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王太后

 

 ディートリンデはまだ夜が明けきらないうちに目が覚めた。

 外はまだ薄暗いが、明かりがなくても景色がわかる程度。

 遅くまで付き合いでお酒を飲んでいたエドムントはぐっすり眠っているし、侍女が起こしに来る時間には早い。

 どうしても気になったディートリンデは、唯一使える気配を消す魔術を使い、一人で昨日の森に入った。

 少し迷ってしまったが、割とすぐに昨日の洞穴に辿り着く。


「あった、洞穴。……あれは?――――っ!?」


 木々の切れ目に立ち、洞穴の中を観察するように見る。

 さすがにいきなり一人で洞穴の中に入る勇気はない。

 朝日が差し込んできたおかげで、洞穴の中が昨日よりは見えた。

 中に何かがあるように見えて足を踏み出そうとしたとき、別の方向から人が来るのがわかった。

 王妃が一人でこんな所にいると知られるのはまずい。

 改めて気配を消して様子を見ていると、その人はまっすぐに洞穴の中に入っていった。


(やっぱり。王太后様だったわ)


 昨日、幽鬼に見えたのはやはりヘドヴィカだった。

 それがわかると、今度はどうしてヘドヴィカがこんなところにいるのかが気になる。

 おぼつかない足取りながら、迷いなく洞穴の中に入って行ったように見える。

 ただの徘徊ではなく、目的を持って来ているとしか思えない。


 ディートリンデはそっと洞穴の入口に近づき、中を覗いて驚いた。

 何かがあるようには見えていたが、それはいくつか同じ形をした岩。

 石碑か墓石だった。

 倒れて苔むした古いものから、まだつるりとして新しそうなものまである。


(墓石だとしたら、もしかして霊廟?)


 この森は、ダフネ城と離宮の間に位置する。

 旧ダフネ王族の霊廟があっても不思議ではない。

 霊廟であれば、洞穴の前が人工的に開けているのも頷ける。


 岩に気を取られていたディートリンデだったが、洞穴の中にヘドヴィカが見当たらないことに気づいた。


(一体どこへ……?)


 足を踏み入れるか迷ったとき、奥の方から「あ゛ぁ……あぁ゛ぁ゛……」と不気味な女性の声が聞こえてくる。


 よく目を凝らして見ると、立ち並ぶ岩の奥に真新しい岩があるのがわかった。

 手前にある古くて立派な形とは違う、ただの岩を置いたようなもの。

 暗くて見えにくいが、ヘドヴィカはその岩に縋り付き、頬ずりしている。


(何をしているのかしら……?)


 言葉にならない声を上げて、岩に頬ずりする姿は異様だった。

 まさに、気の病に冒されている者の姿がそこにあった。

 なんだかわからない怖さがこみ上げてきたとき、ヘドヴィカがゆっくりと振り返る。


(っ!!――見られていないわよね!?……心臓が止まるかと思ったわ…………)


 ディートリンデは急いで離宮へと戻った。


 ◇


 この日は昼の少し前から夜まで、ダフネ城にて歓迎の催しが開催された。

 ガリバと同じく、元は一つの国だっただけあり立派な城。整備された庭園は美しい。

 その庭園に幕が張られ、中央に舞台がある。舞台を囲うように席が作られている。

 今は昼餐と茶会の間のような会席で、酒は出てこない。

 茶を飲みながら軽食をつまみつつ、舞台上ではダフネに伝わる舞や楽器演奏が披露されていた。


 ディートリンデはゆっくりと会場内に視線を巡らせる。

 ガリバでは、一部思う者もいたようだが、市民までも歓迎してくれるほど好意的だった。

 しかし、ダフネは違うと感じた。

 一見和やかな会に見えているが、遠くに座る者の中には怯えたようにエドムントを見る者や暗い目をしている者もいる。

 その中に一人、警戒するように周囲を窺っている様子の男性がいた。

 痩せた細面の男性で、ダフネの文官の制服を着ている。

 ダフネでは制服の帯の色で位が分かれており、その者はオレンジ色の帯を着けている。

 オレンジ色はダフネでは中間くらいの位だが、この会席に出席している位の中では一番下。


(なんだか気になる……)


 目を離さずにいたくとも、難しいのが王妃という立場。


「この舞は鳥をイメージしているのですが、何の鳥かわかりますか?」


 ディートリンデに話しかけてくるのは、ダフネ領主夫人。

 ダフネ領主はエドムントの再従兄弟にあたり、その妻である。

 ダフネ領主夫人から話しかけられ、舞を見る。

 踊っているのは男性だった。


「なにかしら……優雅と言うよりは勇猛な印象を受けるわね」

「ええ。男の舞なので、勇猛なハヤブサを模しているのですよ」

「ハヤブサはダフネでは霊鳥とされていたわね?」

「ええ。国の守り神として大切にされているのです。普段は神殿の中で神事のときにしか踊らない踊りですが、両陛下のご結婚を祝いまして幸福に祈りを込めて舞わせております」

