離宮
エドムントとディートリンデが結婚式をやり直す直前、湖畔の離宮が完成した。
湖畔の離宮は、以前はダフネ国という別の国が治めていた地域に建てられた。
スヴァルトの従属国であったが、元々が別の国だった地域ということもあり、離宮は反乱対策にもなっている。
といっても、ダフネがスヴァルトへと下ったのは、約五年前。
現在は、ガリバと同じようにスヴァルト王国の一つの領となっている。
――とディートリンデは習っていた。
ただ、ガリバと一つ違うことは、特にそうしなければならないほど国が危機的状況だったわけではないのに、五年前突如スヴァルトへと下ったこと。
それを講師に質問しても、『強国に守ってもらいたかったのでしょうな』と素直に納得できない返答だった。
その、湖畔の離宮には王太后――エドムントの母であるヘドヴィカが移り住んでいた。
ダフネは、ヘドヴィカの生まれ故郷でもある。
ヘドヴィカは、スヴァルト国にとって前の前の王妃。
エドムントの兄である前王は、正式に伴侶を持つ前に崩御してしまったので、スヴァルト国ではヘドヴィカが王太后の位を持ったままになっている。
ディートリンデがスヴァルトに輿入れしたとき、ヘドヴィカは既に別の離宮を住まいにしていた。
やり直しの結婚式はもちろん、初めての結婚式にもヘドヴィカは参列していなかった。
ディートリンデは、ヘドヴィカは一年ほど前から体調を崩していると聞いていた。
(緊張するわ。詳しいことは誰も教えてくれないけど、気の病って。王太后様はどんな感じなのかしら……)
少しでも慰めになればとの配慮で、生まれ故郷に建つ完成したばかりの湖畔の離宮へとヘドヴィカは移った。
湖畔の離宮のほうが暑すぎず気候が良く、療養に良いだろうという理由で。
そして、ガリバの次の訪問地として選ばれたダフネ領。
ディートリンデは初めて湖畔の離宮に降り立つ――――
「疲れただろ。ディー、大丈夫か?」
「な、なんとか……」
ゆったりと景色を楽しみながらの馬車旅でも、先日使った魔馬車の旅でもなかった。
今回は移動にかける時間が最小限しか取れないとのことで、転移陣を使った。
ダフネ領は元々他国だったほど王都から離れているため、転移陣を使っても結構時間が掛かった。
浮遊感の長さは移動距離と比例しているので、それなりに浮遊感が続いた。
初めてファンデエンからスヴァルトへ来たときに比べたら、格段に短い時間ではあったが、ディートリンデは転移の浮遊感が苦手だった。
(あぁ……気持ちが悪い。少しで良いから横になって休みたいわ)
着いたらすぐに離宮の主であるヘドヴィカへ挨拶をする予定になっていた。
しかし、先に具合の悪さをどうにかしたかった。
この具合の悪さのまま、王太后という位の高い女性へ挨拶をしに行くのは、不安がある。
「ディー、とりあえず休もう。誰か、ひとまず部屋へ案な……――」
エドムントが顔をのぞき込むようにしてきて、ディートリンデの顔色の悪さに気づく。
休もうと言ってくれてほっとするディートリンデ。
しかし、言葉が途切れた。
顔を上げたものの、エドムントと視線が交わらない。
エドムントはハッとしたような表情で建物を見上げていた。
視線の先を追って見ると長い階段の上、入口に一人の女性が立っている。
値踏みするかのような、見下すかのような、厳しい視線。
(……もしかして…………)
「王太后……」
エドムントの呟きに、納得したような驚いたような感覚になる。
ヘドヴィカは療養中とわかるゆったりしたドレスを身に着けているものの、佇まいや雰囲気はとても病を召しているようには見えない。
「簡易的になるが、紹介しよう。ここで済ませてしまえば後はゆっくり休めるからな」
階段を上りながら、エドムントがディートリンデに耳打ちする。
ディートリンデはそれで良いならそのほうがむしろ楽かもしれないと思い、頷く。
その間もヘドヴィカは、視線を逸らすことなく二人を見下ろしていた。
「王太后。ご無沙汰しており――」
「あなた様はもうこの国の王。誰よりも偉いのですよ。目上の者に話すような言い方はおやめなさい」
「……久しいな。顔色も良さそうだ。紹介しよう。我が妻、王妃ディートリンデだ」
