精霊の化身
ディートリンデは、ダフネ領の婦人会というお茶会に招かれていた。
事前に、女性ならではの視点で悩みや問題点を話し合う会だと聞いていたが、実際にはほとんど夫や男性陣の愚痴だった。
夫の愚痴で盛り上がる女性たちにあまり免疫のないディートリンデは、とても気疲れしてしまう。
ただ、そこで少し興味を引かれる話を聞いた。
ガリバの雪月花姫と似た類いの話であるものの、もっともっと非現実的な話。
『ガリバ城と離宮の間にある森には、精霊の化身がいるのですよ』
『精霊の化身?それって、どういう?』
『姿を見ることができたら幸せが訪れると申しまして、さらに捕まえることができたら……』
『できたら……?』
『一つだけどんな願いも叶えてくれるとか』
正直、一つだけなの?と思ってしまったが、婦人方の続く言葉に、ディートリンデは魅力を感じる。
『例えば、永遠の美や若さも叶えてくれると言い伝えられていますわ。絵本にもなっていますのよ』
(それはつまり、理想の体型にしてほしいという願いも叶えてくれるのでは……!?)
ディートリンデはまだ緩くダイエットをしている。
スヴァルトに来た頃に比べると、かなり痩せた。
しかし、あと一歩が難しかった。
だから、おとぎ話に興味を持ってしまったのだ。
茶会が終わった午後から時間に余裕のあったディートリンデは、茶会にも伴っていたジョアナを連れて早速森に来た。
「王妃様は、精霊の化身を捕まえることができたら何をお願いされるのですか?」
「……恥ずかしいけど、ダイエットの成功、かしら。ジョアナは?」
「私は……その……」
「ん?」
「笑わないでくださいませね?」
「もちろん」
「私は、もう少し胸が大きくなりますようにって願いますわ!」
ジョアナは握りこぶしを作って力強く言った。
二人とも本気で精霊の化身を信じているわけではないからこその願いだった。
「…………ふふ」
「あっ。笑わないっておっしゃったのに!」
「ジョアナのことを笑ったわけじゃないの。ただ、もう少し細くなりたいとか大きくなりたいとか、女性って我儘よねって思ったら可笑しいと思ってしまったの」
「確かに。私から見たら王妃様はもう痩せなくても良いと思いますわ。ほどよい肉感で胸は大きく、男性が好む体型ですもの。それ以上痩せたら折角のお胸も痩せてしまいますわ。もったいない」
ジョアナは真剣に勿体ないと言う。
(『もう』ということは、やっぱり太っていたと思っていたのね。事実だからいいけど……)
「あっ。王妃様、足下に木の根が出ている場所がありますのでお気をつけくださいませ」
「わっ!ととっ。危なかったわ」
言われた側からつま先が軽く引っかかって、ディートリンデは軽く跳んだ。
(転ばなくて良かった……。怒られるところだったわ)
茶会から戻ると、部屋にいるはずのコラリーがいなかった。
暫く待っても戻ってこない。
森に行ってみたいが反対されるかもしれないと思ったディートリンデは、同じく興味を引かれていそうなジョアナを唆して出てきた。
転んでドレスを汚したり、怪我でもしたら、とんでもなくコラリーに怒られそうである。
「――ん?えっ」
「どうされました?」
「今、白っぽいものが木々の向こうに一瞬見えたような……」
「それって、精霊の化身では!?」
ジョアナが目を輝かせた。
二人で顔を見合わせ、急いで白っぽいものが見えた方向へと急ぐ。
「うーん。見間違いだったのかしら」
「化身ということは動物でしょうから。追いつけなくても不思議ではありません」
「これ以上奥に行くと戻れなくなりそうね」
「そうですね。残念ですが、そろそろ戻りましょうか」
「そうね」
森の中を適当に歩いてきたが、振り返ると木々の合間に離宮の塔が見える。
塔を目印にして引き返す。
すると、来たときにはなかった不思議な空間に出た。
斜面に洞穴があるのだが、その場所は木が途切れ、洞穴の前だけがぽっかりと空いた空間。
行きでは精霊の化身を探してうろうろしていたので、気づかなかったのだろう。
「ひっ!?」
「ジョアナ?どうし――」
「しっ!い、行きましょう、早くっ」
急に顔を強ばらせたジョアナにぐいぐいと腕を引かれ、ディートリンデはその場を離れた。
気になって振り返ると、洞穴の中にぼうと白いものが見えた。
(え。あれって……)
「はぁ、怖かった。あ!申し訳ございません!」
離宮の塀が見えるとジョアナはようやく安堵した。そして、ディートリンデの腕を引っ張ったままだったと気づいて手を放す。
「大丈夫よ。だけど急に――」
「見ましたか!?」
「もしかして、洞穴の中?」
「そうです!あれって幽鬼ですわ!」
「え?」
「婦人会の皆さんが『あの森には幽鬼も出るから、実際には誰も近づかない』って言っていましたが、本当だったのですね。ああああぁ……。私、初めてですわ!」
「……私も初めて」
ディートリンデは、ジョアナに話を合わせた。
しかし、ディートリンデが見たものは幽鬼ではなかった。
確かに、それはまるで幽鬼のようにふらふらと立っていたが……。
『あの新兵、また徘徊したんだって?入団試験に心の強さを図るテストがあればなぁ』
『意味はないさ。有事のときに発揮される心の強さは、平時では図れない』
気の病を患っている者は徘徊をすることがある。
ディートリンデはそれをスヴァルトに来てから知った。
ある日、兵士が話していたから。
過酷な訓練に耐えられなくなって心を壊してしまう者がいるらしい。
(けれど、王太后様に見えた……)
先ほど見た幽鬼のようなものが本当にヘドヴィカだとしたら、気の病が原因で徘徊していた可能性がある。
それなら、早く迎えを遣わせたほうが良い。
けれど、離宮内に焦った様子はない。
(私の見間違いだったのかしら……ジョアナの言う通り、幽鬼……?あんな所で?)
相手が相手だけに確認できない。
唯一聞けるとしたらエドムントだが、男性たちだけで酒を酌み交わしており夜になっても中々戻ってこない。