表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

67/68

名前

 

「見てしまったか……」

「……はい」

「ひとまず部屋に戻ろう。まだ夜が明けていないから少し冷える」

「……はい」


 洞穴から出ると、オーフェルが立っていた。

 ディートリンデの得意な魔術を知ってから、注意を払うようにカルヴィンから内密に直轄部隊に通達されていた。

 監視の命令は受けていなかったが、やたらと存在感を薄くした王妃が部屋を抜け出したことに気づいたオーフェルが後をつけていたのだった。


 離宮に戻ると、コラリーがお茶を用意して待っていた。


「まずは飲んで温まってください。落ち着きますから」


 その言葉で、コラリーは知っているのだとわかった。

 甘味を加えて薄めにいれられたお茶は、少しだけ心を落ち着ける。


「先ほどディーが見たものは、本物だ」

「本物……というのは?」

「私は、王のスペアとして生を受けた。今、スヴァルトの王は身代わりが務めているようなもの――」



 ――――スヴァルト国王エドムントが誕生する数年前のこと


 エドムントの父である当時の王ミドスラフの二番目の妻が亡くなった。

 喪が明けきらぬうちから、当時の宰相シーメンは次の王妃探しを始める。

 早くしなければ……と焦りがあった。

 ミドスラフはまだ三十手前で若かったが、生まれつき体が弱い。季節の変わり目には必ず風邪をひき、何度か危険な状態になったこともある。

 一人目と二人目の妻との間には合計五人の子供が生まれたが、先日生まれた王子しか残っていない。ミドスラフの兄弟ももう亡い。

 前の四人の子に比べると、一見健康そうに見えるこの生まれたばかりの王子も、いつ命の灯火が消えるともわからない。

 宰相として、なんとしても次代へと繋げることが重要だった。


 王家の子が夭折する率が格段に高い原因を調べてみたが、わからなかった。以前から言われている血の濃さしか思い当たらないと侍医は言う。

 ならば、スヴァルト人と交わったことのない血を持つ一族から選ばなければならない。

 そうして宰相の王妃探しが始まった。


 その情報をどこから仕入れたのか、当時従属国だったダフネ国から接触があった。


「しきたりに従って一人ずつ娶っていては時間がかかりすぎますでしょう。さらに、確実にすぐに子ができるとは限らない。我が国の王族は多産で有名……我が国の姫は年子の姉妹ですが、双子のように瓜二つ――――」


 双子のようにそっくりな姫の姉と婚姻を結ぶが、妹のほうとも閨事をする。

 姉妹どちらの子でも、生まれた子供はスヴァルト国王の子に違いない。

 姉妹ともに子供が生まれたら、普通に兄弟として正式に発表したらいいだけ。


 宰相は悩むが、ダフネ国の提案に乗った。

 その後でミドスラフへと話をした。承諾せねばならぬ状況だった。


 そして、姉ヘドヴィカが王妃としてやってくる。

 ――が、ヘドヴィカは妹エリシュカも秘密裏に嫁いで来たことを知らされていなかった。


 姉妹は同時期に妊娠が発覚。

 ヘドヴィカがエリシュカも王子を産む使命を受けていたことを知ったのはこのとき。

 スヴァルトでは夫婦はそれぞれ部屋を持つ。だから、お渡りがない日があることに疑問がなかった。

 自尊心の高いヘドヴィカは、腹の底から怒りを感じていた。気づかなかった勘の悪い自分に腹が立つ。

 それ以上に、エリシュカのことが許せなかった。命令したのは父であるダフネ国王だとわかっていても。


 万が一、エリシュカのほうが先に出産したら、エリシュカの子供が表舞台に立ち、自分の子供は日の目を見ないままになる可能性さえあるのではないか……表面上はエリシュカの子を自分の子のように見せかけながら、本当の自分の子は表舞台に立つことができない――――

