自称王妃
「陛下、お呼びでしょうか」
「来たか。急に呼び出して悪いな」
「いえ。どうされたのですか?」
「とりあえず、座ろう」
「はい。……あの、陛下?」
「ん?」
「近くないですか?」
「いつも通りだろ」
「私室ではそうですけど、ここは執務室ですが」
「嫌か?」
「嫌ではないですけど。うーん……っ!?」
(いきなりキスされた!しかも口に!えっ、なんで!?)
驚いてエドムントのほうを見ると、奥にいるコラリーも視界に入る。
コラリーは遠い目をして窓の外を眺めていた。
振り返ってカルヴィンを見ると、無表情でこちらを見ていた。目が合うと、何か?と片眉を上げる。
絶対に見られたと思ったディートリンデは、羞恥でぷるぷると震える。
「へ、陛下!人前でっ……」
「口を尖らせたから、して欲しいのかと思ったのだ」
悪びれないエドムントの言い分を聞き、ディートリンデは唖然とする。
スヴァルトでは人前でイチャイチャすること自体珍しいことではなかったが、さすがに王城の中でそういうことをしている人はいないため、ディートリンデは知らなかった。
ファンデエンでは人前では慎むものであったから。
「……そ、それで。何かあったのでは?」
「ああ、そうだった。実はな。最近自称王妃が出没しているだろ」
市井では少し前から『覇王は本物のファンデエン国の王女を探しているらしい』と噂されていた。
あるとき、下級メイドたちが仕事をしながらその噂について話しているところに、ディートリンデが出くわした。
城で働く者には平民も多い。
読み書きができなくても働ける仕事があるため、下の位になると下町のほうから通ってきている。
そのため、市井の噂にも精通していた。
下級メイドたちは叱られると思ったのか、そそくさと行ってしまって詳しく話を聞くことができなかった。
ディートリンデが、エドムントに『そんな噂があるのですか?』と確認したことで、発覚した。
そして、下級メイドを探し出して話を聞いたところ、『ファンデエン国王が王女を探しているのを見た人がいるらしいです。それで、いつの間にかそういう噂に……』と話した。
それがつい先日、実際に「私こそ本物の王女だ」と手を挙げる者が現れた。
城で働く者は、エドムントがリーコックを罠に嵌めるための嘘だったと知っている。さらに、遠いファンデエン人とはどのような容姿か知らない者もいるらしく、明らかにスヴァルト人の容姿で「我こそは」と名乗り出るので、自称王妃は皆門前払いされている。――――という報告を、ディートリンデは受けていた。
「最近、その自称王妃が増え始めていたのだが……今日来たんだ」
「来た、とは?」
「ディーを私に捧げてくれたやつだ」
「っ!それって……!?」
エドムントは静かに頷いた。
◇
王城を囲う壁の中心にある、高く厚く堅牢な正門。
城の関係者は別の門を使うことが多く、滅多に開くことがない。常に閉じられているため、そこから城を見ることは叶わない。
そんなことは王都に住む者なら知っていて、地方からやって来た者は知らずに観光目的で見に来ることもあった。
しかし、どの者も一定距離以上近づくことはない。門の前には剣や槍を持った数名の門番が常に立ち、厳しい目を外に向けていて、近づいたら咎められることが一目瞭然だから。
そのため、正門の門番は結構平和で暇な仕事である。
表面上厳しい顔を作りながら、内心では眠気と戦う日々だった門番たちに、最近は面倒ごとが起きていた。
数日に一度、自称ファンデエン国の王女がやって来て、エドムントへの面会を願い出てくるようになったのだ。
今日も明らかにそれ目的だとわかる女が、観光客の間を縫って正門に近づいてきた。
「止まれ!それ以上近づくな!」
「私を誰だと思っていて?本来この国の王妃に選ばれたのは私なのよ。すぐにスヴァルト王をここへ呼びなさい」
