帳簿
キャーキャーと子供特有の甲高い声が聞こえてくる廊下。
粗末な服を着ている痩せた女性――孤児院の院長と名乗った――に庭へと案内される。
ディートリンデが庭に出ると、それまで騒がしかった声が止み、たくさんの視線がディートリンデへと集まる。
庭には、これまた痩せた子供たちがたくさんいた。
「こんにちは。初めまして。スヴァルト国の王都エルメントから来た、ディートリンデと申します。皆さん、よろしくお願いしますね」
「………………」
ディートリンデがディアーヌの機嫌を取るときに向けていたような優しい笑みを子供たちに向ける。
しかし、子供たちはぽかんと口を開けてディートリンデを凝視するばかり。
(いきなり知らない人が来たから、戸惑っているのかしら……)
「ほんものっ……!」
比較的小さな女の子が、キラキラと瞳を輝かせて呟いた。
(あっ。もしかして……)
「も、申し訳ございません。こちらに伝わる物語に出てくる姫様のようで、驚いたのだと思います」
院長が申し訳なさそうに眉を下げた。
「雪月花のお姫様ね。先日、聞きましたわ」
「はい。そのお姫様に女の子たちは皆憧れておりまして。文字が読めずとも絵本には王妃様のような美しいお姫様が出てくるものですから……。ほらほら、皆!ちゃんとご挨拶申し上げて!練習したでしょう!?」
「そ、そうだ。皆、いくよ!せぇのっ!」
院長の声にハッとした年長の子供が音頭を取れば、「こんにちは!王妃様!」と子供たちの声が揃う。
その後に続いた「ようこそお越しくださいました!」は、残念ながらばらばらになってしまったが、ディートリンデはにっこりと笑みを深める。
「歓迎してくれて、嬉しいわ」と言いながら、スカートを軽く持ち上げて腰を落とせば、子供たちもぱあぁっと笑顔になる。
遠巻きに見ていた子供たちは、ディートリンデが院長に孤児院の中を案内されている間、ずっと後をついて来ていた。
子供たちが寝ている部屋を見せてもらうと、部屋の隅にペラペラの布団が積み重なっていた。
部屋の広さと布団の量からして、布団を敷くと床が見えなくなりそうだ。
大部屋が三部屋、中くらいの部屋は二部屋。
この五部屋が子供たちの寝室だと、院長が言う。
中くらいの部屋は、主に十一歳から十三歳の子供が男女に分かれて使っていて、これ以下の年齢の子供は大部屋を使っていると説明される。
(……圧倒的に部屋が足りていない。というより、施設の規模に対して孤児の数が多すぎるわね)
「子供とはいえ、これほどぎゅうぎゅうでは喧嘩にならない?」
「小競り合いはしょっちゅう……。ですが、そうやって力加減や思いやりを覚えていくので、悪いことばかりではありません」
「ああ、そういう良い面もあるのね」
ディートリンデが素直に感心すると、院長は苦笑いをする。
「本当はもっと余裕を持たせてあげたいのですが……昨年までの侵攻でここ数年、親を亡くす子供が増えまして。ガリバではどの孤児院もこのような状況なのです。仕方ありません」
「そうよね…………。ところで、子供たちはよくご飯を食べるのかしら?」
「え?あ、はい。育ち盛り、食べ盛りですので」
「その割に、痩せている子が多いような気がするけれど、食材は足りている?」
「…………その……」
一通り孤児院内を見て回ったディートリンデは、一つ気になっていたことがある。
ガリバ行きが決まった後にカルヴィンから見せてもらった予算表。
その中には、訪問時のプレゼント代だけでなく、修繕費や食費、被服費など孤児院の運営に関わる全ての予算が書かれていた。
(子供の数は思っていたより多いけど、だからこそあの余裕がありそうな金額だったのね。でも、それでも全然足りていないように見える……)
粗末な服を着て痩せた子供たち。
子供たちだけでなく、院長も職員も痩せ気味。
子供たちの布団も継ぎ接ぎだらけで、ペラペラだった。孤児院の壁には所々穴が空いているままだし、ヒビの入った窓ガラスはテープで養生してある。
「お金が足りないのね?」
「……はい。やりくりしているつもりなのですが、限界がありまして。昨年までの戦争で他のことにも回さなければならないからと、国から孤児院への支給額はぎりぎりで。戦争前と比べますと、貴族の方からの寄付も少なくなり……。ですが、スヴァルト国となってからは、少し増やしていただきまして、本当に感謝しております。一日一回の食事が二回に増やせるようになりました」
院長は本当に感謝していると、深く頭を下げる。
(……何か変ね)
一緒に来ていたコラリーの顔を見ると、コラリーも同じように疑問に思っているようだった。
コラリーが「後で帳簿を確認したいのですが」と耳打ちしてくる。