 焦燥感で一時不安的になった。

 なんとしてでも、エリシュカよりも先に出産すると強く決意する。


 また、宰相も焦っていた。

 跡継ぎを残すことが最重要とはいえ、エリシュカの存在は秘匿としている。同時期に妊娠したとはいえ、生まれてくる日は同じではないだろう。

 一日二日程度の差なら、難産の双子だったと発表できる。だが、それ以上離れた場合、一人の王妃から生まれえない。

 跡継ぎを残すことが目的だったのに、存在を明かせない王の子が誕生してしまうかもしれないのだ。


 そして、遂に王子が生まれた。

 先に産気づいたのはエリシュカだが、先に産んだのはヘドヴィカだった。

 エリシュカは長時間陣痛に苦しみ、ヘドヴィカ出産の翌日に男児を産んだ。


 宰相は、二人の姫が一日違いで子供を産んだことは幸運だと思った。

 これなら双子としてエリシュカの子もヘドヴィカの子供としてお披露目できると考えていた。


 しかし、宰相からその話を聞いたヘドヴィカは、別の提案をする。


「要は、無事に後継が成長して次代へと繋がれば良いのでしょう?」

「そうです」

「ならば、エリシュカの子は、エドムントのスペアとしたら良いではないか」

「……スペアと言いますと?」

「万が一、エドムントに何かあったときに変わって表に立つ者よ。考えたくはないが……。王が短期間に変わるよりはましでしょう?無駄な争いも減らせるはずよ」


 宰相はヘドヴィカの提案を採用した。

 王が短期間で変わるより良い。

 その上、婚姻のしきたりを破ったことやもう一人の王子が生まれたことを隠し通すことも可能になる。


「――――生まれて直ぐに離宮、こことは別の所だが、王太后とその子エドムント、そして私は移った。先代の王が無事に育っていたから、無駄な後継者争いを避けるためともっともらしいことを理由にな。そうして、私は……兄のスペアとして育った」

「……エド様のお母様は?」

「肥立ちが悪かったらしく、その頃には亡くなっていた」

「そ、そうだったのですか。――お兄様であるエドムント様の異名が、神をも恐れぬ覇王、だったのでしょうか?」


 真っ先に聞くことではないと思いながら、ディートリンデは何度も目の前のこの人は覇王らしくないと思ってきた。その答えがわかった気がして確かめたくなった。

 

「それはどうだかわからない。私は剣が持てるようになったら戦場に送り込まれたが、初めはただの少年兵としてだった。命じたのは王妃――今の王太后だ。兄は目が悪かったから」


 ヘドヴィカは自分の息子エドムントを溺愛し、逆にエリシュカの息子に冷たく当たった。

 毒に慣れさせるのも、剣を持って戦場へ送られたのも、本心では憎くて早く死ねばいいと思っていたからだったのかもしれない。

 エドムントが即位するとヘドヴィカの過保護に拍車がかかり、危険なことをするときは全てスペアに任された。

 他にも、エドムントの気が乗らないときには政務や公務をこなし、実質二人で一人の王を演じていた。


『王が率先して戦場を駆け抜けることで、兵士の指揮を上げ、兵士たちを鼓舞することになる!私は行くぞ!』


 あるときのエドムントの言葉に、多くの兵士が感動した。その言葉に嘘はない。エドムントの本心である。

 しかし、実際に王として戦場へ行くのはスペアの仕事。

 兵士が目標にする強い王の姿はエドが見せたものだ。

 エドムントは軍師としての才能はあった。だから、国をここまで大きくできた。

 ただ、エドムントには国を大きくする為の大義はなかった。

 中には酷い言い掛かりを大義名分として、戦争をおこすこともあった。

 エドムントにとっては、遊びの延長のような感覚だった可能性がある。


「それじゃあ、もしかして……。昨夜聞いた話は……」

「私ではない。兄エドムントの仕業だ。王太后から過保護に育てられ、私から見ても性格が歪んでいた。いつだったか、戦場の私がスペアとは知らない将軍が、エドムントの前で戦場の私を大いに褒めたことがあった。それが、その戦略を立てたのは自分なのにと悔しかったらしい。そういうことがあるたびに自分もできるのだと立ち上がって、現地で指揮を執るのだ。そして、残虐行為を行う……。あのときは制裁としてだったが、私があの村に着いた時にはもう遅かった……」


 他国が恐れる残忍さはエドムントの姿である。

 そのため、神をも恐れぬ覇王との異名は、エドムントに付けられた名であるのだとディートリンデは腑に落ちた。

 しかし、エドムントに代わって戦場で先頭に立つ彼がいなければ、ここまでの大国になっていない。


「エドムント様は、一年ほど前にお亡くなりになられたのですか?」

「ああ。また自分も戦場に立つと言い出して。そのときは既に私が出兵していて、結局はカルヴィンに止められた。隠れて見ていただけだったが、それが気に食わなかったのか、帰りにたまたま通りかかった旅人に言いがかりをつけて嬲った。が、返り討ちにあったのだ。王の直轄部隊によってその者はその場で葬られた。だが、旅人……と言っても、後で調べて他国の諜報部員だったとわかったのだが。相手が諜報部員だったためにナイフに毒が仕込まれていたらしく、ここの城へと戻ってきたときには手遅れだった。兄は私ほど毒に耐性がなかったようだ」

