意地悪なメイド
ひんやりとした空気が漂う暗い通路を歩く。
エドムントの言葉少ない説明から、このまま隠し通路から城の外へ捨てられることまで想像した。
が、元の部屋に戻ってきただけだった。
(やっぱりこの牢。罪人扱いは変わらないのね)
部屋に入ると、女性がベールを上げてくれた。
別の部屋の可能性を期待して室内を見渡すが、窓のない部屋は先ほどとまったく同じだった。
「お疲れ様でございました。私は食事を取りに行って参ります。今メイドが来ますのでお着替えをなさってください」
女性が出て行く直前、中年の女性が入ってきた。
「失礼します」との声から、最初に見張り役をしていた少々意地悪な女性だとわかる。
ディートリンデはサッと二人の女性を見比べた。
メイドと言われた女性と、もう一人の女性では服装が少し違う。メイドはエプロンを着けているが、もう一人の女性は腰に剣を佩いている。
(やっぱりこの女性は騎士……?)
騎士と思われる女性が出ていくと、メイドはおもむろに後ろに立ち、編み上げを解くために手を掛ける。
手荒くされふらふらと体が動く。
すると、メイドは舌打ちをする。
ベールを取るときは髪の毛まで引き掴まれて何本も髪が抜けた。
その後、着せられたのは、飾り気のない地味なドレスだったが、質感が違った。
こんなところにも国力の差が……と感心していると、ビスチェがどんどん締め付けられていく。
(きつく締めすぎ……。そんなに締めないといけないくらいにサイズが合っていないってこと?この国に太った人はいないわけ?)
女性騎士が戻ってくると、メイドは部屋を出ていく。
入れ違いに食事が中に入れられた。
途端に食欲を掻き立てるいい香りが部屋の中に広がる。
「スヴァルトの習わしで、今夜はひとりでお召し上がりいただくことになります。ご理解ください。明日の朝は――」
何やら説明してくれるが、今日一日何も食べていないディートリンデの耳には届かない。
目の前の料理に釘付けになっていた。
しかし、ドレスの上に着けたビスチェでお腹を思い切り締められているので、全然進まなかった。
(まさか、目の前に豪華な食事があるのに食べられないという嫌がらせ?)
何食わぬ顔で勧めてくる女性騎士が恨めしく思えてくる。
「お口に合いませんか?」
「いえ、美味しいです」
「食欲が湧きませんか?」
お腹は正直に「ぐぅ」と主張する。
咄嗟にお腹を押さえるが、そんなことで止むはずもなく、ぐうぅぅぅきゅるるるっ!と長く派手な音が鳴った。
「…………どうぞ、ご遠慮なさらずお召し上がりください」
(そうしたいのはやまやまだけど、こういう嫌がらせなんでしょう?太った私にぴったりね!)と、心の中で悪態をつく。
「ディー様?」
女性騎士からそう呼ばれ、エドムントに『では、ディーと呼ぼう』と言われたことや皆にもそう呼ぶといいと伝えていたことを思い出す。
本当に実行するとは。調子が狂う。
「あ。もしかして、毒をご心配されておられますか?毒味は済んでおります。どうぞ、ご安心ください」
(!!)
食事に毒。
その可能性が頭から抜けていたため、疑うことなく料理を口に運んでしまった。
ディートリンデが表情を曇らせたことに気づいた女性騎士は、一歩近づいて覗き込むように顔を見てくる。
視線を上げると女性騎士は気遣わしげな表情をしていた。
「もしや、何か不足がございましたか?それとも宗教的な決まりなどが?でしたら確認不足で申し訳ございません。すぐにご用意し直しますので、なんなりと」
「いえ。そうでは……」
さすがにここまで言われたら、毒物混入や意地悪する気がないことはわかる。
となれば、素直に理由を告げるしかない。
「ドレスが、きつくて…………。すみません……」
「まぁ!」
目を見開き絶句する女性騎士。
メリハリのあるスタイルをしている彼女には、ぽっちゃり女性の苦しさなど思いつかなかったのだろう。
(恥ずかしい……)
表情を改めた女性騎士は「失礼しました」と言ってビスチェの編み上げを緩めた。
(あぁ、本当に美味しい!これほど美味しいものを食べさせてもらえるなんて。転移の前に声を出さなくて良かった)
食事が済むと睡魔が襲う。
今日一日、様々なことがあった。
お腹が満たされたことで疲労感から眠くなってしまった。
(どこで寝たらいいのかしら?床?)
