火矢
すぐにガリバ領主夫妻に報告され、孤児院の管理を任されている者を呼び出して話を聞くことになった。
現時点で、どこの誰が不正をしているか確定していない。
コラリーが持ち帰った孤児院の帳簿はカルヴィンが見ても、収支は合っているように見える。
ただ、収入の金額を初めから低く記入しておけば帳簿上は不審点がなくなるので、これだけで孤児院は白とは言えない。
不正を見つけるには、ガリバ城で保管している帳簿の確認作業も必要となる。
容疑者到着までの間、それまで別件で執務室にいた文官たちは、孤児院に関する資料集めにかり出された。
ここで確定的な証拠や資料を見つけられたら、エドムントに顔や名前を覚えてもらえる良い機会。
文官たちは皆、我先にと動き出す。
文官たちが出ていくと、エドムントはディートリンデの座るソファに腰掛けた。
ディートリンデの頬へと手を伸ばし、指の甲でするり……と撫でた。
朝から執務室に篭っていたエドムントは、ディートリンデの柔らかさを感じて癒されたかった。
しかしディートリンデは、「領主夫妻の前ですし……」とエドムントの手をやんわりと拒否した。
仕方がない……と息を吐いて気持ちを切り替えたエドムントは、ディートリンデに初公務について聞く。
「ディー、孤児院や子供たちはどうだった?」
「皆良い子でした。でも、衣食住全てにおいて足りていないと感じました。そのせいで、作ったお菓子を盗み食いする子がいて」
「それは問題だな」
「はい。けれど、本来の運営費が正しく支給されていたら、盗み食いは起こらなかったかもしれません。皆痩せていましたから……。先日カルヴィンから見せてもらった予算への印象と違って、実際に見てみると何かおかしいと思ったのです」
「盗み食いは良くないが、それで不正に気づけた。今後は正常な運営ができるようになるだろう」
「そうですね。あっ、文字の練習帳はやはりあまり喜んでもらえませんでした。筆記用具は嬉しそうにしてくれたのですが――」
ディートリンデが孤児院の報告をしているうちに、何名かの文官が資料を手に戻ってくる。
その中には、城の帳簿の他、城からの納品書や孤児院からの要望書などが含まれていた。
それらと、コラリーが持ち帰った帳簿と照らし合わせていくと――
「数字は合っていますね」
「えっ。本当に?」
「はい。我が国の管理になってから増額した分も、反映されています」
カルヴィンの返答を聞き、領主夫妻はほっとした様子を見せる。不正があれば、領主とてお咎めなしというわけにはいかないからだ。
一方でディートリンデは青ざめた。
孤児院の困窮した様子から、絶対に誰かが不正を働いて運営費が少ないはずだと決めつけた。
コラリーもそうだと思うと言ったから、間違いないと確定情報のようにエドムントに伝えてしまった。
しかし、あの孤児院の収容力を超えた子供の数を思えば、正しく支給されていても足りていないだけだった可能性がある――と、思い至った。
(初の単独公務に力みすぎた結果、とんでもない過ちを……)
「陛下」
「ん?どうした、ディー」
妙に低く落ち着いた声で名を呼ぶディートリンデの顔を、エドムントが覗き込む。
「申し訳ございません。私の勝手な思い込みで……何もないのに騒ぎにしてしまい……」
「ディー、大丈夫だ」
「しかし。どうしましょう。呼び出した方には私からお詫びを――」
「王妃様。金額が合っているのは、この二つの帳簿です」
「ええ。だから、間違いはなかったのでしょう?」
「はい、この二つの帳簿の数字は。ですが、その他についてはまだ調べ終わっておりません」
「その他?」
「はい。まだ末端に不正を働いた者はいなさそうだということしかわかっていません。が、不正は確実にあります。そもそもの予算の合計が合いません。どこかで支給額が少なくされているのは間違いありませんから」
カルヴィンの言葉で領主夫妻は再び青ざめる。
ディートリンデは自分の勘違いで責めてしまったわけではなかったとわかり、肩の力が抜けた。
しかし、不正があるのは確実なら、安心している場合ではないと姿勢を正す。
執務室のドアがノックされ、孤児院の管理担当者がやってくる。
