共闘
「あのわがままそうな王女が嫌がって身代わりにさせられたのだったよな?」
「……はい」
「王女は今、何をしている?」
自分との結婚を嫌がって身代わりを差し出して逃げたと聞くのは、気分のいいものではないはず。
どう言うべきか迷ったディートリンデは口ごもる。が、エドムントは視線で続きを促してくる。
話しているうちに、覇王への恐怖心は薄らいできていた。
とはいえ、そうして見られると眼力の強さに圧倒される。
見透かされて、洗いざらい話さなければいけない気になる。
「暫く身を隠すと……。恐らくどこかへ旅をしていると思います」
「そうか。どちらにせよ、ディーの意思ではなかったのなら良い」
「しかし、牢にいれられていたのは、私が罪人だからでは?」
「牢?――あぁ。新婦の間のことか。確かに牢にも思えるな。あれはこの国の結婚式の決まりでな。結婚の儀が終わるとその日は夫婦別々に過ごす。結婚式をした日を無事に乗り越えられたら、やっと正式に夫婦と認められるのだ」
スヴァルト国には神が沢山いるとされていて、参列者の目を通して夫婦になろうという者同士を見ていると信じられている。
挙式後、新郎は結婚式の会場で参列者と酒を酌み交わす。
これは神々に結婚を認めて貰うための儀式のひとつで、参列者が多ければ多いほどたくさんの神に認められて幸せになれると言われている。
一方で花嫁は結婚の儀が終わり次第、新郎と別れて退場する。
新婦は新郎が神々に酒を振る舞い終わるまで、一人で窓もない部屋に入り、質素なドレスで身を隠し、一日が終わるのを待つのだ。神々に取られぬように身を隠しておくために。
神に気に入られてしまうと、式の直後に神隠しにあうと言い伝えられている。
「故に新婦は宴には参加しない決まりだ。古代、美しい娘が神隠しにあったと言い伝えがあってな。式の前後も目立たないようにするし、宴の間は花嫁を窓のない部屋に隠しておくのだ。ベールが分厚いのもそのためで。まぁ、信仰と言っているが、実際は政略結婚を嫌がった花嫁に逃げられないようにしたのが始まりなのだが――落ち着いたら、こういう我が国の伝統や決まりについて覚えてもらうための王妃教育を行う。大変だろうが、王妃としては必要なことだから頑張ってくれ」
エドムントの説明を聞き、食事の際に何か説明されたことを思い出す。
(今夜は一人でって、あれはてっきり貴人用の独居房から雑居房へ移動があるのかと思って、完全に聞き流してた……)
丁寧に説明してくれたことでまた少しエドムントに対して恐怖心が薄らいでくると、やっぱりどうしても解せないという思いが浮かんでくる。
「本当に夫婦になったのでしょうか……」
「あぁ。ディーはすでにスヴァルトの王妃になった」
「身代わりの偽者をどうして……?」
「先ほども言ったが、どのような者が王妃になろうと関係ないのだ」
エドムントはここではないどこか遠くを見ているかのように、ただ壁を見ながら言った。
その様子に、ディートリンデはそれ以上聞くことができなかった。
自分ごときが踏み込んではいけない気がした。
「血を薄めるという最大の目的は達成できる。もう日付も変わった。正真正銘の夫婦になったのだ――故に、今後は私を裏切ることは何があろうとも許さない」
許さないと言う声が、厳然たる王の言葉として寝室に響いた。
ディートリンデは頭を垂れる。
逆らうことの許されない相手だと本能で感じ取らせる声と力強い視線に晒され、無意識に礼の姿勢を取っていた。
しかし、エドムントは即座に「やめろ、楽にしていい」と言って雰囲気を和らげた。
「それでな、この国の愛を司る神は一途な愛を求める。しかし寛大で、半年以内なら過ちもなかったことにしてくれる」
(……急になんの話?)
ディートリンデはエドムントの急な話の変え方にすぐに反応できなかった。しかし、傾聴の姿勢ととられたようでエドムントは話しを続ける。
「つまりな、結婚したら夫婦は一途に愛し合うことを神は求める。しかし、人は間違いも犯す。だから、結婚から半年以内なら無条件に離婚できるし、結婚の事実も無かったことにして良いのだ。逆に半年以降の離婚は正当な事由がない限り原則認められていない。それも相当なことでもないとな」
(ずいぶん都合のいい神様ね。でも、ということは、頃合いをみて解放してくれるのかしら。つまり、半年後に私は自由になる……?)
