肌が粟立つ
晩餐会は城の大広間へと会場を移し、酒も振る舞われた。
大広間の中は昼餐と違い、縦に何列もテーブルが配置されている。
舞台は前に設置され、昼よりも少し妖艶な踊り子が踊っていた。
初めは全員がヘドヴィカの乱入を忘れたように和やかな雰囲気で始まった。
しかし、時間が経つにつれお酒が入って騒がしくなってくる。
さすがにエドムントやディートリンデがいるテーブル周辺で大騒ぎする者はいないが、離れた席では盛り上がっているのがわかる。
「こちらの一皿は鹿の肉を使っておりますが、本国でも――」
「もう本国という言い方はよせ。ここはもうスヴァルト国のダフネ領だろ」
「そ、その通りで……あ、も、申し訳ございません」
エドムントはダフネ領主へ叱責したのではなく、同じ国の仲間ではないかと語りかけるような口調で言った。
しかし、ダフネ領主は顔を青くする。
このような過剰に恐れて気を遣っている様子をディートリンデは昼餐のときから何度も見ていた。
エドムントから対外的な国王夫妻の役割として、親しみやすい王妃を期待されていたディートリンデは、間を取り持つように話しかけた。
「王宮でも鹿のお肉を使った料理が出ますわ」
「そうなのですか。王妃殿下のお口には合いましたでしょうか?」
「ええ、とても美味しいと思うわ。陛下もお好みになられますわよね?」
「ああ。元は食べる習慣がなかったそうだが、王太后が嫁いでから食材として扱うようになったらしい」
「そ、そうでしたか」
ディートリンデに対してはそれほど怯えた様子を見せないダフネ領主夫妻だが、エドムントに対しては違った。
何度、間を取り持つように話をしても、不思議なほど怯えた様子である。
「食材と言えば、王妃殿下が主導されたという兵士たちの食生活改善。王都からの指南書に従い、少し前からダフネ軍も取り入れましてございます」
「……そう」
「最近では兵士たちの体つきがより屈強になってきたそうで。確かな成果を実感して、兵士たちの士気も上がっていると報告がありました」
(どうしましょう。絶対私の話ではないわ。何か勘違いしてるようね)
ダフネ領主が笑顔で話してくれるが、ディートリンデにはなんのことか全くわからなかった。
勘違いをそのままにすべきか、正すべきか。ここで正すとディートリンデにまで萎縮してしまいそうである。
どうすべきか迷っていると、コラリーがそっと近づいて耳打ちしてくる。
「ディー様が要望したダイエットメニューが兵士の食事にも良いとわかり、研究魂に火がついた料理長が軍部の食事改善にも乗り出しまして。ディー様主導で改善に取り組ませたということになっております」
そういうことか、とディートリンデは頷く。
ただ、とんでもなく歪曲して伝えているようだ。
何しろディートリンデは、兵士の食事について何一つ関知していない。
これでは、料理長の手柄を丸ごと横取りするようなもの。
しかし、これほど遠くの地まで伝わっているとなると、今更全否定はできない。
「私の主導だなんて。私はただわがままを言っただけよ」
「王妃殿下は謙虚でいらっしゃる」
「期待に応えてくれたのは王宮の料理長や料理人の皆よ。評価されるべきは私ではなく、料理人だわ」
「そこまで認めてもらえるとは、料理人冥利に尽きるでしょうな」
話を聞いていたエドムントが「ディーが言い出さなければ改善されることもなかったのだから、ディーの功績でもある。素直に受け止めたらいい。料理人たちには褒美を取らせた」と言った。
ディートリンデは、本当に自分だけが知らなかったのだと気づく――――
夜も深くなってくると酒も進み、各テーブルとも話し声が大きくなっている。
遠くの席でガシャガシャン!と食器がぶつかり合う派手な音がした。
うっかりカトラリーを皿の上に落としてしまったような音ではなく、テーブルごと動くような大きな音で、全員の注目が集まった。
大きな音がしたテーブル付近で、数名の男性が立ち上がっている。
二人の男性が対峙している。二人は白熱しているのか、注目が集まっていることに気づいていない。
同じテーブルだったと思われる男性は、側でおろおろとしている。
「ああ!何度でも言ってやる!お前の弟のせいだ!」
「だからって、覇王はなんの罪もない女子供まで……!」
「だから!それは元はと言えばお前の弟のせいだろ!覇王様に楯突くなんて!あんな無謀な反乱の計画なんて立てるから!俺の妹が死んだのはお前の弟のせいだって言ってんだ!」
「確かに弟が悪いのは認める!だが!なんの罪もない村の女子供まで皆生きたまま焼き殺すことはないだろ!?お前の妹を殺したのは覇王だ!」
「お前の弟があんな恐ろしい計画しなければ!何も知らなかった俺の妹まで巻き添え食らわずに済んだ!だが、もう五年も経ったんだぞ!?いい加減認めろよ!お前は温情をかけられて命があるんだから――」
「やめんかっ!!!陛下の御前であるぞ!!」
ダフネ軍の将軍が揉めている二人の間に入った。
お前の弟のせいだと責めていたほうの男性はハッとしてすぐに跪き、忠誠を誓う姿勢を取る。
責められていたほうの男性は、将軍に押さえつけられて忠誠を誓う姿勢を取っているが、表情は憤怒したまま。不本意だとわかる。
(生きたまま女子供まで焼き殺した……!?)
