違和感
まだエドムントと共に執務室にいたガリバ領主は、王妃襲撃の報告を受け、膝から崩れ落ちる。
「な、なんてこと……。なんとお詫びを申し上げたらよいのか…………」
ガリバ領主は顔面蒼白でエドムントを見上げるが、エドムントは報告してきた兵士を見ていてガリバ領主のことはまったく気にしていなかった。
「ディーは今どうしている?」
「こちらに向かわれています」
「そうか。――沙汰は追って伝える。カルヴィン、後は任せた」
「お任せを」
エドムントが執務室を出ると、すぐにディートリンデと行き合った。
「ディー!大丈夫か!?」
「はい。驚いただけで、無傷です」
エドムントは「良かった……」と言い、ディートリンデを抱き寄せた。
ディートリンデも安心感を求めるように腕を回す。
しばらくそのままきつく抱き合った。
不安になっているであろうディートリンデを気遣って、その日、エドムントはディートリンデと一緒にすぐに用意された新しい部屋へ戻った。
窓の外にも見張りの兵士が増やされていた。
「怖かっただろ。警備面は比較的治安が良いと油断した私の落ち度だ。すまない」
「いえ!大丈夫です。驚きましたが、コラリーがすぐに動いてくれましたので」
「そうか。コラリーを付けていて正解だったな」
「はい。コラリーにはとても感謝しています。ですが、一体誰が何のために……」
「犯人は追っている。が、なんにしても領主の責任は免れない」
ディートリンデが「どのような罰に?」と質問すると、難しい顔をするエドムント。
「解任することはできない。この地の情勢を思えば、今、領主が代わることは得策ではない。それに、私たちの使っている部屋に火矢が放たれたことは、できるだけ知られたくない事実だ。そう重い罰にはしたくないが……」
ガリバ城内は一部で騒ぎになってしまったが、この勢いのまま他国にまで知られるのは避けたいことだった。
新しい国土でスヴァルト国王夫妻の部屋が狙われたとなれば、隙があると知られてしまうことになる。
――エドムントとディートリンデがもう休もうとなっていたころ、兵士によって火矢を放った者が連行されてきた。
夜中だったが、エドムントとディートリンデは執務室へと向かう。ガリバ領主夫人も叩き起されて執務室に集合した。
自分の城の中で起こった不祥事に休むこともできず、しかし実際に指揮をするのはカルヴィンで何もできない。ただ胃を痛くするしかなかったガリバ領主は、この数時間で老けたように見える。
「この者は何者か?」
「…………その者は……」
エドムントがガリバ領主へと厳しい視線を投げる。
ガリバ領主夫妻は青い顔をして、何者かわかっていない様子だった。
ガリバ領主が焦ったように振り返ると、文官らしき者が近づいてきて耳打ちする。
「け、経理課の者だそうです」
「経理課か」
エドムントが犯人を見ると、犯人はガクガクと震え出した。
「……何故、部屋に火矢を放った?」
「それは知らなかったんです!で、ですが、全て話します!だから、娘の命だけは助けてください!!」
「私は、何故王妃のいる部屋へと火矢を放ったのかと問うている」
エドムントに問われ、その男は声を震わせながら話し出した。
――――経理課の男アキムは、エドムントの部下が経理課に帳簿を取りに来たため、何かまずいことになりそうだと悟る。
「孤児院の管理担当者が呼び出されたらしい。アキム!様子を探ってくるんだ」
横領を主導していた経理課課長に、様子を探るように伝えられた。
アキムも課長と共謀して横領していたので、他人事ではいられない。
アキムはカルヴィンに協力するふりをして、孤児院と支給額と合わせた表向きの帳簿を持って行く。
そして、執務室の中で成り行きを見守っていた。
一度は誤魔化せて不正に気づかれていないと安心したが、そう甘くはなかった。裏帳簿があることくらいお見通しだった。
他の文官が出入りするのに便乗し、アキムもすぐに執務室を出る。
急ぎ経理課課長へと報告。
しかし、そのときには素早い文官によって経理課にある全ての帳簿が持ち出されていた後だった。
「隠し帳簿は無事ですよね?あれさえ見つからなければ――」
「もう遅い。全て持っていかれた」
「裏帳簿は隠してあったんじゃ……?」
「……見つかったんだ…………隠し場所を変えようとしているところにあいつらが来て……」
課長の発言に、アキムは愕然とする。
余計なことをしなければ、決定的な証拠が出ずにどうにかなったかもしれないのに。
今ならまだ裏帳簿を取り返せるかもしれない……。
慌てて執務室へと戻ったアキムが見たものは、部屋から文官たちが何か資料のようなものを抱えてぞろぞろと出て行く様子だった。
一人の文官に「おい!何があったんだ?続きはもうしないのか?」と聞くと、「孤児院の件は明日と陛下が仰った」と答える。
数時間かもしれないが命拾いしたと少し安堵し、目を閉じた。
一瞬にしてどうやったら逃げられるかと算段するが、どう考えても希望を持てない。