「それは嬉しいわ。貴重な踊りなのね」


 ダフネ領主夫人との話が途切れると、先ほどの男性のほうを見る。


(いない)


 何人かは席を立ち、別の席の者の所へ話しに行っている者もいる。

 ディートリンデは視線を巡らせるが、先ほどの男性は見当たらない。

 もう一度男性の席に視線を戻すと、いつの間にか男性は戻ってきていた。


 少しすると、また席を立つ男性。

 どこへ行くのか今度は目で追って見ると、幕の外へ。


 このような会席の場で席の移動をすることはあっても、頻繁に会場の外へ行くことは普通ない。


 何をしに行っているのか気になるが、王妃であるディートリンデが後を付いて行くことはできない。

 ただの勘で侍女らを動かすのは躊躇われるため注視するにとどめておいたが、行動を探らせたほうが良いかと悩む。


「確認いたしましょうか?」


 ディートリンデの視線に気づいていたコラリーが耳打ちしてくる。

 有能な侍女が動き出すためディートリンデの側を離れようとしたそのとき、会場の外から女性の焦った声が聞こえてきた。


「お待ちください!その先は……!」


 会席の場にいた多くの人が、その女性の声がしたほうへ視線を向けた。

 幕の切れ間から、ヘドヴィカがふらふらと中へ入ってくる。

 夜着のような白いゆったりした衣は、朝にディートリンデが見たときと同じ。

 ただ、裾は黒く汚れ、足下は裸足だった。


 突然の王太后の登場に、ざわざわと騒がしかった場がしんと静まりかえった。

 幕の切れ間からお仕着せ姿の女性が後を追って入ってくるが、王太后という立場からか止めることができないようだった。


「あっ。うふふっ。見つけたわ、エドムント。母を置いて行ったりなんかして悪い子ね」


 ヘドヴィカはエドムントを見つけると、少女のように笑んで手を伸ばす。

 エドムントは無言で地面へと降り、ヘドヴィカの手を取った。


「母上、侍女が困っておりますよ。お戻りください」

「……あら、そう?でも、私はエドムントとお話ししたいわ」

「後ほどお付き合いしますので。今は公務中ですから」

「あら。それを早く言いなさい。しっかりやるのですよ。あなたが強い王として君臨しなければならぬのですから。負けないように」

「心得ております」


 エドムントは迎えに来た侍女にヘドヴィカを託した。

 すると、ディートリンデが気になっていた男性も席を立つ。いつの間にか戻ってきていたらしい。

 ――後に、この男性はヘドヴィカの世話係の責任者であることがわかった。離宮にとどめておいたはずの王太后がいなくなった、いつもの場所にもいないと報告を受けて焦っていただけだった。


 ヘドヴィカが幕の外へ出て行ったのを確認し、エドムントは皆へと向き直る。


「騒がせたな」

「いえ、これはお止めできなかった世話係の責任。罰は如何様にも――」

「いや、あの状態の王太后を制御するのは容易ではない。罰を与えるつもりはない」


 青い顔で膝をついているダフネ領主に不問にすると継げると、会場がざわついた。

 驚愕を顔に出している者もいる。


(ダフネで陛下は覇王としてのイメージが強いのかしら?)


「……場が荒れてしまったな。時間ももういい頃合いだ。会はもうこれで終いでいいだろう」


 そうして昼餐は終わった。



 エドムントとディートリンデは衣装替えのために一度離宮に戻ることになった。

 森の中を突っ切ればそう遠くないが、道沿いにいくとなれば結構遠い。

そのため、二人で馬車に揺られていた。


「王太后という立場から、周りの者も苦労しているようだ……」

「あの従者は以前から付いている者なのですか?」

「いや。あの者は、離宮に移ってから世話係になってもらったからまだ浅い。あの者はダフネ人で、王太后にとっては縁戚の娘にあたる。まともな時代の王太后を知っているから、あの状態でも止めることができないのだろう。常にあの状態ならまだしも、まともな状態のときもまだ長いようだから、思い切ることができないようだ。元々主として世話をしているのはまた別にいるが、足が悪くてあの者に引き継いでいるところだ」


(確かに離宮に着いたときに会った王太后様は、こちらが萎縮してしまうほどの迫力があったものね……。先ほどの様子や洞穴の中で見た様子とは全然違った)


 ディートリンデは、ヘドヴィカが洞穴の中で何をしていたのか、あそこに何があるのかが余計に気になった。

 エドムントに聞けばわかるだろうが、そうなると勝手に森に入ったことを言わねばならなくなる。きっと叱られる。好奇心から聞くには、割に合わない。


 ――――離宮に戻って衣装替えをしたら、直ぐに晩餐会が始まる時間になった。


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