ディートリンデは頷くと院長へと向き直る。
「後で、私の侍女に帳簿を見せてもらえるかしら?」
「は、はい。ご用意いたします」
その後、ディートリンデたちが子供たちと触れ合いのための準備を始めると、子供たちも手伝ってくれる。
カルヴィンが子供との触れ合いに選んだのは、簡単なお菓子作りだった。
『プレゼントは喜ばない子供もいると思いますので、お菓子作りにしました。独り立ち後の支援という意味では、料理も覚えたほうが良いでしょうし』
ディートリンデが『子供たちのことを考えてくれてありがとう』と言えば、『それが仕事ですから』と照れ隠しをするように眼鏡をあげるカルヴィン。
「皆、手を洗ってきたわね? さあ、始めましょう!」
「はぁい!」
「さて、と……」
この日作るのは、少ない材料で済み、作り方が簡単なショートブレッド。
ディートリンデの目の前には、小麦粉や砂糖、バターがまとめてドン!と置かれている。
自分の前に空のボウルを置いた後、ディートリンデは材料を見て固まる。
奴隷、王宮侍女、王妃とこれまでの人生では自分で料理を作った経験のないディートリンデ。
パン屋でも手伝うと言ったが、触らせてもらえなかった。
(……どうしよう、分量や作り方がわからないわ)
ディートリンデが動き出さないので、子供たちも動き出せずにいる。
コラリーに助けを求めたいけど、準備ができたら「帳簿を確認しに行っていい」と言ってしまったので、側にいない。
「……ショートブレッドの作り方を知っている人はいるかしら?」
どうしようもなくなり、子供たちに問いかける。
「知ってる!」や「はい!はい!」とたくさんの子供が手を挙げてくれた。
「私に作り方を教えてもらえるかしら?」
「いいよ!これの中に材料を全部淹れて混ぜるだけだよ!」
まだ子供なので、説明がざっくりとしすぎている。
ディートリンデはとりあえず小麦粉に手を伸ばす。
「こう?」
「もっとたくさん!」
「これくらい?」
「入れすぎだよ!」
「えっ、そうなの?じゃあこれくらい?」
ボウルに小麦粉を入れたり出したりするディートリンデ。
「これくらいだよ!」
一人の女の子が、実際にボウルの中身を見せてくれて、ようやく分量がわかった。
「おうひさまなのに、こんなこともしらないのぉ?ぼくでもしってるよ!」
ディートリンデのすぐ近くにいた年少組の男の子が、自分のほうが知っていると得意げに言う。
「こ、これ!王妃様になんてことを言うの!謝りなさい!」
「いいのよ。そうなの。実は初めて作るのよ。教えてくれる?」
「うん!つぎはね、さとうをいれるんだよ。これくらい!」
「よく知っているわね。すごいわ!」
「えへへ」
ディートリンデが褒めると、次々に教えてくれる子供たち。
初めは遠巻きにしていた子供たちも、すっかり打ち解けたようにディートリンデと話せるようになっていた。
「さぁ、ショートブレッドが焼けるまでの間、本を読みましょうか。何の本が良いかしら?」
ディートリンデがそう言うと、目を輝かせて子供たちが本棚に走って行く。
いくつかの絵本が人気らしく、自分が持っていくと小競り合いをしている子供もいる。
一番初めに走って戻ってきた男の子が持っていた絵本は、スヴァルト建国の物語だった。
(あ、これ。王妃教育のときに読んだ絵本と同じね。確かに、女の子よりも男の子が好きそうな内容だわ)
「これ!新しいからあんまり読んでもらえていなくて、まだ覚えられていないんだ。だから、これを読んでほしい!」
「わかったわ。それじゃあ、まずはこの本を読みましょう」
「これ!これがいい!」
「それじゃあ順番。次にこれを読むわね。まずはこちらを読むから座ってちょうだい」
「さあ、皆!座って!王妃様が読んでくださるわよ!静かにして!」
行儀良く芝生の上に座った子供たちは、皆わくわくとした目をディートリンデに向けてくる。
「――――王には脈々とドラゴンの血が受け継がれているのでした……おしまいっ」
わぁっと子供たちが沸く。
「覇王様にもドラゴンの鱗があるの!?」
男の子が期待に満ちた顔で聞いてくる。
「えぇ。あるわ、よ」
子供にあると答えながら、ディートリンデは不自然に詰まってしまった。
(そういえばあのとき、講師は右の腿の付け根にあると言っていなかったかしら……)
名実ともにエドムントと夫婦になったディートリンデだったが、エドムントに鱗のような痣があることを敢えて気にして見たことはなかった。
だけど、確かに目にしたことはある。と、閨での記憶を探る。
(……右にはなかった。講師から聞いたときは私の奴隷印があった場所と同じだと思った記憶があるけど…………あるのは左――――)