少しだけ冷静さを取り戻し、もう少し詳しく聞こうとしたときには先ほど話を聞いた文官は立ち去っていた。
まだ執務室から出てくる文官の一人を捕まえる。
「あ、おい」
「なんだ?」
「孤児院の件は明日になったんだって?」
「王妃様を先に休ませるために言ったんだと俺は思うね。正直に休む奴らは馬鹿だろ。俺は今のうちに証拠集めをする」
「……や、やはりそうか。経理課からの帳簿を集めたと聞いたが?」
「そうなのか?どこだ?それを調べれば不正を見つけられるんじゃないか!?」
「そ、それを俺も探しているんだ」
通りかかった別の文官が、「あぁ、それなら。もしかしたら、王妃の侍女が大切そうに何かの資料を抱えていた。貴賓室のほうへ向かったから部屋に持ち帰ったのかもな」と教えてくれた。
「そうか。ということは、王城の者が調べるのか。この件で頭抜けるのは無理か……。いや、王城の者だけでは人手が足りないよな。手伝うと申し出れば……。俺は先に行くぞ!」
上昇志向の強い文官が走って行くのをあっけにとられて見ていたが、自分もこうしている場合ではないと走り出した。
すぐに経理課課長へと報告すると、課長は帳簿を全て隠滅するように指示する。
「あの証拠が出てしまえば、お前も終わりだ。相手はあの覇王……お前だけで済まないぞ!生まれたばかりの娘にまで累が及ぶかもしれないんだ!」
「む、娘にまで……!?」
追い詰められて焦ったアキムは、短絡的に火矢を放った。国王夫妻にあてがわれている部屋とは知らず――と、話した。
その夜、カルヴィンによりガリバ領主へ罰が伝えられた。
「国王夫妻の部屋への攻撃は重罪。しかし近衛兵の警備面での不備と犯人の早とちりによる誤射であることを考慮し、三ヶ月間、領主へ支払われる領運営費の減額を言い渡します。減額によって減った分は個人資産から補填してください。領民の生活を著しく低下させることは許されません。領民からの税金を上げるなどもってのほかです。なお、防衛費の減額はありません」
「陛下のご温情に感謝申し上げます」
ガリバ領主夫妻は、王への忠誠を誓うための礼を取る。
その後、孤児院の横領の件もカルヴィンから報告された。
昨夜のアキムの誤射騒ぎを知った経理課課長は屋敷に逃げ帰り、逃走準備をしているところで確保された。
そして、その屋敷からは、不正の証拠や給与に見合わない宝飾品や調度品がたくさん出てきた。
「しっかりやっているものと任せきりで……私の監督不行き届きです。このような簡単な不正さえ見抜けないとは、元王として情けない。国を乗っ取られ掛かるわけですな……」
「本来なら私が気づかなければならないところ……。孤児院はずっと変わらぬ様子でしたし、侵攻されている間は苦しいのはお互い様と疑問にも思わず。そんな昔から苦しい思いをさせていたなんて、私のせいですわ……」
ガリバ領主夫妻は、揃って落胆していた。
「これからは、もっと細部に目を光らせるように。王城から文官を何名か派遣させる。孤児院に限らず、一度徹底的に見直す」
「はい。お手を煩わせてしまいまして……」
エドムントからの言葉に、ガリバ領主夫妻は一層小さくなった。
「横領していた者の財産は全てを差し押さえました。全てを売り払い、その金でこれまで本来受けられるはずだった施しを孤児院へ致します。横領の期間が長いので、それだけでは足りません。それと、孤児院の管理責任者は、解任。そして、罪人の財産では足りない分を補填してもらいます」
経理課で横領に関わっていた者は全員、財産を差押えられ投獄された。
なお、孤児院の管理担当者が屋敷の捜査を拒否したのは、屋敷に少女趣味の人形がたくさんあったからだった。人知れずに楽しんでいた趣味が暴露してしまうことを恐れただけであった。
◇
魔馬車が空高く飛び立ち、見送りに来た人々があっという間に米粒のように小さくなった。数日間の滞在を終え、王都へと帰還する。
「あっ!?」
暫く窓から地上の様子を見て楽しんでいたディートリンデが焦ったような声を出す。
「どうした?」
「見てください。煙が凄く出ています。山火事では!?」
「――あぁ。あれはきっと焼き畑だ」
「焼きハタ?」
聞いたことのなかったディートリンデは首を傾げる。
「森林を燃やして、その焼け野原を畑にする……という方法だったはずだ」
「そのような方法があるのですか」
「ああ。あそこに人が見えるだろ。きっと彼らが次に使う畑を作っているところなのだろう」
「え?どこですか?」
「ほら、右下の方に小屋があるだろ。その横にしゃがみ込んで作業している人がいる」
「……小屋はわかるのですが……人……あの点のようなものは人ですか?」
「ん?ディーは目が悪いのか?」
「そんなことはないと思うのですが」
「そうか?まぁとにかく、山火事ではないようだから問題ない」
「はい…………」
ディートリンデは何か違和感を覚える。
だけど、その違和感の正体がなんなのか、どこにあるのかがわからなかった。