エドムントとヘドヴィカのやり取りに、ディートリンデの緊張感が一気に高まった。
(誰よりも偉いと言いながら、国王の言葉を遮るなんて。母親だから、いくつになっても振る舞いに注意をしてしまうのかしらね……。って、王妃と王太后様ってどちらが上!?普通に考えたら王妃よね?でも、王妃にとって王太后様は敬う相手であるから……)
上下関係に厳しそうなヘドヴィカを前に、ディートリンデは高速で考えた。
エドムントが紹介してくれたので、ディートリンデはなんとか挨拶をすることはできた。
が、ヘドヴィカには一瞥されただけで背を向けられてしまう。
ちらっと見られただけなのに、その迫力に思わず後退りしたくなった。
ディートリンデの頭の中に、女帝という言葉が勝手に浮かんできたくらい、迫力があった。
(これは、厳しそうね……)
それにしてもディートリンデに対して冷たい態度なのは理解できるが、息子であるエドムントへの態度や視線も冷たいことに、ディートリンデは気になった。
幼いころからエドムントに武術を習わせたり体を毒に慣れさせたりしてきた話は、ある意味母の愛だとディートリンデは感じていた。
親としても子供にそのようなことをやらせるのは、辛く大変なことのような気がする。
エドムントの立場を思えば、生きるために必要なものを身につけさせてあげようという親の愛に思えた。
ディアーヌを甘やかしっぱなしだったファンデエン国王夫妻を見てきたから、余計にそう思えていた。
それなのに、今、ヘドヴィカからエドムントへ向けられた視線や言葉に、温かさや柔らかさを一切感じない。
(気の病のせい……?)
あまりにも迫力があったため、ディートリンデは(本当に病なの?)と一瞬疑ったものの、 去っていくヘドヴィカの後ろ姿はふらふらと覚束なく、確かに病人だった。
離宮に着いた途端の対面に、ディートリンデは無意識に息を詰めていた。
エドムントがふっと息を吐き、隣で力を抜いたのが伝わってくる。
実の息子のエドムントでさえ緊張するような相手なのだと思ったら、自分が緊張しても無理はないと、ディートリンデは少し気が楽になった。
「すまないな。気難しいところがある人なのだ」
「いえ」
ディートリンデにとって、家族の在り方というものはよくわからない。
ただ、侍女時代に嫁姑問題の話を聞いたことはあった。
義理の母と娘――少しは仲良くなる努力をしたほうがいいのか。
王太后と王妃――王族に家族という形を嵌めようとする必要はないのか。
ディートリンデには何が正解かわからなかった。
どうしたら良いのだろう……と考えていたが、思いのほか忙しいスケジュールでディートリンデはそれどころではなかった。
「疲れただろ」
「正直、午前中に会った方たちの顔はもう覚えていません。事前にリストで確認していたから名前はわかりますが、それがなかったらもっと大変だったと思います」
離宮に到着した翌日、朝から晩まで分刻みで人と会っていた。
王城ではほとんど王妃らしいことはせずにただのんびりと過ごしているので、気疲れが凄い。
ダフネ領だけでなく、近隣の地域の領主や代表者までも来ていたため、人が途切れることがなかった。
「でも、皆さん陛下が直接足を運んでくれたと喜んでいましたね」
「そうだな。ここぞとばかりに相談を持ちかけてくるおかげで予定が押して酷いが。明日、時間を設けているというのに」
「陛下が聞く姿勢を示してくださったから、皆相談しやすくなったのだと思いますわ」
「あぁ。それはディーを見倣ったのだ」
「え?」
「侍女たちによく『どうしたの?』や『大丈夫?』と声を掛けているだろ」
ディートリンデは自分の侍女経験から、侍女らが何か困っていそうなときはすぐに気づく。
そして、経験から何かありそうな予感を無視すると後が厄介だと知っているからだった。
「侍女らがディーを頼るのは、聞く姿勢を示しているからだろう?国王から歩み寄る必要はないという意見もあるが、私はそうは思わない。強さを見せつつ、歩み寄ることができるのが理想だ」
そう言ってまっすぐ前を見据えるエドムントの眼差しは力強かった。