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微かな希望を抱いて

 ゆったりした一人掛け用のソファと丸い小さなテーブルだけが置かれた部屋。

 どちらの家具も上質な素材を使っているのがわかる。


 ディートリンデは今の状況を忘れ、ソファの座り心地に感動していた。

 壁は木やただの布を貼ったのではない。ぽこぽこと立体感や陰影がある刺繍をした布を四方の壁に貼ってある。一面に貼るだけでも相当高い刺繍の壁紙を四方の壁に。

 贅沢三昧をしていたディアーヌの部屋でさえ、ここまでではなかった。


 ソファに座っているディートリンデの頭が揺れる。

 本人は視線だけを動かしているつもりだが、はたから見ると結構目立つ。


「賎しい」との呟きが、ディートリンデの耳に届く。

 スヴァルトの国民からするとファンデエンは聞いたこともないような小国で、貧しい国のイメージがあるのだろう。

 実際その通りで、この部屋からも垣間見える国力の差に感心しきりだった。

 ディアーヌの侍女として、あらゆる高級品を目にしてきたと思っていたが、格が違う。

 牢でさえもこうして贅を尽くした様子を見ると、ファンデエンは貧しい国だと突き付けられている気がした。


 程なくして、部屋のドアがノックされる。

 女性が確認してドアを開けると、先程エドムントに呼ばれてやって来たうちの、もう一人の女性が来たようだった。


「下がっていい」

「かしこまりました」


(後から来た人のほうが偉いのね。ということは、先の人がメイドで今の人は侍女?見張り役の交代だとしたら、女性騎士で上司と部下という可能性もあるわね)


 これまでの経験から、ディートリンデは無意識に周囲の人間の力関係や立場を測っていた。


 先の女性が出て行くと、後から来た女性がディートリンデの目の前に立つ。


「失礼します」

「っ!」


 ベールが持ち上げられ、突然視界が開けた。

 目の前には凛とした美しい女性がいる。

 驚いたディートリンデは、目を見開き女性を見る。

 そんなことには構わず、女性はいきなりディートリンデの顔に触れてきた。


「な、何を」

「まもなくお式ですので、お化粧をなおさせていただきます」

「お式……?」

「はい。結婚式です」

「え……どうして……」

「え?」


 ディートリンデは、ディアーヌの身代わりでいわば偽物の花嫁。

 結婚式が行われるはずはないのだが、目の前にいる女性は当たり前のように結婚式が行われると思っている様子。


(もしかして、この女性は私が偽物だと知らない……?)


 そうであれば、下手なことを口走らないほうが良い――そう判断して、口を噤んだ。


「あ、い、いえ。なんでもありません……」

「お化粧品で肌荒れはございませんか?」

「はい――――」


 化粧が終わると、再びベールが下ろされた。

 女性に連れられ暗く細い廊下を歩く。

 ここにも窓がないせいか、空気がひんやりとしている。


(先ほどとは明らかに違う。廊下というより、隠し通路のような……?)


 連れられて行った先にはとても大きな扉があり、扉の前にはエドムントが立っていた。


 ベール越しにも伝わる威圧感。

 二人きりのときに垣間見た案外気安い雰囲気はなりを潜め、今は覇王そのもの。

 鋭い視線でまた上から下まで検分されているのが伝わってくる。


(お式ってなんのことか聞きたいけど、ここで聞くのはまずいわよね。そもそも、この人に聞ける気がしない……)


 何をしても遅かれ早かれ死ぬのだと、一度は覚悟を決めたつもりでも、覇王エドムントを前にすると畏怖の念から指先が冷えていく。


「見た目で勝手に判断してしまったが、ディーは健康か?」

「はい?」

「ならば良い」


 ディートリンデには、突然すぎる謎の質問が理解できなかった。

 無礼にも反射的に聞き返すと、返事をしたと思われてしまう。

 しかし、質問の意味を聞くことはおろか、返事をしたわけではないと言うこともできない。


(確かに健康だけど。何が「ならば良い」の?さっきから、噛み合わない……って、私と覇王が噛み合うはずはないわね)


