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泣くな

 部屋の中が静寂に包まれる。


「……何か言ってくれないか」


 そう言ったエドムントはいつもの大国の王らしさが消え、自信なさげに縋るような視線を投げかけていた。

 ディートリンデの目の前にいるのは、覇王でも大国の王でもなく、ただの一人の男だった。


「ほ、本当に陛下は私のことを?」

「本当だ。どうしてそんなに私の気持ちを疑うのだ……」

「え。だって、これは契約結婚みたいなものだと思って……」


 悲しげな声を出され、ディートリンデは責められているような気持ちになり、言い訳するようにぶつぶつと呟いた。

 その声を拾った途端、エドムントの瞳に力が戻った。


「そう思っていたのか!?なぜそんな誤解が生まれたんだ?我々は夫婦になったと言っただろう。家族になったのだと」

「私が共闘ですねって言っても否定されなかったですし、いいなと笑っておられたので、利害の一致で王妃を任されたのかと……。血を薄くしたいとおっしゃっていたのに、その、閨事もないので……」

「なんてことだ。共闘とは、半年誰にもバレずに力を合わせて乗り切り、本当の夫婦、本当の家族になろうと言ってくれたのだと捉えていたのだが。だから、それは良いと言ったのだ。私は、私に家族ができたことが嬉しかったんだぞ。本当に」


 お互いが思い違いをしていたことを知り、二人は黙り込んだ。

 少しの沈黙の後、ディートリンデの手にエドムントの手が重なる。

 目が合うと、手を握り込む力が強くなった。


「私から逃げないでくれ。逃げられるのは辛い」


 どこか寂しさを感じさせる瞳に、ディートリンデは言葉が出なかった。


 何か言わなければと口を開きかけたが、視線を下げたエドムントが静かに話し出した。


「ディーがいなくなったとき、攫われた可能性も考えて、行方がわかるまでは生きた心地がしなかった」

「離婚してほしいと話していたし、メモも残しましたよね?」

「あぁ。だが、脅されて書いた可能性もあるだろ。私には敵が多いからな」

「それは……」


 初めてのデートのとき、エドムントは幼いころから毒に慣れていると話していて、そんなことをしなければならない人生に同情したことを思い出した。


「いいんだ。探し出すのに二週間も掛かってしまったが、元気にパン屋で働いていると報告を受けて安堵したと共に、本当にディーが自分の意思で出て行ったとわかってショックだった。私は、ディーの意思ではないと思いたかったのだろうな」


 エドムントは自嘲するように口元を歪めた。


「本当は、ディーがあのパン屋で生き生きと働いている姿を見て、いい笑顔で笑っているし連れて帰らずにこのまま解放したほうがディーのためだと何度も思った。見に行くたびそう思ったが、だめだった」


 エドムントの言い方では、まるでパン屋に何度も行き様子を見ていたと白状しているようなものだった。


(しかも、何度もって。そんなに、本当に、私のことを……?)


 心の全てを見極めようとエドムントをじっと見つめるディートリンデ。

 ディートリンデの顔には信じたいと書かれているようにエドムントには見えた。

 まだやり直しができる可能性を見出したエドムントは、包み込むように優しく微笑む。


「やり直してくれるか?」

「…………」


 ディートリンデの表情から「はい」以外はないだろうと踏んでいたが、即答が得られなかったことに焦ったエドムントは表情を硬くする。


「頼む。はいと言ってくれ。私はディーと家族になりたいんだ。ディートリンデと共に生きたい」

「……っ…………はい」


 表情を緩めたエドムントに「泣くな」と言われ、ディートリンデは自分の頬に涙が伝っていることを知った。

 頬に触れたエドムントの指先が冷たくて、彼も緊張していたことがわかると、もっと涙が溢れた――――



「しかし、本当に伝わっていなかったか」

「何がですか?」

「私の愛だ」

「あ、愛……」


 改めて言われると無性に恥ずかしくなり、ディートリンデは顔を伏せる。


「どんな表情でも見せてくれ」


 エドムントの手がディートリンデの顔を優しく包み込み、前を向かせる。

 その言葉だけでも顔から発火しそうだったが、顔を上げて視線が交わったエドムントの瞳が優しくて、気持ちがいっぱいになりディートリンデはぎゅっと目を瞑った。

 そのまま視線を合わせていることに耐えられなかった。


(うぅぅぅ……!もうもうもう……!)