エドムントは半年以内に離婚して、また別の人と結婚するつもりなのだろう。
だから、初めの妻は誰でも良かった。それまでの間、ディートリンデが偽者ということは隠し通す必要があるものの、半年以内に解放されて、本当に自由が待っている。
――ディートリンデは勝手に解釈し、再び希望の光を見出していた。
本当は死にたいわけではないし、人生を楽しんでみたい憧れがある。
一度は自由を手にしかけたのだ。場所が変わっても、やっぱり自由は手にしてみたい。人生を謳歌してみたい。もしも、楽しい人生が待っているなら長生きしたい。
それが本音だった。
「だから、ディー」
「はい」
「二人で何としてもこの半年をまずは乗り切るぞ。いいな?」
「は、はい」
気圧されて反射的に返事した。
エドムントの真剣な瞳を見ていると、軽い気持ちでは駄目だとわかる。
半年、しっかり王妃として過ごさなければならない。
(短い間とはいえ、私が王妃なんて荷が重いわね。半年を乗り切っ――ん?乗り切るって言うと、半年以上に聞こえるような……)
「……半年経ってしまったら、離婚できないとおっしゃられたと思うのですが?」
「そうだ。だから、なんとしても乗り切るぞ」
「半年以内に頃合いを見て離婚するのではなく、乗り切る……?」
「半年以内なら無条件に離婚できるが、半年以内に離婚したら『だから外国の姫ではだめなのだ』と声が上がりかねないだろ。なんとしても乗り切るんだ。いいな?」
また覇王らしい圧を発せられ、ディートリンデは思わず口を噤んだ。
エドムントの言うことには一理ある。
短い期間で離婚したら、外国の姫との婚姻に反対する声も大きくなるだろう。
短期間で離婚したら、二度目の結婚であることや二番目の妃ということに相手方から難色を示される可能性が無きにしも非ず。
離婚しないに越したことはない。
身代わりの偽者だということを除けば。
(私が考えつくようなリスクは、大国の王たれば考慮していて当然よね。でも、どこで何があるかわからない)
「もしも、ばれてしまったら……?」
「そのときは、わかっているな?」
「……………………は、ぃ……」
エドムントの眼光が一段と鋭くなり、処刑台が見えた気がした。
死にたくなければなんとしてでもやり遂げなければならない事態になってしまっている。
(本当に?本当に私が、この大国の王妃?でも、半年と強調するということは、離婚はしないまでも、頃合いを見て愛妾を迎える予定があるのかもしれないわね)
王侯貴族、特に王家は存続させることが大切。愛を司る神の話はされたが、例外もあるはず。
ファンデエンも一応一夫一婦制だったが、跡継ぎのためという口実で妾がたくさんいる貴族は多かった。
エドムントは血の濃さを気にしているから、跡継ぎを産むことは求められるのだろう。
とはいえ、力を持たないお飾りの王妃であり、内情としては妾が寵妃として実質的な王妃の立場になることが予想される。
そう考えると、ますます子供を産むためだけの道具のようにも思えた。
(都合よく、またある意味奴隷のような扱いになるのね……)
惨めな考えを払拭するように下を向き、ぶんぶんと頭を振る。
すると、左手首の腕輪が目に入った。
緋色の魔石がランプの灯りを反射して、何かを警告しているかのようにも見える。
右手でそっと触れてみるが、ほとんど隙間なく手首にぴったりと嵌っていた。
継ぎ目のない腕輪はどうやっても外れそうにない。
これはもう後戻りはできないところまできている。
エドムントは偽者とわかっていても神器を授けるくらいの覚悟をもって結婚したのだろう。
(あ、そうか。これは契約結婚のようなものだと考えたら……)
後継のために国内のご令嬢との結婚を避けて跡継ぎを残したいエドムントと、ここまで来たらいつかは自由を謳歌したいディートリンデ。
『相当な理由』を付けて半年経過後でも離婚する可能性もある。
考えようによっては利害が一致していると言えよう。
「そう、いわば共闘……」
「共闘か。それは良いな」
ディートリンデは無意識に声に出してしまっていたが、それを拾ってエドムントがフッと笑った。
この考え方で間違いないのだと自信をくれるような、エドムントの少し悪い笑み。
秘密の契約が成立したみたいだと感じた瞬間、この国で生きていく覚悟が決まった。
「重責を担わせることになってしまうが、共にこの道を参ろう」
「立派な王妃を演じきれるように頑張ります」
「無理はしなくていい」
その後、エドムントがディートリンデのことを知りたいと言い、朝方まで話すことになった。