狭い部屋の中にベッドはない。
クッション性のあるふかふかな絨毯は、そのまま横になってもよく眠れそうに見える。
上掛けになる物はないが、北方出身者にとってスヴァルトは暑いくらいで、そのまま寝ても風邪をひくことはなさそうだ。
ディートリンデの視線が床のどこで寝ようかといい場所を探す。
狭いくらいの室内。
体を伸ばして横になれるのはドアの前か一人掛けソファの周り。
寝場所を落ち着いて眠れそうなソファの裏に決め、腰を浮かせたそのとき、食器を下げに行っていた女性騎士が戻ってきた。
浮かせた腰を再び落ち着かせる。
さすがに人前でおもむろに床に横になるのは躊躇われた。
女性騎士は、時折懐中時計を取り出して時間を確認していた。
きっと交代の時間が待ち遠しいのだろうと思われた。
が、なかなか交代の時間が来ず、何も起きないまま時間だけが過ぎていく。
ディートリンデが必死に睡魔と戦っていると、急に声を掛けられた。
「移動していただきます」
(どうして?……あ。時計を気にしていたのは、処刑の時間が決まっていたとか……?)
女性騎士に連れられて行った先にあったのは、湯気の立ち込める広い浴場。
戸惑いはあったが、促されるまま入浴をすることになった。
(わぁっ……凄いお湯の量!水桶と布が用意されているだけじゃないのね)
十人くらいは同時に入れそうな浴槽にたっぷりとお湯が張られているだけでなく、常にざばざばと溢れ出している。
こんなに豊富にお湯を使えるなんて、ファンデエンでは考えられないことだった。
そもそも小さな島のファンデエンでは水も燃料も貴重品で、王城でさえこのような浴場はない。
「あの……この腕輪はどうやって外したらいいのでしょうか」
「は?外せるわけがありませんよ」
小馬鹿にしたように言ってくるのは、あの意地悪なメイドだ。
「でも、水に濡れてしまいますが……」
ぐるりと緋色の石が付いた高価そうな腕輪。
お風呂のお湯に濡れるとさびやすくなるのではと心配しただけなのだが、それ以上ディートリンデと話す気はないというふうにメイドは顔を背けて黙ってしまった。
(あ。もしかして、これって手枷?そっか。魔石のようだし、手枷なのね。それなら、『外せるわけがない』と言うわ)
やはり自分は罪人扱いなのだと確信を得たようなものだったが、腑に落ちたディートリンデの心は案外落ち着いていた。
お湯に浸かりながら今日一日を細かく振り返った。
特に、このスヴァルトに来てからのことを。
すぐに殺されると思ったら、まだ生かされている不思議。
「湯船から出て、こちらに寝てください」
言われた通りに横になる。
チラリと見ると、タオルや湯涌を用意していた。
「自分でできますが……」
メイドには無視され、強引に背中を擦られる。体を擦る力が強すぎて、背中や膝の裏がヒリヒリと熱くなる。
(これがもしも本物の姫さまなら、今頃『このメイドは処刑して!私の肌に傷をつけたのよ!立場を弁えなさい!』と大声で騒いでいるわね)
もうすぐ人生を終えようとしているからだろうか。
懐かしさすら感じて、ふっと笑みが浮かぶ。
笑ったことをメイドに見られており、一層冷たい目を向けられた。
(そもそも、本物が来ていたらこんなことにはなっていないか……)
「こちらをお召しいただきます」
メイドから渡された夜着は先ほどのシンプルなドレスとはまた違う、清楚さを兼ね備えつつ、しかし、幾分艶かしいデザインのドレスだった。
(罪人扱いが続いていると思っていたけど、これはまるで……)
着替えが終わるとメイドは下がって行き、また女性騎士が今度は別の部屋へと案内してくれた。
「こちらです」と言われ、入ったのは奥に続き扉のある広い部屋。
今度は、たくさんの家具や調度品も置かれている。
王女ディアーヌの部屋以上に豪華で、窓もある部屋だった。
「ベッドは奥の扉の先にございます。陛下がお越しになるまでもう暫くお待ちください」
「ここで、ですか……?」
「はい。陛下をお待ちくださいませ。では、失礼いたします」
すぐに女性騎士を追って扉を開けるも、見張りと思われる男性騎士と目が合った。
「…………失礼しました……」
少し驚いたように無言でカッと目を見開いている騎士の迫力に、すごすごと部屋に戻るしかない。
考えないようにしていたが、何かがおかしいことは薄々気づいていた。
結婚式をすると言われて訳がわからなかったが、一人で式場を後にしたときにはそのまま解放される可能性を期待した。
しかし、貴人用の牢に入れられたことや意地悪なメイドがいることで、やはり自分は罪人なのだと思い知らされた。
だけど、豪華な食事に、風呂に、少々艶かしい夜着は罪人に対するものではない――――
(本当に新婚の夫人のようだけど……。ううん。そんなはずない。意味はわからないけど、身代わりの偽者なのだからあり得ないわ。あ……処刑の前に慰み者にされるとか?…………その可能性のほうがずっと現実的だわ)
奴隷の罪人に人権など与えてもらえない。まるで物扱いされている女性がいるのも現実。
ディートリンデにおいてもその可能性はゼロではない。
そう気づくと、どんどん心が冷えていく。
いっそ自死してしまおうと、刃物や縄を探すが自死できそうな物は一切置かれていなかった。
探し疲れてソファに座わると、一日の疲れが襲ってきて一気にまぶたが重くなる。
(眠い……。もういいや……。寝てしまおう――――)