 エドムントの気持ちを知ったら知ったで冷静ではいられなくなった。

 頭の中までパニックになりかけていると、唇に一瞬柔らかいものが触れた。

 少しかさついたそれが何なのかわからなかったディートリンデは、瞳を開く。


 キョトンとしたままのディートリンデと視線が交わると、エドムントが「キスくらいは許せ」と悪そうに笑って言う。

 その表情のまま唇が重なり、ディートリンデは先ほど唇に触れたものの正体を知った――――



「愛情表現していたつもりだったが、ディーには伝わっていなかったのだな。難しいものだ」


 エドムントがため息を漏らす。

 デートと称して城下の案内をしてくれたりと、振り返ってみれば心当たりはあった。ただ、そのときは本気にしないように、ディートリンデは『仲良し国王夫妻作成』だと自分を戒めていた。


 エドムントがあまりにもがっかりしたような表情をしているため、自分が気づいていない何かがあったのだろうかと気になってくる。

 何しろ年齢の割に色恋沙汰に疎いことを自覚している。


「……例えば?」

「可愛いとか愛いと伝えていただろう」

「それはからかわれているのかと思って聞き流すようにしていました……」

「紛れもない本心だ。意識して言っているのではなく、思ったことを正直にそのまま伝えていたのにな。聞き流されていたのか。それは少し切ない」

「申し訳ごさいません……」

「照れつつもしょんぼりとした顔も愛いな」

「っ!?」


 目を細めて頬を撫でられながら言われたディートリンデはガチっと固まってしまった。

 いつもは少し悪い大人の顔をしているエドムントの甘い微笑み。それから優しい手つきも。

 それらが本心からだと言われると、意識しすぎて固くなってしまう。


 目を泳がせると、エドムントがククッと笑った。

 ディートリンデがからかわれているのだと思ったきっかけになった笑い。

 むくれた様子になったディートリンデの頬をエドムントが嬉しそうな顔をしてつつく。


「ククッ。食べてしまいたいくらいというのはこういう気持ちを言うのだろうな」と耳元で言われ、言葉が出せなくなった。

 からかいも含まれているが、そこには愛があるのだとわかってしまったから。



 ディートリンデがここまで鈍感になっていたのには、そもそも両国には恋愛や結婚に関する価値観の違いがあった。


 ファンデエンでは結婚前の貴族は絶対貞淑であることを求められるが、一方で、結婚後なら愛人も認める文化である。

 ディートリンデは、これはどこの国でも同じだと思い込んでいた。


 しかし、スヴァルトでは結婚後の浮気はご法度。そのため、結婚前に性格や諸々の相性まで確認するための交際が当たり前で、お互いにこの人だ!と思った人と結婚する。

 結婚したら半年以内に離婚しない限り、相当なことがないと離婚は認められていない。


 ファンデエンとスヴァルトでは真逆である。

 その違いを知らず、ディートリンデはずっとエドムントはいずれ愛妾を娶る予定だと思い込んでいた。


 文化の違いは他にも。

 ファンデエンでは女性の立場はそれほど強くなく、妻は夫に従うもの。屋敷からあまり出ず、貞淑で従順な妻が求められる。

 一方で、スヴァルトでは女性の立場が確立している。

 女性たちを怒らせると怖いというのがスヴァルト男性の共通認識であるものの、お互いに対等でいられるような精神的に自立している女性を好む男性が多い。


 エドムントの説明を聞いていたディートリンデは、そんなにも価値観や文化の違いがあるとは思わず、驚きの連続だった。


(王妃教育では教えてくれなかったけど、先生もこんなに違うとは思っていなかったのでしょうね。だけど、確かにパン屋さんの旦那さんは寡黙な職人気質であまり表には出ず、奥さんのほうがお店を切り盛りしていたわね)と思い出していると、目を細めたエドムントに頬を撫でられた。


「ディーは、控えめでいじらしい。そこも私には好ましいのだ」




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