなかった。
「あら、なんの許可証?」
珈琲を勧めつつ、ケイヴィラが話に交ざる。
「ラザーク叔父様に会う許可証よ」
「ああ、兄上に会うのに許可証……。それは、きっとわたくしにも必要なのでしょうね。兄妹なのに自由に会えないだなんて」
もっとも会いに行ったことはないのだけど、とケイヴィラは不義理を自嘲する。
「ハリーク兄上には正直に言ったの? バーティンの呪い関係だって」
「言ってないわ。でもやっぱり、わかってるふうだった」
アイフェは小さく首を振る。
「仕方ないわよね。ラザーク叔父様の件は、忍び込むなり考えるわ。ずっとクイサが居続けていたから、抜け出せなかったの。ライル、何か進展はあった?」
「残念ながら、いまのところは何も」
エーフを使って、魔術師や魔神を探してはいるのだが、なんの手がかりもない状態で探すのは少々無理がある。
その代わりと言ってはなんだが、封印希望の魔神が五人、ケイヴィラの水晶の中に新たに加わっていた。
「じゃあ、今日はどうする? 王宮で聞き込みでもする? それとも術とか? 使い魔を使う?」
「とりあえず、今日は買い物に行きます」
「ああ、封印に必要なものの買い出し?」
「そうです」
そんなライルに、アイフェが興味を隠しもせず、身を乗り出す。
「気にはなってたんだけど、そういうのって、王都にも売ってるの? 市場にあるものなの?」
「売ってる、と思いますけど。普通の日用品ですからね」
「……封魔具よね? 特別なものじゃないの?」
「ごく普通の小瓶に封じますよ。魔神の名がわかれば簡単なんです」
確かに、ライルは実に簡単そうにやっていた。
アイフェは釈然としない
「じゃあ、名前がわからない場合は?」
ライルが腰にあった反りのきつい短剣を示す。
「この剣は特別製で、この柄に水晶をはめられるんです。それで斬りつけて、無理矢理封印します。もっとも、よほどたちの悪い魔神でなければ、そんな力尽くではしませんけどね」
じっとその短剣を見やるアイフェが何を考えているのか、手に取るようにわかったライルが先に言う。
「これは、普通に剣としても使えるんですよ。あなたが扱うような代物じゃありません」
う、とアイフェは怯んだものの、諦めきれなかったようだ。
「じゃあ、ね? その短剣を作ったのは誰? そのひとに頼めば、あたしにも使えるものが出来るんじゃないの?」
「武器としてはともかく、封印するには、そもそも魔力がないと無理なんですよ」
はっきり口にするライルに、アイフェが一瞬目を見開いて、そう、とかすかに俯いた。
その様子に言い過ぎたかと思ったライルが声をかけようとしたのだが、アイフェは勢いよく顔を上げる。
「買い物って、すぐ行くの?」
「そ、そのつもりです、けど……」
「わかったわ。じゃあ、行きましょう」
「……一緒に?」
「そうよ。封魔の道具なら、あたしも参考にしたいから」
一体なんの参考にしたいのかと、ライルが額を抑える前で、ケイヴィラが口を挟む。
「でも、待って、アイフェ」
「参考にするくらい、別にいいでしょ、叔母様」
「そのことではないわ」
止められると思ってふてくされたアイフェの頬を、ケイヴィラはからかうようにつつく。
「ミアにお願いしたいことがあって、彼女を借りようと思っているのよ。となると供がいないでしょう? あなたとライルが二人だけで市場を歩くのはちょっと……」
この国では、未婚の男女が並んで歩くことは奨励されていない。結婚の約束があったり、使用人だったりというのなら話は別だが。
「叔母様、そんな常識的なことをいま言わなくても」
「まぁ、わたくしは常に常識的です」
心外と嘆くケイヴィラに、アイフェが良いことを思いついたと声を上げる。
「ちょっと、待ってて! まだ出かけないでね!」
「え?」
戸惑うライルに念を押して、アイフェは、ケイヴィラ邸に来たときに使う部屋に行って、二人が珈琲を二杯飲むあいだにまた戻ってきた。
その姿を見てケイヴィラは手を叩いて喜び、ライルは頭を抱えそうになった。
「その格好は、いったい……?」
「男装よ」
見ればわかるでしょ、とアイフェはくるりと回って見せる。裾をひきずる衣装ではなく、下衣を絞った動きやすいものだ。ご丁寧に髪はまとめてターバンの中にしまってあった。
