番外編(side:エド)
その日、私は気が重かった。
適当に決めた花嫁がファンデエンから本当に来てしまったから。
身代わりとして生きてきた私が、数ヶ月前に王になった。
本物の王エドムントが最後にした大仕事、それが花嫁決めだった。
異母兄のエドムントは誰が花嫁でも良いと言い、真剣に考えていなかった。
『まぁ、アデラで良いのではないか?確かアデラが幼い頃に結婚の約束をしたような気がするし、ライシガー公爵家なら問題あるまい?順番的にもそろそろ良いだろ』と言っていたほどだった。
だが、スペアの私が生まれたことを考えると、反対しなければならない。
しかも、そんな適当では結婚後もエドムントは寝所に女性を引き込みかねないだろう。
私とカルヴィン、コラリーなど、王にスペアがいることを知る一部の高官から、アデラとの結婚を猛反対されたエドムントは苛立っていた。
『では、誰がいいと言うのだ!?私は誰が相手でもいいと言っているのに、誰が良いかは誰も言わぬではないか!』
だがその通りで、相手に誰が良いのか決めかねていた。
その場にいた全員が黙ると、エドムントは立ち上がる。
そして、世界地図を広げさせてコインを放った。
『そんな適当な決め方では!?』
『他の候補を言わぬほうが悪い。ファンデエン国の王女はエドが世界会議で確か見かけたと言っていたな?どうだった?』
『……美しい娘でしたが…………』
『閨を共にできそうか?』
『は……恐らく』
『では励め。――カルヴィン、ファンデエン国の王女へ婚姻の申し入れをせよ』
『お待ちください!閨の相手は私が務めるのですか!?』
『恐らく。だが、来た娘を見て決める。私が相手するに値があれば、私がしよう。しかし、小国の姫だからなぁ……。お前の子でも王族の血を引くことになるのだから、構わないだろ』
それから少しして、エドムントが急逝する。
しかし、ファンデエン国の王女の輿入れの日が迫っており、今さら取りやめることはできなかった。
鍵を開け、輿の中に手を差し入れる。
そっと添えられた小さな手に、罪悪感が湧き上がる。
(なんの関係もない姫を巻き込んでしまった……)
目の前に立つ姫は、顔が確認できないほど分厚いベールを纏っている。
これでは偽者であっても気づけないと思った私は、顔を確認したくなった。
姫はベールを持ち上げようとする。
が、右を持ち上げれば左に流れ、次に左を持ち上げようとしたら溜まっている生地が持ち上げた右に流れて戻り、両側持ち上げようとしたら今度は溜まった布が前に滑る――そんな感じのことを繰り返して、ベールの海に溺れて焦っている様子が伝わってくる。
「え?何?なんで?」と小さな声が聞こえてきて、おかしくなった。
思わず吹き出してしまった。
はたから見ていれば、右を持ち上げたのならそのまま最後まで高く持ち上げてしまえば良いのに、左も持ち上げようとするから振り出しに戻るのを一人で繰り返しているだけなのに、本人は一生懸命で気づかないらしい。
しかし、ベールの下から現れた姫は、世界会議で見た顔とは違っていた。
北方出身者特有の淡い色は姫のようにも見えるが、顔の印象も違うし、姫より少し大きかった。
一年足らずでここまで変化があるとは思えない。
「……誰だ?」
咄嗟に剣を首元に突きつけた。
大国の王の首をたった一人でとりに来たとは思えないが、別人であることは確かである。
女は剣に気づくと一瞬目を見開いて動揺したが、すぐに冷静さを取り戻そうとしていた。どこか諦めたような、達観した目をしている。
(ただの人ではないようだが、刺客にしては姿勢に隙が多すぎる。この冷静さは、間者? だが、戦闘訓練は受けていない立ち方。小国が一人だけ送り込んで何になるのか。大人しく婚姻を結んだほうがよっぽど利益があるだろうに。……この婚姻を知って、短期間に敵国に乗っ取られた?いや、それならファンデエン国を調査させているオーフェルから連絡があるはず)