「それで、それから正式な王となられたのですね」

「そうだ。兄は目が悪い以外にはそれほど健康不安がなかったので、私は一生スペアとして生きていくと思っていたのだがな。運命とはわからないものだ」


 ディートリンデは、初デートのことを思い出していた。目が悪いはずの彼が遠くからでも見つけてくれた。

 本当に目が悪ければ、色合いが一人違うとしても豆粒のような遠さでは見つけられないだろう。

 ガリバから戻るときの魔馬車から地上を見ながら話したときもそう。ディートリンデさえわからない人影を認識していた。


(今までいくらでも疑問に感じることはあったはずなのに、気づかなかったわ……)


「兄が死んで間もなく、王太后の様子がおかしいと報告が来た。会いに行くと、私と兄の区別が付かなくなっていた。私がスペアだと知っている者でも私たちのことを見間違えるほど似ていたが、王太后だけは絶対に間違えたことはなかったのに。だが、まともな状態にもなる。……今はさらに症状が進んだようだが。兄はここの霊廟に埋葬したから、あるとき『エドムントの側に行きたい』と王太后が毎日泣いていると側付きから報告があった。ここの城で過ごさせるのはリスクがありすぎるから離宮を建てた。霊廟周辺には幽鬼が出ると昔から噂があったらしいからちょうどいいと思ってな」

「そうだったのですか…………お名前は、なんとおっしゃるのですか?エドムントとはお兄様のお名前なのですよね?」

「エド。呼び間違いなどが起こらぬように、そう名付けられたらしい。が、その名さえ今は呼ぶ者がいない。カルヴィンもコラリーも、私を呼ぶときは陛下としか言わないからな」


ディートリンデは二人きりの時はエド様と呼ぶが、それはあくまでもエドムントの愛称として。本当の名を呼んでくれる者はいなかった。


「私は、これからはずっとエド様とお呼びしてよろしいですか?」

「もちろんだ」


 エドは嬉しそうに微笑んだ。

 

   

 ディートリンデは、これまでエドが何度も身代わりであるディートリンデを一人の人間として尊重してくれたことを思い返していた。

 中でも印象的で、初めは意味のわからなかった『ディー』という愛称呼び。

 身代わりとわかってすぐに本当の名前を聞いてくれた理由がやっとわかった。

 そして、エドと呼んでほしいと請われた理由も。

 これからは慈しんで名前を呼ぼうと心に決めた――――


(直情型のような噂と最近穏やかになったらしいという噂、二つの噂が出ていた理由も今ならわかるわね。……まさか身代わりの二人が国の頂点に立つなんて。エド様は王の血を継いでいるからいいのかもしれないけど、なんだか不思議)


「コラリーも知っていたのね?」

「はい。私はお二人の乳姉弟ですので。母は今、この離宮で王太后様のお世話を」

「そうだったの。……あ、だから先日部屋にいなかったのね」

「先日?」

「あ。う、ううん。なんでもないわ」

「茶会の時に母と会っていましたが、あの日ディー様は私が戻ってから戻られたかと?……もしや、そのときも森へ?」

「あー、えっと……」


 ディートリンデは墓穴を掘り、目を泳がせる。


「コラリー。大目に見てやれ。いつか話さなければならないと思っていたが、いいきっかけになった。秘密を抱えさせてしまうが……」

「エド様。秘密ならもう抱えています。同じ類の秘密なら、一つも二つも同じこと」


 他国から嫁いで来た王妃が偽物であることと、国王が別人であることの重大性には大きな開きがある。


 しかし、ディートリンデは微笑んでエドの肩にそっと手を置いた。

 その手にエドの手が重なる。


「身代わりのスペアでも、ディーは国を良くするために共に生きてくれるか?」

「何を言ってるのですか?」


 珍しくディートリンデの声は怒っていた。


「身代わりの私をスヴァルトの王妃にしてくださったのも、生きる目標を下さったのもエド様ですよ。今さら好きに生きろと放逐されても、もう一人では生きていけません。それに、私がお慕いしているのはエド様です。エド様が何者でも、私はエド様の隣で生きていきたいのです」

「……そうか、ありがとう」


 エドはきつくディートリンデを抱き寄せる。

 ディートリンデも腕を回すと、「離さない。ずっと隣で生きてくれ」とエドが耳元で囁く。


「一緒に幸せになりましょうね」

「ああ。必ず」


 いつの間にかコラリーは部屋から出ていた――――



本編はこれで一旦完結とします。

お読みいただきありがとうございました。

評価やいいねなどで反応いただきました皆様、ありがとうございます。

執筆意欲に繋がっておりました。

また、誤字脱字報告もありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