ディートリンデは、今聞いた恐ろしいことは本当にエドムントが起こしたのかと信じられない気持ちでいた。
ディートリンデが見てきたエドムントは、思いやりのある優しい人だ。確かに城で働く者には厳しく接しているし、恐れている者も多い。
だけど、近侍など王に対しても案外気安く接する者もいて、エドムントを優しいと認識している人も見てきた。
ただ、戦場でのエドムントを見たことはない。
(覇王との異名を持っているくらいだから、そんな惨忍な一面があるということなの……?到底信じられないのだけど……。でも、五年前って。だからダフネは従属国から吸収されることになったのね。領主夫妻が過剰に怯えている理由も、そこにあるのかも……)
――――五年前、スヴァルトの従属国であったダフネ国のある村に一人の若者がいた。
大国スヴァルトの王妃を輩出し、その子供が国王になったことは、多くのダフネ国民の間では誇りであった。
しかし、その若者は違った。
自分たちには大国の王妃を輩出し、国王を生むほどの可能性を秘めているのだと信じ、自分たちの力で一つの国として大きくしたいと野望を持つことになる。
従属国などに甘んじている場合ではない。今こそ宗主国を飲み込んでダフネが完全独立国として立ち上がるとき。
似たような考えの若者を集め、反乱計画を立てた。
作戦としては、別の戦争帰りに近くのダフネで休憩予定とされている覇王の首をとる。
しかし、血気盛んなだけの世間知らずな村の若者には無謀なことだった。
反乱計画はすぐに本国スヴァルトへと報告される。
休憩の予定を一日早めて、覇王は自ら反乱計画を潰しに村へ行った。
主犯格を斬首刑にした上で覇王は村を封鎖し、火を放った。
結果、村が丸ごと焼失した。計画さえ知らないなんの罪もない人間も全て消し去った――――
静まりかえった会場内で、エドムントは静かに立ち上がった。
責められていたほうの男性の前に、エドムントが膝を突いた。
会場内から何名かの息を呑む音がする。
「反逆罪は極刑に処す。それが決まりだ。が、今ならわかる。戦争帰りで気が昂ぶっていたとはいえ、間違ったやり方だった。許されることではない。罪を認め、二度と同じ過ちは犯さないと誓う。……必要以上にそなたが責められることもなかっただろう。辛い思いをさせた。すまなかった」
「…………」
エドムントが罪を認め、謝罪の言葉を口にしたことで、会場内がざわざわとし始めた。
しかし、もう一人の男の前にも膝を突くエドムントを見て、再び会場内が静まりかえる。
「すまなかった。許せとは言えないが……。かの村の跡地に慰霊碑と記念塔を建てている。建ったら、改めて参ると誓おう」
「……妹のために……ありがとうございます」
昼餐と同じく、晩餐も後味の悪い終わり方となってしまった。
エドムントとディートリンデは離宮へ戻るための馬車に乗っていた。
このようなとき、いつもなら何かしら雑談をしている二人だったが、馬車の中は静かだった。
エドムントが口を引き結んでいるので、ディートリンデも言葉を発せずにいた。
◇
ディートリンデはまた夜が明けきらないうちに目が覚めた。
昨夜聞いたエドムントの所業とは思えぬ行いの話が頭から離れず、眠りが浅かった。
エドムントの寝顔を見ていても、別人の話を聞いているように違和感がある。
(だけど、ファンデエンにいたときに聞いた噂話では、いくつもの国を一方的な言い分で奪い取っていると聞いたことがあったわね……)
一つ、悪い噂を思い出すと、聞いたことのある噂を思い出していく。
自分に逆らった者には容赦しないという噂、疑惑の段階でも一族郎党皆殺しにしたという噂――――
思えばディートリンデはスヴァルトに来るまで、恐ろしい噂しか聞いたことがなかった。だからこそ、ディアーヌの身代わりを命じられたときは、死刑宣告も同然だと人生を諦めたのだったではないか。
(本当に?どうして?そこまでする必要が無いことを?……聞けない)
ディートリンデはまた気配を消して森へと向かった。
エドムントがそんな非道なことをするとは信じられなくて、信じたくなくて、けれど覇王の異名についてまわる噂は事実だったという衝撃。
気持ちを落ち着けたくて、なんでもいいから何かしていたかった。
なんでも良くても、立場上、何かをすることもできず、ただ森の中を歩くことしかできない。
目的もなく森の中をただ歩いていただけだったが、ヘドヴィカが徘徊していた洞穴に行きあたる。
(……今日はいないのね)
入口からしっかり覗いでみると、洞穴はそれほど奥行きがない。
案外危険はなさそうだと思ったディートリンデは、深く考えず中に入った。
ただの軽い興味だった。
ヘドヴィカが常軌を逸した様子で頬擦りしていたものがなんなのか、確かめるだけのつもりだった。
「…………え…………」
洞穴の中には墓石が並び、最奥にただの岩が置かれている。
昨日遠くから見ていた通りの光景。
しかし、その最奥に置かれた岩の墓石に掘られていた名前を見て、ディートリンデの肌は粟立つ。
【エドムント永眠】
(……あ、そ、そうだ。同じ名前なだけかもしれないわね)
偉人や英雄にあやかって名をつけることはままある。
そうだと思おうとした。
彫られた日付を見るまでは。
(……い、一年前?)
一年前と言えば、ディアーヌにスヴァルトから縁談が来た頃。
再びディートリンデの肌が粟立つ。
寒気がして無意識に腕をさすろうとしたとき、ジャリと洞穴入口で音がする。
振り返ると、エドムントが立っていた。