ガリバ旧王都の孤児院の管理を任されているのは、旧ガリバ国の元王族の一人だった。が、管理者とは名ばかりの者。
「し、就任当初から全て部下に任せておりました。で、ですがっ、わ、私としては、信頼しているからこそ――」
「もういい」
エドムントの低い声に、自己保身に走り始めた管理担当者がびくりと肩を震わせる。
カルヴィンが一歩前に出た。
「本日はもういいですよ。ですが、万が一証拠があった場合に処分されては困りますので、こちらの手の者を屋敷にも派遣させていただきます」
「捜索するのですか?不正の証拠も何も、私は関与していない。屋敷にまでとは、やりすぎでしょう!」
「不正に関与していないとしても、気づける立場にあったはずです。ご自分の立場と任された責任を理解しているなら、これも必要なことと理解できますね?」
カルヴィンにピシャリと言われ、管理担当者は口を噤むが、まだどうにか阻止できないかと考えている様子だった。
「屋敷の捜索は、無実を公式に認めさせるいい機会にもなりますよ。それとも、捜索されては困るものを隠してあるのですか?」
「いえ。その……」
「カルヴィン。許可を得る必要はない。すぐに捜索開始だ」
――エドムントの決定で有無を言わさず捜索が開始された。証言通り、孤児院の不正に関する証拠は見つからない。
管理担当者が屋敷を捜索されたくなさそうだった理由は、関係のない理由だった。
「ディー。調べるのは時間が掛かる。もう部屋で休むといい」
「しかし」
「孤児院の件はまた明日だ。私はこれから別件での話し合いもある」
「では、下がります」
ディートリンデは部屋に戻ることにする。
しかし、エドムントに呼び止められた。
「今夜も遅くなりそうだ。食事も一人にしてすまない。それで、これを。就寝前の間に暇だろうから本を用意させた」
エドムントの近侍が差し出してくる。
一、二冊ではなく、両手で抱えるほどの量だった。
ディートリンデの口から「こんなに!?」と出る寸前、「領主夫人お勧めという恋物語らしい」とエドムントが付け加えた。
よかれと選んでくれたであろうタマーラの手前、コラリーが黙って近侍から受け取った。
文官たちも使用済みの資料を手に執務室から出て行った。
ディートリンデが部屋に戻ると、留守番をしていたジョアナがお茶を用意して迎え入れる。
軽く食事をして、就寝の支度も済ませるとディートリンデはタマーラお勧めの恋物語に目を通す。
「あ、遅くなってしまったし、二人はもう休んでちょうだい」
「ありがとうございます。では戸締まりの確認をしましてから――」
二人の侍女が下がると、ディートリンデは再びタマーラお勧めの恋物語へと視線を落とす。
本を読むのは好きだが、これまでの人生で恋物語を読んでみても没頭することのできなかったディートリンデ。
しかし、自分が恋を知り、エドムントと良い関係を築けているからか、案外面白く読むことができる。ハッと気づいたときには、夜が更けていた。
(そろそろ寝ないと。起きていたら陛下に叱られそうよね)
ディートリンデがベッドに潜り込んだ瞬間、ガシャンと窓ガラスが割れた音がした。
見ると、床に置かれたクッションに火矢が刺さっている。
「っ!?」
飛び起き、火を消すためのものを探して素早く室内を見渡す。
ベッドサイドにおかれた水差しを手に持つが、クッションが燃えやすい素材なのか火が大きくなっていた。
水差しの水を撒いてみるが、まったく意味がなかった。
この部屋から逃げようにも、ベッドとドアの間が燃えている。
(無理したらいけるかしら?どうしたら……あぁ、こうしている間にも……!)
「離れてください!ベッドの奥へ!」
コラリーの声がしたのでドアのほうを見ると、コラリーが立っていた。
言われたとおりにディートリンデがベッドの奥へと行くと、コラリーは燃え広がろうとする火に手をかざした。
すると、みるみるうちに火が小さくなり、消えてしまった。
「敵は!?」
火を消したコラリーがすぐに兵士に確認する。
すると、「他の兵士が数名、向かっています」と答えた。
このことはすぐにエドムントやガリバ領主に報告された。