「それはわかります。わかりますが、まさか買い出しについてくる気ですか? その格好で?」
「そうよ。これなら、男女だとは思わないでしょ? いつか役に立つかもしれないって思って、用意しておいたのよね」
「……王女様?」
いい加減、ライルもこの少女が規格外だということに慣れてはきていたが、それにしても、予想を超える行動が多すぎる。
ライルは救いを求めてケイヴィラに向いた。
「ケイヴィラ様、なんとか言ってやってください」
「可愛らしいわ」
「そうじゃなくて」
どこが常識的なのだろうとぐったりとするライルを余所に、アイフェはケイヴィラに向いた。
「叔母様。これだったら、いいでしょ?」
そうねぇ、とケイヴィラはちらちとライルを見やる。
「根本的にはどこも改善されていなけれど、ライルのことは信用していてよ。まぁ、いいでしょう」
よくありません、とライルは異を唱えるが、それは綺麗に無視された。
年頃の娘――それも王女だ――が、他称魔術師と二人で歩いて問題ないとなぜ思うのだろう。
ライルは急に肩の辺りが重くなったような気がしていた。
「アイフェはいい案内人よ?」
「かもしれませんが」
「それにあなた、地図読めないでしょう。ここに帰って来られなくなるかもしれないわ」
痛いところを突かれて、ぐっとライルが言葉に詰まる。
「……誰かに尋ねればいいんですよ。それにエーフに頼めばすぐに」
そこへアイフェがにんまりと笑った。
「どっちにしてもひと手間かかるわよね? あたし、地図は読めるわよ? 王都のことだってあなたより詳しいわ」
「……色々間違ってます」
「ぶつぶつ言わないの」
結局、二人は連れだって出かけることになったのである。
◇ ◇ ◇
足取りも軽く、アイフェは後ろ歩きをしながら、ライルに聞いた。
「買い物って、小瓶だけ?」
「ちゃんと前を向いて歩いてください。危ないですよ」
はいはいと応じるアイフェに、ライルが様々な思いが詰まったため息をついた。
「まさかこんな大事になるなんて思ってなかったもので、小道具なんかは持ってきてないんですよ。ケイヴィラ様には、写本の便宜を図る変わりに、魔術師の仕事を手伝うように言われたんですけど、王都は王様に守られているでしょう? そんな面倒なことはないと高をくくっていたので」
「そういえば、前に言ってたわよね。叔母様がそんなことを頼んだの?」
「ええ」
アイフェは考え込むように、顎に手を添える。
「何か、夢でも見たのかしら?」
「ケイヴィラ様の夢見はひどく曖昧だって聞きましたよ」
「でも、色々当ててるわよ」
隣国の襲撃や、天災、その他諸々。
「具体的にはわからないんでしょう? ことが起こってから、ああ、あれがそうだったんだ、って思うって、ケイヴィラ様は言ってましたけど」
「まぁ、確かに」
ケイヴィラはそれでよく嘆いていた。役に立たない力だと。
それでも、アイフェには羨ましくて仕方がなかった。どれほど些細なものだとしても、魔力があればと、いくら願ったかしれない。
しかし願ったところで、叶いはしないのだとも、身に染みている。
「それで? どこの店に向かえばいい?」
「硝子の小瓶を扱っている店に行きたいんですが、帰りに知り合いにも会いたいんですよね。市場にまだいるはずなので」
「どっちの市場かしら。ふたつあるのよ」
「西だって言ってました」
「じゃあ、すぐそこね。東の市場も扱っているものはそれほど違わないから、こだわりがないのであれば、西でもちゃんと揃うわよ」
「中に空洞がある小瓶であれば、なんでもいいですよ」
そんなおおざっぱなことを口にしながら、アイフェの案内で無事に市場に着いたライルは、延々と連なる店を眺めやった。
「硝子商品の店はどの辺りです?」
「もう少し先よ」
色とりどりの布が垂れ下がる店、様々な大きさ形のランプが並んでいる店など、扱っている商品ごとに店は固まっている。そうして、硝子商品を扱っているところにやってきた。
数軒並ぶ店を覗きながら、ライルが吟味していく。
「あら、お兄さん、いい男だね! おまけするよ、買っとくれ!」