「おいおい。随分と横柄な平民もいたもんだな。態度だけは一丁前にどこかにいそうな王族のようだ。演技はうまいぞ!」
「ははは!確かにな!だが、本物の王妃様は我々にも労いの言葉を下さる。平民が精一杯想像した王妃様像と本物の王妃様では、格ってものが違うんだよ。帰った帰った!」
門番たちはまたかと思いながら、鬱陶しそうに追い払う仕草をする。
不審者を追い払うのも仕事とはいえ、女性にいきなり槍を突き立てることはしない。
「私が平民ですって!?」
「その格好で貴族はないだろ?高く見積もって没落した元貴族がいいところか」
女はそれなりのワンピースを着ていたが、そのワンピースは薄汚れていた。
宝飾品としてネックレスは着けているが、足下は室内履きのような薄い靴。
髪は乱れて肌も汚れている。
「お前たち誰に向かって口を利いているのか分かっていて?必ず後悔するわよ!いいから早く!本物のファンデエンの王女が来たと王に伝えなさい!」
「お前が何を訴えたいかはわかってるよ」
「わかっているなら、さっさと――」
「確かに王妃様が偽者ではないかという噂はあるらしいが、全くのデタラメだ。最近は噂を聞き齧った平民が『私が本物だ』と言ってくるんだよ。あわよくばと思っているのだろうが、平民が本物の王妃様なわけがないだろう。そもそも、王妃様が偽者って情報は嘘なんだよ。わかったら帰った、帰った」
「なんですって!?あんな偽者と私を一緒にするなんて、目がおかしいのではない?私こそディアーヌ。ディートリンデは偽者ですわ!スヴァルト王に会わせなさい!」
「しつこいな。王女のふりをしても無駄だってさっき言っただろ」
「私に触れないで!私を追い返したりなんかして、どうなるか分かっているの!?使い捨ての門番なんかに本物かどうか判断がつくはずがないでしょう!?」
王城の門にて大騒ぎを起こした女は、結局門番たちによって門前払いされた――――
エドムントの執務室では、カルヴィンが眉間の皺を深くしていた。
「大騒ぎしたそうですが、門番たちは取り合わず追い返したそうです」
「これまでの偽者とは一味違うな」
「横柄な態度と言い、本物である可能性が高いです。恐らくまた来るでしょう。処分いたしますか?」
「いや……会おう」
「会われるのですか!?陛下が直々に会われると、もしやと疑いを持つ者も出てくる可能性がありますが」
「問題ない。逆に皆の前で偽者であると証明してみせ、堂々と遠ざける良い機会だ」
「本物相手にそんなことできますでしょうか」
「ディーの話を聞く限り、大丈夫だ。私が上手を取られることはない。それに、関係のないただの偽者だとしても、自分こそが本物だと言ってくる者への見せしめにもなる。本物だとしたら何故ここまで来られたのか、今まで何をしていたのか調べることもできる。付き添っているという侍女長の行方も気になるな」
リーコックは、孫のアデラを王妃にすべく、城の内外に王妃偽者疑惑の噂を広げていた。
しかし、城勤の者は、エドムントが国王直轄部隊を動かしてまで、敢えてデマを流してリーコックを捕らえたことや不正の事実を知っている。エドムントの王妃への寵愛ぶりも見ているので、誰も噂を信じる者はいなかった。
しかし、市井では『お飾りの王妃の噂はリーコック政務官を捕らえるための陛下が仕掛けた罠だった』という部分までは、まだ噂になっていなかった。
そのため、少し前から『私こそ本物の王女だ』と名乗りをあげる女が出て、便乗する者が後を絶たない。
しかしまさか本物のディアーヌがこの時期に現れるとは思っていなかった。
ただ、ディアーヌは平民のような格好をしていても隠しきれない顔の美しさや髪の美しさから、平民のなかには只者ではないのでは?と勘ぐるものもいた。
「予想通り、今日も来ました」
「行くか」
エドムントにとって、この時期にディアーヌが現れたことは好都合だと考えた。