人影
ガリバ城の中心にある一室。
大きなベッドが一つ、真ん中に置かれた広い部屋が国王夫妻用に用意された部屋だった。
「部屋は一緒で良いのね。ベッドも一つ」
「本来、夫婦になれば行動を共にして良いそうです。夜会だとか今回のような場では、夫婦でも会場内で男女別に分かれて行動するようですよ」
「そうなの。ガリバは徹底しているのね」
「そうですね。スヴァルト人にはあまりない価値観なので、新鮮です」
「この部屋は本来の貴賓室ではなく、いつもは主賓の次の者や側付に貸す部屋のようで。そのためにベッドが一つだそうです。この部屋の前にある木が満開なので、もてなしとして今回は敢えてこちらに」
「そうなの。明日その花を見るのが楽しみ――」
湯浴み後、コラリーとジョアナに就寝の支度をしてもらいながら話をしていると、部屋のドアがノックされた。
ジョアナが確認して戻ってくる。
「陛下はまだもう少し掛かるそうです。先にお休みになられて構わないとの伝言でした」
「そう。でも、まだ眠くないからもう少し起きて待っているわ」
「お疲れではないですか?無理はなされませんように」
コラリーが鏡越しに気遣わしげな視線を投げかけてくる。
「大丈夫。あまりにも遅いようなら先に休むから」
「では、よろしければこちらを」
ジョアナが一冊の絵本を差し出してきた。
表紙には『救国の雪月花姫』と書かれている。
「王妃様に似ているという雪月花姫のことが気になりまして、宴の間に手配してもらったのです。明日の花祭りの原型と思われることも描いてありました。よろしければ」
「そう。ありがとう、私も気になっていたの」
ジョアナがにっこりと笑む。
ひょいと表紙を覗き込んだコラリーが「あら。本当にディー様に似た絵ですね」と言った。
「私も、見たときは驚きました。あの子供が王妃様を驚いたように見た理由がわかりました」
「そうかしら?自分ではよくわからないけど……」
「色合いが特に似ています」
二人に似ていると言われたディートリンデは絵本の表紙を見てみるが、やはりよくわからない。
ファンデエンでの侍女仲間に似ているようにも見えてくる。
この辺りの人間は、北方の人間をあまり見慣れていないのでそう見えるだけだろうとディートリンデは思った。
「陛下が遅くなるなら私は絵本を読んだりしているから、二人はもう休んでいいわよ」
「ありがとうございます。では、最後に戸締まりを確認して下がらせていただきます」
「ええ。そうして」
コラリーとジョアナが窓の鍵を確認しに動き出し、ディートリンデは絵本に視線を落とす。
「あらっ?」
「どうしたの?」
「外に人影があったような……」
ジョアナが人影を見た気がすると言うと、コラリーが急いで窓の外を確認した。
「どの辺に?」
「あちらの木の陰です。ですが、奥のほうに移動したようですね」
「…………」
コラリーは注意深く外の様子を窺っているが、ディートリンデは宴席での夫人たちの会話を思い出していた。
「ディー様はこちらから動かないでください。確認して参ります」
「ねぇ。もしかしたら、恋人たちが束の間の逢瀬を楽しむところなんじゃないかしら?騒ぎ立てたら悪いし、きっと大丈夫よ」
「あぁ!わくわくどきどきと言っていた、あれでございますね!?」
ジョアナは恋人たちの逢瀬と聞いて目を輝かせて振り向いたが、コラリーは警戒の姿勢を崩さない。
「そうだとしても、確認して参ります」
「わかったわ。でも、恋人たちだったら邪魔をしないようにしてね」
「心得ております。ジョアナ、私が戻るまでディー様のお側を離れるのではありませんよ」
「かしこまりました」
コラリーが部屋の前にいた見張りの兵士を一人連れて行くと、ディートリンデは絵本を捲る。
ガリバ国は天災や他国の侵略が重なり存亡の危機に瀕していた。
ある日、王子が噂で聞きつけた北方に住むという予言の巫女を探す旅に出る。巫女の予言を聞いて危機を回避できれば、国が救われると信じて。
しかし王子は予言の巫女の住む島を目前に、嵐に見舞われて海に投げ出されてしまう。
漂流物に掴まり、なんとか近くの島の浜に打ち上げられたところで王子は意識を失う。
次に目を開けると、天女のように美しい娘がいた。
浜辺に倒れている王子を見つけて介抱したのだ。
近くに何もない場所だったはずなのに、突然現れた美しい娘に疑問を抱いた王子は聞いた。
すると、美しい娘は何も答えない。どうやら言葉を話すことができぬ美しい娘。
娘のお付きと思われる子供が『あなたがあの浜にいることが視えた――と言っています』と答える。
更に、『国に戻ったら、森の中の城の庭にこれを植えると良い。そうすれば、天災による飢饉は免れます』と子供が言い、美しい娘が無言で芽の出ている鉢を渡してきた。
国に帰るための新しい船を用意している間にも、美しい娘は甲斐甲斐しく王子の看病をする。
二人は言葉を交わすことはなかったが、確かに気持ちが通じ始めていた。
ある日、美しい娘は一輪の白い花を王子に差し出してくる。
王子は、その花に込められた娘の想いを感じ取った。
そして、船が用意されて帰国するとき、王子は美しい娘に求婚する。
二人で国に戻り、美しい娘の言うとおりに森の中の城の庭に植物を植えた。
その植物は天災にも耐え、国民の飢えを救った。
国に戻ってからも予言めいたことを子供伝いに伝えてくる美しい娘。
言うとおりにすると、敵国を退け、国に平和がもたらされた。
王子はあのとき、幸運にも予言の巫女の住む島に辿り着いていたのだ。
国に平和が訪れた後も、二人は仲睦まじく暮らした。
冬の雪のように白い肌、秋の月のような髪、春に咲く花のような瞳を持つ美しい王子妃を、国民たちは雪月花の姫と呼んで親しみました。
そして、王国には雪月花姫に倣って想い人に花を送る習慣が根付きました――
「……内容としては、よくある感じの物語だけど」
「そうですね。この話のような予言は出てきませんでしたが、私も子供のころに読んで憧れた王子様とお姫様が幸せに暮らす話と似ているところがあると思いました。それに何よりお姫様の絵が可愛くて美しい。私も子供のころに読んでいたら、間違いなく憧れていたと思います」
その後、コラリーが戻ってきて「不審者は見当たりませんでした。ただ、恋人たちもいませんでしたが」と報告してきた。
ディートリンデは、「束の間の逢瀬と言っていたから、もう戻ったのかもしれないわね」と気にしなかった。