店の威勢のいいおかみさんの声に、ライルも調子よく合わせる。
「あなたみたいな美人のいる店ですからね、品物も良いものなんでしょう?」
「もちろんさ!」
おかみさんもまんざらではない様子で少女のように頬を染め、ライルを追っていたが、別の客に呼ばれて渋々視線を引き剥がした。
「ああ、この瓶でいいかな」
やりとりをあっけにとられて見ていたアイフェだったが、ライルの声にはっとその小瓶に目を移す。
「それに魔神が入るの? 水晶じゃないけど、大丈夫」
「水晶が一番強力ですけど、硝子瓶でも入りますよ」
あっさり言われて、アイフェは不思議そうに小瓶を眺めやる。本来、もちろん、魔神を封印するためのものではない。
「選ぶ基準はどこなの?」
「ぼくが持ちやすいこととか、名前を彫りやすいこととか、ですかね」
瓶を数個買ったライルに、アイフェは次の行動を促す。
「もういいの? じゃあ、知り合いに会いに行く? なんて言うひと? 都に住んでるひとなの?」
「リャエドさんっていう、商人です。ぼくを王都まで連れてきてくれた隊商の隊長さんに、一応いまの状況を両親に伝えてもらおうと思って。隊商を組んであちこち歩いているようなんですけど」
「どこかの店舗を借りてるのかしらね。それとも隊商宿で問屋だけかしら」
「市場にいるって言ってましたよ」
「そう。じゃあ、扱っている商品は何?」
「日常品全般です」
「わかった。ならきっと、もっと中心のほうにいると思うわ」
指を差して示すアイフェに、ライルが感心するとも呆れるともつかない笑みを浮かべた。
「そんなに詳しくなるまで、出入りしているってことですか?」
「まぁ、そういうことになるかしらね」
王族として王宮深くにふんぞり返っているより、ライルとしては好感が持てる。
しかしミアをはじめとした周囲の人間は、心安まるときがないだろう。それでも自由にさせているというのであれば、この少女はよほど人望があるのか、それとも王族としての権利を行使しているのか、はたまた自身で言うように軽んじられているのか。
ライルには判断できなかった。
「ライル、こっち!」
青年がそんなことを思い悩んでいることなど知るよしもなく、アイフェは楽しそうに、手招きをしている。
衣装や生地、絨毯などを扱う衣類店や、野菜、果物、魚、肉、が並ぶ食料品店を抜け、市場のほぼ中央にあたる隊商宿近くの店に、ライルは目指す人物を見つけた。
「リャエドさん!」
店先で椅子に座り、水煙草をくわえていたリャエドは、呼ばれて顔を綻ばせた。
「お、ライル! どうした? 何か問題でもあったか?」
「いいえ、お陰様で何もありません。間に合ってよかったです」
「ぎりぎりだったな。明日には発つつもりでいたんだ。なんだ、家が恋しくなったのか? 一緒に帰るか?」
「いいえ、帰りませんよ」
ライルは苦笑して首を横に振る。
「今日は、買いたい物があったので、市場に来たんですよ」
「そうか。まぁ、ゆっくり見てってくれよ。ご両親に伝言はあるかい?」
「ええ、お願いします。写本は順調です。思いの外、早く送れると思います、と。あと、父にこの手紙を渡してください」
「写本は順調、早く送れる、だな。了解。手紙は、少し時間がかかるかもしれんぞ。真っ直ぐ村に行くわけじゃないから」
「承知しています」
よっしゃ、と請け負って、リャエドは、アイフェに気づく。
「おや。これはまた可愛い連れで。おまえがそういう趣味だってのは黙ってたほうがいいかい?」
アイフェを見て複雑な表情をしたリャエドに、ライルがなんともいえない顔をする。
「女の子ですよ」
「……おお?」
リャエドはまじまじとアイフェを見やった。
アイフェは腰に手を当て、怒るかと思いきやにんまりとする。
「男の子に見えるなんて、変装は完璧ね」
「十三歳くらいかね?」
「十六よ」
アイフェが訂正すると、リャエドはもう一度上から下まで少女を見やる。
「お嬢ちゃん、栄養が足りてないんじゃないか? ああほら、棗椰子があるよ、どうだい? この辺が豊かになるぜ?」
リャエドが胸やお尻のあたりを強調するような仕草をし、アイフェが目を見開いたあたりで、ライルがとうとう吹き出した。