雪月花
「雪月花の姫と言われても、何のことかわかりませんわよね。ふふ。この国に伝わる救国の姫のことですの」
「救国の」
「ええ。大昔のことですが、予言の巫女に国を救われたことがありまして。その巫女の容姿が王妃殿下のように美しかったことから、雪月花の姫と呼ばれたのです。当時の王子と結ばれ、今では絵本となって娘たちの憧れる存在なのです」
「そういうことだったのね」
ガリバの伝承に出てくる姫ならば知らなくて当然だったと、ディートリンデはほっとした。
それも、大昔のことならば実在するかもわからない。
「ファンデエン国も北方に位置するので、きっとそれで似ているのですわね」
「ええ、きっと」
話を聞いていた夫人たちが、実在する人物だと確証がある言い方をする。
「……予言の巫女様がいたらきっと以前と変わらずガリバ国のままでいられたのに」
後ろのほうにいた大人しそうな夫人がぼそりと呟いた。
スヴァルトへ下りたくなかったという気持ちが伝わってくる。
こういう人をディートリンデの力でスヴァルト国民になって良かったと思ってもらえるようにしてほしいというのが、エドムントから任された使命。
与えられた使命に燃える気持ちはあったが、実際目の当たりにすると、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。
エドムントの願いを思うと、本当の信頼を得なければ意味がない。
「これっ!口を慎みなさい」
「……あぁ、いえ。スヴァルトの国王陛下には心から感謝しております。憎んでいますのは、敵国。けれど、自分の生まれた国が無くなった事実は、簡単に整理できませんわ」
「消えてなくなったわけではありません。土地や権利を取り上げられず、変わらぬ生活ができているではありせんか。国の名前が変わっただけですよ」
タマーラに窘められ、大人しそうな夫人は「わかっております」と言って口を閉じた。
納得していない様子が伝わってくる。
タマーラは事実を言った。
スヴァルトの領土となったが、元々従えるつもりではなかった土地のため、民の生活はほとんど変わっていない。
むしろ、変わったのは、侵略の恐怖に怯える日々と犠牲者が減ったこと。それにほっとしているガリバの民が多かった。
「申し訳ございません、王妃殿下。彼女は無力な私たちを恨んでいるのですわ。あの者の弟は国境警備に当たっていて、敵国の兵と戦って亡くしているのです。ですから、どうしても……。伝承のように雪月花の姫さまに助けてもらいたかったと思ってしまうのでしょう」
ディートリンデは何も言えず、ただ黙って頷いた。
きっと一番忸怩たる思いを抱えているのは、ガリバ国王夫妻であった二人であるから。
――――その日の夜、歓迎の宴が行われた。
男女は別に行動をするというガリバらしく、中央に円形の舞台があり、王族の席は両端に設けられていた。
席というが、ここでもテーブルや椅子はない。
絨毯の上に円座やクッションが置かれていて、そこに直接座る。
ご馳走は盆に載せられて絨毯の上に直接置かれている。ご馳走は、スヴァルトの王城で出される物とは少し違う。山の物や川の物がバランス良く盛られていた。
そして、中央の舞台では演舞が披露されている。
剣舞を舞う男性は勇猛で、扇を持って優雅に舞う女性は同性でも見蕩れてしまう。
このようなものを見たことのないディートリンデは、ただ純粋に楽しんでいた。
ふと逆側の席を見れば、エドムントが座っている。
ディートリンデの視線にすぐに気づき、表情を和らげてグラスを掲げた。
ディートリンデもにっこりと微笑みグラスを掲げる。
些細なことだが、通じ合っているようで嬉しく感じる。
女性側の席は茶席と同じ顔ぶれ。ディートリンデやタマーラ、高官の妻が座っていて、給仕も女性しかいない。
男性側の席にはエドムントやカルヴィン、ガリバ領主、高官が座っていて、給仕は男性しかいない。
「――こちらの椀はガリバ特産の植物の根を蒸したもので、昼の……王妃殿下?いかがされましたか?」
両端を見比べて話を聞いていない様子のディートリンデを、タマーラが不思議そうに声を掛けてきた。
「あ、失礼。少し、疑問が」
「なんでしょうか」
「ガリバではどのように男女は知り合うの?」
ディートリンデにはごく普通に浮かんだ疑問を率直に聞いた。
特に変なことを聞いているつもりはなかったが、タマーラはおかしそうに笑った。
「……何か変なことを聞いたかしら?」
「いえ、申し訳ございません。当然の疑問ですわ。私も、嫁いできたときには不思議で同じ質問をしたことがありますので」
「そう。私だけでなくて安心したわ」
「ガリバには花祭りというお祭りがありまして」
「あ。明日開かれるという?」
「はい。両陛下にも見ていただく予定の祭りです。その花祭りで、良いなと思う相手に花を渡すのです。言葉は不要で、思いを伝えられる。相手からその人が持っていた花が返ってきたら成立。後は手紙などで交流を深めて……というのが、ガリバ流の恋の始まりですわ」
「花を渡すだけで気持ちが伝わるのは素敵ね」
「貴族の場合は、結婚式の直前に初めてお相手の顔を見る……という場合もありますが。それでも、貴族の子女も花祭りは特別なようですわ」
スヴァルトの未婚の男女は男女交際が盛んだと聞いたとき、その価値観に馴染みのないディートリンデは少し複雑な気持ちになった。
未婚だと男女交際が盛んということは、エドムントもそうだったのかと思ってしまったから。
ディートリンデには、ガリバの恋の始まりのほうが持っている価値観に近く、素敵に感じた。
「ですが、花祭りは一年に一度しかないのですよ」
直ぐ側に座っていた高官の夫人が話に加わってきた。
すると、他の夫人も話しに加わる。
「そう。年に一度に懸けるのです。上手くいかなければまた一年待たなければなりません」
「女性からも花を贈れるのは良いですけれどね。年に一度というのは……」
「まぁ。実際には皆こっそりと親に見つからないように家を抜け出したりしていましたでしょう?」
「まぁ!そんなことをしていたのですか!?」
「え、皆様されていませんでしたか?」
「それは……ねぇ?」
「若い頃は、それも楽しかったですわねぇ」
「今日みたいな日も。何度も目が合えばそれが合図となって、会場の隅で言葉を交わすのですよね」
「そうそう。想いが通じ合っている相手がいれば、こっそり抜け出して少しだけの逢瀬を楽しむの。どきどきわくわくの瞬間ですわよね」
「わかりますわっ。主人もあの頃は素敵で……」
女性が集まっているので、一度盛り上がると姦しい。
女性同士のおしゃべりに慣れていないディートリンデは、口をはさめずに圧倒されていた。
けれど、気負わず話をしてくれる人たちのおしゃべりは楽しい時間だった。