どういうことか考えているとき、一つの答えに辿り着く。
「まさか花嫁の身代わり、か?」
「その……」
目の前の女は視線を彷徨わせて、正解であると伝えてくる。
(身代わり……)
彼女が自分と重なった気がした。
自分だけの人生を、堂々と生きることさえ許されない人生。
ここで身代わりの彼女を罰しては、彼女の待つ運命は死しかない。
彼女の様子から、自分から名乗りを上げたようには見えない。
無理矢理身代わりにされたのだろう。
(断罪して処刑するのは簡単だが、それではあまりにも惨く救いのない人生ではないか?そんなのあんまりだ。人は、幸せになる権利があっていいはずだ)
私は、彼女に自分の人生を重ねて、少しでも幸福を感じてほしいと思った。
それに、身代わりを送ってきたことを責めて小国を消すのは簡単だが、花嫁選びをやり直すことになるのも都合が悪い。
(このまま行くか……悪いが、今を乗り越えるのが先決)
王のスペアとして生きてきて、実質二人で一人の王を演じてきた。
それが、今後私一人でこの国を守っていかなければならない。
実際問題、花嫁問題に構っている余裕があまりない。
ここで問題を起こすより、私が黙っていればいいだけだと考えた。
それに、兄も誰でもいいと言っていたではないか。
ならば、素性もわからぬ者がこの国の王族に入り込んでも、私には関係がないことではないか…………。
相手が身代わりの偽物と知り、スペアの身代わりに嫁がせてしまう罪悪感も薄れていた。
「身代わりということは、身分が低いのか?」
「はい。私は……元奴隷です」
元奴隷と聞き、腹立たしかった。
恐らく、元奴隷であるからどんな扱いをしてもいいと酷いことをしてきたのだろうと、想像した。
奴隷印が残ったままの様子だったので、消してやるために脚を見たが、奴隷印以外の目立つ傷はなかった。
この状況でも達観したような目をしているし、日頃から酷い扱いを受けて来たのかと思ったが、そうではないらしい。
なぜか気になる不思議な女だと思った。
この時点では、彼女が望めば数年後には解放してやるつもりだった。自分だけの人生を生きさせてやりたかった。
人前では顔を隠すようにした上で王妃としてあまり表に出さないようにしたら、一部の者にしか顔を知られずに済む。それなら、解放しても騒がれることなく生きていけるはずだ。
結婚式の間、これも何かの縁だと思い、私の庇護の下にいる間は大切にしてやらなければならないという考えになっていった。
結婚式を終え、王妃の私室へと行くと、ディーはソファで丸くなるように小さくなって寝ていた。
その姿を見て、無性に守ってやらなければならないと思った。
何があっても私がスペアだと知られてはいけないし、ディーが身代わりの花嫁であることも知られてはいけない。解放してやるその日まで、隠し通さなければならない。
ただ、ディーと話しているうちに、私たちは夫婦になったという実感が少しずつ湧いてくる。
数年だけの関係だが、家族の温かみに触れてこなかった私には、ディーや夫婦という関係が特別に思えた。
さらには、ディーが『いわば共闘……』と言ったとき、私の心の底で歓喜が湧き上がった。
期間限定であっても、私にとって初めて得られた家族だった。
夫婦でいられる間は何があっても守り抜くと内心で誓った――――
「エド様」
「ん?」
「次のデートはいつ誘ってくださいますか?」
「それは、ディーからの誘いだと受け取るぞ」
「はい。いいですよ」
「では早速、明日――はだめだ。明後日はどうだ?」
「はい。楽しみですね、エド様」
「ああ。楽しみだな、ディー」
私の名を、本当の名を呼び、ディートリンデが優しく微笑む。
いつかは解放してやろうと思っていた妻は、絶対に手放せない存在になった。