 ――――王女ディアーヌは好き嫌いが激しかった。

 昔から食べたくないものは全て侍女へ。最近では専らディートリンデが食べさせられていた。

 お陰で、ディートリンデはぽっちゃりぎみな体型だった。

 更に、今はすらりとしたディアーヌの体型に合うように作られたドレスを無理矢理着ている。

 ディアーヌのサイズ表を渡して、たった一週間ほどでスヴァルトから送られてきた恐ろしいほど繊細で精巧な刺繍の、それはそれは豪奢なウェディングドレス。

 無理やり着せられたため、胸元ははしたないくらいに盛り上がり、入りきらなかった肉が溢れて背中には段差ができている。背中の編上げは意味をなさないくらいに幅がギリギリ。

 この体型で病弱だと言っても信憑性がないだろう。


「時間だ。行くぞ。後ろを付いてこい」


 エドムントの掛け声と共に、目の前の大きな扉が開く。

 途端にざわめきと熱気が肌に伝わってくる。

 予想外の人の多い気配にたじろぎそうになるが、エドムントが歩き出したので付いていく。

 すると、すぐ後ろに先ほどの女性もぴったりとついてきた。


(……あっ)


 まるで罪人を連行するときのような状態になり、結婚式というのは油断させるための嘘ではないのかと気づいた。

 式場ではなく、ここは裁判の場や処刑場だとしたら、先ほどの暗く狭い通路も説明がつく。


「段差に気をつけろ」

「はっ、はい」


 ついにこのときが来た……と、えもいわれぬ恐怖心に襲われ始め、ディートリンデは目の前が真っ暗になっていく感覚になっていた。

 そんなとき、急にエドムントに小声で声をかけられ驚いた。

 下を向くと、ベールの隙間から確かに段差が見える。


 数段上がった所は台があり、その前には司祭らしき男性が立っていた。

 そして、始まった――――



(これは、本物に結婚式なの?)


 始まった式はディートリンデの予想に反して結婚式のようだったが、ディートリンデの知っているやり方ではなかった。

 裁判よりは結婚式のほうが濃厚そうではある。

 ただ、分厚いベールで視界を遮断されているディートリンデにとって、これが本当に結婚式なのか確認したくても確認できない。


(これは、何語?……もしかして、古語?)


 スヴァルトもファンデエンも大陸共通言語を主として使用している国。

 そのはずなのに、ディートリンデには男性が聞き取れない言葉を話しているように聞こえていた。


 〈――――、――――――、――――――――〉

 〈――――、――――、――――〉

「〈――――〉と言ってください」


 ぴったりと後ろに付いている女性が、急に耳打ちしてきた。

 何が起こっているのかわからないディートリンデはぼーっとしていて、急に話しかけられたことで肩が跳ねる。


 呪文のような言葉を言い終えると、エドムントがこちらに近づいて来る気配があった。

 何が始まるのかと身構えていると、側に来たエドムントに体の向きを変えるようにそっと促される。

 その手つきが意外と優しい。


 武を持って周辺諸国を制し、神をも恐れぬ覇王と呼ばれているくらいだから、傍若無人でもっともっと怖い人を想像していた。ディアーヌが言っていたように粗野なのだろうと。


 しかし、実際に対面してみると威厳があって思わず畏怖の念を抱いてしまうオーラはあるが、ただ単に怖い人という印象はない。

 意味のわからない発言は多いものの、先ほども『段差に気をつけろ』と気遣うような声をかけてくれたし、感情のままに殺すような人ではなかった。


 エドムントに左手を取られ、すぐに手首にカチャリと何かが嵌められた。

 自分の手首に視線を移すと、透き通った緋色の石がぐるりと付いている腕輪が着いている。

 魔石の量が多くて重さを感じる。


 エドムントが腕輪ごと手首を掴むと、その手にディートリンデが硬直したことが伝わった。が、気にせず呪文を唱える。

 腕輪のサイズがどうやっても手から抜けないサイズに変化した。


 二人の前にいる男性がまた古語のような言葉で何かを言うと、後ろから拍手が湧き起こった。


「行け」

「え?」

「ここを出たらコラリー……彼女が案内する。行け」

「はい」


 エドムントと分かれ、側についていた女性に案内され式場を後にする。

(もしかして、解放してもらえる……?)と、微かな希望を抱いてまっすぐ前を向いて歩いた。



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